絹糸のしらべ

一絃の琴、きもの、文学etc…日本人のDNAが目を覚ます・・・

学年行事のその後

2006年04月30日 20時42分21秒 | 子ども
結局、学級懇談会は、学級委員の「とにかく!今年はカレーづくりをするつもりは
ありませんから!」の一言で締めくくられた。

出席していた人の中で、カレーは子どもたちも楽しみにしているだろうと
発言したのは3人だけで、親たちもそれにうなづいてはいたが発言はなかった。
もう、あとは「しら~~」っとした空気に包まれ、学年行事についての話は
終わりを告げた。
この学年委員長は、本部の意向もあり、と述べたが
実際はカレー作りがいやなだけなのである。
理屈でせめても、無駄なのだ。

それからこのことをどうしようかと思案した。
このままほうっておいたら、カレー作りが今年だけでなく、
永遠に復活しなくなるだろうことは、容易に想像できる。
毎年決まっているようなことを覆すのは難しいが
いったんなくなれば、面倒なこと(手間のかかること)を
もう一度親たちにやってもらうのはとても大変なことなのだ。
(本部で経験済み)

「カレーに拘らない行事を望む」ということがどういう事態を
招いていくのか考えもせず指示した本部役員(子どもが幼児のときからの知り合い)
に、懇談会の模様や何の意図があってこんなことをわざわざいうのか
尋ねてみたが、意味不明だった。
その人は、自分が3人子どもさんがいるため、同じ行事を毎度毎度
3回もやらされるのが「超マンネリ」と感じていたのだ。
だから、本部という役を使って、学年委員に違うことをやらせようとした。

しかし、よく考えてもらいたい。
PTA行事は何のためにあるのか?誰のために行うものなのか?
まぎれもなく、子どもたちのために行うものだ。
PとTが協力して、親同士、親と先生同士、仲良くして子どもをともに
育てて行きましょうというものなのだ。
子ども3人いる彼女にとっては、給食試食会もカレー作りも
「またか!!」ということだろうが『その子どもにとっては初めての体験』
なのだ。そういう子どもの気持ちがわからないのかな?
子ども目線が完全欠落しているのではなかろうか。

話していても、結局物別れに終わった。
PTAのいろいろな行事を『親の負担軽減』とかいってなくすのは
簡単なことである。(また、一旦なくせば、復活は非常に困難だ。)
こうした子どもに関わるもろもろの手間のかかることを省いていった結果
親同士の繋がりも地域の繋がりもなくなって行き、
青少年にさまざまな害をもたらしていることは明らかなことだ。
専門家でなくても、いまもろもろ起こっている問題の原因が
大人自身にあることに目を瞑ることはできないだろう。
(どうして、わからんのかなあ。。。)

私は一母親にすぎないので、これ以上何もできない。
せめて、アンケートとか取って、子どもや親の希望をきいてもらいたいものだ。




子どもがつくる冷やし中華

2006年04月30日 15時59分52秒 | 子ども
かねてから、私の誕生日に子どもが冷やし中華を作ってくれると
いうので、昨日のお昼実現いたしました。
危なっかしい…指切りそうだ~~~
自分の子ども用クッキング包丁だからいいものの…

でも、一応、ひととおりやってくれて、画像の出来上がりに。
あと、似顔絵つきのお手紙と私のリクエスト「いつでもなんでもお手伝い券」を
もらいました。

この種のお手紙は、長男のも全部残してあります。
長男のには「ボクが大きくなったら、おかあさんにネックレスと指輪を
買ってあげます」というのがあるのですが、長男は「記憶にない」「文書偽造だ」
とか言っています。(動かぬ証拠をみろ~~~


「一弦琴 一つ緒のみち」

2006年04月29日 13時02分41秒 | 一絃琴
奏法について図入りで書かれているのは
大西一叡著「一弦琴 一つ緒のみち」でした。

これと愛知一紅著「一絃琴 愛知一紅演奏曲集 別巻(解説本)」を
読むあわせてみると、清虚洞という一つの流派の流れがわかる。
これらを読む前は、この派が一絃琴の一大流派と思い込んでいたが
(泊仙操があるので)
いまは、あくまで種々ある流派の一つと思うようになってきた。

真鍋豊平の芸風?を色濃く残している流派というのは
果たして存在するのだろうか。
あるいは、奏者による解釈や好みで変わって行っており
そのようなものは残り得なかったのか。

ともあれ、もとは一つの流れで始まっても、枝別れしていくのは
一絃琴に限らずあることだろう。

遠足に、ジュースやコーラ

2006年04月28日 12時39分07秒 | 子ども
うちの学校は各学年2クラスずつ(1年のみ3クラス)で
60名弱しかいない。(全校で350程度)
今年、この13名の担任のうち8名が転任者であり
そのうち2名が新規採用の先生だ。
おまけに、もろもろ問題ありでかなにかしらないが
トップの校長が転出となってしまい、もう、なにがなんだか
分からん学校にますますなってきた。

今日は遠足にいっているが、この遠足にジュースを持って行って良いと
わざわざ子どもを通じて連絡があった。なに~~~~!
学級懇談会で、担任に「どういう経緯で何か根拠があってそうなったのか
教えて欲しい」といったら、担任は4年と6年ですでにそう決まっていたので
そうなった、と正直にも述べてくれる。
はあ~~~???
「学年で指導が違うんですか?そういうことは職員会議で統一しないんですか?」
ときくと、「根拠はないみたいです、は~い」というので
もうそれ以上いう気にもなれなかった。(がくっ)

こんな様子なので、学年行事の中身がどうのと言うレベルにも
なっていないのである、実際、学業そのものの危機ともいえる。
なんでもいいよいいよと言って、厳しくしてこなかった結果
鐘がなっても教室にすぐ戻ってこずダラダラする、そういう気風を
作り上げたのは、ほかならぬ教員自身だともいえるのである。
ながく大きな問題が生じなかった結果
平和な?学校として、指導力のない教員ばかり集めたせいで
すでに問題が起きてきていることにも気づかずダラダラし、
結局今のような事態になってしまったのだ。

しかし、真にやる気のある先生っているんだろうか?
久しくみたことがないわ。(がっくり)
教育も、技術的なことより「人」そのものが重要なのだ。


PTA学年行事

2006年04月28日 09時15分30秒 | 子ども
子どもの小学校では、各学年ごとに親睦を深める目的で
行事を行っている。(いわゆる親子行事)
これをお世話するのは学級委員の親御さんだ。

今年うちの子どもは5年生になり、
選出される委員の方も、過去にやっていない人から選ばれるため
非常に残り少ない中からである。
例年(といっても変遷はあるのだが)5年生はキャンプ前ということで
カレーづくりがメインとなっていたのだが、
先日の学級懇談会でなぜか本部から『カレーに拘らない行事を望む』旨の
指示が出たといって、突然陶芸にしようと思うと学級委員が言い出した。

わたしとあと2人くらいの人が、かわるがわる過去の経緯や
なぜカレーなのかということなど、控えめに話をしたのだが
そののち、唐突に「とにかく!今年はカレーをやるつもりはありませんから!」
と、いわれてしまい取り付く島もなかった。

理想をいえば学級委員は保護者の意見をまとめる役割があるが
現実は、自分たちの楽な都合の良いことに終始しがちだ。
それがいけなくはないが、この態度は何のためにPTA活動があるのか?という
基本的な姿勢に大いに欠けていたので、またまた
「物申す」ことになってしまった。

この件については、本部の姿勢そのものが無意味な改革?を
しようとしているように感じられた。
多くの親たちは面倒なことが大嫌いで子どものために、まして
よその子もみんな世話する学年行事なんか大嫌いなのだ。
なぜこの行事をするのか?それを明示していくのが本部の役割であって
自分が自己満足のために本部役員の間に何かを新しくしたりするなんて
もっての他だ。

子どもから、体験を奪っていくのは案外親自身なのかもしれない…
大変でも、親が汗してくれたことは子どもは理屈でなく喜んでいるだろうが
そういう体験そのものがなく過ごしている場合には
「こどもがどんなにうれしく思うか」ということを
親自身実感的にはしらないので、いろいろいっても無駄な場合もある。




歌が主で、琴が従

2006年04月27日 13時26分19秒 | 一絃琴
一時期、非常に非常に迷っていましたが、
いまは「歌が第一義的なもので、琴の音はその次に来る」という
考えで曲にむかっています。
これが、はたして正しいかどうかわからない、
わからないけれども、いま一番自分としてはこの考えがしっくり
くるのです。
だからといって、琴の音色をおろそかにするものではないのですが
琴を重んじるあまり、歌の解釈やそれに気持ちを込めることが
おろそかになる方が注意すべきだと、思うのです。

弦は一本しかなく、弾こうと思えば簡単に音自体は出せます。
でも、こころに響く音色にするには、きっと何年もかかるでしょう。
ただ、それ以上複雑にできないという限界もあるのです。

一方、歌は、実に千差万別、一人ひとりの顔が異なるように
歌声というのは限界がないのです。
それぞれの人の生きてきた証のような「言の葉」と、琴の音とで
二つのものが調和して、その人にしか弾けない一弦琴を奏でるのだと
いまは思っています。だからこそ興味深く、自分自身を切磋琢磨し
深めていくことが、すなわち一絃の琴の道ではないかと
僭越にも考えたりします。
(手なぐさみではない、一絃琴の世界を体現したいものです~~~


わかば萌え

2006年04月26日 10時27分54秒 | Weblog
自分のぼかし映像がなにかおどろおどろしく見えてきたので
ここらで、さわやかな若葉の画像を…

この木は、「えご」という名まえで
初夏にリンドウのような白い小さな花をいっぱいつけます。
葉っぱと白い花と。。。また咲いたらアップしてみます。
(もう初夏に近いはずなのですが、今年は寒いの?)

帯締めと帯揚げをかえて(演奏会)

2006年04月25日 13時12分14秒 | きもの
曲に合わせてもっとシックな着物にしようか迷ったけど
結局小手先のマイナーチェンジでやり過ごした。
帯揚げを薄い薄い紫にし、帯締めを暗いグリーンと青の
コンビのにしてみた。

演奏会のときは、みなさんいつも全員、たれものです。
紬の人は、わたしだけ。(前に1回だけ着て行った)
付け下げや訪問着、紋付にしたてたものが多いかな。
あと色無地とか、小紋でも茶席で着るような飛び散り小紋のような
あまり柄のないもの。袋帯で格上げして…。

まあ、着物はなんでもいいんですが、
もっと『表現』という域に近づいたら、曲の雰囲気にあった着物で
演奏してみたいものです。。。


儒教と日本人

2006年04月25日 08時39分54秒 | 一絃琴
一絃琴の場合、江戸中期より盛んになってきた「国学」との
関連がいつも言われる。(いわゆる大和心の再見、復興)
それまで、仏教や儒教に侵食され続けた日本人の、真の精神を
取り戻そう!!ってな具合で、荷田春満、本居宣長や賀茂真淵と
いった人々が有名だ。
それまで、官学として儒学が重要視されていたと思うが
幕末の『復古主義』(将軍ではなく天皇を拝しあがめる考え)に
この国学はぴったりなことだった。

で、なぜ、尊王の武士たちに一絃琴なのか?ということだが
この琴の真のルーツそのものが、確かなことはわからないので
(民族学的なことはあっても、音楽的にはわからない)
私自身はっきりとはかけないのだが
江戸末期に流行るまえは、あまり曲がなかったのではないか、
あったのは、御神楽歌や万葉の時代の歌だけだったのではないかということだ。
(あくまで仮想です)
だからこそ、万葉の時代のこころ、すなわち「大和こころ」を表現できると
感じたのではないのだろうか。
また、奈良・平安時代には、貴族の教養としての「笛」「琴」が
あったことから、古きよき時代を彷彿とさせるものであったのかもしれない。
また上代の琴は、琴柱のない「きん」であっただろうから
筝(そう)には向かわず、一絃琴にいったのかもしれない。
(筝の演奏は難しいので、手軽そうな一絃琴が好まれたのかも?)

ではタイトルに書いた「儒学」と何の関係があるのかということだが
現代の人々が(自分も含めて)『日本人らしさ』というとき
果たしてこの国学のいうところの「大和こころ」をイメージするのか
はたまた、中世以降の仏教や儒教に侵食された考え(自分ではそうと気づいていない)を
思い浮かべるのか?どうなんだ、ということを考えてみたいと思ったのだった。

ブログで、「日本人のDNAが…」と偉そうに書いてあるが
その「日本」は、実は儒教に支配された「日本」かもしれないのだった。。。
いま「儒教とは何か」読んでいるが、なかなか面白い。
この本とは関係ないのだが、最近あることから『斎藤拙堂』を知った。
江戸時代末期、津藩に『斎藤拙堂』という藩主お抱えの儒学者がいた。
津の偕楽公園だったかに大きな石碑があるらしい。
機会があれば行ってみたい。(つつじの頃に…)



なぜか忙しく・・・

2006年04月24日 15時26分53秒 | Weblog
特別なこともないのに毎日があわただしい。。。
昨日は発表会で、今日は対面朗読と琴の稽古だった。

発表会では面白いことに気がついた。
一絃琴のあとに、大正琴がアンプを使って演奏をしたのだが
意外なことに、音量がおおきい割には存在感がないように
感じられた。
結局、だれがどこを弾いているのかがわかりにくい、というか
わからないので、全体にカセットかなんかを聴いているような
感じになってしまったのだった。
大正琴って、スチールギターみたい?
よくわからなかったし、イマイチ興味が持てなかった。
(わりと、若手ばかりだった、上手なグループではないかと思う)
わたしは楽器は何でも好きなのだが…。

一絃琴の他の社中の先生が、今回も褒めてくださった。
いっしょに演奏するときは、終わってから挨拶すると
いつもこの先生は褒めてくださる。
「いまから、やっていかれるのだから、よろしいよ~~」みたいなことを
おっしゃるので、ちょっとうれしい気持ちになる。

うちの先生は、最初の何回かは褒めてくださったが
最近は全然褒められたことがない。
注意点だけを言われる。よかったこととかは、ないのんか???
むむむ???
こういうときには思考停止して、自己防衛に努める。

発表会

2006年04月23日 20時27分44秒 | 一絃琴
発表会、無事終わりました(ホッ)

結局「今様」を先生と姉弟子の方と3人で弾き
そのあと、「鴛鴦」をひとりで弾きました。

子どもに聞いたら「まあまあのでき」と言ってくれたので
上手にできた方でしょう。。。

それにしても「鴛鴦」いい曲です。
もっと上手になって、「鬼気迫る感じ」とか
「怨」みたいなのが曲から流れ出てくるように
なってみたいものです。
(あくまで願望)


ダンベル体操

2006年04月21日 17時35分45秒 | Weblog
先回、はじめて行ったダンベル体操、
こんなタルイので痩せるのか!?と不遜なことを考えていたら
帰ってきてからどっとへたってしまった


今日は2回目、この前それぞれの人が自分の目標や
気をつけたいことなどを書いて提出しており、
先生が個々にメニューを考えてきてくださって
それを1時間くらいでこなすのをやった。

わたしの場合「目標は減量」と書いて出したら
ノートの最初に、「体重増加はまず食べ過ぎています」と
書いてあった
のっけから、があ~~~~ん!!!と。。。
で、食べる量をまず減らしましょう、
そうすれば体脂肪も減りますとアドバイスあり…
ううう、そんなんなら、ダンベルやらなくても…

気をとりなおして。
で、腹筋とか背筋とかいろいろやりまして
3キロのダンベルも使いまして(大丈夫か)
そんなにしんどくもなく終わりました。
。。。。。しかし、やっぱりいつも使わないところを使うのか
あとでどっと疲れがきた。

もらったノートに家でやったのを書き込むので
サボってるとノートが埋まらないのだった。
まずは身体の後ろ側の脂肪取りに励むことにしよう。
(続くのか!?)