フランス映画やドイツ映画なんかでよくとられる手法だけど、雑踏の中を行き交う人から個々に声が聞こえる。それは心の声なので、実際には回りの人には聞こえないわけだけど、今日はそういう映画の中に自分がいるように思えた。駅の雑踏の中でいろんな声が聞こえる気がしたから。
「あ~なんてことだ。あんなやつに負けるなんて」
「お腹すいたな~」
「彼は私のことをどう思っているのかしら」
「あいつぶん殴ってやる」
「今日は楽しかったな~」
「このスカート似合っているかな」
「泣きたい・・・」
などなど、すれ違う人の顔を見ていて、そう聞こえてきた。この何十人、何百人という人それぞれに喜びや悲しみや怒りやあきらめや安らぎがあるんだと思うだけで、なんか宇宙空間を自分が遊泳しているぐらいのすごさを感じてしまう。
バスに乗っていても、下車を知らせるボタンが夜の薄暗い車内に紫色に光って、そこに座る疲れ切った人たちを暗く照らす。
「どうしたの?何があったの?」
自分自身もいろいろあるけれど、なんか他の人のことが気になる。それは反対に
「どうしたの?何かあったの?」
って自分も聞いてほしいのかもしれない。
理由のない寂しさは家のドアを開ける前に胸のポケットに仕舞い込む・・・温かい家には持ち込まないように。
ふと思い出した。映画「ベルリン天使の詩」ではやっぱり天使が街を行き交う人の側にそっと立ったり、座っている人の横に座ってその人の心の声に耳をかたむける。優しい顔をして・・・私にもそんな天使がいてくれているといいな。
「あ~なんてことだ。あんなやつに負けるなんて」
「お腹すいたな~」
「彼は私のことをどう思っているのかしら」
「あいつぶん殴ってやる」
「今日は楽しかったな~」
「このスカート似合っているかな」
「泣きたい・・・」
などなど、すれ違う人の顔を見ていて、そう聞こえてきた。この何十人、何百人という人それぞれに喜びや悲しみや怒りやあきらめや安らぎがあるんだと思うだけで、なんか宇宙空間を自分が遊泳しているぐらいのすごさを感じてしまう。
バスに乗っていても、下車を知らせるボタンが夜の薄暗い車内に紫色に光って、そこに座る疲れ切った人たちを暗く照らす。
「どうしたの?何があったの?」
自分自身もいろいろあるけれど、なんか他の人のことが気になる。それは反対に
「どうしたの?何かあったの?」
って自分も聞いてほしいのかもしれない。
理由のない寂しさは家のドアを開ける前に胸のポケットに仕舞い込む・・・温かい家には持ち込まないように。
ふと思い出した。映画「ベルリン天使の詩」ではやっぱり天使が街を行き交う人の側にそっと立ったり、座っている人の横に座ってその人の心の声に耳をかたむける。優しい顔をして・・・私にもそんな天使がいてくれているといいな。