寓居人の独言

身の回りのことや日々の出来事の感想そして楽しかった思い出話

記憶に残っている映画(32)「ゴジラ」

2016年05月05日 12時15分21秒 | 寓居人の思い出話

 「ゴジラ」。この映画はやはり反核映画なのでしょ

うね。物語はもうご存知の通りです。ある日、貨物船

が突然持ち上げられた後海へ引きずるこまれてしまう。

近くを航行中の別の貨物船が救助に向かったが、同じ

ように沈没してしまう。貨物船沈没地点近くにある大

戸島の長老がふと呟いた、「呉爾羅」(ごじら)とい

うこの島に伝説として伝わる怪物かもしれない。大戸

島では巨大生物によって大きな被害を受ける。それで

政府に調査と対策を陳情する。調査団が結成され調査

が行われる。怪獣に荒らされたに大量の放射能が

検出された。という導入場面で始まる。

 この怪獣は無敵で防衛隊のどんな武器も通じなかっ

た。それで芹沢は最後の手段として「オキシジェン・

デストロイヤー」を一度限りという約束で使用する決

意をする。

 最後に山根は、「あのゴジラが最後の一匹とは思え

ない。もし水爆実験が続けて行われるとしたら、あの

ゴジラの同類がまた世界のどこかに現れてくるかもし

れない....」とひとり呟くのだった。

 あの巨大な怪獣が東京の町を破壊していく様子が、

今でも目前に浮かんできます。人間に受け入れられな

いものはすべて破壊してしまうという人間のエゴは、

人間の頭の中から消えないのですね。今でも世界で、

この思想?(エゴ)は騒動の原因になっています。

 前にも書きましたが、人間の世界から争い(戦争)

を無くすことは出来ないのでしょうかという質問の

答えは明確には出ていません。人類が他の宇宙から

攻撃されて、あるいは地球の生命存亡の危機が迫っ

た時に人類の心が一致するまでは無理なのかもしれ

ません。しかし将来への希望を捨てることはありま

せん。


水俣病公式確認60年

2016年05月04日 06時46分54秒 | 寓居人の思い出話

 今年、水俣病が公式に確認されて60年が経ちました。

思えば私の卒業研究の課題が水俣湾で採取された魚と東京

湾で採取された魚に含まれる水銀含量の測定というもので

した。当時は現在のような高精度で測定可能な機器類はな

く、ヂチゾン法という方法が中心でした。チッソ水俣工場

から送られてくる魚を内蔵、骨、可食部(肉部)と分けて

採取して強酸で有機物を分解し、中和したのち、ヂチゾン

という発色薬品をクロロホルムに溶かした溶液で水銀を抽

出して光電比色計という機器で色を比較するのです。東京

湾で採取された魚も同様に処理して比較するわけです。水

俣湾産の魚中の水銀は膨大な量が含まれていてヂチゾン溶

液で抽出しても抽出しても出てくるのには閉口しました。

水銀とヂチゾン溶液が反応するとオレンジ色になります。

オレンジ色が見えるほどになると測定機にかけることができ

ませんのでクロロホルムで希釈するのですが、そんな程度で

はありませんでした。

 結局元の量を少なくしてようやく測定範囲になりましたが、

東京湾産の魚と比較するという状態ではなかったですね。そ

のような魚をたくさん食していたのですから身体に影響が出

るのは当然だったのです。

 私は実際の患者さんにお会いすることはなかったのですが、

記録映像などで視聴するとこんな状態になるまで危険を知ら

せず放置していた(原因不明だったとはいえ)行政やチッソ

水俣工場の責任は重大ですね。

 私の卒業研究の課題は、指導教員の先生が工場側から提供

された魚を使用していたために、学会などで発表することは

ありませんでした。今でも悔いの残る卒業研究でした。

 余分ですが、当時東京工業大学のK教授は水俣湾の魚と東

京湾で採取した魚の水銀量を比較したが東京湾の魚の水銀量

の方が多かったと報告していました。

 水俣病の原因が水銀中毒であることが確認されまでに、タ

リウムやセレニウムなどが原因であるという報告もありまし

たね。

 水俣病という言葉は世界中で使用されるようになっていま

すが、この言葉が社会から消える日が来るといいですね。


記憶に残っている映画(31)「グラン・プリ」

2016年04月29日 22時35分07秒 | 寓居人の思い出話

 アクション映画を見る第一の目的?は、自分には到底

できない動き(動作)を疑似体験することにあります。

そこには超人的は働きをする、例えばスーパーマンやス

パイダーマンのような存在が登場します。彼らは人間に

とっては救いの主でもある場合が多いのです。

 アクション映画の魅力は必ずスピード感ある動きが出

てきますね。「グラン・プリ」という映画ではカーレー

スを題材に空いた映画ですから自動車のスピードが生命

になります。

 私はこの映画を見るまでは、自動車で競争するなんて

思ってもみませんでした。しかし、こんなことを言うの

は不謹慎と思われるかもしれませんが、ただ自動車がも

のすごいスピードで走っているでけでも面白いのですが

何かのアクシデントがあるほうがより面白いですね。

 この映画の中でもモナコの街中を走り回るのですが、

海岸沿い道路でハンドルさばきを誤って崖をよじ登り宙

返りして海に飛び込むシーンには圧倒されました。そし

てラストシーンでは、路面上に転がっていたどれかの自

動車のほんの小さな部品によって大きな事故が発生して

しまいます。

 この映画を見て、コックピットでのタイヤ交換やメン

テナンスの素晴らしい速さに目を見張りました。チーム

が一体となって優勝杯を勝ち取る。そこに命を懸ける男

たちの物語です。

 もちろんラブロマンスも設定されていました。

 私が初めてカーレースを映画で見たのは「渚にて」と

いう映画のラストシーン直前の場面でした。

 最後になりましたが、出演者は、ジェームス・ガーナー

イブ・モンタン、そしてアメリカ映画に初めて出演した

三船敏郎です。テーマ曲編集をカラべりがやりました。

 


記憶に残っている映画(30)「恐怖の報酬」

2016年04月22日 13時43分50秒 | 寓居人の思い出話

 火が燃えるというのは、燃える材料があって、空気

(酸素)があってある程度の温度に達したとき燃焼とい

う現象が起きます。逆に燃えている火を消す方法は、

上記のどれかを不足させればよいということになりま

すね。

 私はこの映画を見るまで疑問に思っていたことがあ

りました。それは石油を掘っている油田で火災が発生

したときどうやって消火するのだろうということです。

 あらすじはベネズエラへの移民たちが仕事もなく、

ブラブラしているとき500km離れたところにある油

田で火災が発生した。消化のためにニトログリセリン

を火災現場へ運ぶために2000ドルで運転手を募集す

る。それに4人の食い詰め物が応募した。凸凹の山道

を運ぶ4人の運転手の恐怖がいろんな形で表現される。

 結末は書きませんが、イラク戦争当時イラクの油田

火災を同じ方法で消し止めたのを思い出しました。

 主役はイヴ・モンタン、シャルル・ヴァネルです。

私の記憶ではジャン・ギャバンだと思っていたのです

が、記憶違いでしょうかね。別の映画と混同している

のかもしれません。


記憶に残っている映画(29)「眼下の敵」

2016年04月20日 16時13分14秒 | 寓居人の思い出話

 「眼下の敵」、この映画は私の見た多数の映画の中

でも非常に特殊な映画の中に1本になっています。ど

ういうこ尾とかと言いますと、この映画には一人も女

優が登場しないことです。それでも男臭いという感じ

は全くしないのです。

 映画のあらすじは、第2次大戦中のことですが商船

の船長(ロバート・ミッチャム)がフリゲート艦に船

長として着任するところから始まります。前から乗り

組んでいた船員は初めはこの船長を敵を見たら逃げ出

すんじゃないかとか言って馬鹿にしていました。しか

し徹底的に戦闘訓練を実施して乗員のたるんだ気持ち

を鍛えていきます。

 乗員が時なしの訓練にうんざりしてきたころに、レ

ーダーに不審なエコーが現れます。これを追尾しだし

たところこのエコーは執拗に一定の方向に向かってい

ることに気づきます。なおも追尾するとエコーは方向

を変える退避行動をとるようになったために、Uボー

トと判断して接近していきます。やがてUボートから

魚雷攻撃を受けたためにフリゲート艦も追いつくと爆

雷攻撃を行います。

 Uボートの船長(クルト・ユルゲンス)との間で心理

戦ともいえる戦いが始まりました。その頃にはフリゲ

ート艦の乗員はこの船長に絶対の信頼を持っていまし

た。Uボートでも同じでした。

 最後は戦いが終わった両艦の船長が救助された米艦

の艦上で握手をする場面で幕が閉じられます。

 とにかく面白い映画です。両館の船長ともに戦争に

うんざりしていますが命令には従う。したがう以上は

完全に任務を遂行する。そして部下の生命を預かる責

任も最重要とする。これは戦争映画を借りた男のロマ

ンスです。といっても私は決して戦争を肯定するもの

ではありません。


記憶に残っている映画(28)「パピヨン」

2016年04月17日 21時40分57秒 | 寓居人の思い出話

 「ドラキュラ」という小説あるいは映画を見たこと

があるでしょう。この小説が出版されて大騒ぎになっ

たとき、ヴェネズエラの市民権を取得したアンリ・シ

ャリエールは私の経験してきたことのほうがずーっと

面白いと言って書いた小説を映画化したのがこの「パ

ピヨン」という映画です。

 私は「ドラキュラの小説は読んでいないのですが、

映画はそれほど面白いとは思いませんでした。が、

「パピヨン」という小説は映画を見た後で読みました。

実際は映画よりも小説のほうがおもしろいと思いまし

た。しかし、映画はロケ地の風景が大変美しく現地人

(映画の登場人物)の素朴さが何とも言えない心温ま

るものでした。パピヨンというのはフランス語で蝶を

意味する言葉ですが、仲間の裏切りで終身刑の判決を

受けた男の胸に掘られ入れ墨で、その男をパピヨンと

呼ばれた。過酷な重労働に耐えられず繰り返し脱獄し

そのたびに捕まり刑期が増加する。最後の脱獄をして

ベネズエラの市民権を獲得し、静かな後半生を送ると

いう男の半生を伝記として描いたものです。

 主演は、ステーブ・マックイーンそして共演がダス

テイン・ホフマンです。1974年3月に日本で公開

されました。TV初登場は1977年10月で日本語吹き

替え版でした(この部分は資料によります)。


記憶に残っている映画(27)「血槍富士」

2016年04月15日 16時47分26秒 | 寓居人の思い出話

  今生きている社会が真っ当なものか理不尽と感じる

かは、夢中で生きているものにとってはわからないも

のかもしれませんね。封建時代には、お上の言うこと

は絶対無二のもので、逆らうことはできない。逆らえ

ばそれは死を意味するものだということですね。

 「血槍富士」という映画は、そんな時代に生きた武

士とその中間の話です。この映画は、監督の内田吐夢

が中国から復員後第1作目の作品です。戦争経験がこ

の映画の最後の部分で表現されていますね。

 主役の片岡千恵蔵は私が子供のころから知っている

俳優です。東映時代劇といえば千恵蔵と思っていたく

らいでした。片岡千恵蔵の実施も出演しています。

 この映画の主題は、大酒を飲んで泥酔した挙句喧嘩

になり相手に殺されてしまう。中間の権八が主人の敵

を討つという話です。

 出演者は他に月形龍之介、加藤大介、渡辺篤、進藤

英太郎などが共演しています。

 音楽は、作曲家の小杉太一郎が初めて映画音楽を担

当しました。小杉太一郎はこの後東映映画の音楽を多

く担当するようになりました。

 現代社会でも形は違いますが、ある意味では封建社

会と同じようなところがありますね。まさか直接生命

のやり取りではなくビジネスの上で会社のために、会

社の命令には絶対背けない。 


記憶に残っている映画(26)「楢山節考」

2016年04月06日 17時28分15秒 | 寓居人の思い出話

 はっきりしたことは定かではありませんが、1958年か

その翌年にこの映画を見ました。映画を見終わって、私

はしばらくの間茫然としていたことが記憶に残っています。

周囲を見回すと同じようになっている人がたくさんいまし

た。それほどこの映画は人の心にそして社会に大きな衝撃

を与えたのでした。

 私は映画館を出たその足で書店へ行き、深沢七郎という

作家の原作本を買いました。その夜は寝ることを忘れて一

気に読了しました。そして再び衝撃を受けました。

 この映画の内容は、ある地方の藩のおきてというか過の

村の習慣で人はある年齢になったと、きにぎり飯3個と竹

筒に入れた水を待たせて山奥へ連れていきそこに放置して

くるというものです。つまり役に立たないと判断された老

人を酷い言葉ですが死に追いやる間引きするということで

す。

 山へ連れていかれる老人は自分の身につけた知識や技術

をすべて子供たちに教え残してていく。こうして文化を伝

えていくのですね。

 家族の絆、親子の愛情と信頼、そして自分の意志ではど

うにもならないことへの諦め、死にゆく者への家族の情な

どが丹念に描かれています。昔の映画はいい内容のものが

たくさんありますね。最近見る映画やドラマではほとんど

の場合人死にがあり、その死は犯罪がかかわっています。

社会を反映しているのか、社会が影響されているのかなん

ともいえません。

 映画は監督・脚本は木下恵介です。出演は田中絹代(おり

ん)、高橋貞二(辰平)、望月優子(玉やん)、宮口精二

(又やん)、伊藤雄之助、東野英治郎等々私の知っている

女優・俳優がたくさんいます。

 今考えてみると、楢山節考の掟のようなものが現代の社会

でも行われているように思いますね。高齢者を締め付けるよ

うな政策がそれを物語っていますね。

 

 

 


記憶に残っている映画(25)「二十四の瞳」

2016年04月04日 18時45分01秒 | 寓居人の思い出話

 この映画は、平和なある村の分教場で育った12人の

子供たちの成長の様子と戦争によて子供たちの未来が様

々に代わってしまいました。私たちの年代よりも8歳ほ

ど年長の人たちが体験してきました。私たちの年代のも

のはその一部を体験しました。こんなことを思い出すの

が良いのかどうかは人によって変わることですね。

 子供たちをお思う先生はたくさんいたと思いますが、

厳しい監視の下では自分の理想の教育ができなかったこと

を悔やんでいる方も大勢いたことでしょう。

 映画の中で分教場を巣立っていった子供たちは戦争で半

数ほどが亡くなってしまいました。大石先生は戦争に駆り

立てられる子供たちの姿を見て教師を辞めてしまいます。

 これ以上内容を書くのは蛇足を大きくしてしまうだけで

すからやめますが、高峰秀子さんの大石先生のような先生

と出会うことは子供にとって幸せなことだったでしょうね。

 この映画の監督は木下恵介さんです。その他に月岡夢二、

浪花千恵子、田村高広、笠 智衆、他といった俳優さんが

出ています。

 私の感想は書かないことにしましょう。この映画を見るこ

とが何よりも雄弁に語るものすから。

 

 


記憶に残っている映画(24)「姿三四郎」

2016年03月30日 10時00分32秒 | 寓居人の思い出話

「姿三四郎」という映画は太平洋戦争中の1943年に

黒澤明が監督になって初めて企画し、脚本執筆も黒澤

明が行って撮影された作品です。

 私がこの映画を見たのは高校生のころですから、敗

戦で委縮している国民を鼓舞するために作られたと思

っていましたが間違っていました。実際は1943年に封

切され大ヒットしたということでした。

 この映画の続編は1945年5月に封切になったというこ

とです。1945年5月といえばアメリカ軍による空襲が

激しくなった最中のことですからよく撮影できたと思い

ました。

 この映画に登場する場面で一番印象に残っているのは、

修道館柔道の矢野昭五郎館長が、恋と柔道に煩悶する姿

三四郎を薄暗くなった道場に連れていき酒徳利を片手に

柔道のいろいろな技を見せる場面です。

 純真無垢といってもよい三四郎の心に柔道の道を徳利

を使って説く矢野昭五郎の声は天の声ように聞こえたの

かもしれませんねえ。そしてその姿は神の成り代わりと

映ったかもしれません。

 片田舎から出てきた青年が柔道に目覚めていく姿を感動

的に描いたこの作品は、富田常雄の同名小説をもとにして

います。

 私としたことが、まだこの小説を読んでいませんでした。

探して手に入れたいと思います。