物事がうまく行かなかったときに、
人のせいにするか、自分のせいと考えるかで
人間は大きく二つに分けられると思います。
これは、イライラしたときの攻撃性を
外に出すか、内に向けるかとも
関係があるのではないかと思っています。
ここでは、人のせいにして、他人を傷付けるのを「他罰的」
自分のせいだと思い、自分を傷付けるのを「内罰的」と
呼ぶことにします。
通り魔殺人などで、犯行動機が
「むしゃくしゃするからやった」
「誰でもよかった」
というのを、時折、目にしますが
これは他罰的な人の例。
色々とストレスがたまり、鬱病になり、
自殺を図ってしまう人は内罰的だと思います。
私は、昔から内罰的な方です。
何か失敗をすると、自分の頬を殴っていました。
自分で自分が嫌になるのです。
で、何が書きたいかというと、
内罰的な人間が、他罰的な人間に接すると
非常にストレスがたまるということです。
人を傷付けることをためらわない言動が
よく分からないのです。
具体的には、引き続き、手を焼いている生徒のこと。
授業が始まってもダラダラしているので、注意したところ
「うざい」「死ね」「クビにしてやる」と言われました。
このことは、親に言っていません。
親にも、問題があると思っているからです。
自分勝手なクレームが多いのです。
先日も、「●●ちゃんがうるさくて授業に集中できない」
というクレームが来て、驚きました。
自分が授業を妨害しているという認識はないんだなと・・・。
力のある塾なら、退塾に持ち込めるようですが
うちは経営難の弱小塾なので
それができません。
こういう人、今まで生きてきて何人も目にしてきたけど
「思いやり」という、人間に一番大切な部品が欠落した
不良品と思うほかないようです。
「悪いのは自分だ」
どうしても、こう思えないんでしょうね。
自分の行いを反省することができないみたいです。
不思議です。
やっぱり部品が欠落しているとしか思えない。
こんな不良品に自分の大切な時間を割かれてたまるか。
なるべく考えないようにしよう。
これも人生の鍛錬だと思おう。
人のせいにするか、自分のせいと考えるかで
人間は大きく二つに分けられると思います。
これは、イライラしたときの攻撃性を
外に出すか、内に向けるかとも
関係があるのではないかと思っています。
ここでは、人のせいにして、他人を傷付けるのを「他罰的」
自分のせいだと思い、自分を傷付けるのを「内罰的」と
呼ぶことにします。
通り魔殺人などで、犯行動機が
「むしゃくしゃするからやった」
「誰でもよかった」
というのを、時折、目にしますが
これは他罰的な人の例。
色々とストレスがたまり、鬱病になり、
自殺を図ってしまう人は内罰的だと思います。
私は、昔から内罰的な方です。
何か失敗をすると、自分の頬を殴っていました。
自分で自分が嫌になるのです。
で、何が書きたいかというと、
内罰的な人間が、他罰的な人間に接すると
非常にストレスがたまるということです。
人を傷付けることをためらわない言動が
よく分からないのです。
具体的には、引き続き、手を焼いている生徒のこと。
授業が始まってもダラダラしているので、注意したところ
「うざい」「死ね」「クビにしてやる」と言われました。
このことは、親に言っていません。
親にも、問題があると思っているからです。
自分勝手なクレームが多いのです。
先日も、「●●ちゃんがうるさくて授業に集中できない」
というクレームが来て、驚きました。
自分が授業を妨害しているという認識はないんだなと・・・。
力のある塾なら、退塾に持ち込めるようですが
うちは経営難の弱小塾なので
それができません。
こういう人、今まで生きてきて何人も目にしてきたけど
「思いやり」という、人間に一番大切な部品が欠落した
不良品と思うほかないようです。
「悪いのは自分だ」
どうしても、こう思えないんでしょうね。
自分の行いを反省することができないみたいです。
不思議です。
やっぱり部品が欠落しているとしか思えない。
こんな不良品に自分の大切な時間を割かれてたまるか。
なるべく考えないようにしよう。
これも人生の鍛錬だと思おう。
