逃げた女(2019年製作の映画)
도망친 여자/The Woman Who Ran 上映日:2021年06月11日製作国:韓国上映時間:77分
監督 ホン・サンス
出演者キム・ミニ ソ・ヨンファ
シェルター案件かも知れない。
もしも僕が女性で女性として観てたら満点だったと思う。
実はなかなか過酷な状況に置かれた女性の話ですよね。
逃げた方がいいし、シェルター案件かも知れない。
逃げた方がいいし、シェルター案件かも知れない。
初のホンサンス監督作鑑賞。
いやぁ素晴らしかった。。いい映画だったぁ。。
ギヨームブラック っぽさありますね。
ヨーロッパの映画の匂いとお洒落さと攻撃性。
ヨーロッパの映画の匂いとお洒落さと攻撃性。
長回しと無機質なズーム
全部で10シーンくらいしかなかったんじゃないだろうか。
全てのシーンが長回しですね。
グイーッと無機質なズームが異様で。。ちょっと怖い。
第三者なんていると思ってない2人が喋ってるシーンなんだけど、あのズームのせいで「2人の会話を聞いてる観客」の存在に気付かされる。
淡々とした会話と映像を見せられ続けるんだけど、観客も映画の中に引き摺り込まれる。
**
解釈はそれぞれ
解釈はそれぞれだろうし、もしかしたら正解の解釈があるのかも知れないけど、なんか自分の解釈とか感じたことを大事にしたい系の映画。
観た後に色々調べたくない映画。
自分だけの鑑賞体験を大事にしたい。
自分だけの鑑賞体験を大事にしたい。
**
ネタバレってか、勝手に感じたことは以下に
ラスト。
わざわざ劇場に戻ってラストシーン観て映画自体も終わりってのは、
終わらせたんでしょうね、自分で。
終わらせたんでしょうね、自分で。
もしくは
終わらせるぞ!という決意?
終わらせるぞ!という決意?
夫の監獄に入れられたような生活をしていて
「愛されていて幸せ❤︎」って思いたいんだけど
「愛されていて幸せ❤︎」って思いたいんだけど
会う人会う人必ず「私、5年間夫と離れてない」って話すってことは
助けれてくれってことですよね。
助けれてくれってことですよね。
私異常なとこにいますよね、と。
でも先輩たちはあんまり助けてくれない。
「この夫婦やべえな」とちょっと思いつつも
惚気てんのかな?とか
そもそもそんなに仲良くないから踏み込んだことも言えないし的な感じ。
「この夫婦やべえな」とちょっと思いつつも
惚気てんのかな?とか
そもそもそんなに仲良くないから踏み込んだことも言えないし的な感じ。
渋い小説家先生を恐らく奪った映画館の女性。
そして小説家先生。
そして小説家先生。
なんとなく心の澱になっていたこの2人との再会でまた揺さぶられる。
私にはあんなにも激情した恋があったのに
なんで私は人生上がったみたいな、
全部達観したみたいな、
空気みたいな雰囲気で生きてんだろ、と。
なんで私は人生上がったみたいな、
全部達観したみたいな、
空気みたいな雰囲気で生きてんだろ、と。
夫に閉じ込められて諦めてる自分を終わらせたい。
長い髪をバッサリ切ったけど、
今時それくらいじゃ「何かあったの?」「まさか!」なんて心配してくれない。
そもそもみんなさほど興味もない感じ。
髪切ったくらいでは私は変われないらしい。
今時それくらいじゃ「何かあったの?」「まさか!」なんて心配してくれない。
そもそもみんなさほど興味もない感じ。
髪切ったくらいでは私は変われないらしい。
ちなみに、1人目の先輩とルームシェアの女性はレズずビアンカップルですかね。3階が彼女らの寝室なのでしょうか。2人の写真とかがあるから、「3階は汚ない」っつって入れさせてくれなかったんでしょうか。
それを教えてくれない先輩に対して「私を信頼してくれてないの?」と。
寂しいセリフ。
それを教えてくれない先輩に対して「私を信頼してくれてないの?」と。
寂しいセリフ。
誰も気づいてくれない。
誰もさほど私に親身になってくれない。
誰もさほど私に親身になってくれない。
こんな空虚な私を終わらせたい。
私自身が終わらせないと。
映画のラストシーンを観ることでこの映画(私)を終わらせたい。
私自身が終わらせないと。
映画のラストシーンを観ることでこの映画(私)を終わらせたい。
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そっか5年も夫によって束縛されてたから友達がいないんだ。
だから先輩や旧友を訪ねたわけだ。
だから先輩や旧友を訪ねたわけだ。
で、しかも、数年ぶりに訪ねても疎ましがられるわけでもなく、特段温かく迎えられるわけでもなく、親身になってもらえるわけでもなく、ほんとに空気のように存在する彼女。
夫とっても誰にとってもなんとなく心地よくいられる人。
しかしそれは自分じゃあなかったんだね。
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「映画を観るということ」ってのも『逃げた女』にはテーマとして含まれてる感じがしました。
劇伴の音が割れてたんですよ。
で、三つ目のシークエンスでの映画の劇伴と同じ音色でした。
で、三つ目のシークエンスでの映画の劇伴と同じ音色でした。
だから、彼女(ガミ)のこの数日の冒険自体が映画だったんでしょうね。
映画的な数日。
映画的な数日。
映画的とは何かというと、
客観の視点があること、
何かしらの決着が付くってことですかね。
客観の視点があること、
何かしらの決着が付くってことですかね。
今まで自分の人生は夫に占拠されていたけど
客観的に思い返してみることで「あれ?」と思う。
客観的に思い返してみることで「あれ?」と思う。
そして、数日(映画としては80分)経過して、終わる。
何かしらの決着がついて、必ず終わる。
何かしらの決着がついて、必ず終わる。
特に今回の彼女はわざわざ映画館に戻ってきてラストシーンとエンドロールをやったわけですから、かなり意図的に終わらせた。
何を終わらせたのか、何を終わらせようとしてるのかはわからない。
夫との結婚生活かな?
ほんとに終わらせられるのかもわからない。
でも大事なのは、
彼女が自分で終わらせられることに気づけたこと。
彼女が自分で終わらせられることに気づけたこと。
自分の人生を取り戻す第一歩として、人生のこのシークエンスを終わらせた(い)。