寓居人の独言

身の回りのことや日々の出来事の感想そして楽しかった思い出話

ヤッシャ ハイフェッツのツゴイネルワイゼン (思い出話)

2015年12月03日 10時24分19秒 | 寓居人の思い

 大学に入って卓球部で知り合った馬場共郎君の下宿へ

行ったとき、私は初めてヤッシャ・ハイフェッツの「ツゴイネル

ワイゼン」という曲を聴いた。そこで私は魂を振るわせること

になった。これほど感動したことはなかった。その演奏を聞い

て私は自分の中に何が起きたか初めは気がつかなかった。

 馬場君は私の顔をジーッと眺めていたがしばらくして

「君も僕と同じように感動したんだね」

 といった。私は涙を流していたらしい。それほどハイフェッツ

の演奏はすばらしかった。それをレコードで聞いたとしても、

価値が下がることはなかった。

 その後、アルバイトをして貯めたお金でレコードプレイヤー

とアンプ・スピーカー代わりのステレオラジオを買った。もちろ

んヤッシャ・ハイフェッツのレコードも買いました。この話はも

う55年ほども前のものです。何回も聞いたので少し傷が付い

てしまいましたがいまも大切も保存しています。

 古希になったときに記念品としてハイフェッツ全集(数十枚の

CD)を卒業生から贈られました。私の宝物の一つとして大切に

しています。

       

 馬場共郎君には、その他にもSF小説「太陽系帝国の最後」を

紹介されたり、一緒に山へ行ったりしました。若い頃に良い友人

と知り合うことはどれほど人生を豊にするか計り知れませんね。

 


体操競技とサーカスの軽業 思い出話

2015年10月31日 16時50分15秒 | 寓居人の思い

 子供の頃、町にサーカスがやってくるとチンドン屋さんが

町中をチンチン・ぷかぷか・ドンドンと宣伝にやってきた。父

母に連れられてサーカスを見に行ったことがあります。たし

か木下サーカス(曲技団)という名前だったと思います。空

中ブランコやゾウの芸がとても印象深かった。それからヒラ

ヒラした服を着た服を着た若い女性が床で曲技を演じてい

た。そして筋肉モリモリの若い男性が今言う人間ピラミッド

を作ったり人間塔を作っていた。サーカスを見たのはそれが

最後だけど、その後映画で葉数回見たことがある。

 最近、日本の体操競技の若い人達がむかし見たサーカス

よりもすごい演技を見せてくれている。何故あそこまで出来

るのか不思議に思えるが、彼らの才能とそれを磨く毎日の

努力は大変なものだという。

 床運動なんかでは短い距離を走っただけで空中へ飛び上

がり着地するまでの間に回転しながら体をひねる、それも4

回も。その技はサーカスで見た以上のすばらしさですね。来

年のオリンピックでも頑張ってほしいですね。そういえば最

近TVでサーカス学校というのがあるようですね。サーカスの

芸は子供の頃から覚えるものだとむかし聞いたことがありま

す。しかしTV映像に出てきた生徒はもっと年長の人達だった

ようです。がんばってほしいですね。


天気予報がよく当たりますね

2015年10月02日 16時19分00秒 | 寓居人の思い

 昨日の朝、何を思ったか妻がベランダに布団を干し出した。私

は、気象庁のサイトで天気図と高解像度降水ナウキャストを見

て2から3時間位後に雨が降り出すと自分なりに予想した。

 TVの天気予報でも正午頃に雨が降り出すと言っていた。それ

で11時頃には取り込めばよいかと黙っていた。スマホの目覚ま

しを11時にセットしてパソコンに向かった。

 アラームが鳴ったのでベランダへ出ると雨が降ってきた。天気

予報より1時間ほど早く雨が降り出してしまった。それで布団が

少し濡れてしまった。大急ぎで取り込みサンルームの竿に架け

て除湿器を付けて乾燥させた。

 気象衛星、レーダー、アメダスでデータを集めてスーパーコン

ピュータで解析した天気予報はよくあたるようになりましたね。

 今日の気温情報は少し外れましたが生活に影響のない範囲

でした。服装にまで参考情報をだすのは行き過ぎのような気が

しますが、それで助かる人も多数いるようなので問題ないでし

ょう。

 私は気象や気候に興味があり、学生時代にワンダーフォー

ゲル部でラジオの気象通報を聞きながら天気図をかく訓練を

受けたことも役に立っているのでしょうかね。何でも経験(悪

事は慮外ですよ)をしておくといつか何かの時に思い出すこ

とがあります。

 寓居人の独言です。

 

 

 


キンモクセイの香りとスーパームーン

2015年09月27日 19時33分04秒 | 寓居人の思い

 窓を開けると庭のキンモクセイの甘い香りが
漂ってきました。そして東の方を見るとスーパ
ームーンの大きな月が少し赤みがかって見え
ました、とはいきませんでした。厚い雲に覆われ
て月は全く見えませんでした。
 さてキンモクセイのについての思い出話です。
大学の研究室の旅行で福島・山形・宮城と回っ
たことがありました。上野駅発の夜行列車に乗
って出発しました。翌朝、福島駅につきました
駅付近の早朝からやっていた食堂で朝食を食べ、
磐梯吾妻スカイラインのバスに乗ってバスに乗
って吾妻小富士へ向かいました。浄土平でバス
を降り標高1707mの火口に向かいました。火口
のお鉢の上に立つ通りから晴れていた福島駅を
中心とした平野が一望のもとに見えました。
 吾妻小富士の火口の底へ降りると底は草に覆
われて柔らかでした。吾妻小富士を降りて再び
バスに乗り五色沼へ行きました。この沼はたく
さんの沼がありますが、それぞれの沼は底質の
違いによって水の色がいろいろな色に変わって
見えます。それで五色沼と名付けたといいます。
それは何とも言えないほどの美しさです。
 その後、磐梯高原駅(バス)からバスに乗っ
て檜原湖沿いの道路を通って白布高湯へ着きま
した。ここで1泊して(ここでの食事について
はもうすでに本ブログに記事を書いています)
翌朝米沢駅へ出てそこから鉄道で上山へ向かい
ました。上山からバスで蔵王山に向かいました。
蔵王産山頂の火口湖は青い水でいっぱいでした。
コマクサを見たり付近を散歩して山の東側にあ
る青根温泉で泊まりました。ここには昭和天皇
が泊まったようで、20畳ほどもある御不浄の間
というのがありました。翌朝バスに乗って東北
本線の大河原駅に向かいました。列車の発車時
刻まで間があったので町の中を散歩しました。
そのとき町中は甘い香りに満ちていました。そ
の木を探して歩き回り、ある大きな屋敷の庭に
高さ十二,三メートルほどもある大きなキンモ
クセイの木があったのです。木は全体がオレン
ジ色に見えるほど小さな花を付けていました。
  そして甘いヵおり香りを町中に行き渡るよう
にさわやかに風に乗せていたのです。あのとき
のことは忘れることはありません。また機会が
あればまた書くと思います。
 旅はその後仙台へ行き、松島へ足を伸ばして
取れたての牡蛎を食べたりウナギを食べたりし
て船で塩竃へ回って仙台に戻りました。その夜
夜行列車で帰郷しました。
 往復両夜行含めて4泊5日というのは高齢の
先生方にはきつかったようでしたが、良い思い
出にもなったと言っていました。


私が子供だった頃の思い出話「食べ物」、「国民服」と防火隊」

2014年12月30日 07時50分16秒 | 寓居人の思い
 このブログの読者から記事に書かれた事項についての質問が寄せられることがあります。
特に「その日から 子どもの戦争・戦後体験記」(小説)に書いた内容に関することが多いようです。質問には出来るだけ書いた当時の資料を引っ張り出してお答えしようと思います。
 私の子供の頃(昭和20年4月に国民学校初等科3年生になった)は戦時下で食料が非常に困窮していました。どんなものを食べていたかというと、通常はサツマイモが多かったと思います。しかしそのサツマイモはオイランイモと呼ばれた中の白い水っぽく栄養分の少ないものでした。現在売っているような甘く美味しいものはアルコール原料として供出させられ国民の口には入りませんでした。次に多かったのは大豆から油を絞った残りでした。当時大豆油をどうやって絞っていたか不明ですがひどい臭いのものでいわゆる大豆カスというものでした。私は食べたくありませんでしたが、他に食べるものが無いのでこれに食べることが出来ると人伝に聞いた雑草を入れてに粥状にして食べるしかなかったので食べました。
 服装は大人は国民服を着ていました。国民服をWikipediaで検索すると詳しく掲載されていますが、記事の中の写真を借用します。

 国民服はこれを着なければならないというものでは無く、衣類が食料と同じく統制販売に指定されこの衣服しか買えなかったようです。帽子を被ると軍人のように見えますが、一般国民用ということです。もちろんそのまま軍人用にもなったようです。私のような子供は学校ごとに制服があったかもしれませんが、記憶が忘却の彼方に逃げていってしまい詳細を思い出せません。Wikipediaを参照して下さい。
 日本の家屋の建築材が研究され空襲時には焼夷弾が多用されるようになった頃、いわゆる隣組が組織され全家庭の主婦、女子、高齢者が防火隊に入ったようです。防火隊の服装は女子はもんぺに和服を短く切ったものでした。しかし防火用の道具は手製の火叩き棒とバケツくらいしか無かったようです。火叩き棒というのは手で握ることが出来るほどの太さの木の棒の先に古着を裂いて縛り付けたようなものでした。布の部分に水を付けて火を叩くといったものでした。これでは小火(ぼや)しか消すことができませんでした。あの高性能焼夷弾の火力の前には全く役に立たなかったと思います。現在の家屋は少なくとも外壁は耐火材を使用することが義務になっており、よほどのことが無い限り類焼することはありません。
 

政治家のお金に関する認識(20141020)

2014年10月20日 22時57分18秒 | 寓居人の思い
 日本経済を再生しようとして発足した安倍内閣で変事が続発した。さらに安倍内閣は女性活力推進を目的にしていた矢先に2人の女性大臣が辞職するという事態が発生してしまった。1人は経済産業大臣、他の1人は法務大事だというのでまさしく椿事となってしまった。日本再生を推進しなければならない経済産業大臣が選挙違反に問われるかもしれないことは今後にいろんな影響を及ぼすことになるかもしれない。そして日本の社会秩序を守り、人々の安全な生活を維持しなければならない法務大臣が同様な事態になるかもしれない。観劇ツアー代金に政治団体が補助金を出した大臣は自分の知らないうちに実行されていたという。お祭りで自分の名前と写真入りの団扇を配ったことは些細なことであり問題はないだろうという自分勝手な解釈は会秩序を乱す原因になる。いずれにしてもこれらの問題は金銭の問題であり、国会議員の金銭認識がずれていることには変わりない。
 私は前に安倍内閣発足時に女性大臣を5人任命したと言うことが話題になったとき、女性だからではなく選ばれた人がどんな仕事をしたかで評価が決まると書いた。上記2人の大臣は評価の決まる前に辞任することになったことは残念でならない。
 政治家の皆さん、厳しい世界の中で日本の権益を守り世界の平和を確立していくために自分の身の周りをきれいにして欲しいと願うのは私だけではないだろう。是非とも自分は法律に違反するようなことをしていないと宣言できるようにして欲しい。

本日快晴そして日常の事々(20141019)

2014年10月19日 18時17分14秒 | 寓居人の思い

今日は久しぶりに快晴になりました。暖かい日差しの中に涼しい風が心地よかったですね。
 この頃、余り美声とはいえない鳴き声の鳥がしきりに鳴いていました。近所にはスズメがほとんどいなくなりました。巣を作る軒先の穴が無くなったことが原因かもしれません。モズはまだ飛来してきません。この時期、渡り鳥がやってくるのが楽しみでもあります。自然は冬に移行しているようです。
銀杏の木にはギンナンが鈴なりになっていました。
中学時代の友人が農業をやっていまして、今年も新米を送ってくれました。彼とは1年契約で「ひとめぼれ」を購入契約(約束)をしています。今年は台風など自然災害が起きなかったので豊作となり少々価格が下がったようですが、現状維持で行くことにしました。ちなみに価格は玄米30Kgが送料込みで1万円です。生産者からの直接購入ですから美味しさは言うことありません。毎月送られてくる30Kgはわが家と娘の家(6人家族)で分けます。
 話が変わりますが、プロ野球セリーグで、リーグ優勝した巨人が前段階で阪神に4連敗してしまい日本シリーズに出場できなくなりました。またこの方法について異論が出るかもしれませんね。前にも同じようなことがあり、リーグ優勝チームにアドバンテージ1勝を付けることになったのですが効果なかったようです。監督の責任問題も浮上するかもしれませんね。プロの世界はどこでも厳しいものですね。
アケビの実は美味しいのですが多くは小鳥が食べてしまったようです。

大韓航空機に乗って マラガへ(2) 先ずはパリへ(20141018)

2014年10月17日 11時36分13秒 | 寓居人の思い

 アンカレッジでトランジットを経てフランス ドゴール空港へ朝着きました。丁度通勤時間帯にぶつかり満員列車に乗ってパリへ向かいました。居眠りをしてはいけないと思いながら、ついウトウトしてしまいパリオスト駅まで寝てしまいました。何事もなく到着したのは幸いでした。駅からタクシーに乗って予約してあったホテルへ着きチェックインしたのですが部屋へは入れなかったので荷物を預けて町中へでることにしました。すぐ近くに凱旋門があるというのでいってみました。1ブロックほどで凱旋門のロータリーへ出ました。地下道を通って凱旋門へ行き写真を撮りました。やはりお上りさんだなと思いながら階段で屋上に行きました。屋上から眺める町は落ち着いたものでした。写真順にエッフェル塔が見え、シャンゼリゼ-通りが見え凱旋門を中心にいろんな方向に道が延びていました。通勤時間帯を過ぎた後なので車の数が少なくなっていたようでした。(続く)

山はもう冬になりましたね(20141016)

2014年10月16日 11時57分33秒 | 寓居人の思い

秋が足早にやってきました。赤トンボがいなくなったと思ったらいつの間にか蝉の鳴き声も聞こえなくなり、ススキの穂が風に揺れています。そして葛の紫色の花が秋を告げています。
 御嶽山は雪が降り遭難者の捜索がいよいよ困難になってきましたね。もしかすると今年最後の捜索活動になるかもしれないとTV放送で話しています。未だに生死が不明の家族を待っている方々がいらっしゃいますが、危険の中で捜索している方々には頭が下がります。どうか二次災害が起こらないことを祈っています。
 私のWV(ワンダーフォーゲル)仲間が丹沢山で遭難したときのことを思い出しました。火山噴火とは関係ないのですが、彼は沢登りの最中に滑落して頭を打ち数ヶ月間人事不省のまま別の世界へ逝ってしまいました。合掌。
 大地震発生と火山噴火の関係は明確ではないようですが連動していると考える学者もいるようです。しかし御嶽山は海からずいぶん離れていると思われますが、地下深いところではプレートの先端が押し合っているのだそうです。登山計画はいろんな事情を調べてから実行しましょう。

台風19号通過(20141014)

2014年10月14日 06時39分17秒 | 寓居人の思い

 上記の画像は気象庁のサイトから拝借しました。

 台風19号は当地には幸いにも被害を落とさず通過してくれました。
 被害を受けた地域の方々にはお見舞い申し上げます。
 昨日13日は雨模様で朝からはっきりしない天気でした。ところが夜23時25分頃に突然北東からの強風が吹き出しました。強風は14日3時頃まで吹いていましたがその後は静かになって通過したなと安心して眠りにつきました。
 今朝、雨戸を開けると眩しいほどの朝日が輝いていました。台風一過という感じです。
 今日は派の定期点検と清掃をしてもらいに歯医者に行きます。実際は先週行く予定でしたが台風18号の来襲で1週間延期した貰いました。そうしたら台風19号が来たのでまたかと思いましたが散歩がてら歩いて行けそうです。