宗教と政治の問題が連日報道されていますが、
子どもと政治の問題も軽視してはいけないと思っています。
政治家は簡単に子どもを使って自分の好感度を上げることが出来ます。
例えば、
今回のように大人の仕事を子どもに任せたり、
選挙前に直接子どもから意見を聞いたり、
手紙を貰ったりして、
それに直接政治家が動いて要望を叶えるとします。
そうすることで、
子どもは当然大喜びします。
周辺のご家族や親戚、友人も喜び、政治家の好感度が上がります。
でも、
それが叶えられた背景を子どもはまだ知る余地がありません。
政治家が動き、物事が動いたということは、
その背後でどれだけの大人が動き、予算や時間を割いてそれがおこなわれたのか、
また、国や地方の政策の中でどのような位置づけで、予算配分はどのくらいで、、
等々、全く想像もつきません。
中にはそれこそ以前書いたギフテッドの超天才児が居て、気付く子どもが居るのかもしれませんが。
そのような事を日々考えるのが大人や政治家の仕事なのです。
それを、
子どもが希望し要望があるからと、
直接話を聞いたり、仕事をさせたりして、
政治家が叶えるべきではありません。
そのような子どもの使い方は、
子どもを騙すようなものです。
子どもが大人に使われる結果、
何が変わるのか、子どもにメリットはどのくらいあるのか?、どちらかというと大人の方にメリットがあるので
はないのか?
そのような危険があるような行動を大人はするべきではありません。
子どもからの要望は一市民の意見として、
大きな枠組みの中で考えるべきことです。
そして今の大人の働き方は、
全体からみると、
子どもの気持ちや成長発達、人格を大切にしているとはいえません。
予算も手間暇も子どもに必要量かけていません。
そのことが問題の本質です。
ちょっと子どもに仕事をさせたり、
たまたま直接耳にした子どもの要望を叶えるみたいな行為は、
世の中の子ども全体の利益からしたら、全く無意味といえます。
その恩恵は単に関わった大人の好感度の向上という形で現れるだけです。
本当に子どもの要望に答え、大人が仕事を任せたい!のであれば、
一番子どもにとって身近で切実な保育園や学校への要望を叶える、もしくは権限を与えるということではないでしょうか。
もし園が今よりも子どもの成長発達を保障する環境になるのなら、また学校運営が子どもの要望をもっと取り入れたものになるのなら、
それこそ子どもの利益にかなうものになると思います。
もし真剣に子どものために政治的に何かさせたいのであれば、
大人の権限を子どもに渡すことです。
それが子どもの本当の意味での社会参加であり、社会を作っていく一員として扱うということです。
その先には行政に興味を持ち、大人になった後よりよい社会を作る道に進むかもしれません。
子どもに子ども家庭庁の看板を書かせるなんていうのは、
子ども全体の利益からすると大したことではありません。
実際に書いた、ほんの数名の自己実現にはなるのかもしれませんが、、
そのような世の中の子ども全体にとってはほんの小さな影響力しかないことを子どもを使って大人の好感度を上げるのを引き換えにしてはいけないと思います。
それが子どもの人権や人格を大人が守る!ということだと思います。
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