FoZZtoneの中にはどれだけの偉大なるロッカーたちの遺伝子が
あるのだろう?って思う。
この 「HELLO, C Q D」を聴いた時、鳥肌が立った。
これはライブでは聴いてなかったので、こういう曲も
やるんだと本当にフォズの奥行きの広さを改めて感じた。
だいたい8分弱ぐらいになるのかな?
ライブの音源だからちょっと確かじゃないけれど
楽曲としては結構長いよね。
今の30代前後のバンドでこういう曲を
作れるっていうのはあまりしらない。
ジャンル的には違うかもしれないけれど
こういうプログレ的な曲を作れるのは
the HIATUSの細美くんぐらいしかしらない。
70年代80年代の偉大なバンドの音楽を
自分たちで咀嚼して、新しい曲を生み出すという事。
これってよっぽど音楽が好きでバカほど聴いて
育ってないとできないと思う。
たまにインディーズのバンドの出るイベントライブに
行くと、そのサウンド聴くだけで、どれだけ音楽が
好きかが顕著に現れる。案外、少ないんだよね。
音楽バカが。ある偏った音楽しか聴いてなくて
そこからの出発だからか、うすっぺらい
似たようなサウンドばっかりで、
うんざりすることの方が多いんだよね。
若いのにさ。
もちろん、たまに天才はいるよ。
元Jet Lily Starの真田暎人さんはそうだと思う。
彼の場合、反対に驚くほど音楽を聴かないから
自分の内側から発する音楽がほとんどで
だからこそ、新鮮で他の誰もが書けない歌を
作る。こういうアーティストは本当に
めったにいないから、出会えたのは奇跡だよね。
で話を戻すけれど
渡曾さんは音楽バカであると同時に天才でもある。
これは細美さんといっしょだ。
私の知るミュージシャンの中で
「音楽バカ&天才」はこの3人だ。
細美武士氏 (THE HIATUS)
今村栄喜氏(DETROX)
そして
渡曾将士氏(FoZZtone)
彼らの共通するのは音楽をワールドワイドで
聴いて、そこからいろいろ吸収していること。
たえず、進化を求めて前に進んでいること。
世間の枠にとらわれないこと。
音楽のジャンルはそれぞれ違うのかもしれない。
でも、たまにこの3人の歌に共通の
アーティストの遺伝子を見つけたりすると
思わずニャッとしてしまう自分がいる。
みんな同じ音楽を聴いてる。
それがすっごくうれしい。
それぞれがきっとその音楽で救われたとか
光を見つけたとかそういう体験をしてるんだと
思うだけで、繋がっているように感じるんだ。
さて 「HELLO,C Q D」だけれど
このCQDっていうのは映画「タイタニック」の中で
言われるセリフの中にもあるように
遭難通信の記号だ。
今はSOSが一般的だけれど
昔はCQDだったらしい。
アマチュア無線をやっていたという
我が音楽の師匠はアマチュア無線では
これを使うと言ってたが。
「come quick, distress」の略らしい。
早く来て、遭難した。っていう意味らしい。
渡曾さんがSOSでなく、このCQDを選んだのはなぜなんだろう?
彼にもアマチュア無線の知識があるのか
映画「タイタニック」を見たのか?
もしかしたら、他の映画にも出て来たかな?
この曲を最初に聴いたとき、
浮かんだ音楽はピンクフロイド、レディオヘッド、ニルヴァーナ、そしてthe MUSICの音楽。
おそらく、ギターを入れる時点で竹尾さんの持つ遺伝子もかなりかかわっているのは
確かだろうけれど、最初のラインは渡曾さんなのかな~って思う。
でも、本当のところ作曲が竹尾さんか渡曾さんかはわからない。
プログレ色が強いのは確かだし、8分弱の中にいろんな展開があって
カラーがいろいろ変わる。
こういう作り方ってthe HIATUSの「the IVY」の構成と似ているかもしれない。
もちろん曲調はまったく違うけれど、変化に満ちたプログレ的展開。
そして、こういう曲を作れる人の頭の中ってどうなってるんだろう?って
いう感じ。絶対に凡人にはマネできないもの。
「HELLO, C Q D」で一番遺伝子を感じるのはレディオヘッドの初期だけれども
間にピンクフロイドばりのギターやらニルヴァーナっぽいヒリヒリするパートやら
そして、ラストの30秒ほどにthe MUSICのビリビリ感が現れて終わる。
とにかく、凄いの一言。
どういう状況で
どういう時間帯に
どういうきっかけから
この曲が生まれたのかが凄く興味がある。
♪窓が、あの窓が
俺の灯台が見えない(from 「HELLO, C Q D」)
こういう感覚って長く生きてると感じることがある。
自分が今どこにいるのかわからなくなること。
今生きている場所が自分に合っているのかって。
この道を進んでいいのかって。
この世にはいろんな光があるけれど
私はとてもか弱い光そして点滅する光を見ると
胸の奥がキューっとなる。
灯台の光もそう。同じ場所をずっと照らしているわけじゃない。
光の当たる場所はどんどん変わって、でも、一周するとまた同じ場所を照らす。
夜空に飛ぶ飛行機からの点滅光。
サン・テグジュペリの「夜間飛行」のように
空にあの赤い点滅光を見つけると、なんだか人のぬくもりを感じる。
あんな遠くの場所にいても、人は命を営んでいるって。
逆に飛行機から見下ろす夜の街。
そこに点在する明かりも
命のともしびのように感じて
なんだかほっとする。
ヴァージニア・ウルフっていう小説家の作品に
「TO THE LIGHTHOUSE」(灯台へ)っていうのが
あるんだけれど、この灯台っていうのが
いろんな意味を持っていて、
この渡曾さんの歌詞の中にもそれがあるのが
痛い感じで伝わってくる。
あとポール・ギャリコの「スノーグース」も
燈台という言葉から思い出した。
この小説から漂う空気感とか不器用で頑固な愛とか
荒れている海とか信念から生まれる強い正義とか
そういうのがすごく好きなんだけど
渡曾さんの歌詞にもどこか
そういうものが点在しているように
感じたのは私だけかな?
この曲はとにかく、選曲からはずせない。
あるのだろう?って思う。
この 「HELLO, C Q D」を聴いた時、鳥肌が立った。
これはライブでは聴いてなかったので、こういう曲も
やるんだと本当にフォズの奥行きの広さを改めて感じた。
だいたい8分弱ぐらいになるのかな?
ライブの音源だからちょっと確かじゃないけれど
楽曲としては結構長いよね。
今の30代前後のバンドでこういう曲を
作れるっていうのはあまりしらない。
ジャンル的には違うかもしれないけれど
こういうプログレ的な曲を作れるのは
the HIATUSの細美くんぐらいしかしらない。
70年代80年代の偉大なバンドの音楽を
自分たちで咀嚼して、新しい曲を生み出すという事。
これってよっぽど音楽が好きでバカほど聴いて
育ってないとできないと思う。
たまにインディーズのバンドの出るイベントライブに
行くと、そのサウンド聴くだけで、どれだけ音楽が
好きかが顕著に現れる。案外、少ないんだよね。
音楽バカが。ある偏った音楽しか聴いてなくて
そこからの出発だからか、うすっぺらい
似たようなサウンドばっかりで、
うんざりすることの方が多いんだよね。
若いのにさ。
もちろん、たまに天才はいるよ。
元Jet Lily Starの真田暎人さんはそうだと思う。
彼の場合、反対に驚くほど音楽を聴かないから
自分の内側から発する音楽がほとんどで
だからこそ、新鮮で他の誰もが書けない歌を
作る。こういうアーティストは本当に
めったにいないから、出会えたのは奇跡だよね。
で話を戻すけれど
渡曾さんは音楽バカであると同時に天才でもある。
これは細美さんといっしょだ。
私の知るミュージシャンの中で
「音楽バカ&天才」はこの3人だ。
細美武士氏 (THE HIATUS)
今村栄喜氏(DETROX)
そして
渡曾将士氏(FoZZtone)
彼らの共通するのは音楽をワールドワイドで
聴いて、そこからいろいろ吸収していること。
たえず、進化を求めて前に進んでいること。
世間の枠にとらわれないこと。
音楽のジャンルはそれぞれ違うのかもしれない。
でも、たまにこの3人の歌に共通の
アーティストの遺伝子を見つけたりすると
思わずニャッとしてしまう自分がいる。
みんな同じ音楽を聴いてる。
それがすっごくうれしい。
それぞれがきっとその音楽で救われたとか
光を見つけたとかそういう体験をしてるんだと
思うだけで、繋がっているように感じるんだ。
さて 「HELLO,C Q D」だけれど
このCQDっていうのは映画「タイタニック」の中で
言われるセリフの中にもあるように
遭難通信の記号だ。
今はSOSが一般的だけれど
昔はCQDだったらしい。
アマチュア無線をやっていたという
我が音楽の師匠はアマチュア無線では
これを使うと言ってたが。
「come quick, distress」の略らしい。
早く来て、遭難した。っていう意味らしい。
渡曾さんがSOSでなく、このCQDを選んだのはなぜなんだろう?
彼にもアマチュア無線の知識があるのか
映画「タイタニック」を見たのか?
もしかしたら、他の映画にも出て来たかな?
この曲を最初に聴いたとき、
浮かんだ音楽はピンクフロイド、レディオヘッド、ニルヴァーナ、そしてthe MUSICの音楽。
おそらく、ギターを入れる時点で竹尾さんの持つ遺伝子もかなりかかわっているのは
確かだろうけれど、最初のラインは渡曾さんなのかな~って思う。
でも、本当のところ作曲が竹尾さんか渡曾さんかはわからない。
プログレ色が強いのは確かだし、8分弱の中にいろんな展開があって
カラーがいろいろ変わる。
こういう作り方ってthe HIATUSの「the IVY」の構成と似ているかもしれない。
もちろん曲調はまったく違うけれど、変化に満ちたプログレ的展開。
そして、こういう曲を作れる人の頭の中ってどうなってるんだろう?って
いう感じ。絶対に凡人にはマネできないもの。
「HELLO, C Q D」で一番遺伝子を感じるのはレディオヘッドの初期だけれども
間にピンクフロイドばりのギターやらニルヴァーナっぽいヒリヒリするパートやら
そして、ラストの30秒ほどにthe MUSICのビリビリ感が現れて終わる。
とにかく、凄いの一言。
どういう状況で
どういう時間帯に
どういうきっかけから
この曲が生まれたのかが凄く興味がある。
♪窓が、あの窓が
俺の灯台が見えない(from 「HELLO, C Q D」)
こういう感覚って長く生きてると感じることがある。
自分が今どこにいるのかわからなくなること。
今生きている場所が自分に合っているのかって。
この道を進んでいいのかって。
この世にはいろんな光があるけれど
私はとてもか弱い光そして点滅する光を見ると
胸の奥がキューっとなる。
灯台の光もそう。同じ場所をずっと照らしているわけじゃない。
光の当たる場所はどんどん変わって、でも、一周するとまた同じ場所を照らす。
夜空に飛ぶ飛行機からの点滅光。
サン・テグジュペリの「夜間飛行」のように
空にあの赤い点滅光を見つけると、なんだか人のぬくもりを感じる。
あんな遠くの場所にいても、人は命を営んでいるって。
逆に飛行機から見下ろす夜の街。
そこに点在する明かりも
命のともしびのように感じて
なんだかほっとする。
ヴァージニア・ウルフっていう小説家の作品に
「TO THE LIGHTHOUSE」(灯台へ)っていうのが
あるんだけれど、この灯台っていうのが
いろんな意味を持っていて、
この渡曾さんの歌詞の中にもそれがあるのが
痛い感じで伝わってくる。
あとポール・ギャリコの「スノーグース」も
燈台という言葉から思い出した。
この小説から漂う空気感とか不器用で頑固な愛とか
荒れている海とか信念から生まれる強い正義とか
そういうのがすごく好きなんだけど
渡曾さんの歌詞にもどこか
そういうものが点在しているように
感じたのは私だけかな?
この曲はとにかく、選曲からはずせない。
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