HAVE A NICE DAY!

徒然なるままに特に音楽の話を中心にあーだこーだと書き連ねます。

INNER KINGDOM by FoZZtone~それぞれの内なる王国へ捧ぐ

2012年09月30日 | FoZZtone
FoZZtoneの2枚組のフルアルバム「INNER KINGDOM」が発売されてからもうだいぶ経ちました。
REC OK! TOURも終わり、MVの賞の発表も終わり、いよいよこのアルバムタイトルを掲げるツアーが始まりました。

このアルバムについて書こうと思うとどこから書いていいのかほんと困る程
切り口が豊富なのです。

聴く人によっていろんな角度から楽しめるアルバムということです。

で、今日は私はとある角度から書いてみようと思います。

このアルバムはコンセプトアルバムになっていて
DISC physicalとDISC mentalとに分かれています。

DISC mentalの方は「Pageant: Keller Water」という表題もついているわけですが、
今回のINNER KINGDOM Tourのファイナルのあとにスピンオフ的というのか
別枠で前のアルバム「NEW WORLD」の時に「白鯨」を掲げた特別なライブを
東京キネマ倶楽部でやったように、この「Pageant: Keller Water」という特別な
ショーというのかライブをやることが決まっています。

ものすごく行きたいけれど、地方でしかも仕事がフルタイムでしかも
いつも残業がない日はない仕事だと難しいのです。

DVDを出してくれることをまた切に願います。

さて、このmentalの方を聴いたときに最初に思い浮かべたのが
イギリスのロックバンドのyesです。

60年代の終わりにデビューした、いわゆるプログレッシブロックという
ジャンルに分けられたロックバンドです。

このプログレに分類される他のバンドにはキングクリムゾンやELP、
ジェネシス、そしてピンクフロイドなどがあります。

どこか、クラシックな要素をとりいれて、キーボード奏者が
ヒーロー然として存在感を示すバンドが多いです。

このyesの影響をあのクイーンも受けているし、
ポップな分野ではビージーズも受けているし、
アメリカではマイケル・ジャクソンのいたジャクソン5のサウンドなどにも
その片鱗がうかがえて、とても興味深いです。

yesにはもちろんいろいろなアルバムがあるのですが、
その中でも初期の名作といわれた「Close To The Edge」(邦題は「危機」)
にはそういうのちのちに与えるサウンドが満載です。

そんな中で、今回このINNER KINGDOMを聴いていて、あるいは
以前のNEW WORLDにおいても私はFoZZtoneにもこのyesの遺伝子を
感じることができました。

彼らが直にyesを聴いてるかはわかりませんが、yesに影響を受けた
ミュージシャンたちの音楽は必ず聴いていると思うし、その遺伝子が
こうして年代を超えて脈々と受け継がれていっているのが
ほんとすごいし、感動します。

実はThe HIATUSにもこの影響が見えるのですよ。

まるで「ジョジョの奇妙な冒険」のジョースターの血が
受け継がれていくようなほんと時代と国境を超える感を
感じてしまいます。

とにかく、まずはFoZZtoneのファンには
このyesの「Close To The Edge」のアルバムを聴いて欲しいです。
この名盤を聴かずして、フォズの奥行きの深さを知ることができないのじゃないかと
思うわけです。


さて、トータル的なイメージはyesでしたが、
Disc mental の個々のチャプターについて感じたことを書いてみようと思います。

第一部 prologue
 一幕 prologue
    まるでオーケストラの管弦楽のようなギターの調べで始まる序章
    どこかイギリスの中世の音楽のようにシェークスピアも連れて来そうな感じ。
    庶民がたき火を囲んで輪になってダンスをしている絵が浮かぶ。
 二幕 Discommunication Breakdown
    prologueからここに繋がっていく部分がまさにプログレ的。
    ここで演奏されるギターの音がほんと素敵すぎる。
    ストーリー的にはコミュニケーションがうまくできない主人公の登場というのかな。
    どこかやはりイギリスのロックバンド、the Whoの描く世界を思い出した。
 三幕 Keller Water
    オーダーメイドアルバムにもセレクト曲として入っていたこの曲に
    私は以前、イメージ的には村上春樹の「海辺のカフカ」のカフカ少年を
    重ねたと書いたけれど、このストーリーにおいてのケラー少年について
    の紹介になるのかな。このケラー少年というのは「海辺のカフカ」でいうなら
    あのカラス的存在で、主人公が自分を照らし合わせる存在というのか。
    
    愛のように注ぐ雨よ
    I know your need

    というフレーズ
    渡會氏はほんとうに日本語の音を英語の音と置き換えるのが上手な人だと思う。
    日本と英語の境目をとってしまうんだよね。

    また、今回のアルバムの中にはあちこちに「ニーチェ」が潜んでいるようにも
    感じる。ニーチェの言葉に「愛は雨のように降る」というのがあるんだけれど
    まさにこのフレーズにそれが反映されている。このアルバムのDISC physicalの
    方に入っている「GENERATeR」の歌詞には「ニーチェ笑ってる」って
    入っているし、「LOVE」にも「愛は雨のように注いでいる」っていう
    フレーズが入っている。もしかしたら、これらの曲を書く以前に渡會氏は
    ニーチェの本を読んでいたのかもしれないね。ニーチェっていう人の言葉は
    心がすごく痛い時や辛い時にはジワジワと入って来て、痛みをやわらげて
    通り過ぎていくんだ。あるいは何か壁にぶつかっている時にもね。


第二部
 一幕 Crocodile bird reaction
  Crocodile birdはワニチドリというアフリカとかでワニについている寄生虫を食べて生きている鳥のこと。
    この歌がどうして生まれたのか?もちろん私はそういう解説とかを読んでいないのでわからないけれど
    歌詞から感じたのは「どこまで信頼し続けられるか?」ということなのかなと。
    ワニの口の中やその近くに止まって寄生虫を食べるワニチドリはもしかしてワニに食べられるかもしれない。
    でも、ワニチドリたちは信じてるんだ。ワニは自分たちを食べないと。それって永遠にそうなのか?
    もし、ワニが飢えて飢えて耐えられなくなったらワニチドリを食べてしまうんじゃないか?
    「信じる」ということはどういうことなのか?そういう問いかけを感じる歌だ。
    今の自分の周辺においてどれだけ本当に信じていいのか?って
    音楽に対してもバンドに対してもファンに対してもこれは問いかける価値があると思ってる。

    メロディに関しては最初はアイリッシュっぽいけれど、すぐにアフリカっぽくなる。
    ドラミングがすごくその空気感を出していて、砂埃やらうっそうとした木々やらが
    見えて来る。太古の調べというようなドラムではなく太鼓的な振動が心に響く。

 二幕 -Planaria fever-
    プラナリアっていうのは虫なんだろうけれど、寄生虫なのかな?
    ということはそのワニチドリに食べられる虫の立場からの歌なのかな?
    その寄生虫はワニについて生きている。でもワニは決して自分を守ってくれない。
    そこにワニチドリが来て自分たちを食べていく。まるで一夜限りの恋人達を
    そこに重ねているのだろうか?ほんの少しだけのスキンシップ。
    でも、それはすぐに終わっちゃうんだね。
    って、あくまで私の主観的な解釈なので本筋は違うと思う。
    夜の空気をすごく感じられるし、ベースがすごく響いて来る。
     
 三幕 El Condor Pasa
    このタイトルを聴いた時点でサイモン&ガーファンクルの「コンドルは飛んで行く」を思い浮かべた人はいっぱいいるのかな?
    まったく、サウンド的には違うけれど、どうしてこのタイトルを持ってきたのか?
    この歌はもともとアンデスの民謡でそれをサイモン&ガーファンクルがカバーして有名にしたんだけれど、
    それからさらにインスピレーションをもらってフォズはこの曲を作ったのかな?
    コンドルっていう鳥は生きている動物ではなくて、すでに死んでいる動物しか食べない。
    だから、死体がなければ飢えていくんだね。この歌ではそのようなことを歌ってはいないのだろうけれど
    どんなに飢えようが、自分の生き方を変えないんだという意思のようなものを感じる歌だ。
    そして、一方で「父よ、あなたになりたい。」というフレーズに
    渡會さんのお父様に対するリスペクトを感じた。きっとお父様はひとつのポリシーを曲げずに
    生きて来られた方なのだろう。
    メロディはとても明るい感じで前向きなイメージだ。

 四幕 your song for new morning
    また、アイリッシュ的なサウンドがそこに散りばめられていて
    灰色の風景に光が少しずつ射して来る感じがした。

第四部
 一幕 africandiablolo
  思うにフォズに武並さんがいなければこのアルバムはできなかったんじゃないかと
    感じるほど武並さんのドラムの表現力の豊かさに感動するし、この演奏が終わったあとには
    スタンディングオベーションをしたくなるだろうなと思う。
    まさにそこにアフリカがあって、人間のルーツがあって、感情があって。
    彼はそしてところどころに「LOVE」のドラミングも入れる。あえてだろうけれど
    そこがまた好きだ。
二幕 Africa
    広大なアフリカが広がっていくような始まり。
    そして、その感情が溢れていく様が見える感じがした。
    たとえば、そこに渡會さんが立っていたら、その目の前にパノラマ状に
    一点から扇状に大陸が広がっていくようだ。遠い向こうに太陽があって
    その向こうに祖先のずっと祖先の母なるアフリカの母が立っているそんなイメージだ。
    ミトコンドリア・イブというのがDISC physicalの「MOTHER ROCK」に出て来るけれど
    Wikipediaによれば
    「現生人類の最も近い共通女系祖先(the matrilineal most recent common ancestor)に対し名付けられた愛称。
     約16±4万年前にアフリカに生存していたと推定され、アフリカ単一起源説を支持する有力な証拠の一つである。」
    ということで、母なる遺伝子が今に至るまで世界中で脈々と受け継がれているということになるらしい。


    この歌に感じられるのはやはり母という存在。すべての人類に共通なのは皆母から生まれて来たということ。
    DISC physicalも含めてこのアルバム「INNER KINGDOM」というアルバムにおいてこの「内なる王国」
    というのは実は「母の胎内」なのかなとも思ったりする。皆この世に生を得て、まだ人間らしい形に
    なっていなくてもその心臓を動かし始めた時、初めて存在した場所が母の胎内である。そしてそこでは
    それぞれがすべてを支配していたのだ。小さな王国がそこにあったのだ。
    その王国を母は大事に守ってくれていた。やがて王国から出て、様々な困難にぶつかろうとも
    最初は皆しっかりと自分の王国をもっていたことを忘れてはいけないんだよね。
    人がひとりこの世に生まれていくというのはそれだけ大きなことであって、
    価値のない人は誰もいないんだ。
    母はいつも願っている。「平和な人生を送ってほしい。」と
    母から子へ子からまたその子へ受け継がれていくこと。
    それはもしかしたら
    Beautiful sunsetを見ることなのかもしれない。
    美しい同じ太陽を何代も何代も見続けていくこと。
    それだけは永遠に変わらない。地球が滅びない限り。

    加えて、メロディラインのところでふとR.E.M.の遺伝子も感じた。フォズの音楽にはいろんな音楽の遺伝子が流れているのが
    音楽バカな私のような人間にはほんとうにうれしいというか、いいサウンドや音楽が消えてしまわないでこうして
    受け継がれて生きていくということがうれしいんだ。

三幕 epilogue
    とても清々しいサウンドで夕暮れのアフリカの風を浴びているような気がしてしまう。  
    もちろん行ったことがないので想像の域を出ないけれど。
    そして、そこに愛の雨が降るんだね。  
    アフリカの雨は慈愛の雨なんだ。

というような感じでDisc mentalだけでこれだけ書いてしまったので
Disc physicalはまたあらためて書こうかなと思う。

ここまで長々と書いたのを読んで下さった方
どうもありがとうございます。

まだまだいろいろ切り口はあると思うけれど
ほんとうに素晴らしいアルバムだと私は思っています。


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SEKAI NO OWARI at びわ湖ホール in SHIGA

2012年09月17日 | 世界の終わり/SEKAI NO OWARI
2012年9月14日(金)(晴れ)

滋賀県にあるびわ湖ホールの大ホールで
SEKAI NO OWARIの「HALL TOUR 2012 「Entertainment」」
を見て来ました。

平日にライブに行くのは自分的にはかなり大変で
特に金曜日は一週間の疲れがど~っと出る日なので
ヘロヘロ状態でしたが
この日だけは仕事を早めに切り上げさせてもらって
びわ湖ホールに行ってきました。

初めての場所だったのですが
すごくきれいで、カフェなんかもガラス張りのところから
びわ湖が見えるという感じで素敵でした。

ホール自体もなんだかオペラハウスみたいで
ここでロックのライブするとどうなるんだろうって
思いました。というのも天井桟敷席というのか
かなり高い場所にも座席があって、そこで
立つのはかなり怖そうだったから。

6時半開演だったのですが、終わったのは9時ぐらいで
長くてリッチなライブを最初から最後まで満喫できました。

ツアー中なのでセットリストとか趣向とかは
書けませんが、滋賀だけの話を少し。

まず、LOVEが語る妖怪の話。
滋賀県は「鉄鼠(てっそ)」というのがご当地妖怪らしいです。
ちょっと怖い感じでした。

次に、これは驚きでしたが
なかじんのおじさんが滋賀県の守山にいらっしゃって
前日そこで泊まられていたようです。
で、なかじんのいとこが音楽を地元でやっている方のようで
その方が路上ライブはどんなのかみせてあげると
(なかじんは今まで未経験だったそうです。)
JR守山駅前で弾き語りをやってくれて、それを見ていた
なかじんは自分もやりたくなって、ついに路上デビューしたそうです。
なんと、守山駅前でなかじんがセカオワの曲を弾きがたっていたのです!

これを見れた人はほんとラッキーですね。

でも、どうやら誰にも気付かれなかったようで。

極めつけはそのライブの3日前に深瀬くんが
友達(あやまんジャパン)の結婚式に行った時に
川に落ちて足を怪我をして医者からライブなんて
だめだと言われたけれども、薬とかで痛みを
押さえてステージに立っているという話。

いつもより動きは少ないでしょって本人は
言ってましたが、まさか怪我しているなんて
これっぽちも言われるまで感じませんでした。
さすが、プロですね。
数年前のサマソニでマイケミカルロマンスの
ジェラルドが本当は杖がいるほどなのに
ステージで動いて歌っていたのを思い出しました。

が、ここからは少し私の個人的な話。

ある曲の時に演出でかなりステージや会場全体が暗くなり一部が
深いブルーのライトで照らし出されました。

その時、耳元に演出だったのか私の空耳だったのか
川のせせらぎの音が聞こえてきて、階段がまるで
よく旅館とかにある石畳の階段に見えて来て、
その降りた先に川が流れているように感じ
「こういうところ行きたい気もするけれど
きっと夜とか怖いんだろうな。」なんて
まったくステージとは関係ないことをふと
思ってました。

するとその後に深瀬くんの話。

なんか一瞬トリップした感がありました。
あれは深瀬くんの落ちた川なのかな?って

もし、彼が霊感が強い人であれば
私はときどきそういう人から電波をもらってしまうことがあるので
見えたのかなって思いました。

まあ、私の戯言です。

以前Zepp Nambaで見た時のようにレーザーとか薄い幕とか
いろいろな技巧がステージになされて、ほんと視覚的にも
楽しめるし、すごいな~って思います。

藤崎さんの衣装が彼女にすごくあっていてかわいかったです。
で、不思議と彼女の雰囲気を見ていたら、どこか
FoZZtoneの渡會さんがジャケットとかに描く女の子みたいに
見えるのです。

藤崎さんといえば雑誌「ダヴィンチ」の村上春樹特集で
好きな作品について書いていましたね。
それについてはまた改めて書きたいと思いますが、
セカオワのライブにも映像のひとつに(これは毎回なので
書いていいですよね?)いろいろな著名人の言葉が
現れるのがあります。
そこに村上春樹のもありましたね。

まだ、セカオワが世界の終わりだった時代に
私は直接藤崎さんにこのバンド名は「村上春樹」あるいは
「ミッシェルガンエレファント」と関係あるのですか?
とたずねたら、「いいえ、それはないです。でもこのバンド名には
9万個ぐらいの由来があるのです。」って答えてくれましたが
その時彼女はどうして「村上春樹」を避けたのかな?って
今思っています。おそらく、有名な人の名をあげることで
まだその時今程有名でなかった彼らに固定概念を植え付けられたく
なかったのだろうと思っています。

私はものすごい喜怒哀楽を「静けさ」で進めていくと彼女が
語る村上小説のようにこのSEKAI NO OWARIの音楽にも
それがあって、そこがきっと私は好きなんだろうなと思います。
明るくカラフルなようでその歌詞に秘められた毒や悲劇。
そのギャップ感が魅力的なバンドだと思う訳です。

客層は結構若くて、高校生も多かったように思います。
グッズのディスプレイが高校生の女の子をイメージしていたのも
ちゃんとファン層も把握しているんだなって思いました。
もちろん20代、30代、それ以上のお客さんもたくさんいますし
男女問わずファンがいました。スーツ姿の方も。

高校生でもギャルっぽい子ではなくて
どちらかというと真面目な感じの子たちが
多かったように感じました。

きっとみんな彼らの歌詞に「すごいな」と
大人の世界を見て、社会を見ているんだなって。

いわゆるモンゴル800に中学生がはまったり
バンプにはまったりする感覚です。

西野かなやエグザイルにははまらない子たちが
いく音楽ですね。

大人から見てもセカオワの独特の世界は
唯一無二な感覚はとても新鮮だし、
ある意味、未来はどうなるんだろう?という
危うさも兼ね備えている彼らは
これからもワクワクをくれるんだろうなと思っています。

今回は初めての人にも彼らのことをわかりやすく
教えてくれる趣向もあったし、いろんな角度から
楽しめるライブでした。

まったく、無駄がない構成で
すべてが計算されていて
これを考えたであろう藤崎さんに
心から拍手を送りたいです。

まだまだ続くホールツアー。

行かれる方は楽しんできて下さいね!




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