今年早々の2015年1月13日にFoZZtoneがオフィシャルサイトで
2月のツアーをもって活動休止すると発表しました。
それを知り、フォズとの思い出が走馬灯のように回り始めました。
2008年2月17日
私は初めてフォズのアルバムを買いました。
「VERTIGO」と「カントリークラブ」です。
当時、私はとても仕事に行き詰まっていました。
「もう、やめたい。」と毎日苦しんでいたのです。
このままじゃ死んでしまうかもしれない。
電車を待つプラットホームで絶望のままそんな事を考えていました。
そんな日々に突然降りて来た曲が「黒点」でした。
この曲の沸き上がる強さに私は突き上げられたのです。
「くそっ」って思いながらでも「負けるか」っていう
気持ちが出て来たのです。
ほんとこの曲に感謝します。
当時の暗い日々。夜、一人で茫然と職場から駅までの長い一本道を歩きながらも
この曲をiPodに入れて聴いてたのを思い出します。
ただただ歩く。
そこにこの曲が「独りぼっちだとしても わりと行ける 行けてしまうだろう
なぁ そうだろ」と語りかけてくれるのです。
私はそして思うのです。「ほんとに。わりと行けるかもしれない。」って
そして「人に答えではなく 理由を買い与えた」という歌詞に納得するのです。
その年の4月に職場が変わりました。
心がボロボロだった私で、自分が再生していくのを自分が見守っている感じでした。
少しずつ元気になってきた頃、5月に私は初めてFoZZtoneのライブを京都MOJOで
見たのです。
そのライブ当日にチケットを直接MOJOに電話して予約したのですが、
今でもその自分が予約した時の光景や太陽が差し込んでいる建物の廊下だとか
を覚えています。
「今日のFoZZtoneのライブ予約まだできますか?」
「大丈夫ですよ。お待ちしています。」
これが私が初めてフォズと直接会った日でした。
その日のライブについては過去の↓日記に書いているのでまたよければ見て下さい。
http://blog.goo.ne.jp/funnybunny17/e/ca09fd079e3fc66b3b3fd2d3eea84c7f
この日「一年前にここ京都でメジャーデビューを迎えたので思い出深いです!」と笑顔で話す
渡會さんの顔が今でも忘れられません。
ライブ後、渡會さんに「カントリークラブ」というタイトルについてたずねたら
「ああ、これはおえらいさんたちがするあれのこと(ゴルフ)ですよ。」
って返ってきました。
当時の彼が使っていた青いギターについても聴いたら
「これはカスタムメイドなんです。」って教えてくれました。
好きな言葉についても聴いたら「和を持って尊しとする」と聖徳太子の言葉を
ノートに書いてくれました。
また、竹尾さんにギターのこといろいろたずねたら
「自分、よく知ってんな~。」って言われてちょっとうれしかった記憶があります。
その日最後に渡會さんと握手した時にただの握手ではなくて結構長いあの握手
(映画「スクールオブロック」を見られた方ならご存知だと思いますが
見られたことがない方はまた見て下さい。)をして下さったので
そういうの映画で見ただけだったからきっと驚いた顔を私はしてたと思います。
それから過去に出た音源で手に入れられるものはすべて手に入れ、
そんなあとに出たのが「音楽」
音楽バカな私にはその思いがそこに代弁されているようでとても嬉しかったです。
MVの印象とかでもインパクトがあったのが「茶の花」と「The World is Mine」
なんていろんな引き出しがあるバンドなんだろうって思いました。
その後に出たアルバム『The Sound of Music』は過去の音楽(洋楽)をリスペクトしているのが
伝わるアルバムで、音楽ファン側からの思いが溢れていて
「このバンドは本当に音楽そのものを愛してやまないバンドなんだ。」というのが
感じられて本当により大好きになりました。
でも、世間ではそういう路線は受け入れられなかったのか
その後、彼らはメジャーを離れます。
その前後はきっと彼らにとって辛い時期だったと思います。
たぶん昔なら彼らをもっと育ててみようという事になったと
思いますが、今はCD業界も音楽業界もとても大変な時代と聞いています。
だから、会社としてもすぐに結果が出ないとすぐにまた新しいものへと
シフトせざるを得なかったのでしょう。
だからEMIのエンジニアさんたちも彼らの事をすごく残念に思っていたから
その後も彼らのレコーディングなどにいろいろ関わってくれたのだと思います。
でも、ある意味自由になった彼らはいろんな企てをしかけてきました。
オーダーメイドアルバムがその代表です。
これがすごく楽しかったです。自分で選曲して並べて1枚のアルバムを作るのです。
誰もが「自分の選曲は最高だから」と「音楽」の歌詞のように思ったわけです。
そして、まるでプログレアルバムのような2枚組アルバムを作ったりと
本当にすごいエネルギーがそこに溢れていました。
MVの募集もあって、初回とにかく自分は応募の数をあげるだけでもいいと
応募しました。ある意味、その時が一番楽しかった気がします。結局結果は
でませんでしたが、その時はまだなんかみんな純粋な感じだったし、なにを
どうすればいいかもわからない中で彼らの企画をとにかく成立させることに
協力できたことがうれしかったです。その後もそれで続くことになったわけですから。
その時だけでしたが、「ここが気に入ってますよ。」って講評して下さったことを
今でも大事に思っていますし、その言葉が宝物のようです。
その後も応募しましたが、いろんなしがらみも出て来たのか
最後の方はある意味いらぬことを私が個人的に言ってしまって
ぎくしゃくする感じになり、申し訳ないことをしたと思っています。
最初の時の真っ白な気持ちでいられたらよかったのにと
本当に時っていうのはたまに残酷になりますね。
私は「口笛男」という曲が大好きで、これを聞きながらいろいろな
景色を頭の中で描いていました。MVもありますが、そうではない
自分だけの景色を。いまでもこの曲が彼らのターニングポイントの曲だと
思っています。そして「Enemy」という曲もすごく力をくれる曲で
コレっという苦しい曲に聞きます。これを聴くと自分と闘えるのです。
自分に負けられないと思うのです。
これらが入っている「New World」は素晴しいアルバムだと思っています。
すべてがキラキラしているのです。
少し余談になりますが、
口笛男と呼ばれる人が関西に実際にいました。この間
関西で人気のある番組で「すごい口笛男がいるから探して」という
依頼のもとで芸人さんが探し出したのですが、その口笛男さんはほんとうに
プロな感じでパッフェルベルのカノンを吹いたりして、でもいつも自転車に
乗って吹いていらっしゃるのです。渡會さんに会ってほしいな~。
さて、話を戻しますが、その後
「INNER KINGDOM」を出しますが、このあたりから少し私の中では不安が出て来ました。
彼らは内に入り過ぎた気がしたのです。もちろんその世界観は「村上春樹」的な感じで
私は好きですし、ベーコンエッグとシェービングヒーローなんて最高です。
でも、この頃からファン層が独特になって来た気がするのです。
ファンも真面目な一途な感じの凝り性な方が多いのがフォズファンの特徴だと
思うのですが、そのファンカラーが強くなりすぎて、一般の人がフラットな感じでライブに
行けないムードが漂うようになってきてました。
バンドとファンとの繋がりもかなり密なムードになってきていて
なんだかよくわかんなくなってきました。
たとえば、the HIATUSとかバックホーンとかACIDMANとかのライブに
行く時はほんと気楽なのです。大好きな音楽を聞ける!というドキドキ感は
あるけれど、解放された感じがあって、誰も知らないけれど、みんな同じ
思いで大好きなんだと感じられるのです。
でも、フォズはなんかコアなファンの結束が堅くてなんか自分は入れない感が
ライブ行くたびに強くなってきて、でもフォズのメンバーはそうして
自分たちのライブに毎回来てくれて立ててくれるファンを大事に思っているんだなと
それも当たり前な事だけれど、強く感じられて、そんなに行けない私のような
ファンはある意味どうでもいいのかもしれないな~なんてマイナスに考えて
しまうこともありました。(もちろん実際はフォズの皆さんはそのような
事を思っていないと思いますが。)
昔あるインディーズのバンドのフロントマンが言ってました。
「ライブ来てくれてなんぼだし、CD買ってくれてなんぼだし
やっぱりライブに人が入らないとやっていけないわけだし。」
でも、それでがっかりした私はそのバンドを離れました。
で、そのバンドは結局解散して今はどこで何をしているのかわかりません。
音楽ってそんなものなのか?
ならふつうに仕事したらいいのにって思います。
最近、私の好きなアーティストの1人が言ってました。
「音楽をもう仕事とか収入源とか思っている時代じゃない。
音楽でお金もうけはもうできない。」って
だけどその人は音楽をやり続けるそうです。
それは音楽が彼の生きている証であり、
生きる力であり、音楽が大好きだからだそうです。
その日暮らしができればそれ以外に別にお金いらないからとも
言ってました。
でも、実際は独身の人だから言えるのですよね。
結婚してたら、そういうことは言えません。
だって、子どもが生まれたら本当にその子を育てる義務が
ありますもの。そのためなら、やはりバンドだけでの
収入で苦しいなら、他に仕事を見つけたり、いろんな
方法で安定した収入を得なければなりません。
難しい問題です。
ミュージシャンにも生活があるわけですから。
話がそれました。
さてフォズのファンにも圧倒的に支持されている「LOVE」という曲があります。
ライブのたびにこれが始まるとすごく盛り上がります。
もちろん良い曲には違いありませんし、最初に聞いた時は凄い曲だなと思いました。
でも、私にはやっぱりフォズの代表曲は「黒点」であってほしいのです。
「LOVE」はいつもライブでやるけれども「黒点」は最近はやってくれないことが
結構あります。これが嫌でした。
正直「LOVE」では私は救われません。「黒点」では救われます。
確かに歌詞は凄いです。この歌詞は道徳の時間に先生が使えそうな内容です。
ライブでこの曲の時の盛り上がりを見て、ここにいる人たちは
ある意味幸せな人達が多いんだなと思いました。もちろん悩みがない人は
いないとは思いますが、死ぬか生きるかぐらいの切羽詰まったような
絶望で足がガクガクするような思いの人は少ないんだろうなと。
彼らの歌は少しずつそういうファンに見合った曲に変貌してきた気がしました。
心から血がにじんで、でもそこから這い上がってみせるぞという沸き上がる強さが
薄れてきたのです。
メンバーも幸せになってきているのかもしれません。
「Reach to Mars」もとても素敵な曲が溢れています。
ただ、自分の日々に当てはめて力をもらえる曲というよりは
映画かドラマを見ているような向こうの世界のような曲のような気がしました。
小説を読んでいるような。
もちろん、そこからも希望や夢や力ももらえることもあります。
でも活動休止前に出た「Return to Earth」にはかつてのようなみなぎる
ギラギラ感や底から這い上がる感はありませんでした。
だからこそ、活動休止になったのかもしれませんね。
もう一度ギラギラするために英気を養うということで。
私はそれをすごく心待ちにしています。
まったく別次元なのですが、
なんか、ふと今朝ドラでやってるマッサンとフォズがダブっています。
マッサンが自分が本当に作りたい味ではないけれど
大衆にうけるウイスキーを作り出そうと試行錯誤する。
そして、会社の人たちはこれは飲み易いと売り出すが
結局売れない。そして鴨居社長はまた別のを考えてくれと
マッサンに要請するが、そもそも自分の本当に作りたい
ウイスキーの味を押し殺して、やっと大衆受けしそうだと
思った本当は不本意な心が入っていないウイスキー作りで
精一杯だったのにさらに作るなんてと
ついにそこで彼には限界が来る。
フォズもそんな気がします。
本当にやりたい音楽と大衆に受ける音楽との狭間での苦しみ。
そして今限界にきて、新たな一歩を踏み出そうとしているところ。
マッサンは北海道を目指しましたが
フォズのボーカルの渡會さんも北海道に少し
住んでみたいと思っているんじゃないかと最近思うのです。
彼の北海道でのソロのライブ後の言葉とか読んでいてそう感じました。
あと、ウイスキー好きですものね。渡會さん。
去年1年、考えてみれば、私はフォズのライブへ行く活動休止を
していた気がします。まあ、時間が合わなかったりもしたのだけれど
それをある意味いいことに少し冷却期間を持ちたいと思っていたのも
事実であります。
その理由はセカイイチとフォズトーンという新しいバンドができました!って
いうところに少し違和感があったのもひとつの理由です。
セカイイチも好きだし、フォズも好き。でもこの2つのバンドをいっしょに
してのひとつのライブ枠っていうのがどうも合点が行かないというのか。
彼ら自身がそうして楽しんでいるのもわかりますが、私はそれぞれの
音楽をリスペクトしたいのです。共演するのはいいし、対バンもいい。
でもいっしょくたにやるのはいやです。好きだからいやです。
それぞれを大事に思いたいし、それぞれを尊敬したいし、
それぞれを1つで素晴しいと思っていたいからです。
そんな中で一度だけ渡會さんのソロのライブに行きました。
そこで彼が「銀の匙」の作者の話をとても楽しそうに
話してくれました。
これはご存知の方もいると思いますが、北海道の農業高校が舞台です。
この作者の荒川弘さんの話をしていらっしゃる時の渡會さんの目が
キラキラしていて、そこからの流れで私に次のような言葉を
教えてくれました。
「オレに出来ることはお前にも出来る。」
これはその作者さんがお父さんに言われた言葉だそうです。
とても力強い言葉ですよね。
そういえば、私はフォズと出会ってからいろいろな言葉を
渡會さんからライブやブログやツイッターなどで教えてもらった気がします。
その言葉を私は自分だけでもっているのはもったいなくて
いろんな人に教えたりもしました。するとその言葉でさらに元気になる
人たちが出て来て、フォズを知らない人にも影響が出て来ました。
彼の言葉にはいつも力とオーラがあります。
だから、これからもそのオーラを失わないように
フォズの活動休止中も放っていってください。
フォズとは関係ないのですが
思い出せば、6年前にELLEGARDENが活動休止した時
細美くんはどうして北海道に行ったのでしょう?
その理由は今もわからない私ですが、
そんな彼が北海道にしばらくいて、そこからthe HIATUSへ繋がる曲
を作る原石を磨いていたのが、のちにSilver Birchという名曲を
聞いた時にわかりました。北海道にいる時に彼が「白樺」のことを
話していたのが印象的だったからです。
渡會さんはツイッターでは外国に行くというような事を書かれていましたが
どうなのでしょう。今はどうも海外はちょっと緊張感がありますから。
でも、行くのならやっぱりイギリスに行ってほしいです。
昔、イギリスにいる時に出会った日本人の方が北海道から来られた方で
なんか景色が北海道に似てると言ってたのが印象に残っています。
マッサンでもスコットランド出身のエリーが北海道に来て
故郷に似てると言ってましたよね。私は実のところスコットランドには
住んでいたのですが、北海道にはまだ行ったことがないのです。
だから似てるかどうかはわかりません。
私もいつか北海道に行ってみたいです。
びわ湖は知ってるので、イギリスの湖水地方(ピーターラビットとかの)
に行った時は「滋賀県みたい」と思いましたけれど。
活動休止の発表があるまではもちろんそんな事を思いもしてませんでした。
ただ、動物的勘というのか、2月のライブは行こうと前からチケットは
取ってました。
少し距離を置いていた私ですが、ふとある日「このまま解散とか
なったら一生後悔しそうだから行ける時はやっぱり行っておこう。」という
気持ちになって、チケットを取ったのです。
そうしたら、こういう残念なお知らせが。
でも、やっぱり今のFoZZtoneにはバンドとしての休暇が必要なのかなって
アルバムから感じます。
この休止を聞いた時になぜかジュール・ベルヌの「二年間の休暇」という
本を思い出しました。「溺れる鯨」という歌からもそのイメージが
湧いたのかもしれません。この「二年間の休暇」というのは
「十五少年漂流記」と言った方がメジャーかもしれません。
でも、フランスの原作の直訳では二年間の休暇なのです。
最初はこのタイトルだったのが、ある翻訳者の方から「十五少年漂流記」へと
変わって、今もそれになっているようです。
これは少年達が無人島に漂流していろんな困難を超えて、最後はやっと自分たちの国に
戻って行ける話です。二年間かかったのですね。
「Return to Earth」のアルバムを聞いていて、
♪急ごう 心と体がバラバラになって意味を失う前に(「Return to Earth」から)
♪嗚呼、嗚呼、嵐がずっと遠くでこちらを今見た、見た 見た(「溺れる鯨」から)
♪どうしてこんなにボロボロなんだ(「開きっぱなしの扉か俺は」から)
♪進んでるか止まってるか見分けもつかぬ仕事を抱えながら続けるだけじゃどこにも辿り着けない(「Message from the front」から)
♪苦しみはそれ自体が目的のようなフリをする(「Gloria」から)
♪教えてくれた名前を呼ぶと祈りに似ていた(「青い炎」から)
♪本当は違うここは何処だ(「Anomaly」から)
♪血の気は枯れて今を生き急いだ(「Cry for the moon」から)
♪僕は戻るよ 風によろしく(「風によろしく」から)
♪また俺は元通り泥まみれの男に戻る いつでもどこにいても幸せの方角を知っているから(「Fortune kiss」から)
歌詞がそれぞれに絡み合っていて、これは休止前のメッセージだったんだと今だから感じられます。
でも、戻るよってあるように
彼らは戻ってくることを約束してくれています。
二年間の休暇となるのかもっと短いのか長いのかわかりませんが、
彼らの冒険(Adventure)がこれから始まるのですよね。
その冒険話をまた聞かせてもらう日を楽しみに待っています。
最後に、初めて大阪梅田のシャングリラで聞いた「ブランケット」をもう一度聞きたいです。
あれは本当に最高の最高の最高に素晴しかったひとときでした。
生涯絶対に忘れないシーンであり、ライブでの曲です。
長々とひとりよがりな思いを綴りましたが
言えることは
FoZZtoneは終わらない
ってこと
楽しかったフォズトーンとの日々の思い出の1つの風景↓
2月のツアーをもって活動休止すると発表しました。
それを知り、フォズとの思い出が走馬灯のように回り始めました。
2008年2月17日
私は初めてフォズのアルバムを買いました。
「VERTIGO」と「カントリークラブ」です。
当時、私はとても仕事に行き詰まっていました。
「もう、やめたい。」と毎日苦しんでいたのです。
このままじゃ死んでしまうかもしれない。
電車を待つプラットホームで絶望のままそんな事を考えていました。
そんな日々に突然降りて来た曲が「黒点」でした。
この曲の沸き上がる強さに私は突き上げられたのです。
「くそっ」って思いながらでも「負けるか」っていう
気持ちが出て来たのです。
ほんとこの曲に感謝します。
当時の暗い日々。夜、一人で茫然と職場から駅までの長い一本道を歩きながらも
この曲をiPodに入れて聴いてたのを思い出します。
ただただ歩く。
そこにこの曲が「独りぼっちだとしても わりと行ける 行けてしまうだろう
なぁ そうだろ」と語りかけてくれるのです。
私はそして思うのです。「ほんとに。わりと行けるかもしれない。」って
そして「人に答えではなく 理由を買い与えた」という歌詞に納得するのです。
その年の4月に職場が変わりました。
心がボロボロだった私で、自分が再生していくのを自分が見守っている感じでした。
少しずつ元気になってきた頃、5月に私は初めてFoZZtoneのライブを京都MOJOで
見たのです。
そのライブ当日にチケットを直接MOJOに電話して予約したのですが、
今でもその自分が予約した時の光景や太陽が差し込んでいる建物の廊下だとか
を覚えています。
「今日のFoZZtoneのライブ予約まだできますか?」
「大丈夫ですよ。お待ちしています。」
これが私が初めてフォズと直接会った日でした。
その日のライブについては過去の↓日記に書いているのでまたよければ見て下さい。
http://blog.goo.ne.jp/funnybunny17/e/ca09fd079e3fc66b3b3fd2d3eea84c7f
この日「一年前にここ京都でメジャーデビューを迎えたので思い出深いです!」と笑顔で話す
渡會さんの顔が今でも忘れられません。
ライブ後、渡會さんに「カントリークラブ」というタイトルについてたずねたら
「ああ、これはおえらいさんたちがするあれのこと(ゴルフ)ですよ。」
って返ってきました。
当時の彼が使っていた青いギターについても聴いたら
「これはカスタムメイドなんです。」って教えてくれました。
好きな言葉についても聴いたら「和を持って尊しとする」と聖徳太子の言葉を
ノートに書いてくれました。
また、竹尾さんにギターのこといろいろたずねたら
「自分、よく知ってんな~。」って言われてちょっとうれしかった記憶があります。
その日最後に渡會さんと握手した時にただの握手ではなくて結構長いあの握手
(映画「スクールオブロック」を見られた方ならご存知だと思いますが
見られたことがない方はまた見て下さい。)をして下さったので
そういうの映画で見ただけだったからきっと驚いた顔を私はしてたと思います。
それから過去に出た音源で手に入れられるものはすべて手に入れ、
そんなあとに出たのが「音楽」
音楽バカな私にはその思いがそこに代弁されているようでとても嬉しかったです。
MVの印象とかでもインパクトがあったのが「茶の花」と「The World is Mine」
なんていろんな引き出しがあるバンドなんだろうって思いました。
その後に出たアルバム『The Sound of Music』は過去の音楽(洋楽)をリスペクトしているのが
伝わるアルバムで、音楽ファン側からの思いが溢れていて
「このバンドは本当に音楽そのものを愛してやまないバンドなんだ。」というのが
感じられて本当により大好きになりました。
でも、世間ではそういう路線は受け入れられなかったのか
その後、彼らはメジャーを離れます。
その前後はきっと彼らにとって辛い時期だったと思います。
たぶん昔なら彼らをもっと育ててみようという事になったと
思いますが、今はCD業界も音楽業界もとても大変な時代と聞いています。
だから、会社としてもすぐに結果が出ないとすぐにまた新しいものへと
シフトせざるを得なかったのでしょう。
だからEMIのエンジニアさんたちも彼らの事をすごく残念に思っていたから
その後も彼らのレコーディングなどにいろいろ関わってくれたのだと思います。
でも、ある意味自由になった彼らはいろんな企てをしかけてきました。
オーダーメイドアルバムがその代表です。
これがすごく楽しかったです。自分で選曲して並べて1枚のアルバムを作るのです。
誰もが「自分の選曲は最高だから」と「音楽」の歌詞のように思ったわけです。
そして、まるでプログレアルバムのような2枚組アルバムを作ったりと
本当にすごいエネルギーがそこに溢れていました。
MVの募集もあって、初回とにかく自分は応募の数をあげるだけでもいいと
応募しました。ある意味、その時が一番楽しかった気がします。結局結果は
でませんでしたが、その時はまだなんかみんな純粋な感じだったし、なにを
どうすればいいかもわからない中で彼らの企画をとにかく成立させることに
協力できたことがうれしかったです。その後もそれで続くことになったわけですから。
その時だけでしたが、「ここが気に入ってますよ。」って講評して下さったことを
今でも大事に思っていますし、その言葉が宝物のようです。
その後も応募しましたが、いろんなしがらみも出て来たのか
最後の方はある意味いらぬことを私が個人的に言ってしまって
ぎくしゃくする感じになり、申し訳ないことをしたと思っています。
最初の時の真っ白な気持ちでいられたらよかったのにと
本当に時っていうのはたまに残酷になりますね。
私は「口笛男」という曲が大好きで、これを聞きながらいろいろな
景色を頭の中で描いていました。MVもありますが、そうではない
自分だけの景色を。いまでもこの曲が彼らのターニングポイントの曲だと
思っています。そして「Enemy」という曲もすごく力をくれる曲で
コレっという苦しい曲に聞きます。これを聴くと自分と闘えるのです。
自分に負けられないと思うのです。
これらが入っている「New World」は素晴しいアルバムだと思っています。
すべてがキラキラしているのです。
少し余談になりますが、
口笛男と呼ばれる人が関西に実際にいました。この間
関西で人気のある番組で「すごい口笛男がいるから探して」という
依頼のもとで芸人さんが探し出したのですが、その口笛男さんはほんとうに
プロな感じでパッフェルベルのカノンを吹いたりして、でもいつも自転車に
乗って吹いていらっしゃるのです。渡會さんに会ってほしいな~。
さて、話を戻しますが、その後
「INNER KINGDOM」を出しますが、このあたりから少し私の中では不安が出て来ました。
彼らは内に入り過ぎた気がしたのです。もちろんその世界観は「村上春樹」的な感じで
私は好きですし、ベーコンエッグとシェービングヒーローなんて最高です。
でも、この頃からファン層が独特になって来た気がするのです。
ファンも真面目な一途な感じの凝り性な方が多いのがフォズファンの特徴だと
思うのですが、そのファンカラーが強くなりすぎて、一般の人がフラットな感じでライブに
行けないムードが漂うようになってきてました。
バンドとファンとの繋がりもかなり密なムードになってきていて
なんだかよくわかんなくなってきました。
たとえば、the HIATUSとかバックホーンとかACIDMANとかのライブに
行く時はほんと気楽なのです。大好きな音楽を聞ける!というドキドキ感は
あるけれど、解放された感じがあって、誰も知らないけれど、みんな同じ
思いで大好きなんだと感じられるのです。
でも、フォズはなんかコアなファンの結束が堅くてなんか自分は入れない感が
ライブ行くたびに強くなってきて、でもフォズのメンバーはそうして
自分たちのライブに毎回来てくれて立ててくれるファンを大事に思っているんだなと
それも当たり前な事だけれど、強く感じられて、そんなに行けない私のような
ファンはある意味どうでもいいのかもしれないな~なんてマイナスに考えて
しまうこともありました。(もちろん実際はフォズの皆さんはそのような
事を思っていないと思いますが。)
昔あるインディーズのバンドのフロントマンが言ってました。
「ライブ来てくれてなんぼだし、CD買ってくれてなんぼだし
やっぱりライブに人が入らないとやっていけないわけだし。」
でも、それでがっかりした私はそのバンドを離れました。
で、そのバンドは結局解散して今はどこで何をしているのかわかりません。
音楽ってそんなものなのか?
ならふつうに仕事したらいいのにって思います。
最近、私の好きなアーティストの1人が言ってました。
「音楽をもう仕事とか収入源とか思っている時代じゃない。
音楽でお金もうけはもうできない。」って
だけどその人は音楽をやり続けるそうです。
それは音楽が彼の生きている証であり、
生きる力であり、音楽が大好きだからだそうです。
その日暮らしができればそれ以外に別にお金いらないからとも
言ってました。
でも、実際は独身の人だから言えるのですよね。
結婚してたら、そういうことは言えません。
だって、子どもが生まれたら本当にその子を育てる義務が
ありますもの。そのためなら、やはりバンドだけでの
収入で苦しいなら、他に仕事を見つけたり、いろんな
方法で安定した収入を得なければなりません。
難しい問題です。
ミュージシャンにも生活があるわけですから。
話がそれました。
さてフォズのファンにも圧倒的に支持されている「LOVE」という曲があります。
ライブのたびにこれが始まるとすごく盛り上がります。
もちろん良い曲には違いありませんし、最初に聞いた時は凄い曲だなと思いました。
でも、私にはやっぱりフォズの代表曲は「黒点」であってほしいのです。
「LOVE」はいつもライブでやるけれども「黒点」は最近はやってくれないことが
結構あります。これが嫌でした。
正直「LOVE」では私は救われません。「黒点」では救われます。
確かに歌詞は凄いです。この歌詞は道徳の時間に先生が使えそうな内容です。
ライブでこの曲の時の盛り上がりを見て、ここにいる人たちは
ある意味幸せな人達が多いんだなと思いました。もちろん悩みがない人は
いないとは思いますが、死ぬか生きるかぐらいの切羽詰まったような
絶望で足がガクガクするような思いの人は少ないんだろうなと。
彼らの歌は少しずつそういうファンに見合った曲に変貌してきた気がしました。
心から血がにじんで、でもそこから這い上がってみせるぞという沸き上がる強さが
薄れてきたのです。
メンバーも幸せになってきているのかもしれません。
「Reach to Mars」もとても素敵な曲が溢れています。
ただ、自分の日々に当てはめて力をもらえる曲というよりは
映画かドラマを見ているような向こうの世界のような曲のような気がしました。
小説を読んでいるような。
もちろん、そこからも希望や夢や力ももらえることもあります。
でも活動休止前に出た「Return to Earth」にはかつてのようなみなぎる
ギラギラ感や底から這い上がる感はありませんでした。
だからこそ、活動休止になったのかもしれませんね。
もう一度ギラギラするために英気を養うということで。
私はそれをすごく心待ちにしています。
まったく別次元なのですが、
なんか、ふと今朝ドラでやってるマッサンとフォズがダブっています。
マッサンが自分が本当に作りたい味ではないけれど
大衆にうけるウイスキーを作り出そうと試行錯誤する。
そして、会社の人たちはこれは飲み易いと売り出すが
結局売れない。そして鴨居社長はまた別のを考えてくれと
マッサンに要請するが、そもそも自分の本当に作りたい
ウイスキーの味を押し殺して、やっと大衆受けしそうだと
思った本当は不本意な心が入っていないウイスキー作りで
精一杯だったのにさらに作るなんてと
ついにそこで彼には限界が来る。
フォズもそんな気がします。
本当にやりたい音楽と大衆に受ける音楽との狭間での苦しみ。
そして今限界にきて、新たな一歩を踏み出そうとしているところ。
マッサンは北海道を目指しましたが
フォズのボーカルの渡會さんも北海道に少し
住んでみたいと思っているんじゃないかと最近思うのです。
彼の北海道でのソロのライブ後の言葉とか読んでいてそう感じました。
あと、ウイスキー好きですものね。渡會さん。
去年1年、考えてみれば、私はフォズのライブへ行く活動休止を
していた気がします。まあ、時間が合わなかったりもしたのだけれど
それをある意味いいことに少し冷却期間を持ちたいと思っていたのも
事実であります。
その理由はセカイイチとフォズトーンという新しいバンドができました!って
いうところに少し違和感があったのもひとつの理由です。
セカイイチも好きだし、フォズも好き。でもこの2つのバンドをいっしょに
してのひとつのライブ枠っていうのがどうも合点が行かないというのか。
彼ら自身がそうして楽しんでいるのもわかりますが、私はそれぞれの
音楽をリスペクトしたいのです。共演するのはいいし、対バンもいい。
でもいっしょくたにやるのはいやです。好きだからいやです。
それぞれを大事に思いたいし、それぞれを尊敬したいし、
それぞれを1つで素晴しいと思っていたいからです。
そんな中で一度だけ渡會さんのソロのライブに行きました。
そこで彼が「銀の匙」の作者の話をとても楽しそうに
話してくれました。
これはご存知の方もいると思いますが、北海道の農業高校が舞台です。
この作者の荒川弘さんの話をしていらっしゃる時の渡會さんの目が
キラキラしていて、そこからの流れで私に次のような言葉を
教えてくれました。
「オレに出来ることはお前にも出来る。」
これはその作者さんがお父さんに言われた言葉だそうです。
とても力強い言葉ですよね。
そういえば、私はフォズと出会ってからいろいろな言葉を
渡會さんからライブやブログやツイッターなどで教えてもらった気がします。
その言葉を私は自分だけでもっているのはもったいなくて
いろんな人に教えたりもしました。するとその言葉でさらに元気になる
人たちが出て来て、フォズを知らない人にも影響が出て来ました。
彼の言葉にはいつも力とオーラがあります。
だから、これからもそのオーラを失わないように
フォズの活動休止中も放っていってください。
フォズとは関係ないのですが
思い出せば、6年前にELLEGARDENが活動休止した時
細美くんはどうして北海道に行ったのでしょう?
その理由は今もわからない私ですが、
そんな彼が北海道にしばらくいて、そこからthe HIATUSへ繋がる曲
を作る原石を磨いていたのが、のちにSilver Birchという名曲を
聞いた時にわかりました。北海道にいる時に彼が「白樺」のことを
話していたのが印象的だったからです。
渡會さんはツイッターでは外国に行くというような事を書かれていましたが
どうなのでしょう。今はどうも海外はちょっと緊張感がありますから。
でも、行くのならやっぱりイギリスに行ってほしいです。
昔、イギリスにいる時に出会った日本人の方が北海道から来られた方で
なんか景色が北海道に似てると言ってたのが印象に残っています。
マッサンでもスコットランド出身のエリーが北海道に来て
故郷に似てると言ってましたよね。私は実のところスコットランドには
住んでいたのですが、北海道にはまだ行ったことがないのです。
だから似てるかどうかはわかりません。
私もいつか北海道に行ってみたいです。
びわ湖は知ってるので、イギリスの湖水地方(ピーターラビットとかの)
に行った時は「滋賀県みたい」と思いましたけれど。
活動休止の発表があるまではもちろんそんな事を思いもしてませんでした。
ただ、動物的勘というのか、2月のライブは行こうと前からチケットは
取ってました。
少し距離を置いていた私ですが、ふとある日「このまま解散とか
なったら一生後悔しそうだから行ける時はやっぱり行っておこう。」という
気持ちになって、チケットを取ったのです。
そうしたら、こういう残念なお知らせが。
でも、やっぱり今のFoZZtoneにはバンドとしての休暇が必要なのかなって
アルバムから感じます。
この休止を聞いた時になぜかジュール・ベルヌの「二年間の休暇」という
本を思い出しました。「溺れる鯨」という歌からもそのイメージが
湧いたのかもしれません。この「二年間の休暇」というのは
「十五少年漂流記」と言った方がメジャーかもしれません。
でも、フランスの原作の直訳では二年間の休暇なのです。
最初はこのタイトルだったのが、ある翻訳者の方から「十五少年漂流記」へと
変わって、今もそれになっているようです。
これは少年達が無人島に漂流していろんな困難を超えて、最後はやっと自分たちの国に
戻って行ける話です。二年間かかったのですね。
「Return to Earth」のアルバムを聞いていて、
♪急ごう 心と体がバラバラになって意味を失う前に(「Return to Earth」から)
♪嗚呼、嗚呼、嵐がずっと遠くでこちらを今見た、見た 見た(「溺れる鯨」から)
♪どうしてこんなにボロボロなんだ(「開きっぱなしの扉か俺は」から)
♪進んでるか止まってるか見分けもつかぬ仕事を抱えながら続けるだけじゃどこにも辿り着けない(「Message from the front」から)
♪苦しみはそれ自体が目的のようなフリをする(「Gloria」から)
♪教えてくれた名前を呼ぶと祈りに似ていた(「青い炎」から)
♪本当は違うここは何処だ(「Anomaly」から)
♪血の気は枯れて今を生き急いだ(「Cry for the moon」から)
♪僕は戻るよ 風によろしく(「風によろしく」から)
♪また俺は元通り泥まみれの男に戻る いつでもどこにいても幸せの方角を知っているから(「Fortune kiss」から)
歌詞がそれぞれに絡み合っていて、これは休止前のメッセージだったんだと今だから感じられます。
でも、戻るよってあるように
彼らは戻ってくることを約束してくれています。
二年間の休暇となるのかもっと短いのか長いのかわかりませんが、
彼らの冒険(Adventure)がこれから始まるのですよね。
その冒険話をまた聞かせてもらう日を楽しみに待っています。
最後に、初めて大阪梅田のシャングリラで聞いた「ブランケット」をもう一度聞きたいです。
あれは本当に最高の最高の最高に素晴しかったひとときでした。
生涯絶対に忘れないシーンであり、ライブでの曲です。
長々とひとりよがりな思いを綴りましたが
言えることは
FoZZtoneは終わらない
ってこと
楽しかったフォズトーンとの日々の思い出の1つの風景↓
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます