映画感想(ネタバレもあったり)

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映画『アイヌモシリ』ネタバレあり 日本の北方少数民族アイヌの今を描いた

2020-10-20 | ネタバレあり
阿寒アイヌコタン

20年くらい前に、この映画の舞台となる阿寒アイヌコタン(https://www.akanainu.jp/)に行ったことがありました。
ただ家族と車で北海道を回る中での一つの地点としてだったので、アイヌの人たちが経営してる土産物屋を見て回っただけで、アイヌのことを知るとか体感するみたいな時間はありませんでした。
が、
その中に木彫りの店がありまして、工房もありまして、
床にゴザ的なものを敷いたアイヌの初老の男性が木彫りをされてまして、
その姿に圧倒されたのは覚えてます。
体も大きいし、大柄の文様の衣装をざっくり着てるのでさらに大きく見えるし
一回も切ったことありませんみたいな大量の髭と
和人ののっぺり顔とは対極の彫りの深い顔に深い皴。
これがアイヌの人なんだ!とその時の衝撃と一緒に記憶しました。

と、同時に
「ほぼ自然」「ほぼ世界」みたいなこんな存在感のある人が狭い土産物屋で木彫りして観光客を迎え入れている姿を見て、自分も若いながらも罪悪感を感じました。
その居心地の悪さもあってサッとその店は出てしまいました。

***

上記のことはやはり「よく知らない」からなんですよね。
僕が罪悪感を覚えたのは日本政府による少数民族への「同化政策」があったからですけど、
正直その知識も浅いものですし、
どっちのこともそんなに知らないのに勝手に罪悪感だけ感じてサッとその場を離れるなんて、何とも浅はかな、何の良いことも生まれない薄ら馬鹿な行為でした。
と、この映画を見て20年前のことを思い出しました。


美しい自然と人物の内面を映す撮影

さて、
この映画、語るべきポイントが多いんですが、
まず日本・アメリカ・中国の制作です。

特に撮影監督は、
エリザベス・モス『ハースメル』やロバート・パティンソン『グッド・タイム』のショーン・プライス・ウィリアムズという方。

ニューヨークを舞台にした映画で下層で生きる人物たちを撮ってきた人。
監督曰く「アイヌに対する固定概念が全くない人に撮影してほしいという気持ち」で依頼したとのこと。

映像はものすごく綺麗だし迫力あるんですけど
あんまり寄り添いすぎてもいなくてドライなとこもあって
そのドライさによって残酷なシーンも多くて
視点がたくさんあるのでアイヌというものを多面的に見ることができたかと思います。

***

実際のアイヌの方が多く出演されています

主役のカントを演じた下倉幹人をはじめ、その実母である下倉絵美や秋辺デボ、全員アイヌの方。

歌や踊りなどの表現をやられてる方々なので堂々としてますし、変な照れもなく自然な演技が素晴らしい。
リリー・フランキーと三浦透子がちょい役で出てくると、、異質。。。
特にリリー・フランキーはナチュラル演技を得意とする俳優ですけど、この映画のナチュラル(自然)の中にいると作り物臭が途端に吹き出す。
これが意図されたものなのかはわかりませんが、、
この役は新聞記者という役ですし、外部の人間ってことなので、この違和感は正しい効能を生んでいると言えると思います。

***

監督はアイヌの人たちの意見をめちゃくちゃ聞きながら制作したとのこと。

観ていてその安心感はありました。
不当に切り取られたアイヌ描写を観せられてるわけじゃないんだろうな、というのは映画を観ていてどういうわけだか感じていました。
画面に出るんですかね、そういうのも。
たぶんそれは「アイヌとはこれなのだ!」っていうのを一方的に押し付けてくる映画ではなかったからでしょう。
アイヌつっても広い北海道でいろんな地域差もあるだろうし、
同じ地域でも個人差あるだろうし、
そういう混濁したものや一人一人の「迷い」をそのまま映していたのがリアルで良かったし、観る側としてはとてもありがたかったです。



何よりもこの作品をアイヌ以外の人が見てどう思うのかが一番大事なこと

主役の下倉幹人「アイヌ文化っていうより存在としてのアイヌを見てもらいたい」
秋辺デボ「何よりもこの作品をアイヌ以外の人が見てどう思うのかが一番大事なこと。」
とインタビューでおっしゃってまして、
確かに、
一つの価値観を押し付けてくる映画ではないので、観終わった後自由に考えを巡らせることができます。

下倉絵美「アイヌの人々の一人一人の中にはたくさんのストーリーがあります。今後も様々な表現を通してアイヌの視点から作られた作品が形になっていくことを期待します」
とのこと。

様々な視点で撮られたこの映画もまた一つの視点でしかない、と。
まだまだ語られていないアイヌの物語を観たいです。
日本映画は年間700本くらい作られてるんだから、、「またその話??」みたいな映画じゃなくて、全然語られていない物語を映画にしてほしいなぁ。




ラストネタバレ、イオマンテについては以下に


映画『サーミの血』でもサーミ人の生贄の儀式については描かれてなかったですね。やっぱ生贄の儀式ってのが一番ギャップのある事柄ですよね。。
監督もイオマンテを入れるかどうか相当悩んだそうですが、現代社会では忘れてしまいがちな「命」を表現するものとして描いたそうです。
イオマンテ。
アイヌでは人間以外の全ては神様。人間が作った道具でさえもそれぞれ神様。
そもそもアイヌとは「人」という意味。
自分たちは自然の中で「人」という一つの要素でしかない、という認識なんですね。
で、
熊の神様は熊の毛皮を来てアイヌの村にやってくるんだそう。
熊の毛皮を着てるから熊に見えている。
カムイ(神)への尊敬の気持ちや美しい精神を持ったアイヌ(人)にしか熊は射てない。
矢が当たらない。
矢が当たらないアイヌ(人)は精神が悪く、カムイへの畏敬が足りない。
美しい精神のアイヌ(人)が放った矢であれば、カムイ(熊)は「受け取る」。
思いっきり体に刺さってるんだけど、あれは受け取ってるってことなんですね。
で、
アイヌの人たちは熊のカムイが身につけていた毛皮や肉をありがたくいただきまして、
カムイの魂を「お酒やご馳走、歌、踊りなどでもてなして神の国(カムイモシリ)にお返しする」と。
神の国(カムイモシリ)に帰った熊のカムイは
「アイヌ、めっちゃ楽しかったわぁ!厚遇されたわぁ!最高!」と他のカムイたちに自慢する。
すると「え、マジで!行きたい!」ってことになって
他のカムイたちは熊の毛皮と肉を身につけてアイヌの村(アイヌモシリ)に来てくれる、というループなのだそうです。
***
少年カント君は自分が世話していた子熊のチビがイオマンテによって殺されると知り、裏切られた!とデボを拒絶します。
イオマンテの当日。
デボはカントを訪ねますが、カントは無視。
デボ「気が向いたらおいで」と。
カントは父が集めていたイオマンテの様子を収録したNHKの番組ビデオを見る。
熊が縄で引っ張られて動きを封じられて暴れている。
そこに矢を放つ男たち。
体に刺さりさらに暴れ絶叫する熊。
熊の鳴き声ってなんか人間の声に似てましたね。。なんかそれも痛々しさに輪をかけて。。
そして絶命する熊。
『ミッドサマー』っぽい感じでみんなで熊を担ぎ上げて移動。
その後は上記の通りの儀式を行う。
ビデオを観終わったカントは走る。
しかしもう熊は殺され、雪の上には血が。
そこに父が現れる。死んだ父。
抱き合う2人。
アイヌモシリとカムイモシリが近づいた瞬間。
そして日常が再び始まる。1人の朝食を食べ、食器を台所へ運び、学校へ向かう。
冒頭の学校での進路相談の際
「ここから出られればなんでもいい」と言っていたカント君。
その気持ちに変化があったのでしょうか。
どういう変化があったのかを明らかにしないのもこの映画のいいところですね。
おわり


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