Music on TVのインタビューで竹尾さんが言っていた言葉が
とても強く心に残っている。
最近の音楽は聴き手にわかりやすくないとダメみたいな風潮を
彼は変だと考えているし、難しい音楽をやってもそれを
かっこいいと思ったり、まったくわからないとか思ったり
するのが本来の姿じゃないかみたいなことを彼が言っていた。
ほんとそうだと思わず画面に向かってうなずく私がいる。
噛みやすいお菓子ばかり与えて子どもの咀嚼能力が
低下しているような現代。それと音楽は似ていると思う。
音楽力が低下しているんだ。
だから音楽業界が落ち込んで行くのがどうしてわかんないのかな?
ゆとり教育とかいってだめになってきた子どもたちを
あわてて昔のようにしようとあわてている教育界と
同じさ。
柔い音楽を聴かせてばかりいると
まさにこれと同じ現象に陥るよ。
今月号の音楽雑誌「MUSICA」で鹿野さんが
FoZZtoneの『NEW WORLD』のDISC REVIEWで
「いい曲を書く、音楽としてのロックの本質をわかっている、
でもわかり難いバンドだからまだ成功していない・・・・・
(中省略)
しかしこの明確な『やりたい放題やりますよ。あなたにこれだけ
やりたい放題できますか?』という姿勢こそ、わかり難い
彼らなりのわかりやすい攻撃だ。いいぞ、もっと行け。」
(鹿野さん引用させていただきました。)
と書かれていた。
まさにこれだよね。
多くの人は本当はわかっているんだ。
でも、みんな怖れているんだよね。
お客さんがさっと引いて行くんじゃないかと。
でも、フォズはそんなのちっとも怖れていないんだ。
この鹿野さんの言葉はとっても愛情があって好きだ。
私ももっと行け!って声を大にして言いたい。
このアルバムについては
Rockin' on JAPANにもレビューがあった。
田中大さんが書いてくれていたのだけれども
「すごく良い!」って第一声がこれだった。
なんかうれしかった。メジャーを離れたアルバム第一号が
こうして評価されているっていうのが誇らしかった。
彼らのスタッフさんやこのアルバムにかかわった
すべての方の協力もあったと思うけれども
これはメジャーほど恵まれた環境になくても
お金もかけられなくても
こんなにすごいアルバムが強い意志と
ロック魂さえあればできるんだと
教えてくれる。
CDのデザインもアルバムのデザインも
すべて渡會さんがご自身で描いて構成しているわけだし
もちろんそれに携わったスタッフさんもいるだろうけれど
すべてのメンバーの最大限の力が集結しているのが
すごいと思う。
竹尾さんが「自分たちの音楽を聴いてくれるお客さんを
尊敬するし、その尊敬するお客と最高のライブを
つくるのが本当に目標だ。」と言ってくれたのも
なんだか心に響いた。
「改めましてFoZZtoneです。」
すなわちこれって
WE ARE FoZZtone!
って感じだよね。
どんな場所でも常に北を指す方位磁石っていうのは
人生において誰もが本当はほしいものだと思うっていうところから
自分たちにとって苦しい時にそんなロードストーンになってくれた
曲を集めたので「ロードストーンズ」にしたというような
話を渡會さんがしてくれた。
彼のこの言葉でそうかと思ったことがあった。
私にとって「音楽」は人生にとってロードストーンだったと
今更ながら思ったんだ。
小学校の頃転校ばっかりしていて
5年生でまた転校した学校で
いわゆる全部からというわけじゃないけれど
「言葉が違う」と(なぜか関東弁は関西には受け入れられにくかった)
一部の人に仲間はずれにされた時に私を最初に支えてくれたのは
マイケル・ジャクソンだった。
「ベンのテーマ」であり
「I'll be there」であり
「Maybe tomorrow」であり
「Music and me」だった。
「スリラー」や「ビリージーン」じゃなくてね。
これらの曲はすべて
「ひとりじゃないよ。大丈夫だよ。そばにいるよ。」
そんな感じのメッセージが含まれていて
マイケルが歌いかけるその声が私の最初のロードストーンだった。
お陰で強くなれたし、友達もできてひとりじゃなくなった。
クイーンは中学生で知ったんだけれど、心が洗われるようで
毎日聴いていた。そこに「イギリスへ行こう。こんな音楽を
やるバンドがいるイギリスへ絶対に行きたい。」そう
思ったのもこの時だった。やはりロードストーンと
クイーンもなった。
高校の時はthe Clashに出会い、それこそこれが
一番人生で私を支えてくれたバンドだと思う。
ひとりでも負けるなみたいな戦う姿勢。
これを私は彼らから学んだ気がする。
彼らは本当に人生の最高のロードストーンだと今も思う。
別に高校時代に友達がいなかったとかそんなのではなくて
何かイライラしていた時に彼らの曲が「負けんなよ。」みたいな
力をいつもくれていたように思う。
残念ながら日本の歌にはそういうロードストーンになりうる歌は
なかったんだ。
今ならELLEGARDENやthe HIATUSが、そしてこのFoZZtoneが
ロードストーンズとなって、私の前を進んで行ってくれていると
いう気持ちになる。
失敗も苦悩もひっくるめて彼らが前をそれでも進み続けるなら
私も行けるって思えるんだ。
だからまさにロードストーンズ。
「口笛男」について彼らが言うには
最初は渡會さんの歌詞があって
そこに渡會さんの素敵なイントロが重なり
さらに竹尾さんのすばらしいフレーズが重なって
そういう感じでできあがっていったということなんだけれど
竹尾さんがバンドでやるからおもしろいと思っているし
自分がフレーズを作った時は完成像なんてみえてなくて
このフレーズがかっこいいとか思ってその後にそれぞれに
メンバーがどういうものを乗せてくるかで曲ができあがると
思っているし、インスピレーションがどうとかと
説明できるやつはうさんくさいと思っていると言ってたんだけれど
インスピレーションうんぬんはともかく
バンドで曲を作るというのは
まるで油絵を完成させるみたいだなと思った。
白いキャンパスに色んな色を重ねていく。
最初はどんなものができるのかなんて
見ている人にはわかんないけれども
ここに赤、ここに青、ここには白をまた塗るみたいな
くりかえしから、何かが見えてくるし、
素晴らしい絵も生まれてくる。ゴッホやピカソのように。
今はすごいと評価されている画家達も
描いているそのときはなかなか理解されなかった。
音楽にもそういうところがある気はするけれども
でも、私はFoZZtoneの描く音楽を見て
「すごいな。」と思う人が増えてほしいと願う。
曲が必要としているものを最小の言葉で言う
(竹尾さんはご自身が言ってそれが一番うさんくさいと言ってたけど)
最小の言葉っていうのは
私なりの解釈だとバンドで曲を作るというのは
自分を主張するのではなくて、
それぞれがそれぞれを浮き上がらせるための
影にならなくちゃいけないっていうことだと
感じた。
それぞれがそれぞれの影になって
それぞれを光らせるってこと。
違うかもしれないけれど
私はそう感じたんだ。
「口笛男」のPV制作において
渡會さんが語っていたんだけれど
(これはNEXUSの方で)
PVはとても大切なもので
今自分たちが生きている風景で
こういう音楽を作っていたということを
伝えたいと思っているというような
事を言ってた。
芸術性も大事かもしれないけれど
渡會さんは今自分たちが音楽をやっている町とか
生きている風景を何十年後かにそのPVを
見た人たちがこの曲を作った人たちは
こういう場所で音楽をやっていたんだという
のを少しでも心を馳せてくれたらと思っているんだって。
風景をたくさん入れたいと思うのは
記録として残しておきたいという気持ちがあるらしい。
私は彼のこの言葉を聞いた時、私のようなど素人が
言うのはおこがましいが、私が映像を作る時に
いつも思っているのはそれだと心が踊った。その時のその時代の
そこにある音楽と自分とのかろうじて繋がっている
ほんの少しの空気感を記録として残したいと
いうのと、いつ何が起るかわからないこの日本の
風景を今の風景を残しておきたいと思って
ビデオカメラを回している。
だから、渡會さんからこの言葉が出た時は
とても感動した。同じ目線の人がいたって。
ってもちろんあちらはプロだけれど。
もう会わなくなった人もいる。
でもその人たちのために作った映像にも
その出会った時代の共有した景色やら
空気感やらを詰め込んでいるから
今ひとりで見てもその時代がよみがえる。
それでいいんだと思っている。
私が感じたものがそこにはまだ残っていて
忘れかけていたものもよみがえるから。
あの自転車男の絵は渡會さんが描いたもの。
心象風景として自転車男をイラストにしたらしい。
このPVも渡會さんらしさがいっぱいあって
素敵なんだけれども私にはあるイメージが
できあがっていた。
ずっと前、おそらく去年の冬あたりかな?
渡會さんのブログがあった頃。
たぶん。
そこで見たのか
定かではないけれど
打ち上げかなにかわかんないけれど
朝まで飲み明かして帰宅途中という
写真が一枚載せてあったんだ。
それがすごく印象に残っていて
最初「口笛男」を聴いた時
その朝の事かな?って思ったんだ。
もちろん違うかもしれない。
ただ、ずっと昔
プリテンダーズの「I go to sleep」を
聴いた時に自分で勝手にそれを
東京に置き換えて描いた風景と
重なったんだ。
ずっと前から友達とか家族に
言い続けて来たこと。
早朝に東京のビルの谷間を歩きたい。
ゴミが道路脇にころがって
人通りがほとんどなくて
酔っぱらいが寝転んでいて
早朝の清掃業者が掃除を始め
新聞配達の自転車が走り抜ける風景。
そこを歩くんだ。
だんだんと明るくなっていく方へ向かって。
それが今「口笛男」の中で
どこか体験させてもらっている気になるんだ。
疲れ果てて、
もうだめかもしれないという気持ちで
朝を歩くこと。
私が「I go to sleep」を聴いた時は
まさにそんな時だったから
朝を歩きたかったんだ。
渡會さんがよく
グッドモーニング世界という。
ツイッターでね。
この言葉を聞くとほっとする。
また朝が来たんだって。
私はきっと朝が一番好きなんだと思う。
だから朝を感じる曲が好きになる。
Jet Kellyの「白い朝」が好きなのも当たり前の話だ。
きっと朝には太陽が昇るのを知っているからだろう。
光が絶対に射してくるのがわかっているからだろう。
私は朝に生まれた。
だから私がこの世を去る時はやっぱり朝がいい。
夏の朝がいい。
まあ、まだまだ生きるつもりだけれどね(笑)。
とても強く心に残っている。
最近の音楽は聴き手にわかりやすくないとダメみたいな風潮を
彼は変だと考えているし、難しい音楽をやってもそれを
かっこいいと思ったり、まったくわからないとか思ったり
するのが本来の姿じゃないかみたいなことを彼が言っていた。
ほんとそうだと思わず画面に向かってうなずく私がいる。
噛みやすいお菓子ばかり与えて子どもの咀嚼能力が
低下しているような現代。それと音楽は似ていると思う。
音楽力が低下しているんだ。
だから音楽業界が落ち込んで行くのがどうしてわかんないのかな?
ゆとり教育とかいってだめになってきた子どもたちを
あわてて昔のようにしようとあわてている教育界と
同じさ。
柔い音楽を聴かせてばかりいると
まさにこれと同じ現象に陥るよ。
今月号の音楽雑誌「MUSICA」で鹿野さんが
FoZZtoneの『NEW WORLD』のDISC REVIEWで
「いい曲を書く、音楽としてのロックの本質をわかっている、
でもわかり難いバンドだからまだ成功していない・・・・・
(中省略)
しかしこの明確な『やりたい放題やりますよ。あなたにこれだけ
やりたい放題できますか?』という姿勢こそ、わかり難い
彼らなりのわかりやすい攻撃だ。いいぞ、もっと行け。」
(鹿野さん引用させていただきました。)
と書かれていた。
まさにこれだよね。
多くの人は本当はわかっているんだ。
でも、みんな怖れているんだよね。
お客さんがさっと引いて行くんじゃないかと。
でも、フォズはそんなのちっとも怖れていないんだ。
この鹿野さんの言葉はとっても愛情があって好きだ。
私ももっと行け!って声を大にして言いたい。
このアルバムについては
Rockin' on JAPANにもレビューがあった。
田中大さんが書いてくれていたのだけれども
「すごく良い!」って第一声がこれだった。
なんかうれしかった。メジャーを離れたアルバム第一号が
こうして評価されているっていうのが誇らしかった。
彼らのスタッフさんやこのアルバムにかかわった
すべての方の協力もあったと思うけれども
これはメジャーほど恵まれた環境になくても
お金もかけられなくても
こんなにすごいアルバムが強い意志と
ロック魂さえあればできるんだと
教えてくれる。
CDのデザインもアルバムのデザインも
すべて渡會さんがご自身で描いて構成しているわけだし
もちろんそれに携わったスタッフさんもいるだろうけれど
すべてのメンバーの最大限の力が集結しているのが
すごいと思う。
竹尾さんが「自分たちの音楽を聴いてくれるお客さんを
尊敬するし、その尊敬するお客と最高のライブを
つくるのが本当に目標だ。」と言ってくれたのも
なんだか心に響いた。
「改めましてFoZZtoneです。」
すなわちこれって
WE ARE FoZZtone!
って感じだよね。
どんな場所でも常に北を指す方位磁石っていうのは
人生において誰もが本当はほしいものだと思うっていうところから
自分たちにとって苦しい時にそんなロードストーンになってくれた
曲を集めたので「ロードストーンズ」にしたというような
話を渡會さんがしてくれた。
彼のこの言葉でそうかと思ったことがあった。
私にとって「音楽」は人生にとってロードストーンだったと
今更ながら思ったんだ。
小学校の頃転校ばっかりしていて
5年生でまた転校した学校で
いわゆる全部からというわけじゃないけれど
「言葉が違う」と(なぜか関東弁は関西には受け入れられにくかった)
一部の人に仲間はずれにされた時に私を最初に支えてくれたのは
マイケル・ジャクソンだった。
「ベンのテーマ」であり
「I'll be there」であり
「Maybe tomorrow」であり
「Music and me」だった。
「スリラー」や「ビリージーン」じゃなくてね。
これらの曲はすべて
「ひとりじゃないよ。大丈夫だよ。そばにいるよ。」
そんな感じのメッセージが含まれていて
マイケルが歌いかけるその声が私の最初のロードストーンだった。
お陰で強くなれたし、友達もできてひとりじゃなくなった。
クイーンは中学生で知ったんだけれど、心が洗われるようで
毎日聴いていた。そこに「イギリスへ行こう。こんな音楽を
やるバンドがいるイギリスへ絶対に行きたい。」そう
思ったのもこの時だった。やはりロードストーンと
クイーンもなった。
高校の時はthe Clashに出会い、それこそこれが
一番人生で私を支えてくれたバンドだと思う。
ひとりでも負けるなみたいな戦う姿勢。
これを私は彼らから学んだ気がする。
彼らは本当に人生の最高のロードストーンだと今も思う。
別に高校時代に友達がいなかったとかそんなのではなくて
何かイライラしていた時に彼らの曲が「負けんなよ。」みたいな
力をいつもくれていたように思う。
残念ながら日本の歌にはそういうロードストーンになりうる歌は
なかったんだ。
今ならELLEGARDENやthe HIATUSが、そしてこのFoZZtoneが
ロードストーンズとなって、私の前を進んで行ってくれていると
いう気持ちになる。
失敗も苦悩もひっくるめて彼らが前をそれでも進み続けるなら
私も行けるって思えるんだ。
だからまさにロードストーンズ。
「口笛男」について彼らが言うには
最初は渡會さんの歌詞があって
そこに渡會さんの素敵なイントロが重なり
さらに竹尾さんのすばらしいフレーズが重なって
そういう感じでできあがっていったということなんだけれど
竹尾さんがバンドでやるからおもしろいと思っているし
自分がフレーズを作った時は完成像なんてみえてなくて
このフレーズがかっこいいとか思ってその後にそれぞれに
メンバーがどういうものを乗せてくるかで曲ができあがると
思っているし、インスピレーションがどうとかと
説明できるやつはうさんくさいと思っていると言ってたんだけれど
インスピレーションうんぬんはともかく
バンドで曲を作るというのは
まるで油絵を完成させるみたいだなと思った。
白いキャンパスに色んな色を重ねていく。
最初はどんなものができるのかなんて
見ている人にはわかんないけれども
ここに赤、ここに青、ここには白をまた塗るみたいな
くりかえしから、何かが見えてくるし、
素晴らしい絵も生まれてくる。ゴッホやピカソのように。
今はすごいと評価されている画家達も
描いているそのときはなかなか理解されなかった。
音楽にもそういうところがある気はするけれども
でも、私はFoZZtoneの描く音楽を見て
「すごいな。」と思う人が増えてほしいと願う。
曲が必要としているものを最小の言葉で言う
(竹尾さんはご自身が言ってそれが一番うさんくさいと言ってたけど)
最小の言葉っていうのは
私なりの解釈だとバンドで曲を作るというのは
自分を主張するのではなくて、
それぞれがそれぞれを浮き上がらせるための
影にならなくちゃいけないっていうことだと
感じた。
それぞれがそれぞれの影になって
それぞれを光らせるってこと。
違うかもしれないけれど
私はそう感じたんだ。
「口笛男」のPV制作において
渡會さんが語っていたんだけれど
(これはNEXUSの方で)
PVはとても大切なもので
今自分たちが生きている風景で
こういう音楽を作っていたということを
伝えたいと思っているというような
事を言ってた。
芸術性も大事かもしれないけれど
渡會さんは今自分たちが音楽をやっている町とか
生きている風景を何十年後かにそのPVを
見た人たちがこの曲を作った人たちは
こういう場所で音楽をやっていたんだという
のを少しでも心を馳せてくれたらと思っているんだって。
風景をたくさん入れたいと思うのは
記録として残しておきたいという気持ちがあるらしい。
私は彼のこの言葉を聞いた時、私のようなど素人が
言うのはおこがましいが、私が映像を作る時に
いつも思っているのはそれだと心が踊った。その時のその時代の
そこにある音楽と自分とのかろうじて繋がっている
ほんの少しの空気感を記録として残したいと
いうのと、いつ何が起るかわからないこの日本の
風景を今の風景を残しておきたいと思って
ビデオカメラを回している。
だから、渡會さんからこの言葉が出た時は
とても感動した。同じ目線の人がいたって。
ってもちろんあちらはプロだけれど。
もう会わなくなった人もいる。
でもその人たちのために作った映像にも
その出会った時代の共有した景色やら
空気感やらを詰め込んでいるから
今ひとりで見てもその時代がよみがえる。
それでいいんだと思っている。
私が感じたものがそこにはまだ残っていて
忘れかけていたものもよみがえるから。
あの自転車男の絵は渡會さんが描いたもの。
心象風景として自転車男をイラストにしたらしい。
このPVも渡會さんらしさがいっぱいあって
素敵なんだけれども私にはあるイメージが
できあがっていた。
ずっと前、おそらく去年の冬あたりかな?
渡會さんのブログがあった頃。
たぶん。
そこで見たのか
定かではないけれど
打ち上げかなにかわかんないけれど
朝まで飲み明かして帰宅途中という
写真が一枚載せてあったんだ。
それがすごく印象に残っていて
最初「口笛男」を聴いた時
その朝の事かな?って思ったんだ。
もちろん違うかもしれない。
ただ、ずっと昔
プリテンダーズの「I go to sleep」を
聴いた時に自分で勝手にそれを
東京に置き換えて描いた風景と
重なったんだ。
ずっと前から友達とか家族に
言い続けて来たこと。
早朝に東京のビルの谷間を歩きたい。
ゴミが道路脇にころがって
人通りがほとんどなくて
酔っぱらいが寝転んでいて
早朝の清掃業者が掃除を始め
新聞配達の自転車が走り抜ける風景。
そこを歩くんだ。
だんだんと明るくなっていく方へ向かって。
それが今「口笛男」の中で
どこか体験させてもらっている気になるんだ。
疲れ果てて、
もうだめかもしれないという気持ちで
朝を歩くこと。
私が「I go to sleep」を聴いた時は
まさにそんな時だったから
朝を歩きたかったんだ。
渡會さんがよく
グッドモーニング世界という。
ツイッターでね。
この言葉を聞くとほっとする。
また朝が来たんだって。
私はきっと朝が一番好きなんだと思う。
だから朝を感じる曲が好きになる。
Jet Kellyの「白い朝」が好きなのも当たり前の話だ。
きっと朝には太陽が昇るのを知っているからだろう。
光が絶対に射してくるのがわかっているからだろう。
私は朝に生まれた。
だから私がこの世を去る時はやっぱり朝がいい。
夏の朝がいい。
まあ、まだまだ生きるつもりだけれどね(笑)。