HAVE A NICE DAY!

徒然なるままに特に音楽の話を中心にあーだこーだと書き連ねます。

等身大

2006年06月30日 | Weblog
等身大で物事をみつめていける人が好きだ。それは老若男女問わず。自分のあるがままを目をそらさずに見ていける人・・・素敵だと思う。

たとえ私のように大きな人生の壁にというか健康の壁にぶつかったとしても、それをちゃんと見つめて、そこから希望を見い出そうとする姿勢。そういう人は自分以外の人をも助ける、そんな気がする。

あるいは心が粉々であったとしても、そのかけらを拾って、その現実を受け止めて前に進んでいこうという人・・・私はこういう人にいろいろ教えられる。頑張りすぎず、ある程度情けなくてもいいんだよ・・・って教えてくれる。

ここ数年私は素敵な人たちと出会えた気がする。先方は嫌がるかもしれないけど、ずっと生涯友だちでいてくれたなら・・・って思う。もし、まあなんとかある程度の老人といえるまで生きれたとして、死の間際まで「私には素敵な友だちがいたな~」って笑顔で天寿をまっとうできるようだといいな~って。そして、そういう人たちからもらった数々の音楽を聞きながらまっとうできたらな~っていつも思う。

でも、音楽を思い出にはしたくない。音楽はいつも今であってほしい。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

フェト

2006年06月29日 | JET KELLY
フェトに行きたい・・・ってすごく思う。それはただの祭りではなく、フェトでなければだめ。私の描くフェト・・・フランス語から連想するのは仮面舞踏会。皆仮面をつけているから、誰が誰だかわからない。だからこそ、仮面とは反対に自分の気持ちを素直に語れるんじゃないかと。

三島由紀夫の小説に『仮面の告白』というのがある。この作品のストーリー自体は読んで、その人なりの解釈をしてほしいけど、私にはすごく何かを感じさせる絵画的な小説だったと記憶している・・・もう随分昔に読んだから。この小説はなんか「フェト」を連想させるものだった。

あるいは村上春樹の小説『ノルウエーの森』の幕開けにも「フェト」という言葉がでてくる。そこから始まるあのストーリー。村上春樹の思う「フェト」ってどんなのだろう。まさに仮面といういつわりの顔をつけることで現れる真実の叫び・・・

私は自分を素直に出せる「フェト」に行きたい。

私の好きなバンドJET KELLYのワンマンライブあるいは主催ライブには「天井裏のフェト」というタイトルがつく。このタイトルから最初にイメージしたのは古いフランス映画『天井桟敷の人々』・・・これもまさに白塗りにしている道化師の主人公の心の叫びを描いた映画。そう仮面をつけているんだ。道化師になって・・・

なぜにこのタイトルをJET KELLYがつけたのだろう?きっと『ノルウエーの森』も多少は影響あるだろうけど、メンバーの真実の叫びが音となってそこに存在するからこそ、そのタイトルがぴったりだと感じたのではないだろうか?

一度そのフェトに参加してみたい。私も自分の真実に気がつくことができるだろうか?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

風が当らないように・・・

2006年06月27日 | Weblog
「少女に風があたらないように僕にできる事はただ音を鳴らして気付かせてやることしかない。」

これはJET KELLYの真田さんの日記から引用させてもらった言葉です。(勝手に引用してごめんなさい)

私が望んでいること・・・音楽を通して、これから育っていく子どもたちにひどい風があたらないように、熱すぎる陽射しが照りつけないように、どうぞ音で守ってほしい。言葉でささえてほしい・・・ということ。

これは随分と前に私が思っていたこと。それをごく最近の真田さんの日記から同じような想いを発見して、なんか胸の奥が熱くなりました。

私にはやっぱり憎しみを持ったりする事はできません。

たとえ、ひどい事をされたとしても、やっぱり私には憎めないことがわかりました。

なぜなら約束をしたからです。

「私が盾となって、強い風やひどい陽射しから君を守る」と・・・「そして、そのかわり君もその後からやってくる子どもたちを守ってほしい」と

そんな言葉、もうとっくに忘れているかもしれません。でも、私は覚えています。だから、やっぱり憎めません。もちろん、もう自分からその人の前に現れることもないでしょうし、煩わすこともありません。

でも、やっぱり願っています。幸せになってほしいと。

私にはやっぱり君は危なっかしい子どもみたいなもんなんですから。

こうして、こんな気持ちに気付かせてくれたのは、真田さんの言葉もありますが、私の体調を心配して、いろんな言葉を下さった、あえて言わせてくださいね。人生において生涯忘れ得ない友達の皆さんによって、その優しいメッセージによってなんです。

私には憎しみは育てられません。たとえ心の傷ぐちが血を流し続けたとしても。

なぜなら、私の回りには心優しい人がたくさんいるから・・・
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

初心忘れべからず

2006年06月25日 | 邦楽
きっと6月が終われば、また心は切り替えられて、一新して前向きになれる気がします。御心配をおかけした方、申し訳ありませんでした。身体の方は一回目のは終わり、結果も出て、それはとりあえず「クリア」いたしました。半分ほっとしました。ただ、7月に残っている方が難関なもので、痛そうで、憂鬱です。

でも、そんな私のために・・・って勝手に思ってますが、いろんな身近なアーティストさんが、何組も驚くぐらいに新譜を出されます。すでに出されたばかりの方もいらっしゃいます。そういう音楽が待っていてくれると思うとちょっと頑張れる気がします。まだまだ信用できる音楽がここにあるって・・・

久々にMr.Childrenの『sign』を聴きました。

・・・音符を二つ重ねて鳴らすハーモニー・・・

私の知らぬどこかで誰かが今日も今この時も音符を重ねてメロディを奏でているかもしれないって思うだけで心が熱くなります。そして、人はいろんな時にいろんなサインを出して、助けを求めていたり、あるいは反対に勇気をくれようとしていたりするんだって事もこの曲を聴いて改めて感じました。

私はサインというよりストレートに日記とかに書いていたりするけど、そんな私にサインで勇気づけてくれる人も温かい言葉でやわらかく元気づけてくれる人もいて、あるいはぜんぜん日記を書いてないのに毎日見てくれている方がいて、そんなサイン1つ1つに泣きそうになるわけです。そして、身体の中が浄化されていくのがわかるんです。

ありがとう

まだ、完全にもやもやが消えたわけではないけれど、毎日を大切にしていきたいなとまた改めて思いました。音楽に裏切られても、また音楽に救われることも改めて感じつつ、でもどんなことがあっても自分には音楽が必要なんだとわかりました。そして、98%は救われる事の方が多いと。

ずっと前に書いたのですが、私にも人生においてちょっとだけ音楽から離れていた時期がありました。そんなある日、たまたま買い物に出かけて立ち寄ったCDショップ。今はもう撤退してないのですが、京都にあったヴァージンメガストアで三人組がインストアライブを始めるところでした。「誰だろう?」って感じでしたが、エスカレーターを降りたら目の前にいるので、なんか見ないとわるいような状況で、立ち止まって聴いてました・・・といってもお客さんはすごく少なかったから、見る側もひとりひとり目立つわけです。でも、演奏が始まるとぐいぐいとその演奏力に引き込まれて、しばらく眠っていた自分のロックへの愛がよみがえり、「ライブに行きたい!」という気持ちがそこで強く溢れてきたのです。そこからまた第二期、私のロック人生が始まったわけです。

その3ピースバンド「くるり」はデビュー直前でその時買ったCDは『東京』そう東京タワーがジャケットの中でそびえてます。そんな彼らが今度ベスト盤を出すんですよね。そしてそのジャケットにそびえるのが京都タワー・・・感慨深いです。

あの小さなスペースで全力で歌ってくれた演奏してくれたくるりが何が待っているかわからない東京へ向い、今はビッグになって京都に心を寄せてくれている。彼らのお陰で私は再び音楽の素晴らしさを生で実感できて、ほんとにくるりに出会えてよかったと思ってます。

今「東京」を聴いても出だしのインスト部分が完全に洋楽テイストなんですよね。これだけだと英語の歌詞が出てきそうなのに始まると作文調の日本語詩で、そのギャップがくるりの世界を作っているんだな~って思いました。ロゴとかもたぶん今とは違っているんだと思いますが、前はくるりの前にQがついていたんですが、その雰囲気がイギリスの伝説のバンドQUEENを思い出させました。

「そういえば、くるりというか岸田さんはクイーンが好きで大学時代はクイーンもやっていたって言ってたな~」って思い出し、なんか「くるり、くるり、くるり・・・」ってくりかえし言っていくうちに「くうぃん、くうぃ~ん、クイーン」って聞こえない?って・・・まあ、勝手な思いつきかもしれないけど、くるりの音楽やあるいはジャケットなんかに結構いろんなリスペクトしている海外のバンドのパロディが入っているので、そういうこともないこともないかな~って、独断と偏見でふと思いました。

リップスライムとのコラボ「juice」のPV見ましたけど、なんかいい感じでした。ヒップホップ系でも歌がしっかり歌えるリップスライムはデビューしたてか、インディーズだったかの時から好感は持っていました。イルマリはサリュと「ヴァロン」をコラボしているし・・・

こうしてたらたらと音楽の事を書いている時がなんかやっぱり楽しいんだな~って思います。それがなんになるっていわれる事もあるけど、それは言葉では説明できませんよね。

ただ、また初心に戻って、くるりと出会ったあの日の事を思い出して、いい音楽やバンドやアーティストと出会えるだけ出会いたいと思います。この身体がここに存在する限り・・・

いつも読んで下さる方たち、そしてたまたまご覧になった方たち、ありがとうございます。やっぱりそういう皆様にささえられています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最近の・・・

2006年06月21日 | Weblog
自分がなんか扱いにくい・・・って妙な表現。どこか晴れない・・・って梅雨だから?それはやっぱり例の事のせい?・・・実はそれよりある意味心を曇らせることがあって。

でも、書くとなんか同情をひくようでね。読む人もめんどくさいだろうし、あまりにも個人的な事すぎてつまんないだろうから・・・って思っていたんだけど、なんか溜められなくなった。

また、今月と来月に精密検査・・・なんか毎年6月に向って生きているような気がする。来年の6月も元気でいられますようにって・・・ね。

あんなひどい事があると「私ってそんな扱い受ける人間なんかな~ああいう人にそうされるなんて情けないな~」って「もう自分なんてどうなってもいいや」なんて思いかけた。でも、私には大事な家族がいるから、そんな事を思ってはいけないし、そんな事ぐらいで投げやりになるのもばからしい事だと気がついた。でも、心身ともに弱まると、なんか気力が失われるな~。

きっと私と会った人は「どこがあれなん?」って感じだろうし、私自身も「どこがなんなん?」って感じでまったく自覚がない。それなのに検査はすごく大袈裟で、すご~く憂鬱で逃げたくなる。あ~なんで完全無欠の身体に生まれなかったのか~ってそれは無理な話。もちろん、今回もセーフかもしれない。それはやってみないとわからない。でも、毎年ほんと精神的に疲れる。

なんか抽象的な書き方で「?」って思う人もいるだろう。読み流してほしい。

きっとそんなに軟弱なら仕事辞めちゃえっていうかもしれない。でも、ぜんぜん元気なんだし、生活もあるし、辞める必要はないわけで。でも、ほんと困る。このやっかいな身体。

とにかくだ。7月にがんばってチケットを取ったジルコニアのボーカルさんとJET KELLYの真田さんの2マンライブとサマーソニックには何がなんでもいくから・・・って言い切っている。

きっと大丈夫だって信じる。だけどなんか悲しいな・・・そういう検査を受けないといけない事自体が情けない。それに輪をかけるようにされた仕打ち・・・ついてないな。確かいい運勢のはずなのに今年。

とにかく祈るのみ・・・あとやけくそな気持ちは沈めなければね。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

こんな時に

2006年06月19日 | ELLEGARDEN
最近の私にはやっぱり彼らの曲が不可欠だ。

そうELLEGARDENとストレイテナー

「散らばったレコードの上に 寝転がって意味をなくした 怒りはすぐに消えるよ その羽がついてるだろう・・・異なった記憶の中に紛れ込んで形をなくした痛みはすぐに忘れるよ その足で歩けるだろう」(TRAVELING GARGOYLE by ストレイテナー)

「積み重ねた 思い出とか 音を立てて崩れたって 僕らはまた 今日を記憶に変えていける 間違いとか すれ違いが 僕らを切り離したって 僕らはまた 今日を記憶に変えていける」
(虹 by ELLEGARDEN)

こういう曲があるから、こうして毎日をもがきながらも進んでいけるんだと思う。

ドロドロの絶望に沈みそうになりながらも光を探してそれをつかもうという気持ちになる曲。
ひどい目にあってもそれを誰かにぶつけようとかせずに反対に人に優しくなろうと思わせてくれる曲。
社交辞令や偽善の励ましじゃなく、今のままそのままを受け入れて、自分も同じだよ。って等身大で語りかけてくれる曲。

こういう曲を送りだしてくれるアーティストやバンドが私は好き。これからもそんな曲を日本のあるいは世界のいろんな場所から発信して欲しいし、自分でも見つけていきたい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ドローでもチャンスはある

2006年06月19日 | Weblog
ワールドカップ日本対クロアチア・・・ドローで終わりました。でも負けなかったからまだチャンスはあるんです。最後までやるだけやるのみです。

なんか試合は勝てる試合だった感じだけど、可能性が残ったということは大事なことだと思いました。

私のこれからの人生も最後まであきらめずに過去の負け試合は振り返らずにまた勝ちをとりに前に進んでいこうと思いました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

SNOW PATROL

2006年06月17日 | 洋楽
スノウ・パトロールというスコットランドのグラスゴーで結成されたバンドのCDを最近買いました。たまたまタワーレコードで試聴していて、ついつい衝動買い・・・。でも、やっぱり最初にぴんと来たのは正しいわけで、家でじっくり聴くとまたすごくいい曲で、出会えてよかった~って。

『FINAL STRAW』は日本でのデビューアルバムでセカンドももう出てたような・・・。ライナーノーツによれば、メンバーは北アイルランド出身だけれどもスコットランドのダンディー大学で出会ったみたい。ダンディーといえば私がエジンバラでスコットランドの文化を勉強してた時の先生の一人がそこから来ていて、すごくいいところだと聞いたことがあります。

そんな彼らが活動の基点にしているのがグラスゴー。トラヴィスやベルアンドセバスチャンやアイドルワイルドと同じですね。グラスゴーといえば私の心に今だにあつ~く残っている街。なんていうのかあの街の空気感・・・こういう音楽が生まれるのがわかる気がするんですよね。芸術家が育つ街っていうんでしょうか。

さて、このアルバム全曲心に滲みるんですよね。彼ら自身はマイブラやスーパーフューリーアニマルズの影響を受けているらしいですが、そういう雰囲気もありますね。イギリスでは次のコールドプレイって言われているみたいだけど、どうなんだろう。コールドプレイよりサウンド的にはスーバーフューリー系かな?実は私スーパーフューリーアニマルズも好きでアルバム持っています(笑)マイブラもね。

だから、このスノウ・パトロールが好きになって当たり前なんですよね。

この中の「RUN」っていうシングルカットになったらしい曲はちょっとイントロの部分がジョン・フルシアンテ風のギターだったりしますが、サビになると独特のメロディになって、なんかせつなさが増すというか・・・

「大きな声で もっと大きな声で そしたらぼくたち必死で走っていくから・・・」

こんなフレーズをこのメロディで歌われたら、泣きそうになりますね。

やはりシングルになった「CHOCOLATE」という曲も心がとろけそうになります。ほんとその名のとおり・・・チョコレートみたいにね。

そうそうどことなく私が今年の初っぱなに気に入ったアメリカのバンド「MAE」と似ているところもありますね。

またチャンスがあれば聴いてみてください☆
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昨日は・・・

2006年06月16日 | Weblog
一度日記を書いてアップしてたのに消してしまいました。その間に読んでしまった人がいたらそれは心にしまっておいてくださいね。単なるやけっぱちみたいな書き方だったので、読み直して恥ずかしくなって消しました。だいたいこの年令でそんな事ぐらいで心が左右されるというのもおかしな話で・・・

って読んで無い人にはなんのことやらわかりませんが、とにかく人は見かけに寄らないっていう話であります。

それはともかく、昨日は本当は行きたいライブがありました。でも、家の事情で行けませんでした。でも、心を込めて作ったものを届けてきました。でも、心を込められると本当は困りますよね(笑)・・・ゆえに心を無にして作ったものを届けてきましたと訂正しておきましょう。それは私が形を作ったものなので、心はその御本人さんが入れてくれればな~って思いますし、実際にそこに書かれている言葉はその方のもの。写真もその方・・・

私は単なるキューピットみたいなもんでそのアーティストさんとそこで出会った方がそれで心がつながればと願うだけです。

消した日記の中では言ってたんですが、人間不信に陥る出来事がその後ありまして、そこからいろいろ考えて行くうちに作ったものを渡された方も迷惑かもしれないな~って。それでも心優しい人は喜んだふりをして傷つかないようにおもいやってくれているのかもしれないと・・・

そうなるとますます気持ちが下降していくので、やっぱり切り替えました。信じられるだけ信じ続けよう。きっと喜んでくれていたと。

そして消した日記の中に登場した人物の事はもう信じなくていいと結論に達しました(笑)・・・記憶から削除でありますね(笑)心のメモリーがちょっと軽くなりましたね~残念ながらまだインテル入ってないんですよ~。ゆえに対応がのろい。この自分をもっとアップデートできるソフトなんてないのかな~。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

作ること

2006年06月14日 | Weblog
子供の頃から何かを作るのが好きでとにかく部屋はとっ散らかっていた。クレヨン・エンピツ・紙・画用紙・ハサミ・色エンピツ・ボンド・セロファンなどは私にとっては愛すべきものたちだった。おそらくそれは両親の影響だろう。どちらも絵を描いたり何かを作ったりするのが好きな人たちだから。

私は幼稚園時代は東京の下町に住んでいた。前にも何度も書いたけど、私はそんな下町の父の会社の社宅に家族で住んでいた。両親が東京の大学生の時に若くして恋に落ちて結婚したために生活はかなり切り詰めたものだったみたいだ。今は上場会社になっているけど、当時はまだできたばかりの会社に就職した父は給料も安く母の苦労は相当のものだったみたいだ。でも母は器用な人で安い布や毛糸でかわいい服を作ってくれてそれを喜んで着ていたものだ。さらに料理の腕前はかなりのもので安い食材を豪華にしてくれて、家が貧しいなんて感じたことはなかった。もちろんお菓子もほとんど手作りだった。

そんな時お誕生会なるものが流行っていて私もいろいろお呼ばれした。そして自分の誕生日が迫ってきて、家で果たしてやってくれるのかと心配していたらある夜徹夜状態で両親が何かを作っているのを夜中にふと目を覚ました私は見てしまった。

それは白い紙を紙袋に作りあげていく作業だ。A4サイズぐらいの大きさだったと記憶している。ちゃんと持ち手もつけてくれていた。そしてなんと一つ一つ違う絵が描かれていた。ディズニーのキャラクターの絵だ。でもミッキーとかドナルドとかではなく、不思議の国のアリスだったりわんわん物語だったりピーターパンだったりすべてお話の主人公の絵だった。確か8人ぐらい呼んだのでそれプラス私の分を作ってくれていた。色エンピツで描かれていたけど、完璧な模写だった。

誕生日の日にはそこに母の手作りお菓子やら刺繍をほどこしたハンカチとか入っていて、それを来てくれた友達におみやげとして渡してくれた。友達はとっても気に入ってくれていた。

今までそのうれしさだけが心に残っていたけど、ふと最近、両親は私の知らないところでどんな気持ちでこの計画を立ててくれていたんだろうか?と思ったりする。私の事を思って、どうしたらお金が無いながらも素敵なお誕生会にできるかと・・・。

私はそんな両親に心から感謝したい。そして、今だに親不孝な自分が情けない。また、心配をかけることになってしまった・・・

でも、きっとまた大丈夫だ・・・きっと。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする