2012年2月29日(水)
東京は雪だった。
ニュースを見て、東京でこんなに雪が降ったのを見た事がない
という小学生の言葉を聞いて、そうなんだと昔を思い返した。
東京に住んでいた幼少期、そこにはカマクラが作れてしまうほどの
雪が降り、子どもたちも大人達も広場にくりだしておのおのの雪の彫像を
作っていた。
あれからもうかなりの時が過ぎて
私は関西人となって日々生活に追われている。
さかのぼる事
2012年2月26日(日)
大阪LIVE HOUSE D
ここでUESA(植田健一と真田暎人のユニット)が大阪での
ラストライブを行った。
解散ではなくて、活動休止だ。
5年続いたユニットだと真田氏が言っていた。
そんなにもう経っていたんだね。
このユニットはJet Kellyが改名して
TOKYO DROPとして活動し始めた矢先に
真田さん以外の乗っていた車が交通事故に遭い
ライブができるような状況ではなかった。
でも、そのライブをソロで出演して
穴を決して開けなかった真田さん。
とっても辛い時期に本当にプロだと私は思ったし
このアーティストには絶対についていこうって思った。
でも、やはりメンバーのことを考えると
この先を考えると彼はとっても不安だったに違いない。
そんな時にジルコニアで活動していた植田健一氏が
声をかけたのか真田氏から相談したのか詳しいことは
しらないけれど、二人でUESAというユニットを作り
活動を始めた。
それが始まりだ。
大阪のライブで植田氏が言ってたけれど
彼はエレキしか弾いたことがなかったそうだ。
そこでアコギを弾くことになり、最初は弾き方が
エレキスタイルだったもので指先が血だらけに
なっていたそうだ。
「弾けないよ」って感じだったようだ。
でも、この間の大阪のラストライブで
見てわかるように彼は私が今まで見たUESAのライブの中でも
最高の演奏を見せて、聴かせてくれた。
5年は長いか、短いかはそれぞれの生き方によるんだろうけれど
まったくアコギが弾けなかった人が
こんな凛とした音を出せる人になったのは
ひとえに彼の努力練習以外の何ものでもないだろう。
本当はこれから本物の自分の味を出せるギタリストに
なるんだろう。でも、そこで活動休止。
それは惜しいのかもしれない。
でも、私は彼よりかなり人生先に歩いているので
思うんだけれど、技術だけではない何かを
もっともっと体験して、自分の持ち味をもっともっと
出せる人になるチャンスが今回の活動休止なんじゃないかなと。
歌についても、彼はなぜか自信をもっていないようだけれど
もっと自分に自信を持って声を大きく出せば、きっと
素敵な歌声を披露できると思う。
なぜかいつも彼は歌う事を怖がっているように感じた。
だから、活動休止中に歌の勉強もしてほしいなと思う、
彼ならきっと歌える人になれる。声量は持って生まれた
ものもあるだろうけれど、私は遠い昔あの福山雅治氏が
歌っているのを聴いて「大丈夫?声出てないよ。」って驚いたことが
あった。で、その時はドラマに出てたから、なんだ俳優だから歌は
こんなもんだと思ったんだ。でも、きっと福山氏は彼自身何かを
感じていたんだね。彼自身が活動休止した時期があった。そして
復活した時に本当に驚いた。すごく声が出て、すごくすばらしい
歌い方をする人になっていたんだ。
植田氏にもそれを期待している。
TOKYO DROPそしてJet Lily Starになって
UESAは一時的なユニットだと思っていた私だったが
それがずっと続いていて、それに対して
正直、あまりいい思いをしていなかった。
真田氏は私の中ではロックンローラーであってほしかったからだ。
でも、私の心はわかってた。彼がポップソングも大好きだってこと。
Jet Lily Starが解散して、すぐにバンドをまたやってくれるものと
思っていたのになかなかそれは始動せず、UESAが忙しくなって
どんどんどんどん真田氏はポップシンガーになっていった。
それがなんか寂しくて悲しかった事も何度もあった。
なんか植田氏に取られてしまったような気すらして
植田氏に対して、いろんな誤解も抱いてしまってたこともあった。
彼を知らないっていうのもそういう気持ちにさせる原因だった。
でも、しばらくして彼のことを知るチャンスがやってきた。
片岡大志さんという彼らのプロデューサーさんの主催される「唄会」
で、彼とお話するチャンスが訪れた。
私はいろいろ誤解していたんだな。と感じる事も多々。
正直、彼のブログだけを見ていると誤解だらけになってしまう。
でも、ブログの彼と実際の彼はいい意味で違った。
とても真面目で、繊細で、頑固でまっすぐに音楽を見つめる人だった。
一方で真田氏は8年程前に出会った一番最初に感じた印象どおり
「一風変わった天才肌」であり、自分に厳しく人にも厳しい人だった。
その厳しさは半端ないよ(笑)
彼は自分が納得出来ないことはやらない人だと思うし、
人に対しても全力を出してない人にはきっと厳しいのだろう。
今に甘んじている人にも過去にしがみついている人にも
おだやかに苦言を呈することができる。
目上の人にだって自分が感じたことを率直に伝えられる人だ。
なんだかとても長くなってしまいそうだ。
このUESAのラストライブについて書くにはかなりの文字数を
必要とするのだろう。
大阪のライブ自体についてはまた改めて書くとして
今日は東京で本当の本当の休止前ラストライブがあった。
去年の3月。あの震災があって
その日にライブの予定だった彼らは
ライブハウスで水びたしになったフロアから
水をかきだす作業をしていた。
何かできないかといろいろ悩み、
路上ライブはどうかとか
でもそこに来るファンは危険が伴う可能性があるとか
本当に苦しんでいた。
それは日本中の誰もがそうだったと思う。
大阪のラストのワンマンライブで
最後の最後にやった曲が
「Where is love」だった。
この曲は本当に素晴しい曲だと思っているし
UESAの中のナンバーワンだと私は思っている。
この曲だけでもYOU TUBEにアップできたことは
本当に幸せだと思っている。
この曲を歌う彼らが私は一番好きだ。
だから彼らがまたこの曲を生でやってくれる日まで
待っていたい。
そして、
大阪の本編のラストでやった曲が
「楽園」
これはJet Kellyの中でも最高の曲だと私は思っている。
この曲は
TOKYO DROPからJet Lily StarそしてUESAへと
引き継がれ、今度はbye bye circusへと繋がって行くのだろう。
Jet Kellyで葉山さんが脱退した時に
彼のギターが素晴しいこの「楽園」が終わってしまうのかと
嘆き悲しんだけれども、この曲は真田氏がしっかりと
持ち続けて歌い続けてくれている。
きっといったんは失われた「楽園」を
また本物の「楽園」にすべく
彼、真田暎人は歌い続けてくれるんだと
信じている。
さて、今日のような東京で雪の降る日に
大阪でやった「ホワイト」もやったのだろうか?
これもJet Kellyから引き継がれて来た曲だ。
すべてを白に戻すこと。
また一から描き出すそれぞれの絵を
数年後に見たい。是非とも見たい。
♪それでも今日笑う
僕らは今を生きる
それでも今日笑う
それが終わりであり始まりなんだ。
いつだって真田暎人っていうミュージシャンの。
「笑う」すなわち「咲く」明日こそ
みんなの未来を繋げて行くんだね。
東京は雪だった。
ニュースを見て、東京でこんなに雪が降ったのを見た事がない
という小学生の言葉を聞いて、そうなんだと昔を思い返した。
東京に住んでいた幼少期、そこにはカマクラが作れてしまうほどの
雪が降り、子どもたちも大人達も広場にくりだしておのおのの雪の彫像を
作っていた。
あれからもうかなりの時が過ぎて
私は関西人となって日々生活に追われている。
さかのぼる事
2012年2月26日(日)
大阪LIVE HOUSE D
ここでUESA(植田健一と真田暎人のユニット)が大阪での
ラストライブを行った。
解散ではなくて、活動休止だ。
5年続いたユニットだと真田氏が言っていた。
そんなにもう経っていたんだね。
このユニットはJet Kellyが改名して
TOKYO DROPとして活動し始めた矢先に
真田さん以外の乗っていた車が交通事故に遭い
ライブができるような状況ではなかった。
でも、そのライブをソロで出演して
穴を決して開けなかった真田さん。
とっても辛い時期に本当にプロだと私は思ったし
このアーティストには絶対についていこうって思った。
でも、やはりメンバーのことを考えると
この先を考えると彼はとっても不安だったに違いない。
そんな時にジルコニアで活動していた植田健一氏が
声をかけたのか真田氏から相談したのか詳しいことは
しらないけれど、二人でUESAというユニットを作り
活動を始めた。
それが始まりだ。
大阪のライブで植田氏が言ってたけれど
彼はエレキしか弾いたことがなかったそうだ。
そこでアコギを弾くことになり、最初は弾き方が
エレキスタイルだったもので指先が血だらけに
なっていたそうだ。
「弾けないよ」って感じだったようだ。
でも、この間の大阪のラストライブで
見てわかるように彼は私が今まで見たUESAのライブの中でも
最高の演奏を見せて、聴かせてくれた。
5年は長いか、短いかはそれぞれの生き方によるんだろうけれど
まったくアコギが弾けなかった人が
こんな凛とした音を出せる人になったのは
ひとえに彼の努力練習以外の何ものでもないだろう。
本当はこれから本物の自分の味を出せるギタリストに
なるんだろう。でも、そこで活動休止。
それは惜しいのかもしれない。
でも、私は彼よりかなり人生先に歩いているので
思うんだけれど、技術だけではない何かを
もっともっと体験して、自分の持ち味をもっともっと
出せる人になるチャンスが今回の活動休止なんじゃないかなと。
歌についても、彼はなぜか自信をもっていないようだけれど
もっと自分に自信を持って声を大きく出せば、きっと
素敵な歌声を披露できると思う。
なぜかいつも彼は歌う事を怖がっているように感じた。
だから、活動休止中に歌の勉強もしてほしいなと思う、
彼ならきっと歌える人になれる。声量は持って生まれた
ものもあるだろうけれど、私は遠い昔あの福山雅治氏が
歌っているのを聴いて「大丈夫?声出てないよ。」って驚いたことが
あった。で、その時はドラマに出てたから、なんだ俳優だから歌は
こんなもんだと思ったんだ。でも、きっと福山氏は彼自身何かを
感じていたんだね。彼自身が活動休止した時期があった。そして
復活した時に本当に驚いた。すごく声が出て、すごくすばらしい
歌い方をする人になっていたんだ。
植田氏にもそれを期待している。
TOKYO DROPそしてJet Lily Starになって
UESAは一時的なユニットだと思っていた私だったが
それがずっと続いていて、それに対して
正直、あまりいい思いをしていなかった。
真田氏は私の中ではロックンローラーであってほしかったからだ。
でも、私の心はわかってた。彼がポップソングも大好きだってこと。
Jet Lily Starが解散して、すぐにバンドをまたやってくれるものと
思っていたのになかなかそれは始動せず、UESAが忙しくなって
どんどんどんどん真田氏はポップシンガーになっていった。
それがなんか寂しくて悲しかった事も何度もあった。
なんか植田氏に取られてしまったような気すらして
植田氏に対して、いろんな誤解も抱いてしまってたこともあった。
彼を知らないっていうのもそういう気持ちにさせる原因だった。
でも、しばらくして彼のことを知るチャンスがやってきた。
片岡大志さんという彼らのプロデューサーさんの主催される「唄会」
で、彼とお話するチャンスが訪れた。
私はいろいろ誤解していたんだな。と感じる事も多々。
正直、彼のブログだけを見ていると誤解だらけになってしまう。
でも、ブログの彼と実際の彼はいい意味で違った。
とても真面目で、繊細で、頑固でまっすぐに音楽を見つめる人だった。
一方で真田氏は8年程前に出会った一番最初に感じた印象どおり
「一風変わった天才肌」であり、自分に厳しく人にも厳しい人だった。
その厳しさは半端ないよ(笑)
彼は自分が納得出来ないことはやらない人だと思うし、
人に対しても全力を出してない人にはきっと厳しいのだろう。
今に甘んじている人にも過去にしがみついている人にも
おだやかに苦言を呈することができる。
目上の人にだって自分が感じたことを率直に伝えられる人だ。
なんだかとても長くなってしまいそうだ。
このUESAのラストライブについて書くにはかなりの文字数を
必要とするのだろう。
大阪のライブ自体についてはまた改めて書くとして
今日は東京で本当の本当の休止前ラストライブがあった。
去年の3月。あの震災があって
その日にライブの予定だった彼らは
ライブハウスで水びたしになったフロアから
水をかきだす作業をしていた。
何かできないかといろいろ悩み、
路上ライブはどうかとか
でもそこに来るファンは危険が伴う可能性があるとか
本当に苦しんでいた。
それは日本中の誰もがそうだったと思う。
大阪のラストのワンマンライブで
最後の最後にやった曲が
「Where is love」だった。
この曲は本当に素晴しい曲だと思っているし
UESAの中のナンバーワンだと私は思っている。
この曲だけでもYOU TUBEにアップできたことは
本当に幸せだと思っている。
この曲を歌う彼らが私は一番好きだ。
だから彼らがまたこの曲を生でやってくれる日まで
待っていたい。
そして、
大阪の本編のラストでやった曲が
「楽園」
これはJet Kellyの中でも最高の曲だと私は思っている。
この曲は
TOKYO DROPからJet Lily StarそしてUESAへと
引き継がれ、今度はbye bye circusへと繋がって行くのだろう。
Jet Kellyで葉山さんが脱退した時に
彼のギターが素晴しいこの「楽園」が終わってしまうのかと
嘆き悲しんだけれども、この曲は真田氏がしっかりと
持ち続けて歌い続けてくれている。
きっといったんは失われた「楽園」を
また本物の「楽園」にすべく
彼、真田暎人は歌い続けてくれるんだと
信じている。
さて、今日のような東京で雪の降る日に
大阪でやった「ホワイト」もやったのだろうか?
これもJet Kellyから引き継がれて来た曲だ。
すべてを白に戻すこと。
また一から描き出すそれぞれの絵を
数年後に見たい。是非とも見たい。
♪それでも今日笑う
僕らは今を生きる
それでも今日笑う
それが終わりであり始まりなんだ。
いつだって真田暎人っていうミュージシャンの。
「笑う」すなわち「咲く」明日こそ
みんなの未来を繋げて行くんだね。