絹糸のしらべ

一絃の琴、きもの、文学etc…日本人のDNAが目を覚ます・・・

猿に負ける

2006年02月28日 17時15分20秒 | Weblog
梅は~咲いたか~、桜はまだかいな・・・

梅といえば、思い出すのが二年前の冬、
一絃琴を習い始めて、初めて人前で演奏することになった日のこと。
場所は、県下でも有名なしだれ梅の名所の神社。
そこは、毎年梅まつりとして、さまざまなイベントを境内で行っていた。
奉納の酒樽かなんかが積み上げられたのを背景に
舞台が設置されており、紅い毛氈?が敷いてあって一応マイクもあった。
お琴から手品まで、さまざまな芸が披露されていたらしかった。
その日は、一絃琴だけと聞いていたのだったが・・・

神社の本殿で、奉納演奏の後
外の境内で演奏ということになった。
まだ五分咲きくらいでそんなに人がいなかったのだが
始まる直前になって、どんどん人が集まってきた(うそ~!
これみんな一絃琴聴きに来た人???・・・

そもそも音が小さく、外などではよっぽど高性能でない限り
音を拾うのが困難な上に演奏がヘタときているので(総勢6人)
お客さんたちも、最初の2曲くらいで散ってしまった。。。
もともとそのお客さんたちは子供連れで、
『猿回し』を観に来ていた人たちだったのだ

一絃琴がまだ全然終わらないうちに、
『猿回し』の客寄せの太鼓が鳴り始めた。(ジョーダンきついでしょ)
音は聞こえないわ、太鼓はうるさいわ、
お客さんは「あの琴はよ終わればええのに~」と
<聞こえる声で>言ってくれるし・・・
悲惨な「一絃琴デビュー」となってしまったのだった
今度からは、絶対に、【猿に負けない】演奏をするんだ
固くこころに誓う梅まつりだった。。。

今年の梅

2006年02月28日 07時57分34秒 | Weblog
温暖化といわれ続けてたけど結構寒い冬だったのか、
梅の開花はすごく遅くなっているみたい・・・
なばなの里の梅も、ほんのちらほらしか咲いてなかった。

梅の名所といえば、県下にもいろいろある。
一絃琴の演奏にも行った事あるけど・・・(猿に負けた苦い思い出
花をみて、しばし心の安らぎ。
やっぱり、そんな花見がいいですね。


対面朗読の実態

2006年02月27日 14時30分54秒 | ボランティア
図書館サービスの一環として、視覚障害の方向けの対面朗読をやっているところは
少なからずあると思う。
でも、実際のところは、閑古鳥がないているのが多いのではないだろうか。
本を読んでもらう希望が少ない上に、図書館まで自力で来ることが
そもそも困難なのである。
図書館は、来館者へのサービスの一環として、これを考えているわけなので
ここへ付き添いでだれかヘルプが付くサービスは、社会福祉の方の話なのだ。
なかなか、話は先に進まない。
ボランティアのほとんどの人が、60~70歳のかただ。
(わたしは若輩)
他に、これからスキルアップ講座の内容として何か意見は?という
議題があった。そしたら、録音奉仕をしているベテランの人が
講義内容を、自分たちみたいに「力のある」人と初心者を
わけて講習をしてほしいと発言した。(正直ビックリ

ふ~~~ん、そんなに違うのかな?
わたくしめは、そう言ったベテランの方の「息継ぎが大きい」のが
ヒジョーに気になった。(その方の癖で、とても特徴的、平原の歌い出しみたいなの)

今はパソコンの機能を使って、ニュースなどは音声で聞けるので
昔みたいに「何でも人力で」ということはないし、
視覚障害の方の聴力ってすごいので、健常者が到底聞き取れない
超早スピードのものだって聞き取れる。だから、滑舌が素晴らしいかどうかって
果たしてそんなに重要なのか、などと思った。

自分の音読力に酔うのも良いけど、
自分のためのスキルアップなら、自腹でそういうのを探せば良いのにな・・・
個人的には、お客さんにわかりやすく、一緒に楽しく過ごせる
そういう関係をもてるのが「対面」の良さと思ったりした。

花粉炸裂か!?

2006年02月27日 08時14分23秒 | Weblog
今日は雨上がり後の、恐怖の?いいお天気らしい
杉花粉炸裂
マスク装着、必須ですよ。

わたくしめは、図書館の対面朗読ボランティアの会議が午前中あるので
今日はちょっとはチャッチャと家事を片つけなきゃ
(毎日そうしろって???むむむ・・・)

ベゴニアガーデンその2

2006年02月26日 22時28分40秒 | Weblog
これもっとわかりにくいですね。
上からぶら下がってるのも、みんなベゴニアなんですよ。
もう「ベゴニア国」…あ、映画は「ナルニア国」ね(ふざけてマス

昨日は、夜この【なばなの里】に行ったんですが
正直あんなに混んでると思いませんでした。
時ならぬ渋滞びっくりしましたわ。。。

イルミネーションが、田舎らしくなかったけどきれいでした。
(なんで、デジカメ忘れるの~~~しつこくいってる
ここは食べ物とかもあるので結構
(やっぱり食い気だけか
わたしが食べるのは《安永餅のぜんざい》
450円で柴漬けもついてないんですよ!田舎にしては高い!
でも食べたい(赤福のぜんざいの方がおいしいけど)
コロッケは、いつも長蛇の列ですね。(並びません)
「湯あみの島」は何回も行ったけど、
この「なばなの里」の中にある温泉には入ったことないです。
いいお湯なのかな?行ってみたいな。(一家揃って温泉大好き

雨ですよ~~~

2006年02月26日 11時11分26秒 | Weblog
今日は一日雨みたいですね~~~

わたくしめは、花粉症がいよいよ出てきちゃいました。
(その地方で違うようですね)

長男も杉花粉アレルギーですが
札幌はないみたいで、大学生活(花粉については)快適のようです。
(ゴキブリもいないんですね、北海道って・・・寒すぎるから?)

下の子がお兄ちゃんのところに行きたがるので
春や夏の休みには、どうしても北海道に行くことに・・・
有名な「旭山動物園」には、2回も行ってしまいました
ここだけでなくどの動物園でも、飼育係の方たちは
動物をわが子のように?お世話されていることでしょうね。
(サラリーマン化した先生方も、ちょっとは見習ってほしい・・・
  オヤッまたまた過激発言になってしまった

昨日の夜、「なばなの里」というところに行ってきました。
デジカメを忘れていったので、携帯で撮った写真
あとでアップしようっと・・・
(イルミネーションきれいでしたが、携帯ではボケボケ。
  ベゴニアガーデン、撮りました)


「ゆとり教育」は今はじまったわけではない

2006年02月25日 14時55分21秒 | 子ども
うちの子どもは小学4年生なので、ちょうど1年生入学の年から
新指導要領が導入されました。
この4年の間、喧々諤々さまざまなことがマスコミを通じて報道されてきました。
そのキーワードは「ゆとり」でした。
しかし「ゆとり教育」自体は、もう30年近く前からその取り組みが始まっていました。
それは何かというと、当時問題が表面化してきた「登校拒否」や「校内暴力」の原因が、
学力重視の<偏差値教育>であるという批判であります。
詰め込み教育はいけない、というマスコミの大合唱を受けて、
(アメリカとの戦争に負けた資源のないこの国の建て直しを
「人材育成」に求めていった感のある)
それまでの教育政策が、その見直しを迫られていったわけです。

新聞というのも、時間の制約の中で書くわけですから
フリーのジャーナリストのように、とことん取材し研究して
というわけにはいかないでしょう。
しかし、今目の前にある現象だけを捉えて、
薄っぺらな教育観をかざした記事を読むたびに、
またそれに乗せられて、ころころと変わっていく教育の犠牲者は子どもだ!
と思わざるを得ません。

具体的な話をしますと、「自ら考える」「自分で調べ、実行する」
などなど、りっぱな文言が並ぶ今の学校教育でありますが
何かを調べたり考えたりするその基本が、学校の勉強だけでは全然身につかない
という現実があります。(これはうちの地域だけではないようですよ)
基礎学力のないままに、それ以上のレベルである「思考する」学習なぞ
もし、できる授業があったら、是非みせてもらいたいです。

教科書内容が削られたら、なぜか、宿題もすくなくなり
「読み書きそろばん」とかつて言いましたが、計算も定着するほどドリルもやらせず
(ドリルも問題がものすごく少ない)
このままほうっておけば、学習定着率の非常に低いまま中学に行くのが
目に見えています。
これって、どういうことなんでしょうか?

さまざまなことが「自己責任」といわれ、
<ボヤボヤしてた自分が悪い>式な今の日本ですが、
この教育の現状も「公教育がやばいと思うなら私学へ行け」
ということなのでしょうか?
各自、家庭で勉強は定着して下さいってことなのでしょうか?
(義務教育なのに、自己責任?)

ほんとに、言い出したらきりがないくらいですが
教職員を他の公務員と同等にする「週休2日制」が
さらに学校教育をだめにしたことは、紛れもないことです。
そして、この制度によって失われた授業時間数を
「土曜復活」ではなく「夏季休業日の短縮」等で補おうとする
全く持って「付け焼刃」な所業が、一部で既に始まっているのでした。
(末期的症状

現実

2006年02月25日 08時23分03秒 | 子ども
荒川静香の荘厳な美しさに、国民が酔いしれた昨日
わたくしめの現実は、子どもの授業参観日でした。

午前中の4限のどれを観てもらってもいいですよ、というスタイルでした。
で、1,2限とそのあとの20分休みの様子をみて、帰りました。

いろいろ教育問題を取り扱った番組が放映されますが、
やはり、インパクトのあることばかりセンセーショナルに取り上げられて
本当のところはどうなんだ!?と(地域によっても違うので)
みな、思っているのではないかと思います。
あるいは、当事者である、義務教育を受けている子どもの保護者たちは
案外、特別何も考えていないのかもしれないな、などとも思います。
親たちは、漠然と子どもも自分の歩いてきた道と同じ道でいいのだと
あるいは、漠然と自分の子どもの頃と同じような勉強をしていると
考えているのかもしれない。現実は全く!違う・・・

昨日のうちの小学校の現実をみると、
本当に「公教育は崩壊寸前」と言われても仕方ない様相を呈していました。
子どもの学年は大丈夫のようでしたが(いつもは騒がしいと子どもは言っています)
隣接する教室の3年生は、ひどいことになっていました。
担任ひとりでは抑えきれず、補助の講師?が2人も付いていた!
そして、2限目には授業中何人かが逃げ出し、それを補助の人が追いかけていた。
(それは、日常茶飯事のようだった、だから補助をつけたと先生がおっしゃっていた)

おととしは、チャイムが鳴っても教室になかなか戻ってこない子どもが多く
(PTAでよく学校に行っていた為、目に付いた)
「いつもこんなのですか?こんなんでいいんですか?」と教頭に言ったら
「そういうのが何クラスかある」という返事で、<きまりを守らせる>ということを
徹底させる姿勢そのものの欠如を目の当たりにした。
だから、いまのこの状況が唐突なことではないのだった。

これは、生活面のことですが、勉強面に至ってはさらに「すごい」ことになって
いるのですが、それは次書くことにします。
ちなみに、うちの地域は県下では有数な文教地区と呼ばれている地域です・・・
(もう、違うんじゃないの???)

荒川静香、金メダル!

2006年02月24日 11時44分30秒 | Weblog
もう、今日はこの話題しかないでしょう。
おめでとう荒川静香、女子フィギュア、金メダル
何回も何回も見たくなりますね!

滑り終える最後の表情の美しいこと
無心にやり遂げた充実感?静謐な喜びの「笑み」は
「やったぞ!」という感じとは又異なるものでしたね。

解説の佐藤さん(もと選手)も、泣いているのか
解説者なのに、何度も何度も「・・・」になっていました。
もう、ほんとに「おめでとう!」それしかないですね。

表彰台に上がった荒川選手の立ち姿の美しいこと
他の選手と思わず比べてしまった・・・
「君が代」がこんなに美しく聞こえたのは、はじめてだった。
(そのあとで、誰かもテレビで同じことをコメントしていたね)

老人ホーム慰問

2006年02月23日 22時32分12秒 | 一絃琴
今日は、先生と新しく入った方(男性)と3人で伺った。
新しい方は、見学だけだったが・・・。

いまは、いろいろなケースの老人対応の施設があるが、
今日のところは、介護つき老人ホームで、そこで生活している人ばかりだった。
60人くらいおられて、広い多目的ホールでの演奏で、マイクありだった。
マイクがあると、音がまた変わってしまうのでやりづらい面もある。
何とか間違えずにできたが、「春の朝」は初めての演奏だったのでちょっと緊張した。


一絃琴の曲は、物悲しいものも多いが、小唄や常磐津の影響を受けたようなものも中にはある。
今日弾いた「春の朝」はちょうど今の時期にぴったりの曲だ。

 おしなべて春は来ぬれど さながらに まだ解けかぬる白雪の
 ふるの山路を立ち居でて 梅の梢に 鶯の初音のどけき朝ぼらけ

「あたりはすっかり春が来たようだけど、まだ冬のままのように
 白雪が解け残っている山合いから出てきた鶯が、梅の梢で鳴く、
 その声が、のどかな春の朝だよ」

琴だけの演奏より、はるかに「歌」を聞かせる曲で、
この情景を思い浮かべてもらえるようがんばったが、
果たしてどうだったのだろう?
さらに精進が必要みたい・・・

あとの、「荒城の月」「赤とんぼ」「月の沙漠」は
とても元気良く大きな声でいっしょに歌ってもらった。
少し、涙ぐんでおられる方も見えたが
なにか、思い出されたのだろう。
みなさん、大変熱心に聴いてくださってうれしかった。
(感謝)

 
 

グループ送迎

2006年02月22日 23時45分52秒 | 子ども
子どもが犠牲になる事件があとを絶たない。
つい先日の「グループ登園」時に起こった事件だが
新聞に続報が載っていた。
ずっと、引っかかっていたのだが
そもそも、何故に送迎が「グループ」なのか?
東海三県では、大半が個別送迎となっていた。
(ちなみにうちの地域は違って、行きは小学校と一緒に集団登園、
帰りはかってに幼児だけで降園=さらにこわいでしょ~~~)

滋賀県だけは、ずっとこのグループ登園を実施してきたというのだ。
年少児は個別で、年中年長はグループっていうのだが
ちょっと待ってくださいよ、
確か、6年前かに道路交通法か改正になって
6才未満の子どもを乗せるときは「チャイルドシート」が必要でしょ?
それってどうなってたの?
車に何人も乗せてくるのに、いちいちシート持って順番に送迎してたの?
(そんなわけないですね、どう考えたって…)
滋賀県はじゃあ公然と交通法破りを奨励してた、
いや黙認してたって事なの?わかんないな~~~

それに、もし、事故になったら責任はどうなるの?(今回は酷すぎるけど)
また、歩きの場合でも同様の責任問題というか
もしものときが、当然考えられるのに、どうしてそんなことしていたのだろう?

そしてあんな悲惨な事件が起こったばかりなのに
個別登園に変更になった朝の親の言い草が…
「毎日は大変」ですと…
つまり、送迎が「面倒」ということなのか

でも、ちょっと待って、ひょっとして
もともとはうちの地域のように、勝手に園児だけで登降園していたのが
それでは危ないから、ということで、
個別送迎にすると親の文句が出るので(大変とか言って)
それで、中とって「グループ送迎」にしたんだか?

この論法でいくと、事件の起こった地域より
うちの地域の方がもっと「子ども放置」ということなのかも
幼稚園児だけで帰ってくるなんて、マジ「連れ去っていいよサイン」
出してるようなものだもの。おそろしや~~~~

明日の演奏(慰問)

2006年02月22日 14時41分59秒 | ボランティア
まだせきが出るけど、なんとか行けるでしょう。
昔の曲は「春の朝(はるのあした)」「鴛鴦(おし)」で
お年寄りの方々に一緒に歌ってもらったりするのは
「赤とんぼ」「月の沙漠」「荒城の月」です。
(三味線や尺八の人も、慰問では同じような感じの曲をするらしい)

「月の沙漠」って誰でも知ってる曲ですが、この曲って不思議。。。
「沙漠」って、サボテンの生えてる砂漠じゃなくて砂丘のことなんですね。
それでもって、鳥取の砂丘かというと違って
千葉県御宿の浜の砂丘を見て作られたものだそうです。
(そこに歌詞碑が立っているそうですよ、初めて知りました)←単なる無知!?
この詞が大正12年3月「少女倶楽部」に掲載されたのを見て
作曲されたといわれています。
(「らくだと砂漠」だから和風ではないけど、曲想は和風…)

今年はゆっくりめ?

2006年02月22日 09時02分25秒 | Weblog
暖かくなって、いよいよ花粉の時期到来

昨日、庭に、鶯のつがいが来ていた。
まだ、ホーホケキョ、とは鳴かなかった。
鶯色っていうけど、この鳥の色は結構暗い色だ。

全然関係ないけど「着物占い」ってのも見てしまったので
ついでだからやってみます?(なんのついで?)

着物占い

愚痴の言いどころ

2006年02月21日 15時45分44秒 | 子ども
今日は午前中にさまざま雑用と家事をやっつけ(やっつけ仕事なのか
午後から、子どもの帰りまで絶対に寝よう!と思っていた。
(ムカムカ感も出てきてしまった)

さあ、出かけるそのときに、電話あり。
近所の友だちからだった。
(電話せず、ぞうりで来てしまえる近さの人なのだが)

そういえば、この前、お琴の直前も電話もらったのだった。
そのときも、かなり、あれこれ話したが
まだ、全部、話しきれてない様子なのだ。

これこれで、いまから用事いくんだ、と言っても
なんか、電話切れない感じ。それから、延々、
終わったら12時になっていた。

PTAを3年目も引き受けたが、
なかなか思うように行ってくれない悩みのようだった。
絡まった紐を、いったいどこからほどけばいいのか
わからないぞ!というのが、今の公教育の実態なのだ。

PTAなんて関係ないじゃないかって?
そんなことないんですよ。
小学校の場合、学校は保護者の協力を前提に成り立っている部分が
大いにあるんです。(これは、田舎に限らないと思います。)
公幼稚園ほどではありませんが・・・

そして、PTAで密接にやればやるほど、
学校内部のことが見え過ぎて「徒労感」にさいなまれます。
昔はこれこれでよかった、なんて言ってる場合じゃないんです。
カリキュラムの大変更もさることながら、
それ以前の問題として、教師のあり方、教育のあり方というのが
ものすごく、ものすごく、変わってきているのです。

時代と共に、教師の意識も変化せざるを得ないでしょうが
やはり、変わって欲しくないのは、
教育が「人を育てる、大切な、他事と代えがたい重要な仕事である」
という認識です。
この認識を失ったなら、
こどもから「先生」と呼ばれる資格はないとさえ思ったりします。
でも、「学校を少しでも良くする」とか「子ども第一に考える」よりも
『現状維持』『波風立てず』『勤務時間厳守、あとはプライベート』で
この姿勢というのは、Pがギャーギャー言ったくらいでは
到底変わるものではないのです。

では、わたしたち微力な親たちは、いったいどのようにこの現状を
変えていったらよいのでしょうか?

そのあたりで、今日の彼女も悩むところなのだ。
言わんとするところがわかるので
どうしても、「じゃ、用事あるから」とは言えないのであった。