寓居人の独言

身の回りのことや日々の出来事の感想そして楽しかった思い出話

岡目八目

2015年05月04日 21時52分09秒 | 日記・エッセイ・コラム

 囲碁を打っていると周りで見ている人が時どき横から口を挟む

ことがある。例えば対戦者が切り違えたとする。すると見物人の

A氏が”そこを切るのはおかしいでしょう、引く一手じゃありませ

んか”という。あるいは終盤になって石の生死をかけた煌月始まっ

たとする。A氏は”そこは死んでいるのだから他を打った方が良い”

などと助言とも言えないことをいう。対局者は自分の力で状況

あるいは生死を見極めた上で打っているのだから、脇から

の言葉に惑わされることはないし、もしそれが正着だとしても

打ち直すことはあり得ないことである。一番不愉快なことは、

A氏のような人は誰が打っている対局にも口出しすることである。

 プロの囲碁対局を見ていると解説者のプロ棋士の解説がどれ

ほど適切かと感心させられることがある。しかし、対局者の打っ

た場所と一致しないことがしばしばある。そんなとき解説者は

”対局者は、さすがにいろいろなことを読んでいますね”と感心

することがある。

 プロの棋士でも必ずしも当たらない予想をすることがあるのに

我々アマチュアが、しかも脇でチョットの間盤面を見ただけで、

形成や生死、打った手の善し悪しなど分かるはずもない。だか

ら盤脇から余計な口出しをしない方がいい。

 足つきの碁盤の裏側の中心には一辺が7cmほどの彫り物が

あり、その中心部には突起がある。一説によるとその突起は、

対局中に脇から口出しをした者を処刑してその首を乗せるため

に作ってあるという。それほど脇からの口出しは慎まなければ

ならないことであると言うことである。

 子供の頃、子供がケンカをしていると、たまに親がやってき

て、自分の子供を庇うようなことがあると、周りの仲間が”子供の

ケンカに親がでる”等と笑いものにしたことがあった。

 しかし、家庭内でも、仲間同士でも、国際問題でも深刻な問題

に発展しそうな場合には仲裁に入る第3者が必要なこともある。

 ゲーム、試合、合戦など技を競う競技には必ず規則があり、そ

れに違反すると反則罰を科されることを忘れないようにしよう。

 

 


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