気分はガルパン、ゆるキャン△

「パンツァー・リート」の次は「SHINY DAYS」や「ふゆびより」を聴いて元気を貰います

ガルパン劇場版DVDの発売日は・・・

2016年05月27日 | 過去の模型とか
 周知のように、ガルパン劇場版DVDの発売日は、正式にはきょう5月27日となっています。が、先行出荷にて既に出回っている分があり、手にされた方も少なくないようです。もちろん私も予約購入しましたが、5月27日というのは、自分にとっては旧海軍記念日であるという認識の方がいまだに強いです。


 なので、ガルパン劇場版DVDの到着を待つ気分よりも、旧帝国海軍の歴史にはせる想いの方が大きかったです。もともと日本海軍の軍艦艦艇が大好きで、プラモデルも軍艦艦艇ばかり800隻余りを作ってきた経緯があります。
 それで、きょうは、朝から、その艦船プラモデルの一部を取り出して、しんみりと眺めておりました。上図は、栄光の第三戦隊の高速戦艦四隻、金剛、榛名、霧島、比叡、です。金剛と榛名は昭和19年秋、霧島と比叡は昭和17年の状態に仕上げてあります。


 駆逐艦や小艦艇数隻をまじえて適当に並べて眺めました。今考えても、よく沢山作ったものです。30代までは、こういう軍艦艦艇だけが、私にとってのプラモデルでありました。ガルパン戦車プラモデルに熱中している現在から振り返ってみますと、大げさでなく隔世の感があります。

 こういう自分ですが、模型サークルの仲間たちに「青き鋼のアルペジオ」や「艦隊これくしょん」や「ハイスクール・フリート」の話を振られても、一切の反応を持たず、関連の艦船プラモデルに見向きもしませんでした。
 それで、A氏やT氏らに「星野は稀にみる筋金入りの帝国海軍マニアやな」と笑われていたりします。が、正直言いまして「エンガノ岬沖海戦小澤機動艦隊の孫たち」の一人である身としては、かつての帝国海軍の哀しい日々と、その見果てぬ真実への、敬虔な祈りと鎮魂の気持ちを失いたくないのです・・・。 
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

わが旗艦は長門

2014年11月26日 | 過去の模型とか
 以前に駆逐艦「吹雪」の件で模型仲間のMさんと話したおり、星野さんの軍艦キット群の「旗艦」は何か、と聞かれた。即座に「長門」ですよ、と応えたのだが、相手には意外だったらしく、「大和」とか「武蔵」が旗艦じゃないの?と問い返してきた。

「この20年間ずっと、私の連合艦隊の旗艦は「長門」にしてますよ」
「よっぽど思い入れがあるんやねえ、理由とかあるん?」
「簡単ですよ、「大和」も「武蔵」も私のところには存在しないからです」
「えー、それマジ?・・・あれだけ軍艦作ってて、「大和」や「武蔵」は無いの?」
「うん」

 答えつつも、全く珍しいケースだよなあ、と自分でも笑ってしまった。小学生の頃からずっと軍艦プラモデルを作り続けておきながら、「大和」「武蔵」の二大戦艦だけは全く手元に無いのである。何故かと聞かれても答えようがない。ただ、まだ作っていないだけの話であるからだ。


 そんなわけで、私の600隻近い連合艦隊の旗艦は、戦艦「長門」である。上図のように、堂々たる艦姿を横たえて手元にある。
 記録によれば、建造は平成5年8月17日。キットはアオシマであった。七年後の平成12年6月10日に艦体をピットロードのレジン製品に換え、主砲以下の武装もすべてピットロード部品に交換し、電探などを増設して昭和19年頃の状態に作り直した。以後、現在に至るまで一切手を加えていない。

 最近はウォーターラインシリーズでもリニューアルキットが出ているし、フジミの特シリーズでも精巧なキットがリリースされている。キットの精度が格段に進歩しており、私の「旗艦」のディテールがいささか古めかしく見えてきているのは否めない。

 もし、現在のリニューアルキットに手を伸ばして、わが旗艦の長門が新たに生まれ変わるという機会があるとすれば、その頃にはガルパンのブームや大洗のムーブメントはどうなっているだろうか、と、ふと考えてしまった次第である。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

初めての駆逐艦

2014年11月22日 | 過去の模型とか
 昨日、模型仲間のMさんと電話で長話をしていて、いつしか話題が軍艦キットのことになった。Mさんとは、私が奈良に住んでいた頃からの付き合いで、一緒に奈良の模型サークルの合同展示会に飛び入りで参加したり、尾道へ映画「男たちの大和」のセットを見学に行ったりしたことがある。割合に軍艦キットも多く作っている方なので、最近は時勢にもれず、艦隊これくしょんのブームにハマっておられるようである。それで何度か、艦これイベントへ行こう、というお誘いを受けたのだか、ずっと辞退している。

 そんなMさんが、こう問いかけてきた。
「星野さんが初めて作った軍艦って、何だったん?」
「吹雪ですよ、特Ⅰ型の一番艦の・・」


 その「吹雪」のキットは、上画像のとおり、いまも大切に保管している。記録によれば、建造は昭和54年3月21日とある。当時の私は小学六年生てあった。キットはウォーターラインシリーズのタミヤ製で、素組みの未塗装であった。
 これを、平成6年11月14日に「修理改装」して、主砲や機銃などをピットロードのパーツに交換したと記録にある。それから現在までに20年を経てきているわけである。大事にしまって保管しているのて、やつれや汚れもあまり見られない。今までに200隻余りにのぼる日本駆逐艦を作って「駆逐艦の男」のあだ名を頂戴した私の、ささやかな「原点」である。

 だがMさんは、吹雪の名を聞くと「ピッタリじゃんけえ、やっぱ星野さんは艦これにハマる素地を持ってると思うねえ」と笑っていた。何のことかよく分からないので、問い返すと、艦これのゲームでプレイヤーが最初に出会う初めての駆逐艦が、吹雪なのだという。なんだそれは、と思ってしまった。


 さっそくネットで検索して、吹雪の画像を見た。見たというより、茫然としたというのが実感に近い。まるっきり女子高校生ではないか。太平洋の王者と謳われた、帝国海軍水雷戦隊の一艦としての勇壮なるイメージがどこにも無いのであった。


 しかも驚いたことに、ゲーム中での声を上坂すみれさんが担当しているそうである。ガルパンのプラウダ高校のノンナの声を演じていた方である。しかも艦これファンの中ではかなり人気があるらしく、艦これグッズにも多く登場しているとMさんに教えられた。Mさんも吹雪の缶バッジを6種類も揃えているそうである。

「その吹雪ですが、艦これのゲームではどういうふうに活躍するんですか?」
「まず、新規にゲームを開始するとね、最初に選べる艦娘が何人かおりましてね、そのうちの一人が吹雪なんで、使いようによっては色々と頑張ってくれるんで、かなり愛着をもってる人も多いやろうね」
「はあ・・・」
「公式のコミックスでも主役だしねえ、僕も結構思い入れあるんやね、吹雪には」
「はあ・・・」

 実際の駆逐艦「吹雪」は、昭和17年10月11日夜、味方指揮官のミスにより発生したサボ島沖海戦にて敵重巡「サンフランシスコ」の接触照射を受け、集中砲火を受けて弾薬庫に被弾し爆沈するという、悲惨な最期をとげている。乗組員228名のうち、生存者は僅かに8名であった。
 それで海軍当局は、特Ⅰ型駆逐艦の呼称を「吹雪型」から「白雪型」に変更しているが、それほどに「吹雪」の戦没が残念がられたということであろう。そうした悲しい記憶というのも、どうやら現在の艦これブームのなかではあまり顧みられていないようである。
 現にMさんも、史実の吹雪の最期のことは知らなかったそうである。それよりも、艦これを開始する際の「初めての艦娘」が吹雪なので、「初めての駆逐艦」が吹雪であった星野さんならばこそ、早く艦これに参戦したらどうか、と誘ってくるのであった。

 それを軽く受け流しつつも、史実とのはざまで、複雑な思いを拭えなかった。サボ島沖に無念の思いを抱いて沈んだ艦のことを思うと、余計に手元にある初めての駆逐艦キットを大切にせねば、という気持ちになってくるのであった。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

帝国海軍 伊号潜水艦 甲型

2014年04月06日 | 過去の模型とか

 「艦隊これくしょん」に熱中しているFさんは、当然ながら「蒼き鋼のアルペジオ」の大ファンでもあります。だから、「伊号潜水艦って、やっぱり伊401号ですよねー」とよく言います。私が「特型だね」と言ったら、最初はポカンとして「特型って何ですか?」と問い返してきました。私もポカンとしてしまいました。
 「伊号400型」のことを旧海軍では「特型」って呼んだんですよ、と教えましたところ、へえー、という表情になりました。「艦隊これくしょん」のファンは、あんまり旧海軍の軍艦艦艇のこととかを知らないのかな、とこっちも驚いてしまいました。
 「星野さんは特型が好きなんですか?」と聞かれたので、「いいや、僕が好きなのは甲型なんですよ」と答えたのですが、その返事は「甲型っていう潜水艦もあるんですか?」でした。えもいわれぬ疲労感に襲われたのは言うまでもありませんでした。

 私みたいにプラモデルの方で100隻近い日本潜水艦を作っていると、どうしても潜水艦の型式やスペックを理解し艦姿などを識別してゆかざるを得なくなるわけです。でないと、どの型のどの潜水艦を作っているのか、自分でも分からなくなってしまいますので・・・。だから「艦これ」のファンたちが「伊19」などと話していると、ああ乙型か、というふうに型式名で思い出してしまいます。

 上画像は、私が製作した「伊号潜水艦」のほんの一部です。手前より伊9、伊10、伊11、伊53、伊58、伊56、伊54、伊400と並びます。甲、丙型改、乙型改、特の各型ですね。


 で、手前の三隻、伊9、伊10、伊11が甲型です。キットはピットロードですが、甲型の伊9と中型の呂35とがセットになったものです。長らく絶版同然になっていましたが、今年2014年より再版が始まったと聞いています。
 私なりには、甲型改の伊12も作りたかったんですが、伊12は写真も記録も残っていないため、甲型と外見が同じなのかどうか分からず、作れないままになっています。
 手元には甲型改2の伊13、伊14もありますので、伊12が加われば、長らく果たせなかった「甲型潜水艦部隊」が実現するわけです。いつかは、再版されたピットロードのキットを買って、夢を再び追いかけてみようかな・・・。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

帝国海軍 航空母艦 隼鷹

2014年04月05日 | 過去の模型とか

 最近は、模型やアニメの集まりでも「艦隊これくしょん」が人気を集めているせいで、若いメンバーを中心に「艦娘」談義があちこちで盛り上がっています。私のような古くからの軍艦艦艇ファンからすると隔世の感がしないでもないのですが、「艦これ」は結局は仮想に空想を重ねたコンテンツでしかないためか、話題にリアリティが乏しくなりがちのようです。

 そのためか、割と話が合うFさんには、よく「日本海軍のフネの実際の物語を教えて下さい」と頼まれることもしばしばです。最近には「終戦まで生き残った空母で物語が多いのはどれでしょうか」と聞かれました。少し考えた後、「隼鷹 (じゅんよう) 」かなあ・・・」と答えたところ、Fさんも「そうですか、そうですよねー、生き残ったからいろんな物語がありますよねー」と納得していました。

 Fさんの言う「物語」は全て過去のものでありますが、私自身はこの空母「隼鷹」を新たな「物語」のなかに甦らせたいという淡い願いがありまして、「ガールズ&パンツァー」に出会ったことによってその思いが強くなってきています。


 ガルパンの大洗女子学園の「これから」を私なりにイメージしてゆくと、学園艦の近くの海上には、幾つかの艦が浮かんでいるという絵が、ひとつのシーンとしてまとまってきます。その艦影のなかには、どういうわけか「隼鷹」の特徴ある島型艦橋のシルエットが含まれているのですね・・・。

 上掲の二枚の画像は、いずれも過去に製作したタミヤの「隼鷹」です。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

海は、忘れない。

2013年10月24日 | 過去の模型とか
 昨日10月23日は、西住みほの誕生日でしたが、きょう10月24日と翌25日は、比島沖エンガノ岬沖海戦のあった日です。日本海軍最後の空母機動艦隊が出撃し、哀しい囮作戦を見事に成功させて南海に壊滅しました。
 その咲かせた最期の華を、海は、決して忘れません。その伝える物語を、私なりには自分の過去の模型を撮影することで、語ってみたいと思います。ただ机の上に置いて撮影するのも何なので、適当に海らしいベースを作って、走航波も紙で適当に作って、それらしい雰囲気を作ってみました。大雑把な点はどうか御容赦を。

 昭和19年10月20日、豊後水道を南下して太平洋に繰り出した空母機動艦隊の前衛を兼ねて、第二補給部隊が豊後水道出口まで随伴しました。


 第二補給部隊の旗艦、駆逐艦秋風。キットはピットロード。平成8年5月10日に製作。砲二基を撤去して対空武装を強化しています。


 第二補給部隊の海防艦22号。丁型の11番艦で、キットはピットロード。平成6年11月6日に製作。戦訓工事が遅れて後部に仮設機銃を設けた姿を再現しています。


 同じく、海防艦29号。丙型の14番艦で、キットはピットロード。平成5年12月19日に製作。戦訓工事資料に基づいて対空武装強化を実施しています。


 同じく、海防艦31号。丙型の15番艦で、キットはピットロード。平成7年3月12日に製作。戦訓工事資料に基づいて対空武装強化を実施しています。


 同じく、海防艦132号。丁型の66番艦で、キットはピットロード。平成8年11月17日に製作。戦訓工事は比島沖エンガノ岬沖海戦時にはまだ未実施だったそうなので、その状態になっています。
 第二補給部隊には、他に海防艦33号と43号、油槽船二隻がありましたが、いずれもキットは作っていません。

 続いて、比島沖エンガノ岬へ向った、空母機動艦隊本隊の威容を、模型にて御覧下さい。


 第四十一駆逐隊の駆逐艦霜月。キットはアオシマで、武装や艤装品は全てピットロードに換装。平成8年2月25日に製作。昭和19年夏の戦訓工事で対空武装を強化するかたわら、防火対策として甲板のリノリウムも剥がしたそうなので、その状態を再現しています。


 巡洋艦戦隊の軽巡多摩。キットはタミヤ。平成3年2月17日に製作。最初は昭和17年時の状態にて再現したので、昭和19年夏の戦訓工事の資料を探したのですが、確かなものが見つからなかったので、そのままになってしまいました。


 同じく、軽巡五十鈴。キットはタミヤ。平成5年3月22日に製作。こちらは昭和19年時の武装強化後の姿になっていますが、エンガノ岬沖海戦時にはさらに単装機銃12基が増設されていたそうです。それを追加工作しようとして、未だに果たせていません。


 第六十一駆逐隊の駆逐艦秋月。キットはアオシマで、武装や艤装品は全てピットロードに換装。平成8年1月10日に製作。昭和19年夏の戦訓工事で対空武装を強化した状態です。当時の駆逐艦の大部分が、防火対策として甲板のリノリウムも剥がしたそうなので、それも再現しています。


 同じく、駆逐艦初月。キットはアオシマで、武装や艤装品は全てピットロードに換装。平成8年4月17日に製作。昭和19年夏の戦訓工事で対空武装を強化した状態です。


 同じく、駆逐艦若月。キットはアオシマで、武装や艤装品は全てピットロードに換装。平成8年5月22日に製作。昭和19年夏の戦訓工事で対空武装を強化した状態です。


 第三航空戦隊の空母瑞鳳。キットはP.Tエイジェンスで、飛行甲板はプラ板、武装や艤装品は全てピットロードに換装。平成6年2月16日に製作。対潜対空迷彩を施した状態で、飛行甲板上に艦偵一機と警戒の零戦隊6機を待機させた姿です。後にハセガワより新キットが出ていますが、まだ作っていません。


 機動艦隊本隊の旗艦、空母瑞鶴。キットはタミヤで、武装や艤装品は全てピットロードに換装。平成8年5月13日に製作。当時は瑞鶴の対潜対空迷彩に関する確かな資料がまだ無く、模型情報誌などで四種の推定案が出されていました。タミヤの製作ガイドにあったD案に基づいてピットロードの外舷色二種を使用して対潜迷彩を、飛行甲板上の対空迷彩は、実際の記録映像をもとにして推定的に再現しています。飛行甲板上に警戒の零戦隊11機を待機させた姿です。後にフジミより特シリーズにて新キットが出ていますが、まだ作っていません。
 第三航空戦隊には、あと空母二隻、千歳と千代田がありましたが、私はいずれも水上機母艦時代の姿で製作しており、ピットロードのキットも持っていますが未だに作っていません。


 第四航空戦隊の航空戦艦伊勢。キットはハセガワの旧キットで、武装や艤装品は全てピットロードに換装。平成6年4月19日に製作。後部カタパルト間の雛壇はプラ板で自作したほか、後部飛行甲板上はコンクリ敷き、リノリウム貼りの両説があったので、迷った挙句後者を採用して再現しています。最近の研究によって実際にはコンクリ敷きであったことが明らかになりました。後にハセガワおよびフジミより新キットが出ています。


 同じく、航空戦艦日向。キットはハセガワの旧キットで、武装や艤装品は全てピットロードに換装。平成6年12月11日に製作。伊勢と同じように後部カタパルト間の雛壇はプラ板で自作したほか、後部飛行甲板上はリノリウム貼りとの説に従って再現しています。後にハセガワおよびフジミより新キットが出ています。


 第三十一戦隊の軽巡大淀。キットはフジミで、武装や艤装品は全てピットロードに換装。平成6年1月3日に製作。昭和19年夏の戦訓工事で対空武装を強化した状態です。


 同じく、駆逐艦槇。キットはタミヤで、対空機銃(単装および三連装)のみピットロードに換装。平成7年1月15日に製作。昭和19年夏の戦訓工事で対空武装を強化した状態です。


 同じく、駆逐艦杉。キットはタミヤで、対空機銃(単装および三連装)のみピットロードに換装。平成7年1月13日に製作。昭和19年夏の戦訓工事で対空武装を強化した状態です。


 同じく、駆逐艦桐。キットはタミヤで、対空機銃(単装および三連装)のみピットロードに換装。平成6年7月3日に製作。昭和19年夏の戦訓工事で対空武装を強化した状態です。


 同じく、駆逐艦桑。キットはタミヤで、対空機銃(単装および三連装)のみピットロードに換装。平成7年1月14日に製作。昭和19年夏の戦訓工事で対空武装を強化した状態です。

 以上、合計二十隻の勇姿を紹介しました。

 私は基本的に細かい作り込みはしない方針で、キットは原則的にそのまま組んで、武装や艤装品を全てピットロードのパーツに換装してディティールアップを図る、という形で製作していました。アンテナ線などはスルーし、エッチングパーツも使いませんでした。現在はエッチングパーツ入りのキットが多くなっていますが、今後新たに作る場合、過去の作品の水準に合わせることになると思います。
 古い作品ばかりですが、今回久しぶりに箱から出してみて、とても懐かしく、楽しい気分になりました。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

軍艦模型のあれこれ

2013年10月09日 | 過去の模型とか
 昨日、模型サークルの知人A氏から電話がかかってきた。軍艦模型を作りたいので、おすすめのキットを教えてくれ、という内容であった。前回の電話は「蒼き鋼のアルペジオ」に関する話題だっただけに、私は最初、アルペジオ関連の軍艦かと勘違いをしてしまった。
「メンタルモデルは誰がいいんですか?」

 すると向こうは大笑いして、いやアルペジオじゃないんや、真面目な意味での軍艦のやつを作ろうかな、って思ってるんやけどな、星野がどんなキットに目をつけるか興味があるんでな、ひとつ聞いてみようと思ったんや、と言った。
「そうでしたか、どこの国の軍艦ですか?」
「日本海軍」
「そうですか、スケールは?」
「ウォーターラインのあれや。1/600やったっけ」
「1/700ですよ・・・」
「あっそうか、それそれ、そのガチで本格的なキットが作ってみたくなってなあ」
「艦種は何がいいですか?」
「戦艦か空母やな。でも大和とか武蔵はやめときたい」

 ということで、私なりにおすすめのキットを挙げてみた。


「戦艦なら、とりあえずフジミの金剛級ですかね」
「おすすめの理由は?」
「同型艦が三隻ですが、比叡、霧島、榛名それぞれに外見が異なるのをキットでどれだけ忠実に再現してるか、ってのがキット選択の要素になるんです。ウォーターラインのハセガワのは小奇麗にまとめて細部を省略してますんで、各艦の外見上の差異ってのがあんまり目立たないように思うんです。フジミの方はそこをかなり細かく追求してて、タラップとかも再現してるので、製作もけっこう大変ですけど、出来上がりは良いし作り甲斐もあると思いますよ・・・」


「金剛の他にもう一隻ぐらい推薦してくれんか」
「じゃあ、フジミの航空戦艦伊勢ですかね」
「またフジミかい」
「いや、最近の艦船模型ではフジミの凄まじいほどの独走が目立ってましてね、製品も出来が良いし、フジミ自体がこんなキット出しちゃって自分で自分を追い込んでるんじゃないかという・・・」
「伊勢を薦める理由は?」
「キットはまずハセガワがウォーターラインシリーズで新旧二つのキットを出してて、リニューアルの方は評価が良かったんですよ。だけど、フジミがこれに対抗して精度を上げて勝負、とかいう流れで、結果的には軍艦模型の平均的水準をかなり押し上げてくれたっていうか・・・・。航空戦艦っていうキット自体が、細部と細部と細部のディティールで物を言う、という傾向があると思うんで、そのポイントを狙って新金型で攻めてきた、という点は評価すべきと思うんですよ。ある意味、ひとつの画期を象徴するようなキットだと思ってますんで」


「よし、巡洋艦じゃあどれが良いかな、重巡の方でだ」
「高雄級の摩耶ですかね。フジミの」
「ほほう、摩耶か。愛宕とか鳥海じゃなくて摩耶だという理由は?」
「高雄級の中で最も改修が大きくて、三番砲塔を撤去して対空兵装を強化してますから、そのへんの変化と状態をどれだけ再現出来るか、というのがウリですよね。同じ時期の、1944年の高雄との差別化をどこできちっとつけるかっていう点に、フジミならばでの思想というか、製品開発の基本方針というのが色濃く出てくると思うんですよ。そのあたりを、作りながら確かめるってのも面白いんじゃないですか・・・・」


「空母ではどれがいいか」
「飛龍ですね。フジミの」
「おお、飛龍かよ、あれは俺も好きやなあ・・・」
「飛龍は、ウォーターラインシリーズではアオシマが担当してましたが、キットは初期シリーズのものだけに相当の甘さがあるんです。実艦の図面や写真が豊富に残ってるのにあんまりリサーチをしていなかったのかな、と思ってしまうんですが、とにかくそのまま組んだら実艦の写真とどこか違うというキットだったんです。それで僕もこれを作った時は、ブラ板であちこち改造して、兵装は全部ピットロードの部品に替えたんですけど、納得がいかなかったんですよ。リニューアル後のキットもあんまり差異がない感じなので、フジミが新金型で勝負してきた意味は大きいと思います。細部の再現度がものすごいですので、パーツも細かくなって製作が難しくなりましたが、その分、作り甲斐はあると思います。」


「あと、蒼龍もおすすめですよ」
「うん、蒼龍だな。栄光の二航戦 (第二航空戦隊のこと) を再現しちゃおうかねー」
「これも新金型での発売ですから、飛龍と同程度の水準をキープしつつ、ウォーターラインシリーズのアオシマのキットが省略したり表現しなかったりの部分にもリサーチをかけて、それなりのパーツ割りを出してると思うんです。空母ってのは、飛行甲板が平らですから、艦の形姿のメリハリをどこでどう出すか、というのが製作上のポイントになると思うんです。日本空母の場合、大型艦は赤城とか加賀とか大鳳とか信濃みたいに独特の姿をしてるのが多くて、それぞれにインパクトが強いですから、蒼龍、飛龍クラスの中型艦の方が逆に表現の工夫に苦労するという傾向になります。雲龍、天城、葛城まで含めてみんな一緒に見えてしまいがちですが、蒼龍クラスであれば、準同型艦の飛龍が艦橋が左舷側についてて分かり易いし、そこを表現の要にしてディティールアップをいかにするか、ってのが楽しみ方の一つですよね・・・」

「よし、そんならこの五隻で決めちゃおう」
「え、五隻全部作るんですか?」
「うん、一隻だけじゃあ、艦隊どころか戦隊にもならんからな」
 私がそこで笑うと、A氏は質問をしてきた。
「星野はガルパン戦車を作って、それで一段落したら、軍艦に戻るのかね?」
「まあ、今のところは、選択肢の一つではありますね・・・」
「いいんじゃないか、また作って楽しんだら?」
「そうなるかもしれませんね・・・」
「仮にだ、そうなった場合は、作りたいキットとかあるのかね?」


「作るんだったら、改丁型駆逐艦ですね」
「おお、やっぱり「駆逐艦の男」だな。「駆逐艦の男」健在なり、だな」
「いやそういうわけでもないんです、改丁型はまだウォーターラインの旧キットを改造したやつを二隻しか作ったことがないんで・・・」
「そうなのか。ピットロードのキットがまだ発売されてなかったんだな・・・」
 そのピットロードから、上画像の「橘」が発売されたのは、私が軍艦模型作りを中断してからしばらく経った頃であった。


 続いてピットロードは同型艦を次々とリリースした。上画像の「初桜」の他に「柿」や「菫」のキットも出されており、ウォーターラインシリーズでは実現しなかった改丁型駆逐艦のキットが豊富に出揃った感があった。私が軍艦模型作りを続けていたならば、当然これらのキットも作っていたはずである。

 いやー、私の模型道も、ガルパン戦車の次はやっぱり軍艦艦艇なのかな・・・・?

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

懐かしの8輌 (下)

2013年09月07日 | 過去の模型とか
 懐かしの8輌、の続きです。


 これはⅢ号戦車です。第二次大戦初期のドイツ主力戦車で、電撃戦における装甲師団の戦力となりましたが、対フランス戦時にイギリス軍のマチルダ歩兵戦車を撃破することができず、敵の対戦車砲で容易に破壊されるなどの問題がありました。対ソ連戦でも赤軍のT-34やKV-1に歯が立たなかったという話ですね。
 でも私はドイツ軍の戦車というと、このⅢ号戦車やⅣ号戦車のイメージが思い浮かぶのです。ロンメル将軍のアフリカ軍団の戦車がこれでしたからね。それで、初めて作ったドイツ戦車がこれだったのです。後期型のN型でしたから、砲も75ミリKw.K.37 L/24を装備してますが、これが実はⅣ号戦車の余剰品の砲だったというのは、随分後になってから知りました。


 これもⅢ号戦車です。ロンメル将軍のアフリカ軍団の仕様ですね。長砲身50ミリKw.K.39 L/60を搭載したL型で、サハラ砂漠の景色になじむダークイエローに塗られて、いかにも「砂漠のキツネ」を思わせます。このキットを作りまして、さきのN型と並べたら、同じⅢ号戦車なのに雰囲気がかなり違っていたのです。この時に、ドイツ軍の戦車が豊富なバリエーションを持っているんだなあ、と初めて知ったのです。
 ガルパンでも黒森峰チームの偵察任務担当として登場していますが、諸情報によるとJ型らしいです。J型の装甲強化タイプがL型なので、ガルパン仕様のⅢ号戦車を作るのなら、このL型のキットを買って細部を改造するという形になるでしょうか。


 これはⅣ号戦車です。大戦中を通じてドイツ装甲師団の主力として活躍した戦車ですね。日本海軍の零戦が大戦中を通じて艦上戦闘機の主力であったのに似ていますね。だから、ドイツ戦車といえばⅢ号、Ⅳ号と思い浮かべるのが普通でしょう。有名なティーガーとかは活躍自体が限られてますし、故障も多かったそうですから、ドイツ装甲師団の作戦展開をしっかり支えていたのはⅣ号戦車だったと言えそうです。Ⅲ号戦車と姿が似てますが、実際に作ってみた感じも似たようなものでした。A型からH型、J型とありましたが、上のはD型です。
 これがガルパンでは、主人公である西住みほ率いるあんこうチームの搭乗車になっていますが、ある意味正しい「配役」だと思います。この戦車で、あんこうチームは戦車道全国大会にていろんな対戦校の戦車部隊と試合をするわけですが、そのストーリー自体が、なにか実際のドイツ国防軍Ⅳ号戦車の多彩な戦歴とオーバーラップするんですね。私がこのⅣ号戦車を作ったのは十数年前ですが、その頃は地味だが真面目に戦った縁の下の力持ち、というイメージで捉えておりました。


 これもⅣ号戦車ですが、後期のH型です。このキットからシュルツェン装備となるので、私はこれも買って作りました。ドイツ戦車によく見られる楯の一種であるシュルツェンを、このキットで初めて体験しましたが、こんな薄い板が対戦車砲の被害を軽減出来たのか、という驚きがありましたね。フェンダーとかステーとかが細かくて取り付けるのに苦労した記憶がありますが、出来上がってみると、まるで鎧をまとった武者、という感じでした。
 ガルパンでも、あんこうチームの搭乗車がD型からこのH型に改造されて黒森峰女学園のティーガーⅠと一騎打ちの激闘を展開するわけですが、その際にシュルツェンが敵弾で吹っ飛ぶのですね。でも車体へのダメージは少ない。ああこれがシュルツェンの効果か、と理解出来ましたね。Ⅲ号戦車と同じくⅣ号戦車も2輌作りましたが、このD型とH型を買えば、ガルパン仕様の前期 (対アンツィオ校戦まで) と最終期 (対黒森峰女学園戦) をほぼ再現出来るわけです。

 以上が私がかつて作っていた8輌です。これからガルパン戦車を順番に作っていこうと計画していますが、そのうちの6輌を既に経験していますので、何らかの形で役にたちそうです。とりあえず大洗女子学園のチームから作りはじめる積りですが、ヘッツアーとⅣ号戦車が含まれます。この2輌から取り掛かるというのも良さそうですね。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

懐かしの8輌 (上)

2013年09月06日 | 過去の模型とか
 前の記事で、ドイツ国防軍の戦車を8輌作って自分流の戦車部隊にして遊んでいた、と書きました。すると、記事を見た模型仲間に「何の戦車を作ってたのか?」と聞かれました。7月まで制作代行をやってた時期にも同じのを作ってたんですが、それらは人様からの依頼品でしたから写真すらありません。
 私が過去に作った8輌も、人にあげたりしましたので、手元には残っていないのです。いま考えると、ちょっと残念ですね。写真を撮っておけば良かったんですが、メインの軍艦艦艇の方もほとんど写真を撮っていませんからね、戦車の写真を撮って記念に残しておこうという、そういうような発想が無かったですね。

 それで、ボックスアートで紹介してみたいと思います。8輌すべてがタミヤの製品で、現在も販売中です。一部のボックスアートは変わっているみたいですが、中身は一緒です。ガルパンに登場する戦車も多いので、これからガルパン戦車を作ってみようという方には少し参考になるかも。


 まずパンターです。最初はⅤ号戦車と呼ばれて、後にパンターが正式名称となったのですね。昔読んだ戦車の本では「豹戦車」と書いて「パンテル」と読ませてましたが、現在は「パンター」で良いらしいですね。私が最も大好きなドイツ戦車なのです。A型、D型、G型、F型などがありますが、私はG型を作りました。D型もキット化されてたかもしれませんが、少なくとも店頭で見かけるのはG型ばかりだったような気がします。


 これもパンターG型のキットです。私が作ってたのはこっちだったような気がするんですが、ボックスアートが昔と違うのでよく分かりません。G型の後期型を作って、後部の排気菅を何かに取り換えてた記憶があります。最近、滝沢聖峰さんの「独立戦車隊」を読みましたが、パンターG型が主役で、とても面白かったですね。ガルバンでは6輌も揃って黒森峰の戦車部隊の一角を担っていますね。
 7月までに制作代行したうちの3輌がパンターでしたので、かなり人気があるんだなー、と思います。


 これはヤークトパンターですね。パンターが好きだったので、これも作りました。パンターの車体を利用してパンターよりも口径の大きい88ミリ砲を搭載した駆逐戦車です。エンジンや走行装置などはパンターとほぼ同一らしいですが、作ってみると威圧感が全然違いましたね。やっぱり88ミリ砲の存在感、というやつでしょうか。初めて迷彩塗装にチャレンジして失敗し、オレンジ色に近い変な車体色になってしまい、塗り直した記憶があります。
 これもガルパンの黒森峰チームに含まれていますね。公式キットはまだ出てないみたいですが、いずれプラッツあたりから出されるんじゃないでしょうか。個人的にはタミヤがガルパン市場に参入して公式キットを出してくれたらなー、と思いますが。


 これはⅣ号駆逐戦車です。パンターの次に好きな戦車です。一般的には「ラング」の名で知られてガルパンでは6輌が黒森峰チームに参戦しています。「ラング」は厳密にはフォマーク社が生産した70(V)を指すらしいですね。アルケット社が生産した70(A)もあるんですが、ちょっと車高が高いのです。形状も微妙に異なるので、ガルパン仕様のⅣ号駆逐戦車を作るなら70(V)の方をタミヤのキットで仕上げればよいのですね。
 ドイツ戦車といえば、大抵はティーガーⅠとかⅡが人気ありました。それで模型仲間に「星野君はどうしてパンターとラングが好きなんだ?」と聞かれたことがあります。「どっちも砲弾はL70だから」と答えたら、「それは正しい理由だ」って言われましたね。


 これはヘッツアーです。パンター、ラングの次に好きな戦車です。ドイツ戦車の傾斜装甲の渋い雰囲気が好きだったので似たような戦車ばかり好きになっていたわけですが、ヘッツアーは小さいので親しみがありました。駆逐戦車に分類されるようですが、実質的には自走砲だったのかもしれません。過去に作った8輌のうちのラストだったんですが、履帯がよく切れて二度ほど修理した記憶があります。
 ヘッツアーに限らず、ドラゴンやイタレリのキットを買うと履帯作る行程がものすごく大変なのですが、タミヤは早い頃からベルト式を導入していて、それで私も作り易くて楽しかったです。ガルパンでは大洗女子学園のカメさんチームの後半期の戦車ですね。劇中では38(t)戦車の車体にそのまま改造キットを載せてましたが、現実にはありえない組み合わせなので面白おかしかったです。アニメの楽しさの一つですね。

 とりあえず4輌ぶんを書きました。残り4輌の紹介は次回に。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする