とあることから、むかしむかし自分が大学に入ったときの
ことをふと思い出した。
今と違い国立大学が一期校、二期校と別れていた時代である。
公立大学はおもに二期校と同日に試験があったころ。
自分は一期校を落ちて二期校と同日実施の大学に進学した。
この学科に入った人間の8割が地元難関大学(当地一流)を落ちて
致し方なく?こちらへ流れてきた人だった。
女子の浪人はまだ少ない頃だ。
入学式の当日、学生会館のなかで、自分のうしろにいたふたりが
延々と「わたしはこんなところに来るはずじゃなかった」だの
「わたしは判定がAだったのに…」だのと
式の間中うっとおしくもしゃべり続けていた。
正直言って、だれもが第一志望ではないのだから
そんな意気揚々となんてしていないけれども
しかし、だからといって「こんなところ」というなら
そもそも受けなければ良いではないか、と
非常に不愉快だった。
自分も内心「ここか~」という落胆はあったけれども
「ここ」を否定するならば別の道を選ぶのがベストであり
「ここ」に来ていながら「ここ」を否定するのは
愚かというものだ。
その後、ごちゃごちゃ文句を言っていた人々も
すっかり大学になじみ、わが道を進んでいった。
「こんなとこ」と公言してはばからない、にふさわしく?
彼女達は非常に優秀であり勤勉であり、なにより【勉強】が
大好きな人たちだった。
あの時代も大学に入った途端に学業がおろそかになる学生が
大半だったが、この大学のこの科に限っては実に
大学受験の延長線上にあるかのごとくの勉強量だった。
「第一志望合格」の達成感がないので、勉強が終わらないのかな?
とも思ったりしたものだ。
半分以上が高校の教員となり(文学部なのだが)
一部は大学教授となり、就職しないまま地元の会社の次期社長夫人やら
お医者さんの奥さんやらになり、、、と
今と比べるとずいぶん時代の相違を感じはするが。。。
才色兼備でお家も裕福だったKさん(天は二物を与えるのねとみんなに
言われていた)あの子はいまどうしてるかな…