十一月中旬ともなると、野の花もなぜか寂しげに咲いている。蝶や蜂も越冬の準備に花から花へ飛び回っている。
銀杏の木は、実を地上に落としてしまい、晩秋の北風に?色濃く染まった葉を舞わせていた。
地上には果肉をつけた実がたくさん転がっていた。今は。その実を拾う人もなく、果肉のついた実は鳥さえも餌としないようであった。
当地はミカンの産地である。今色付き始めた実は、十二月の中旬から出荷されるという。筆者が当地へ住所を移したのはもう40年以上前のことになるが、当時のミカンは酸味が強くそのまま食するにはかなり抵抗があった。したがって多くは加工用に供されていたようであった。
今は、酸味が少なく甘みの強い品種に変えたとか、贈った友人たちも美味しいといってくれる。
山の中の農道を歩いていたら、路面にアケビの実が落ちていた。頭上を見上げると、数個のアケビの実が蔓にぶら下がっていた。子供の頃を思い出した。アケビの実は、甘くとっても美味かった。1個見つけると、周辺にはたくさんの実が見つかった。
町の名所の一つに川匂神社というのがある。今日はたまたまそこを訪ねた。子供の七五三を祝う家族が神主と話をしたり写真を写したりしていた。子供は、和服姿でかわいい男の子だった。境内の参道脇に品評会で入賞した菊の花が飾られていた。
神社の由緒が気があったので写真に写してきた。由緒によると、川匂神社は古い神社の一つであることが分かる。筆者の知人の1人に、篳篥(ひちりき)という雅楽の縦笛を奏する人がいる。この方は、この神社の祭礼のときに他の人と一緒に雅楽を演奏するそうである。
昨日の雨が嘘のように晴れ渡った空に一輪の花が咲いていた。筆者は、不覚にもこの花の名前を知らないが、りんとして咲いているように見えた。
植物は、春に芽を出して太陽の光をいっぱい吸収して1年間を生きてきた。その証がさまざまな木の実となって残された。
その実は、動物たちの餌となって動物たちの子孫を残すもととなる。
植物は、今役目を終えた葉を落として静かなねむりにつく準備にいそしんでいる。
秋と冬の境目には生き物の連なりを見ることができる。