【コラム・断】ことなかれ主義の悪 産経新聞社
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/column/89211/
秋も深まり、風の冷たさに心揺らぐ季節になってきた10月。先月高校生が複数の少年からお金を毟り取られ自殺すると言う事件が起きた。れっきとした犯罪であり、恐喝、脅迫、暴行といった罪に問われるべき犯罪である。にも拘らず、社会の暗黙のルールだとでも言うつもりなのか、”いじめ”と言う言葉でひと括りにしてしまう現代のマスコミ達。万引きでも援助交際でも同じだ。しょせん、窃盗と売春行為であり、言葉を変えて日本人を翻弄する必要が、果たしてあるのだろうか。恥をしれ!
今更いうまでもなく、いじめを犯し、助長するものは、自らの境遇との比較から始まる。すなわち、自己欺瞞であり自己愛に基づいた自己顕示欲の誇示であるに他ならない。他人を蹴落とし、卑しめたい人間の業とも言うべきこの感情は、過去から現代に至るまで変わる事は無いのである。それこそ「いじめをするな」と簡単に言われても、母親が父親の悪口を他人と言い合っていたり、人の風評をばら撒く光景を目の当たりにして育った人間は、他人を卑しめる行為そのものを楽しいことであると錯覚しても致し方ないと思うのである。
本来であれば、家庭で躾けるはずの事柄を社会に押し付け、他人に押し付ける一部の人間の顔をしたアフォのお陰で、陰険ないじめがさらに過激に展開していく事になっていると言ってよいだろう。誰それがやっているから、自分がやっても良いというのは、子供の論法である。それが、今は大の大人になってもその体質から抜け出せぬジレンマを抱えてしまっているのが現状なのではないだろうか。
得てして、学校の対応は今も昔も変わらない隠蔽体質。「長い物には巻かれろ」主義であり、新しい方法や理論を取り入れて行こうとする者は、「出る杭は打たれる」と読んで字の如く叩かれるのが、今だに続いている結果なのだろう。結局、頭の固い人間が、知恵すら絞りだせず、若い人間に責任だけを押し付けて、結果、自分は逃れようとする小汚く、猿知恵程度の卑しい人間がトップにいるから、未だに変われないのだ。(中には責任をとって自害された校長先生も居られることを付け加えておく)
トップについて言えば、責任のなすりあいを辞め、自分に責任が取れないのであれば、退任するのが本道だろう。それを隠そうとすればするほど、問題は大きくなることに早く気づくべきである。
また、いじめという行為自体は無くす事は不可能に近い。それは先に述べた通り、他人との比較と自己顕示欲の誇張が人間の誰にでも備わった機能であるからだ。しかし、それを回避する方法が無いわけではない。柔道で始めに習うのは受身だ。うまく受身を取る事で自らの身を守るのである。その方法は、自己防衛本能に導かれて、知恵として発揮されるが、未熟な少年期、青年期では経験と実績がないので、その知恵を絞ることが不十分なのであると思う。大事な事は、大人がいち早く気づき、その方法を教えることが、本当の責任の有り方なのではないだろうか。