ミュージシャンになる決意をもって前に進んでいるあなたへ
「褒められる」のと「批判される」のとどちらが伸びるのか・・・と迷うなら、「褒められる」方だと思えばいいと私は思います。
自分はボロクソに言われて伸びるんです・・・なんて言っていても人間というのはやっぱり「褒めてほしい」生き物だと私は思うのです。
ただ、なんでもかんでも「褒める」のはよくないし、私は心にもないことで「褒める」ことは絶対にしたくないと思ってます。
それは昔から変わっていません。
当時子どもたちに勉強を教えるというチャンスをいただいた時に、たとえば英語の成績がちょっと芳しくない子がいました。でも、誰にでもどこかにその人のいいところがあるんです。それを周囲の人間が見つけてあげなければいけません。案外本人も気がつかないことが多いからです。
私はその子がゆっくりだけれど、丁寧に英語のつづりを書くことに気づきました。だから「字がきれいね。単語をこういう風に丁寧に書いていくと絶対に言葉は自分の中に残っていくからね」とその子に言いました。その子は素直な子だったので、「そうか」と思ったようでそれから一生懸命に単語を書いて覚えました。やがて、その子は5段階評価において、2段階も成績が上がったのです。
なぜなら、その子は自分を信じられたからです。
ある小学3年生の子は国語が苦手なのか、塾において先生が四人も変わりました。それでその四人目が私でした。他の先生からの話では彼は何も話さないし、字も書こうとしないとのことでした。実際最初はそうでした。でも、私は「絶対にこの子にもいいところはある」って思いました。そこで実際はまだ授業は始まってないのですが、いつもお母さんに連れられて早く来る15分前から(私の時給は発生しませんが)授業を始めて、そのフリーな15分だけ塾の方針を無視して私の授業をしました。それは5分ほどのお話を持ってきた日本昔話の本の中から彼に選ばせて、私が読んであげるということと、その後、彼に彼自身が考えた物語を作らせるというものでした。最初は「何が好き?」とか聞いたりして、すこしづつ彼の好きなものを聞き出しました。それはそれは時間がかかりました。お話のタイトルを考えるだけで時間がかかりました。でも、それがだんだんスピードを増し、彼はどんどん話をノートに書くようになり、しかも嫌いだった漢字も自分から「この漢字これでいい?」って聞きながら、知っている字は進んで書くようになりました。やがて、物語は完成しました。はっきりいって作文としては直さないといけないところがほとんどです。でも、彼が何を言いたいのかはそれを読めばわかるんです。だから「この文章はへんだ」とか注意はいっさいせずに「よく書けたね。こんなにいっぱい話が書けるってすごいよ。お母さんに見せないとね」といって、それから私はパソコンでそのままを打ち込み、挿し絵は私が描きましたが、絵もつけて製本して(簡単なものですが)この世に1冊だけの彼の作品をプレゼントしました。もちろん、塾とはなんの関係もありません。でも、彼もお母さんもすごく喜んでくれました。私はそれで幸せでした。無表情だった彼が「書く喜び」「感情を表す喜び」を感じてくれたからです。
結局、それぞれの人はそれぞれにすごいところがあって、そこは「褒めて」あげないといけないと私は思うのです。どうでもいいことを「褒める」のではなく、その人だけの大事なところを・・・
だから、これから先も私は「皆に適当に同じように褒めてるんじゃないの」って誰かに陰口たたかれようが、私は私が見つけたその人のすごいところを「褒めて」そして応援していきたいと思ってます。
私は私のままの思ったままの気持ちで
「素敵だな~」って感じたことを表したいと・・・
ついでながら、今日美容院でまだ一年目だという若い美容師さんに「来年の抱負はなんですか?」って聞かれて、つい「自分が毎年やろうやろうと思っている事を来年こそ形にしたいです」って言ったら、その内容を知られてしまったわけですが(ここでは秘密です・笑)その彼がこう言ってくれたんです。
「いつかどこかで○○さんの名前を見つけたら、絶対にお金を出して買いますからね。」って
まあ、お客さんに対しての回答としては優等生な返し方なのかもしれませんが、その言い方が社交辞令っぽくなくて、本当にそうしてくれそうな温かさがあって、それで「本当に頑張らねば」って思った私です(笑)
さあ、サイは投げられた・・・ってね(笑)
「夢がまことになるまで夢みよう」
これを来年のあなたに・・・
そして自分に捧げます☆