こんにちは☺
いつも保育士向上委員会ブログをお読みいただき、誠にありがとうございます!
今回は、芸人のネタが差別だと話題になったことについて、考えてみようと思います。
私は正直、差別とは思わなかったんだよね。
昔、やっていた元ネタも高校生の頃友達と笑ってみていました。
その時も、私個人は差別意識はありませんでした。
ただ単に面白くて笑っていました。
個人的には、性的マイノリティに対して差別意識はありません。
私自身、障害のある子どもの支援をしていたこともあって、
人と人との違いを当たり前に認める意識が自然にあるのかもしれません。
ただ、外国の方に対して、異質な感覚があって引いてしまうことはあります。
これは私の持つ差別意識なのかもしれません。
差別だ!と思う人は、それを笑いの対象としているからなんだろうけども、
笑いって誰かを傷つけて笑いにしているところが元々あって、
実際に傷ついている人がいるのはよくわかります。
ただ、それが絶対笑いのネタとしてやっちゃいけないことかはまた別かなあって。
いじめならいじめと本人が感じた時点でいじめなんだと思うけど、
笑いがあるところには必ず誰かが傷ついていると思うし、
私も、自分の弱点に関係することでネタになっていたりしたら、たまに傷ついているしね。
ただ笑っている側が、常に差別意識があるわけじゃないんだよね。
そして話している側や演じている側も。
そこが重要だと思います。
ネタを見て、子ども中心に差別意識が助長するってこともあるだろうけども、
そこは、親や大人の教育の出番だろうって思うし、
芸人や番組自体が悪いってことじゃないって思うんです。
逆に言えば、そういう経験が無いと、教育される機会を失ってタブーになってしまい、無かったことになるんじゃないかな?!
笑いって、どういう時に起きるのかというと、
テレビでも社会の中でもタブーになっていて、
自然な存在になっていないから起きるとも言えるんじゃないかな。
テレビに出てくるのが珍しい、特別な存在としての扱いが多いから、
そのしぐさや話し方が笑いになる。
身近で当たり前の存在だったら笑いにならない。
あと、人間って異質な者を排除したり貶めることで、
自分や集団を守ろうとするところが本能的にあるんじゃないかって思ってて、
だから教育や子育てで、常にお互いの違いや違う考えを認めようということを教える必要があるんじゃないかなって。
いじめについても、異質な者を認めないってところがあって、
差別でもあり人権侵害でもあります。
その異質な者を認めない意識がまだまだあるってことで、
そこは芸人のネタよりも大きな問題だと思います。
学校でも職場でもいじめはあるし、
保育や教育では、異質な者を認めず、枠組みにはまりみんなと同じようにできることを目標とされているところがあります。
そういう保育や教育自体を変えることが、差別の根本解決のためにも必要じゃないでしょうか。
逆にいうと、そんな保育や教育の理念が、差別やいじめを助長していると言えないでしょうか?!
〈参考:いじめ解消の難しさはどこにある?!〉
他の芸人さんの発言では、
誰もがみんなに受け入れられているところがあるって言っていて、
ほんとそうで、
みんな欠点や足りないところを他者に補ってくれているところがあるはずで、
違いを認めないって考えは、
自分も社会から弾かれていい!ってことで、
自分に返ってくることじゃないかな?!
誰もが違いがあって弱点もある、それを互いに理解し、認め合っていたら、
芸人のネタで笑っても、演じても、差別とは関係ないんじゃないかなって。
最後まで芸人のネタは差別なのか?をお読み頂き、誠にありがとうございました。
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