不思議だな。
私の好きな人たちが今 「捨てられたもの」を
また拾ってこようとしている。
まだ世界の安藤といわれる前から
安藤忠雄の設計する建物が大好きで
彼の設計した建物を見に行ったり
彼のインタビューや功績を記した本なんかも
買ってた私だけど
最近はちょっと日々に追われて
ゆっくり建築物を見て回るひまもなくて
いつのまにか安藤忠雄が遠くの人になっていた。
そんな彼がたまたまテレビに出ていて
こんなことを言っていた。
「捨てられたもの」をまた拾いにいく
その意味は深い。
過去のものとなったものに
新しいものがあるってことなのかな?
昨日村上春樹の「1Q84」が出て、家にも早速やってきた。
まだ読んでいないけれども、これは「1984年」を示す数字のよう
「1984年」といえばジョージ・オーウェルの小説を思い出す人も
いるだろう・・・って言っても英文学を勉強していた人だけかもしれないけど。
これはもちろん1984年よりずっと昔にジョージ・オーウェルが書いた
近未来小説で、核戦争後の世の中を描いたもの。
もちろん実際は1984年には核戦争ななかったけれど
今はそんなオーウェルの小説のような不安な時代になってきてる。
まだ読んでないからなんともいえないけど
今回の村上氏の作品はオーウェルとは逆に今から過去の1984年を
見る小説なのかな?って
これもどこか「捨てられたもの」をまた拾い集める
そんなイメージがしてしまう。
この間長々と書いたFoZZtoneの「音楽」という曲にも
すばらしかった過去の音楽をまた拾い集めて、それを生き返らせていく
イメージを感じるし
今来日中のケイティ・ペリーのファッションをみれば
彼女は過去の50年代60年代のファッションを
拾い集めて自分のものとして生き返らせているのがわかる。
そういう中で
今回のThe HIATUSのアルバムのタイトルの
Trash We'd Love
にもそれと同じ何かを感じてしまう。
今 トラッシュ(捨てられたもの)とされているものには
かつてすごく愛されたものもたくさんあって
それを見つけ出して
救い出してあげないといけないんじゃないかって
いいものがまだまだいっぱい眠っていて
ゴミじゃないのに
ゴミ扱いされて
人間だって同じで
年とったからつかいものにならないって
採用しない会社なんて
まったくもってくだらないわけで
年を重ねた人にしかわからない
できないもの
そういうのがこの日本にも
世界にもいっぱいあって
それを大事にしないから
世の中は狂ってきているんじゃないのかな?
70歳以上の方たちはみんな知っているんだよ
戦争とか核とか
それがどれだけ愚かで悲しいものかを
私たちはそういう方たちに
大事なものを教えてもらわないと
だめなんだ。
「捨てられたもの」は
かつて私が愛してたものや
あなたの愛してたものかもしれない。
自分探しはそこから始まるのかも
私の好きな人たちが今 「捨てられたもの」を
また拾ってこようとしている。
まだ世界の安藤といわれる前から
安藤忠雄の設計する建物が大好きで
彼の設計した建物を見に行ったり
彼のインタビューや功績を記した本なんかも
買ってた私だけど
最近はちょっと日々に追われて
ゆっくり建築物を見て回るひまもなくて
いつのまにか安藤忠雄が遠くの人になっていた。
そんな彼がたまたまテレビに出ていて
こんなことを言っていた。
「捨てられたもの」をまた拾いにいく
その意味は深い。
過去のものとなったものに
新しいものがあるってことなのかな?
昨日村上春樹の「1Q84」が出て、家にも早速やってきた。
まだ読んでいないけれども、これは「1984年」を示す数字のよう
「1984年」といえばジョージ・オーウェルの小説を思い出す人も
いるだろう・・・って言っても英文学を勉強していた人だけかもしれないけど。
これはもちろん1984年よりずっと昔にジョージ・オーウェルが書いた
近未来小説で、核戦争後の世の中を描いたもの。
もちろん実際は1984年には核戦争ななかったけれど
今はそんなオーウェルの小説のような不安な時代になってきてる。
まだ読んでないからなんともいえないけど
今回の村上氏の作品はオーウェルとは逆に今から過去の1984年を
見る小説なのかな?って
これもどこか「捨てられたもの」をまた拾い集める
そんなイメージがしてしまう。
この間長々と書いたFoZZtoneの「音楽」という曲にも
すばらしかった過去の音楽をまた拾い集めて、それを生き返らせていく
イメージを感じるし
今来日中のケイティ・ペリーのファッションをみれば
彼女は過去の50年代60年代のファッションを
拾い集めて自分のものとして生き返らせているのがわかる。
そういう中で
今回のThe HIATUSのアルバムのタイトルの
Trash We'd Love
にもそれと同じ何かを感じてしまう。
今 トラッシュ(捨てられたもの)とされているものには
かつてすごく愛されたものもたくさんあって
それを見つけ出して
救い出してあげないといけないんじゃないかって
いいものがまだまだいっぱい眠っていて
ゴミじゃないのに
ゴミ扱いされて
人間だって同じで
年とったからつかいものにならないって
採用しない会社なんて
まったくもってくだらないわけで
年を重ねた人にしかわからない
できないもの
そういうのがこの日本にも
世界にもいっぱいあって
それを大事にしないから
世の中は狂ってきているんじゃないのかな?
70歳以上の方たちはみんな知っているんだよ
戦争とか核とか
それがどれだけ愚かで悲しいものかを
私たちはそういう方たちに
大事なものを教えてもらわないと
だめなんだ。
「捨てられたもの」は
かつて私が愛してたものや
あなたの愛してたものかもしれない。
自分探しはそこから始まるのかも