保育に必要なことを考えてみようかって、、
年頃になるとみんなスマホを持ってるってことがあって、
それが友達関係に重要な影響を与えてるって思って、
スマホのある友達付き合いってどんな感じなんだろうって、、
まず繋がりやすいっていうのがある
学校の友人だと普通の近しい関係だけど、
その周辺とそのまた周辺のみんなが繋がってるってことがあって、
繋がることが当たり前で大前提になってる、、
そこには繋がりたくないので繋がらないって選択肢はない、、
それだけでもかなりのストレスだなあって、、
関係性の親密度は関係がなく、広く浅く繋がってて、
街を歩いててもあー、あいつ見たよ!ってすぐになるらしく、
ちょっとでも友達、異性関係で何かあると、
全員に拡散される!
おちおち冗談も言えなさそう、、、
互いが互いを監視してるみたいでね
窮屈じゃないのかなって、、
会話聞いてても、距離感を凄く意識してる気がしていて、
~だよね、とか~じゃない?みたいな、
断定をさけるというか、同調を求めるような会話で、
否定は原則しないみたいなね
少しでも自分を出すと、異質な者となって、
弾かれるみたいなところがあるんじゃないかなって、、
それくらい、みんな傷つきやすくて、
それも互いにわかっててね
また、情報だけはすぐに入ってきて、
経験が伴っていないけど頭でっかちになってる
リスクは背負わないというか、冒険はしにくい状況なのかな?
やる前に調べてできなさそうって判断をするってところもあるだろうなって、、
でも、情報は溢れてるから、
世の中の裏とか闇っていうか、
本当の悪は何かってことも、
わかってそうなんだよね
以前だと、限られた新聞とテレビだけの情報で、
それは報道側が世の中を動かすことが簡単にできた時代でもあり、
それが政治と結びついていたり、特定企業と結びついていたりで、
いいところでも悪いところでもあったんだろうけども、
今はそれ自体も若い子の中ではすでに消化済みだったり、、
そう考えると、将来若者に期待できるところでもあるなって、
そんな時代に保育からどういう支援が必要とされるのかなって、、
相手と合わせるだけじゃなく、異質な者も認められるってことが、
必要なんじゃないかなって、、
まあ、それはいつの時代でも必要なことで、
個人の人権みたいなことは軽く考えられてただけなのかもしれないけど、
全ての人が自分らしく、自分の人生を生きられるようにするには、
相手を尊重する、違う考えの人も認めるってことじゃないかなって、、、
正直、今の若い子って大変だなあって、、
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