寓居人の独言

身の回りのことや日々の出来事の感想そして楽しかった思い出話

記憶に残っている映画(41)「がめついやつ」

2016年07月21日 15時59分59秒 | 寓居人の思い出話

 私の若い頃、”あいつは欲が深い”とか”抜け目がない”

という意味で”がめついやつ”ということがありました。

それは表題の映画「がめついやつ」が上映されてから流

行したと思います。

 この映画は敗戦後の大阪を舞台にした欲と色に関わる

ドタバタ喜劇の様相を呈しています。話は一泊60円(ソ

バ屋のモリ・カケが一杯25~30円くらいでした。)の簡

易旅館を営むお鹿婆さんは一方で高利貸しもやっている

がめつい性格だが、他方では戦災孤児を引き取って育て

ているというところも持ち合わせていた。

 そこに土地の持ち主の姉妹が現れるところからごたご

たが持ち上がった。簡易旅館に住み着いている人たちも

種々雑多の職業?を営んでいる。この辺も戦後社会の混

乱をよく現していると思いました。

 主人公の牡鹿婆さんは簡易旅館を閉め、お金を貯めこ

んでいたのに、育てた孤児と一緒に乞食(これは今では

差別用語です)をやっていた。これがガメツイヤツの本

領かもしれませんね。他にもゆでうどん玉3個を5人分と

して売る話も出てくる。

 これはもともと演劇として公演されたものを映画にし

たもののようですね。出演者は三益愛子、高島忠夫、原

知佐子、中山千夏、森繁久彌、草笛光子、団令子、森雅

之等々です。

 私はこの映画を見て、大阪人の一面を見たような気が

しますと言ったら叱られるかもしませんね。


クーデター

2016年07月19日 07時13分02秒 | 寓居人の思い出話

 思い出話と言っても私自身が経験したことでアはあり

ません。1936年2月11日、日本陸軍の若い将校を中心

にして政治に対する不満を掲げてクーデターを起こしま

した。この日から約2カ月後に私が生まれました。

 当時の社会情勢は、農家の貧困は極限にまで来ていた

ということでした。クーデターの原因の一つにこのこと

があったといいます。

 古くは明智光秀の織田信長に対する謀反が起こりまし

たが秀吉によって鎮圧されてしまいましたね。

 外国では成功した例に枚挙のいとまがないほどありま

す。今回のトルコで発生したクーデターは、原因や目的

がはっきりしていなかったようですね。鎮圧された後の

処理を上手にやらないと本格的なクーデターが心配です。

 私は考え方の違う人がいてもよいのではないかと考え

ています。もっともっと寛容な心を持つようにしたいと

思います。

 日本には例えば仏教でも数多くの宗派がありますし、

他の宗教を信じる方々もたくさんいます。自分の信じる

宗教が最良だと思っても他人にそれを押し付けることは

ないと思います。たまに「モノ・・・」という団体が繰

り返し勧誘に来ることがあります。一度だけ議論をした

ことがあります。しかし彼らは自分の信じているものが

何なのか十分理解していませんでした。

 私は先に書いた理由で誰がどんな宗教を信じるかにつ

いては全く興味がありません。それが他人の生活に入り

込んでこなければ普通に付き合っています。


記憶に残っている映画(40)「アラビアのロレンス」

2016年07月15日 10時20分34秒 | 寓居人の思い出話

 果てしなく続く砂の世界。自然が支配しているように

見える場所で壮絶な人間同士の争いが行われていました。

 この映画はアラビア半島でまだ石油が発見される前の

話です。

 映画の初めのシーンは一人の男がオートバイに乗って

道路を走っている場面から始まります。オートバイはス

ピードをあげたとき自転車に気が付き避けようとして転

倒し死亡してしまいます。葬儀の時、新聞記者が取材す

ると、事故死した人物には毀誉褒貶いろいろな評価が伝

えられた。その男は、アラビアのロレンスと呼ばれ、伝

説の人物になったトマス・エドワード・ロレンスだった。

 アラビアの民族を統合して独立国に育て上げたロレン

スはアラビア人の格好をしてアラビアに溶け込む一方、

イギリス軍人としての任務も果たさなければならなかっ

た。しかし、イギリスのアラビア半島にあける権益を確

実なものにすることは出来なかった。そういった意味で

ロレンスの評価は一定のものにならなかった。

 映画の中で砂漠で生きていくために必要な湧水(井戸)

は命を懸けて守らなければならないものであり、それを

所有するものが権力を持つことになる。これが砂漠の掟

になっている。

 砂漠は風が吹くと地形が全く変わってしまう。それは

荒れ地の上に砂が乗っており、風で砂が動くからだ。砂

の中に空洞があると蟻地獄に落ち込むように人間も落ち

込んでしまうことがある。そんなb面も描かれています。

 2時間以上に及ぶ上映時間は長いと思いましたがあっと

いう間に終了してしまいました。

 この映画のストーリーはともかく、映像のすばらしさに

圧倒されたのを思い出しました。

終了してしまいました。


天皇陛下のお近くでお言葉を聞いた思い出

2016年07月14日 09時07分10秒 | 寓居人の思い出話

 ご高齢の天皇陛下が自らの意志で退位を考えていらっしゃ

るという報道を知って、ずいぶんご無理をなさっているのだ

ろうと拝察しました。

 天皇陛下の公務というのは頻繁に組まれており、それに臨

まれる場合には体内の水分調整をされるということを聞いた

ことがあります。そのことに限っても大変なご苦労と思いま

す。体調を崩されてご入院されたこともある身体で公務をこ

なすのは大変だろうと思います。しかし天皇陛下がお出かけ

になった被災地などでは、天皇陛下のご訪問を受けて大きな

心の支えとなり希望を持つことができたと喜ばれています。

天皇陛下は、ご訪問先では相手の目線と同じになるように膝

をつかれてお話をするという映像をしばしば拝見しました。

 私が天皇陛下のすぐお近くでお話を聞くことができたのは、

もう20年以上も前のことで詳しいことは忘れてしまいました

が、帝国ホテルの広間でノーベル賞フォーラムという集まり

があったときのことです。そこには子供たちが大勢来ていて

天皇陛下と話をしていました。私は天皇陛下のすぐ右後ろで

お言葉を聞きました。優しく子供に話しかけている天皇陛下

は、低く小さな声でしたがよく聞くことができました。

 戦争中に育った私は、皇室に対してほとんど関心がなかっ

たのですが、ご結婚前の美智子さんの姿を駒沢競技場の広い

階段のところであったことなどから少し関心を持つようにな

りました。

 それにしても天皇陛下が退位されると皇室典範などの変更

が必要になるなど大変なことだと思いますが、大正天皇と昭

和天皇の事例を参考にして天皇陛下の公務を考慮するよう希

望します。


記憶に残っている映画(38)「華氏451度」

2016年07月12日 10時10分42秒 | 寓居人の思い出話

 太平洋戦争後、日本は深刻な紙不足になってしまい

ましたね。当時の教科書は私の手元にも残っていませ

んが、新聞紙のような紙にかすれ気味の文字が印刷さ

れていたのが記憶の片隅に残っています。それをペー

ジ順に並べるのが大変な作業だったのを思い出しまし

た。そういうことがあって私たちの年代の人は、書籍

を非常に大切にする習慣を持ってしまいました。

 さて、表題の映画は為政者が自分の立場を守るため

に市民の読書を禁じたが、効果が見られず書籍の没収

を命じ集めた書籍を焼いてしまう政策を打ちだした。

 焚書によって、市民が知識を得ることをその結果為

政者に批判的になることを恐れたのですね。その時、

市民は懸命に焼かれる書籍を暗記していた。人間の知

識欲というのは権力では抑え込むことができないこと

を表現したかったのでしょうかね。

 ちなみに華氏451度というのは、私たちが通常使う

摂氏では233度になる。この温度は通常の紙が自然発

火する温度といわれています。

 

 


記憶に残っている映画(37)「路傍の石」

2016年06月25日 21時33分41秒 | 寓居人の思い出話

 この映画を見て、私は自分よりも厳しい生活を余儀

なくされた話があるものだと思いました。映画に出て

くる吾一は厳しい生活の中にいてもそこから抜け出そ

うと猛烈な努力をしています。そして成就するという

話ですが、著者は太平洋戦争が始まって軍国主義とい

う時代に逆らってまも執筆を続けるかどうか苦慮した

ことでしょう。もしかしたら著者は話の内容に行き詰

って断筆してしまったのかもしれませんね。

 1929~1930年代の子供は裕福な家庭の子供の他は

多かれ少なかれ似たような境遇に置かれていたのでは

ないでしょうか。逆境にもめげず強い意志をもって将

来に向かっていく吾一少年の生き様に感動しました。

 いつの時代でも子供を見守る大人が大切なことは言

うまでもありません。それは親はもちろんのこと学校

の先生だったり、あるいはある場面で出会う他人のこ

ともあるでしょう。かくいう私も、学校の先生や近所

に住んでいた大人に恵まれたいたと思います。そうい

う人たちの一言が子供にとって大事なのですね。

 見知らぬ人に声をかけられたら逃げようという社会

は間違っています。子供の成長を見守る大人ももっと

精神的に成長しなければなりませんね。


記憶に残っている映画(36)「地底探検」

2016年05月31日 14時07分18秒 | 寓居人の思い出話

 若い時代はいろんなことに好奇心を持つものですね。

特に自分の知らない世界やいったことのない場所など

自分で行ってみたいと思うものです。

 例えば月世界や火星など、もっと身近なところと言

えば、南極などいろんなところがあります。深海も同

じように未知の世界ですね。それと地底世界があれば

そこも行ってみたいと思います。昭和20年代にある

少年雑誌に「不思議な国のプッチャー」という漫画が

掲載されていました。ある号で、地底人が出てきまし

た。火山の噴火物の中に人工の物体が発見されたので

す。詳しい話はいつか記事に書こうと思います。

 さてこの「地底探検」という映画は同じように噴出

物の中に人工物を発見したことから、地底世界の存在

を信じた科学者を含めた数人が探検に出かけます。

 地底世界では、巨大キノコを発見したり、恐竜が出

てきたり、大きな海があったりと観客を楽しませてく

れました。最後はアトランテイス文明を発見したとき

大きな地震があり溶岩がせりあがってくる中、浴槽?

にのって火口を溶岩に押し上げられて地上へ生還する

という話です。

 見ていて楽しい映画でしたね。地底世界を扱った映

画は、この他にも「地球が止まる日」というのがあり

ます。この映画は地球が止まるのを防ぐ方法が論理的

に示されていないのが残念でした。


記憶に残っている映画(35)「お茶漬けの味」

2016年05月16日 00時18分16秒 | 寓居人の思い出話

 私の知人のひとりに、とても美しい女性と恋愛し幸せ

いっぱいで同世代の友人たちを羨ましがらせていました。

いつも写真を友人に見せてはにやにやしていました。

 そんな彼がある日”死にたい”などと戯言を口にするよ

うになりました。そのことがあった後、彼は仲間内で結

婚の話がでると松竹映画と東映映画の2人の女優のどち

らかと結婚したいと漏らすようになりました。

 その女優の一人がこの映画に出演しています。という

わけでこの映画は私の記憶に残っているのです。

 映画を見たのは高校生の頃だったので、映画の言いた

いことを理解できずにいましたが、年月を経て今の年に

なってみると夫婦の機微が少しわかってきました。

 映画のあらすじは、その当時かどうかわかりませんが

有閑マダムという種類の婦人たちのことが話題になっ

ていました。金持ちの令嬢が結婚して遊びまわって夫や

家庭のことを顧みない生活をしていました。ところが仕

事で夫が出張することになり、心の中に空虚が宿ること

に気が付いた。そこへ夫が予定より早く帰ってきてほっ

として夕食の支度をする。夫はお茶漬けを食べたいとい

う。2人で食べたお茶付の味が美味しかった。夫はそれ

が夫婦というものだといい、妻は幸せはすぐ近くにある

のを知りました。

 この頃は夫婦の形が変わったと言われていますね。そ

してすぐに暴力に走ってしまう。機会があって夫婦にな

ったのですから、お互いにもう少し我慢をして暴力には

しらない家庭を作ってほしいと願うのですが。

この映画の監督は小津安二郎、出演者は佐分利信、小暮

実千代、鶴田浩二、淡島千景、津島恵子という面々です。

この頃このように分沸かした映画やドラマが少なくなり

ましたね。

 


記憶に残っている映画(34)「サイコ」

2016年05月11日 22時17分13秒 | 寓居人の思い出話

 アルフレッド・ヒッチコック監督の作った映画は良く

言えば人間の心の深いところを描いた作品となっている

といえるだろう。他方作品の内容を理解するのが難しい

という人もいました。

 この映画「サイコ」はまさにその通りの映画でしたね。

作品の前半は会社員マリオンが、売上代金を持って逃走

してしまう。途中警察官や自動車デイラーらに不信の目

を向けられるが会社が持ち逃げを表ざたにしないのでそ

のまま逃走する。やがて「ベイツ」というモーテルに立

ち寄り、浴室で何者かによって殺されてしまう。その直

後に入ってきたモーテルの主人ノーマンは浴室を清掃し、

死体を車に乗せ、持ち逃げした4万ドルとともに車を近

くの沼に沈めてしまう。

 マリオンの恋人サムの店に妹を探しに来た姉、そこへ

来合わせた4万ドルを持ち逃げされた会社に雇われた私

立探偵アーガストが協力してマリオンの行方を探す。二

人はベイツモーテルを探し当てた。この辺まではサスペ

ンスの様相を呈しており、ここから二重人格の青年ノー

マンの複雑な心理描写に発展していく。この後半部分は

注意深く見ていないと筋が見えなくなってしまいます。

 この作品は4部門でアカデミー賞候補にノミネートさ

れましたが受賞しませんでした。また日本での評判もそ

れほど高くはならなかったと思います。少し理解し難か

ったのがその原因だったかもしれませんね。私も2回目

にようやく理解できた次第です。

 アルフレッド・ヒッチコックは、サスペンスの神様と

呼ばれてきました。


記憶に残っている映画(33)「ベン・ハー」

2016年05月09日 20時53分30秒 | 寓居人の思い出話

 アメリカ映画界が不振になると、キリストが登場する

映画を作るそうです。すると何とか不振から脱出できる

という噂があります。

 この映画はそういう意味で作られた映画ではないよう

です。原作はルー・ウオーレスという作家にようる同名

小説です。この小説は、1880年11月に出版され大ベス

トセラーになったといいます。その人気は「風と共に去

りぬ」が1936年6月に出版されるまで維持されたそうで

す。

 はなしはローマ帝国支配時代のユダヤ人貴族ベン・ハ

ーの波乱に満ちた半生を描いたものです。ベンは幼馴染

みのローマ帝国から来たメッサーラと旧交を復活させた。

しかし、ふとしたきっかけで提督暗殺の嫌疑を受け、メ

ッサーラに身柄を拘束され罪人としてローマへ移送され

ることになり途中で体調を崩した。そのときとなりにい

た男に水をもらって飲んだところ身体に力が沸き上がっ

てきた。この男こそイエス・キリストだった。その後ベ

ンは、ガレー船の漕ぎ手にされ先頭の駆り出された。戦

闘中に司令官を偶然救助したことからその養子になった。

その後の話がこの映画の重要部分ですが、私の文章力で

は書きあらわせないので映画を見ていただきたいと思い

ます。

 最後はベンの母親と妹が業病に罹っていたのをキリス

トの奇跡で治癒するというところで終わります。

 この映画は、たくさんのアカデミー賞を取ったことで

も有名になりました。中でも戦車競走場面の迫力は絶対

的な面白さをみせます。このような映画を見るのもスト

レス解消のために有効ですね。