気分はガルパン、ゆるキャン△

「パンツァー・リート」の次は「SHINY DAYS」や「ふゆびより」を聴いて元気を貰います

ゆるキャン△の聖地を行く8 その13  下田の金目鯛バーガー

2019年09月30日 | ゆるキャン△

  万宝商店さんで干物2点を焼いてもらっていただきましたが、それだけで空腹はおさまりませんでした。そこで、予定どおり、もう一軒行って、そちらでもゆるキャン飯を食べることにしました。
 とりあえず、車を停められる上図の「まどが浜海遊公園」に移動し、そこの広い無料駐車場に入りました。原作コミック第8巻83ページ3コマ目にて、志摩リンがビーノを停めたのも、ここの無料駐車場でした。

 

 一帯は、広い芝生の向こうに下田湾の海原があおあおと横たわる公園です。志摩リンは、鳥羽先生らの車が到着するまで、ここでのんびり散歩していたのです。

 

 公園のほぼ中央に目立つのが、上図の錨です。原作コミック第8巻84ページ3コマ目にて、志摩リンが「錨でけー」と思っています。

 

 下田港の桟橋にも近い位置にある毘沙子島(みさごじま)です。海遊公園の正面に見え、右岸の岩場の朱鳥居が目印です。原作コミック第8巻85ページ3コマ目にて、志摩リンが「あの島って行けないのかな?」と思っていますが、そのとおり無人島で渡ることは出来ません。

 

 湾内には大小4つの島があり、そのうちの弁天島と犬走島は堤防で陸地と繋がっています。上図の左手前が毘沙門島、右奥が犬走島です。

 

 下田港内めぐりのクルーズ船が観光桟橋に戻ってきました。幕末にここにやってきたペリー艦隊の黒船を模した遊覧船「サスケハナ」号です。
 原作コミック第8巻85ページ4コマ目にて、志摩リンがこの遊覧船を見て「黒船じゃー、黒船来航じゃー」と思っています。彼女は本栖高校では図書委員で読書家なので、歴史に関する知識もけっこうあるようです。

 

 その遊覧船が、公園の西側にある観光桟橋に接岸してゆくのを、歩きながら眺めました。

 

 そのまま西へ歩いて公園区画の外側に出て、西隣の道の駅「開国下田みなと」のゾーンに行き、上図のお店に入りました。現地では知られた下田バーガーの専門店です。原作コミック第8巻91ページ2コマ目のアングルで撮りました。
 志摩リンが、到着した鳥羽先生らと合流した直後にこのお店に入っています。

 

 お店の名前は、上図右の看板にあるとおり、「Ra-maru」、「ラーマル」と読みます。伊豆に数あるご当地ハンバーガーの中でも人気が高い「金目鯛バーガー」がここでいただけます。
 お店の案内情報はこちら

 

 いかにも海辺のカフェ、といった感覚の建物で壁面はほぼガラス張りで、外の景色もよく見えます。

 

 屋根が高くとってあり、三階建てぐらいの空間が確保されているので、室内のディスプレイも二階ぐらいの高さまで余裕で展開され、独特の雰囲気を演出するのに役立っています。青空も見えます。

 

 セルフサービスの水は、よく冷えたハーブ入りで、暑いなかでは最高でした。三杯ぐらい飲んでしまいました。

 

 メニューはシンプルです。当然、各務原なでしこ達がいただいた、人気トップの「下田バーガー」1000円をチョイスしました。

 

 これが「下田バーガー」、つまり金目鯛バーガーです。原作コミック第8巻91ページ3コマ目に描かれるものと同じ品ですが、作中では一行はサイドメニューのフライドポテト400円もセットで頼んでいたようです。
 まずその大きさに驚かされました。これだけのボリュームとは思いませんでした。

 

 食べて見ました。・・・・旨っ!!
 まさに、原作コミック第8巻92ページ1コマ目の各務原なでしこと犬山あかり状態でした。

 これでやっと腹が満たされました。この日の宿は素泊まりで予約していましたから、夕食をどこかでとろうと考えていましたが、この金目鯛バーガーで一気に満腹になりました。あとはもう、軽く食べられるものをコンビニで買うだけでいいや、と思いました。  (続く)

 


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ゆるキャン△の聖地を行く8 その12  下田の焼き干物

2019年09月29日 | ゆるキャン△

 南禅寺から河津海岸沿いの国道135号線に戻り、下田市へ移動しました。左手に広がる相模灘の大海原の碧さを眺めつつ、約30分ほどで白浜を通過、外浦の海水浴場への分岐で左折して下に降りました。海水浴客でごった返す街中を抜けて、街区の奥まった場所にある上図のお店に行きました。

 

 このお店が、原作コミック第8巻98ページ1コマ目に登場するお店のモデル、万宝商店です。外観はそのまんまです。
 万宝商店の公式サイトはこちら

 

 御覧のように駐車場もありますので、近隣から買物に来る地元住民も多いです。入れ代わり立ち代わり入ってきて、目当ての品を買ってサッと引き揚げてゆきました。

 

 営業時間、定休日は御覧の通りです。店内で焼いてもらう場合の焼き代は100円です。

 

 色々な品がありますが、なかには西日本では見かけない魚の名前があったりします。

 

 私の好物の干物も色々売っていました。全品一枚ずつ買って、焼いて食べたくなりました。

 

 美味そう!銀ムツの味噌漬け。食べたら絶対美味しい筈。買って持ち帰りたかった・・・。

 

 買った干物を、店内で焼いてもらって上図の席で食べることも出来ます。でも御飯とかは一切出ませんから、持参する必要があります。先程まで、地元の常連さんらしき老人が持参のお握りを食べつつ、アジの干物を食べていました。

 

 店内では、約10人ぐらいが食事出来るそうです。

 

 このアングルが、原作コミック第8巻99ページ1コマ目のそれです。犬山あおいと鳥羽先生が、客が干物を焼いて食べているのを見ていた場面です。

 

 で、禁酒25日目の鳥羽先生が、フラフラと酒の香りに吸い寄せられて犬山あおいに制止される場面のアングルが上図です。原作コミック第8巻99ページ4コマ目です。

 

 早速、私も干物2点を購入して、焼いてもらいました。通常は店奥でこのようにまとめて焼くのだそうです。2点ですから、焼き代は200円でした。

 

 まずはサバの干物。

 

 裏返しました。いい焼け具合です。一口食べると、じわりと独特の脂味が広がりました。この日は昼食もまだとっていなくて、東伊豆町風力発電所にてナッツ類を軽く食べただけでしたので、ずっと空腹感につきまとわれていました。それだけに、香ばしい干物の香りがズドンとくるのでした。酒はありませんが、まさしく「かーーーっ!状態でした。

 

 続いて焼き上がったアジの干物。

 

 これも味は絶妙でした。もう、最高かよ、状態でした。御飯かお握りをコンビニで調達して持参すれば、もっと美味しく食べられただろうと思います。  (続く)

 


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ボンプル高校 7TP軽戦車(双砲塔型) 作ります!! その3

2019年09月28日 | ガルパン模型制作記

 ステップ6では、左右のフェンダ―および各所の小さなパーツを取り付けます。

 

  左右フェンダーなどの大きなパーツから順番に取り付けてゆきます。

 

 組み上がりました。

 

 続いて、小さなパーツを無くさないように注意して準備しました。

 

 ドンドン取り付けてゆきました。

 

 取り付け位置が分かりにくい場合は、パッケージイラストや実車の図面を参考にしました。

 

 ラストのステップ7です。排気管やフェンダーステーなどを取り付けます。右フェンダーにセットする3点の車外装備品は、劇中車には無いと推測されますので、不要としました。

 

 排気管やフェンダーステーなどのパーツです。

 

 フェンダーステーは取り付け位置が分かりますが・・・。

 

  排気管のほうは位置がいまいち分かりにくかったので、実車の写真をネットで見て参考にしました。

 

 ステップ7の組み立てが終わりました。

 

 保留にしていた車輪類の取り付けを行ないました。

 

 二つの砲塔をセットしました。砲塔リング穴へのはめ込みがキツいため、削って調整しました。もともと二つの砲塔がくっついて互いに干渉しあうため、左右とも砲塔リング穴外側を削って拡げましたが、それでうまく解決しました。

 

 塗装前の組み立てが終わりました。塗装は、前に組み立てた7TP単砲塔型と一緒に実施する予定です。最終章第2話の試合シーンでも分かるように、ボンプル高校チームの2種の7TP軽戦車は車体色が同じであるからです。  (続く)

 


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ガルパンの聖地 ・ 大洗を行く32 その9 「梅原屋のマークⅣです!!」

2019年09月27日 | 大洗巡礼記

 梅原屋のガルパンプラモデル新作の3件目は、上図のマークⅣ戦車でした。大洗女子学園サメさんチームの搭乗車輌です。
 使用キットは、モンモデルのマークⅤ MAILだそうです。なぜかというと、最終章第1話にて秋山優花里がサメさんチームの搭乗車輌に関して二人での操縦形式(マークⅤの特徴のひとつ)に改造してある旨を述べており、またコメンタリーでも「実質的にマークⅤ」と言及されるからです。
 それでNさんは、劇中車の駆動系はマークⅤタイプに換装してあると解釈し、上述のキット選択に至りました。マークⅣとの外観上の相違は天面部分に集中するため、そのパーツだけを交換すれば、劇中車の外観をほぼ再現出来るわけです。そこでマークⅣの天面パーツつまりD部品を、タミヤカスタマーより取り寄せています。

 

 車長のお銀を始めとする、サメさんチームの5人のフィギュアも内外に添えられており、ガルパン戦車の雰囲気を高めて楽しませてくれます。

 

 御覧のように、天面を除いての外観は、マークⅣとほぼ同じです。ですがマークⅣのインテリアキットが存在しないため、今回のキットの選択となったわけです。他にエデュアルドのエッチングパーツやロシア製のレジンパーツの機関銃セットも取り寄せての、こだわりのフルインテリア作品の製作でした。

 

 操縦室天板を外してありますので、フリントとラムの二人が操縦している姿が見られます。アニメではあまり感じられていませんが、実際の操縦室はこのように狭いです。

 

 この作品では、車輌の左側面を外観仕上げ、右側面をこのように内観仕上げとしてあります。こちらから見ますと、車輌の内部が全て見えるようになっています。

 

 サイドスポンソンの後扉からムラカミが身を乗り出してウサギさんチームに怒鳴る、あのシーンが再現されています。大柄なムラカミにとっては、この戦車の内部空間はやや窮屈であることがよく分かります。
 駆動部の上に位置する砲弾の収容筒も、ブラ棒をカットして丁寧に再現されています。

 

 このスポンソン部分は内観表示のために側面板および天面板を外してあるため、そのままではグラグラ状態となります。それで上端に真鍮線を張って強度を確保していますが、こういう追加工作をやらないとこうした内観表示のインテリアキットが成立しません。

 

 側面区画内の機銃弾薬箱も砲弾筒と同じようにブラ材での追加工作で再現されています。ですが、Nさんによれば、もっと多数があって内部空間の余剰が無い程に詰め込まれていたそうです。

 

 天面部分を外しました。

 

 御覧のように、操縦席からエンジン、後壁まで続く弾薬庫および左右の砲架部が一つの空間に繋がっていることが伺えます。後ろの弾薬庫内にカトラスが居ます。
 左右のガンルームは、実車では車体にスライド収納が出来るとのことですが、この作品でそこまで再現されているかは分かりませんでした。

 

 エンジンが車体の中央にあります。実際にはエンジンは四方を保護板および遮熱板で囲まれており、キットのパーツでもそうなっているのですが、それだとエンジンが見えなくなりますので、支障の無い部分をギリギリまでくり抜いて、上図の状態に仕上げてあります。

 

 カトラスが居る弾薬庫は、劇中ではお銀が陣取っています。機関部を見せるために床板の一部を省略してありますが、この省かれた部分の上あたりにお銀の車長席が位置しているはずです。

 今回の製作にあたっては、大日本絵画のオーナーズマニュアルも参照して、マークⅣとⅤとでは給排気系機構が逆になっている等の点もふまえたうえで、メカ的な辻褄を合わせる工作を各所に施しています。なので、元キットのインテリアパーツ配置をそのまま踏襲しているわけではなく、随所にオリジナルの組み付け部分が見られます。

 

 Nさんによれば、エンジン細部の追加工作やディティールアップはあまり必要なかったそうです。というのは、このモンモデルの製品のパーツが細部まで精密に再現された高精度のものであるからです。しかし、小物入れや弾薬箱などは何故か省略されているとかで、そのあたりで色々手を加えたそうです。

 なお、エンジンの上に、劇中と同じく燻製肉がぶら下げてあります。こういう細かいネタもきちんとフォローするのが、世界のNさんの造形哲学なのです。

 

 背面部分です。牽引用ワイヤーはキットに無いので、他キットより転用して真鍮パイプで形状を合わせています。

 

 塗装色は、内部は一般的なホワイトでまとめ、外観は劇中車のアニメカラーの彩度が場面によって微妙に変化する点をふまえて、基本色を暗、中、明の3カラーに配分して調整し、場所に応じて丁寧に塗り分けています。
 デカールはモデルカステンのセットから使用し、あらかじめデカール範囲のリベットを削って、デカールの貼りつきが綺麗になるようにしています。

 

 以上、梅原屋展示のガルパン戦車プラモデル新作品3点の概要でした。  (続く)

 

コメント (4)
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ゆるキャン△の聖地を行く8 その11  河津の古刹

2019年09月26日 | ゆるキャン△

 素晴らしい景色に囲まれた東伊豆町風力発電所を出て、国道135号線に戻り河津町へ引き返しました。谷津の信号交差点で県道14号線に右折し、伊豆急行線の高架下をくぐり、次の辻で左折して川沿いの街区の中を道なりに進みました。
 そうして1キロほど進んで山間の農村エリアに進んで、目的地に着きました。

 

 目的地は、現在は上図の観光案内板の通り、「伊豆ならんだの里 河津平安の仏像展示館」という長たらしい名称になっていますが、1995年に初めて訪ねた時は、古来のままの「南禅寺」でした。「なぜんじ」と読みます。
 当地にかつて存在した寺の名前が那蘭陀寺といい、「ならんだじ」と読みましたが、1432年に山津波によって壊滅、残された仏像群を収容して守り伝えてきた里のお寺が南禅寺でした。そのお堂の老朽化と仏像群の保存管理のために2013年に現在の展示施設を境内地に新設、仏像群を移して展示して現在に至っています。

 

 25年ぶりの再訪でしたが、記憶が薄れていなかったために道に迷うことは無く、そして現地の風景も昔のままでした。伊豆急行線の列車車輌が新しくなっていたのが、唯一の変化だったかもしれません。

 

 そして南禅寺および仏像展示館への道も、車道となって幅こそ拡げられたものの、急な登りがずっと続くことは相変わらずでした。25年前はサッサッと登っていたのを思い出し、途中で何度も休む自身に、加齢と衰えを痛感したことでした。

 

 谷間の駐車場から、このような高い位置まで登ってきましたが、参道はまだ続くのでした。伊豆半島のみならず静岡県でも最古クラスの古刹が、このような山奥の高所にひっそりと存在するのです。山間の隠れ古寺、という表現がピッタリあてはまります。

 

 登ること10分あまり、なんとか坂道をたどり切って、昔ながらの境内地の石段前に着きました。25年前と全く変わらない、懐かしい景色でした。

 

 石段を登ってゆくと、南禅寺の本堂が見えてまいりました。長らく無住が続いた寺てすが、地元有志にあたたかく守られて今なお古刹の雰囲気を保っていました。

 

 この本堂に、25年前は仏像群がまつられていたのでした。麓の管理役の家に挨拶して鍵を預かり、えんえんと山道を登ってこのお堂に対面し、自分で鍵を開けて拝観に臨みました。はるばる奈良から車で5時間かけてやってきて、薄暗い堂内に持参の懐中電灯の光を向けつつ、浮かび上がる仏像群の姿に言いようのない安堵と感慨を抱いたことでした。

 その初訪問の契機は、大学時代の恩師の、「伊豆へ行く機会があったら南禅寺だけは必ず行くように」との教示でした。当時は仏像の歴史を勉強していましたから、全国各地の見るべき遺品は大体見て回っていたのでしたが、静岡県に関しては鎌倉幕府黎明期の北条氏関連の仏像ばかりを回っていたので、恩師に「それでは足りない、君は平安時代仏像がメインじゃないか」と諭されたのでした。

 それで地図を確かめると、伊豆半島の南端でしたから、また遠い僻遠の地だなあと驚きました。韮山とか函南へ行くだけでも大変だったのに、さらに天城を超えなきゃならないのか、と思ったことを覚えています。同時に、そこに静岡県最古の仏像群が残されていることに感動したので、その翌月に休暇を利用して出かけたのでした。

 

 いま、本堂の仏像群は、境内地の一画に建てられた展示館に移されています。上図の右奥の建物です。

 

 もちろん、この展示施設に入るのは初めてでした。立派な建物をつくったなあ、と感心しました。
 「伊豆ならんだの里 河津平安の仏像展示館」の公式サイトはこちら

 

 案内板もありますが、読まなくても全て頭に入っております。

 

 展示館内部の仏像群です。係員のボランティアの方に、かつて訪れた時の事も話して、平安仏像の研究をやっていた旨も伝えたところ、それから色々と話がはずんで盛り上がりました。
 なにしろ、ここの仏像群に探究の光を初めて当てたのが私の恩師なのですから、現地ではその恩師の名前はよく知られています。

 それで、特別に許可をいただいて仏像群を撮らせていただくことも出来ましたが、かつての薄暗い本堂内のほこりまみれの姿が印象的だった身としては、まるで別の仏像たちを見ているような感じでした。
 堂内を模した館内にて明るく照らされ、全てがよく見えるのでした。25年前の拝観では捉えられなかった点も多かったのだな、と気付くまでに時間はかかりませんでした。

 この仏像群の最古品は9世紀代ですから、今から1200年ぐらい前の遺品です。これよりも古い平安時代の仏像は静岡県内では確認されていませんから、仏像研究の上では非常に重要な資料の一つです。
 古代の伊豆国の国府および国分寺はいまの三島市に所在しましたから、平安時代の仏教文化もそのあたりに栄えたとイメージされがちですが、実際には伊豆半島の南端の河津に最古級の遺品が残っています。古代には海路のほうが主であった伊豆の交通事情をよく反映しています。

 河津の「津」は、古代では港を意味しました。しかも天城山から発する川の終点にあたりました。河津が古代より交通の要衝であったことは諸史料にも明らかなので、仏教文化も陸路より海路にて当地に伝わった筈です。漁業の主要拠点でもありましたから、経済的にも栄えていたことは間違いなく、つまりは古代の伊豆半島においては先進地域の一つであったとみられます。南禅寺の仏像群が成立するための環境は充分に整っていたわけてす。

 

 一時間あまり、色々専門的な事も交えて話しつつ見学し、記念にと上図の護札をいただきました。昔ながらの呼称である「南禅寺堂」が朱印で押されてあります。

 

 展示館を辞して、急な山道を降りて谷間の駐車場に戻りました。その途中の景色が25年前と同じでしたから、そのときの私は、当時の若き自身に舞い戻ったような気分でした。  (続く)

 


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ゆるキャン△の聖地を行く8 その10  東伊豆町風力発電所

2019年09月25日 | ゆるキャン△

 稲取細野高原の桃野湿原駐車場からの眺望は、北の三筋山方向と東の東伊豆山地方向に開けています。南は樹林にさえぎられ、西は三筋山の南尾根筋が望まれます。
 次の目的地にして、今回の巡礼行の最大の目当てである場所も、この場所からは全く見えませんでした。

 

 とりあえず、お手洗いを利用して、桃野湿原駐車場から退出、もと来た道を慎重に引き返しました。教わった通りに山裾の集落付近まで引き返しましたが、目印となる「ひょうたん池」を見つけられないまま、真っ直ぐ降りてしまいました。

 300メートルほど進んで道幅が広くなっている場所にいったん車を停め、車載ナビを見ましたが、全然違うルートを示していて頼りになりませんでした。地図を開いて現在位置は把握出来ましたが、自信が無いので、近くの畑で農作業をしていた老人に挨拶して道を教えてもらいました。
 相手は微笑しつつ、「ひょうたん池」の角から進む道は遠回りになるから、と前置きしたうえで、北側の林の奥を指さしました。

「この道来たんじゃろ?ちょっと戻ってな、最初の辻で右に行けばいい。この前新しく出来た林道じゃが、谷間に降りたら道は細くなる。細いけど車も通れる。山の裾を回ってな、水生の庄の横を通る」
「ミブノショウ、ですか?」
「旅館じゃよ。そこからゴミ焼却場の前の道に出るから、左に行く。ずーっと回って次の角でも左に行く。そしたら次は分かれ道になっとるから右に行く。そしたら保育所がある。その角を左に行く。分かるな?左、左、右、左じゃ」
「有難うございます」

 

 老人が教えてくれた通り、引き返して最初の辻で右の新しい林道に降りて、それからは左、左、右、左と進みました。旅館水生の庄の横からゴミ焼却場の前の道に出て左折、道なりに進んでゴルフ場の横を過ぎ、次の辻で左折、少し北に進んで、上図の分岐点に着きました。ここで右に進んで坂道を登りました。

 

 坂道を登っていくとすぐ左手に稲取保育所があり、その向こうの角に上図の看板が立っていました。これが今回の巡礼行の最大の目当てである、東伊豆町風力発電所への入口にあたっていました。その角を左折しました。

 

 急な登り坂を経て丘陵上に出て道なりに進むと、前方の高所に東伊豆町風力発電所の風車が見えてきました。

 

 ここが、今回最も来たかった巡礼スポット、東伊豆町風力発電所の風車群です。

 

 初めて来ましたが、既視感バッチリでした。各務原なでしこ達は展望所に行っているので・・・。

 

 その展望所に向かいました。

 

 ああ、ここだ。間違いない・・。

 

 原作コミック第8巻の裏表紙の景色です。そのまんまですね。素晴らしい。

 

 南には相模灘の海原が広がります。水平線は霞んていました。

 

 北には風車の並びが見えます。全部で4基がこの丘陵上に立っています。

 

 北西方向には、さっき行ってきたばかりの稲取細野高原が見えました。上図右の山肌が上まで達しているところが三筋山です。その左の稜線上にも風車が並んで見えました。

 

 南西方向には、河津の港町が見えました。

 

 最高の気分でした。記念の自撮りの際にも、御覧の通り、笑ってしまいました。とにかく無事にやって来られたので嬉しくて仕方がなかったのでした。

 富士山といい、四尾連湖といい、杖突峠といい、大瀬崎といい、ここ東伊豆町風力発電所といい、「ゆるキャン△」ほどに風光明媚な聖地が豊富なアニメというのは、他にはありませんね・・・。景色の素晴らしさが最大限に満喫出来る聖地巡礼コースばかりなので、アニメを知らなくても普通に観光で楽しめると思います。

 

 展望所の斜め向かいの道路わきに、風車の翼の一枚が置いてありました。交換した分なのか、予備なのかは分かりませんでしたが、これだけで長さが20メートルを超えます。陸路つまり今回の山道でこれを運ぶのは無理でしょうから、空輸になるのでしょうか・・・?

 

 その長い翼が3枚付いて、緩やかに回っていました。風車が発電を開始する最低の風速が3メートルだそうなので、それ以上の風が吹いているわけでした。ですが、風速が強くなって一定数を超えると、事故防止のために発電をストップさせるのだそうです。
 東伊豆町風力発電所の公式サイトはこちら

 食事処へ行く暇もなくて昼食は後回しにしていたため、とりあえず、家から持参したナッツ類とコーヒー缶で休憩しました。「スパイファミリー」のアーニャみたいにボリボリとアーモンドなどを食べつつ、まったりと風車や周囲の景色を眺めました。  (続く)

 


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ボンプル高校 7TP軽戦車(双砲塔型) 作ります!! その2

2019年09月24日 | ガルパン模型制作記

 ステップ2で足回り、ステップ3で車体を組み上げます。足回りにおいては、転輪を塗装後に組み付けますので、パーツ20および21もそれまで接着せずに仮組みのままとします。
 車体は箱組みですので、一枚一枚しっかりと合わせながら丁寧に貼りつけてゆきます。僅かなズレも致命的となりますので、パーツに反りがある場合は無理せずに片方だけ接着し、固着してからもう片方を接着してゆきます。

 

 足回りの起動輪および誘導輪です。

 

 起動輪のほうは、接着後すぐにベルト式履帯に歯をかませてチェックします。貼り合わせがズレると、履帯にうまくははらなくなりますから、注意が必要です。

 

 転輪は、上部転輪は切り離して組み立てましたが、下部転輪はランナーにつけたまま組み立てました。現存の実車の転輪を見ますと、大きなゴム転輪のような感じで、全体がタイヤブラック系の色ですので、該当のカラー一色で吹き付け塗装しようかと考えています。その場合は、このようにランナーに付けたままのほうが、作業しやすいです。

 

 ボギー部分は、車体を先に組み上げないと組み立てられませんので、仮組みも後に回しました。

 

 車体を組みます。反りも歪みもほとんどありませんでしたが、慎重に丁寧に組み付けます。

 

 組み上がりました。

 

  ステップ4では、車輪類を組み付けます。私の製作では、車輪関係は塗装後に取り付けるのが常ですので、今回のキットでも同様です。

 

 ステップ5では、車体の上部を組み付け、足回りのボギーを取り付けます。ここでは足回りは全て仮組みとします。

 

 車体の上部を組み付けに取り掛かります。下部車体の組み立てに少しでも狂いがあると、この上部の各パーツもズレてくることになります。ちょっと緊張してしまいます。

 

 丁寧に組み立ててゆきました。

 

 組み立てそのものはうまく行きましたが、操縦席ハッチの右側の側面板のサイズがやや大き目なのか、0.5ミリほど張り出していました。実車にはそのような張り出しはありませんので、カットして調整しました。

 

 ボギーを仮組みし、車体に内側のボギーパーツを接着し、それに軸のパーツ28を接着しまました。その状態で外側のボギーパーツを仮組みしました。直後に平らな場所に置いて、全てのボギーが水平になるようにして、そのまま乾燥させました。塗装後に転輪をセットしてから貼り合わせる予定です。

 

 接着したボギーパーツの乾燥固着した状態です。塗装前はこの状態まで取り付けておきます。この種の形式の足回りはイタリア車輌と共通しますので、ガルパンにおいては、P40やM41なども同様の組み立て手順になります。  (続く)

 


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ガルパンの聖地 ・ 大洗を行く32 その8 「梅原屋のⅣ号F2型です!!」

2019年09月23日 | 大洗巡礼記

 梅原屋のガルパンプラモデル新作の2件目は、上図のⅣ号戦車F2型でした。最初はドラゴン系の公式キットを使用したのかなと思いましたが、よくみると後部エンジンフードの雰囲気がやや異なっていました。それでNさんに尋ねると、トランぺッターの2製品のニコイチだ、と言われました。

 つまり、トランペッター製の戦車回収車「BergepanzerⅣ」(品番00389)の車体と砲装備装甲列車「Panzer Jagerwagen」(品番01516)の砲塔とを組み合わせてフルインテリアの作品を構築したものということです。なぜかというと、双方のキットはインテリアキットなので、合わせればⅣ号戦車F2型のフルインテリアを簡単に組めるからです。

 

 Nさんによれば、最初はH型仕様での再現を目指したのだそうです。しかし、作業中に定めた「プロポーションを残したままのフルインテリア」というコンセプトにおいて、H型仕様のシュルツェンが邪魔になって相性がよくないため、砲塔形状がほぼ共通するF2型仕様に変更したそうです。

 なお、ドラゴン系H型仕様のフルインテリア、あんこうチームフィギュア5体付きの公式キット製品が発売予定となっておりますが、同じものをNさんが作るならば、もっと精密に、もっと緻密に、色々補完自作して作る筈ですので、見栄えが全然違うことになるでしょう。

 

 インテリアを魅力的に見せるべく、プロポーションを崩さない範囲で車台や砲塔の一部をカットしていますが、元位置にはめ込むことも出来るように作ってあるので、カット前の全容も見られるようになっています。

 履帯はモデルカステンの可動品を使用し、たわみ具合を調整して表現しています。車外装備品は全て取り外した状態にして、取り付け金具のみをパッションのエッチングパーツにて再現しています。

 

 背面部とエンジンフードのはめ込み位置をわざとズラした状態で撮りました。どのようにはめ込まれているかが分かります。エンジンフードは一枚板、側面と背面板はコの字形に繋いで作られます。これらを外せば、中のエンジンなどが見られるわけです。

 

 カット部を全て外した状態です。インテリアの作り込みに関しては国内トップレベルとされるNさんの仕事ぶりがよく分かります。世界よ、これがガルパン戦車フルインテリア作品の真髄だ・・・・。

 エンジン部分は「BergepanzerⅣ」(品番00389)のパーツを組み入れてありますが、発電機が再現されていないため、ドラゴン製のケッテンクラートのエンジンを流用して自作補完しています。しかしラジエーターに遮られるので、冬季仕様に切り替えて2基のラジエーターコアを単装にして前後に隙間を設けて、発電機の一部が見えるようにしています。
 また、エンジンの細部もかなり省略されているため、配管や細部やリザーブタンク、冷却ファン駆動用のプーリーとベルト等をブラ材やゴム材などで補完しています。

 

 冷泉麻子の操縦席、そして上図では隠れていますが武部沙織の通信席も再現されています。後者はかなり狭い空間になっているようですが、前者は広くとってあるようです。

 

 この範囲も色々作り込まれています。操縦装置の細部が省略されているため、それらをジャンクパーツなどで補完していますが、それに伴って操縦席まわりの床や隔壁関連も色々改造しています。操縦席も前寄りに変更し、通信席は後ろ寄りに変えてあります。配管やボルトも各所に再現し、カラフルに塗り分けることで分かりやすくしてあります。

 

 劇中では、操縦席も通信席も側面に広い空間があって、冷泉麻子や武部沙織が色々と私物を持ち込んでクッションなどもセットしていますが、この作品においては内部の作り込みのために空間自体をせばめていますので、かなりゴチャゴチャ詰め込んだ感がありますが、このゴチャゴチャ感こそが、フルインテリア作品の肝だと思います。

 

 砲塔は、側面および背面部をカットしています。カットにより失われた材はブラ板で補完し、砲自体と砲まわりの細部も全て自作追加しています。ターレット全周のボルトもきちんと再現してあります。

 

  砲塔を取り外せば、内部の各パーツの組み合わせ状況がよく分かります。砲尾の閉鎖機構は自作追加、五十鈴華の砲手席の照準器や発射操作部も細部が補完されています。反対側の秋山優花里の装填席は周囲に何もないのでシンプルですが、そのぶん機銃の細密さが存在感を放っています。

 

 砲塔バケットも御覧の通りです。旧公式キットのトップバッターであったドラゴンD型のキットでもこの部分はパーツ化されていましたが、こちらの製品でもきちんとフォローされています。

 

 御覧のように、下から覗きこまないと見えない部分でもきちんと作られ、塗装もされています。どのアングルからも見られるように、というNさんの芸儒家肌のこだわりが感じられます。

 

 カットされている砲塔外板部です。ゲベックカステンと一体となっていますが、繋ぎの部分が補強してあるわけではないので、きわめてテリケートです。手に取る時も細心の注意が必要でした。

 この部分も内外に色々な作り込みが施されています。車長ハッチは、キットでは円型タイプですが、劇中車に合わせてブラ板で観音開きタイプに作り変えています。リベット穴も忠実に再現されています。 

 

 内部も御覧の通りです。背面の左右のピストルポートを追加工作、側面ハッチ内側の開閉ラッチや視察窓、キューボラ周辺のパッド、車長席の背当ても再現されています。お見事というほかありません。

 こういう芸術的作品こそ、ガルパンギャラリーに常設展示すべきであろう、と思います。ガルパンブームにおける公式関連製品群の主力はプラモデルである、という点を明白にしたうえで、Nさんをはじめとする全国各地のスーパーモデラーの作品を一堂に列せしめて、ガルパンの魅力を立体的に可視出来て楽しめるようにするのも有意義だろうと思います。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く8 その9  稲取細野高原

2019年09月22日 | ゆるキャン△

 伊豆オレンヂセンターの方に教わった通りに脇の道から稲取細野高原に登りました。広い2車線の道がぐるりと右にカーブして続き、ずっと登り坂でしたが、そのまま谷間に降りる形で下り坂となり、クランク辻に出て道は1車線に減りました。教えられた通りに道なりに進み、まもなく稲取からの一般的な登り道に合流しましたが、そこからは本当に狭い道で、対向車が来たらどうしよう、というグビ姉ばりの不安を抱えっぱなしとなりました。
 山神社付近の集落を抜けると道は山林の中に入りました。その入口付近で上図の案内標識を確認しました。

 

 入口付近はこの程度でしたが、奥に進むと道幅は狭まり、舗装もアスファルトからすべり止め付きコンクリに転して揺れがひどくなり、所々に落下した大きな枝や落石が転がっているので、慎重によけて進みました。
 原作コミック8巻の119ページ1コマ目が、該当ルートの描写となっていますが、実際の道幅はもっと狭いです。

 

 蛇行する山道を慎重に進んで1キロばかり登っていくと、上図の景色のところに出ました。原作コミック8巻の119ページ3コマ目と同じ景色でした。大垣千明が「あれっ、ここキャンプ場か?」と言い、各務原なでしこが「ホントだー、林間キャンプ場だねぇ」と話した場所です。

 

 どうやら、このキャンプ場の範囲からが細野高原に含まれるようです。上図の案内看板を見て地理状況をおさえましたが、車でどこまで行けるのかは分かりませんでした。

 そこで、キャンプ場の管理事務所にいた係員の方に尋ねて色々教えていただきました。このキャンプ場の奥に2ヶ所駐車場があり、普通は車はそこまでであること、春秋のイベント期間には伊豆急行線の伊豆稲取駅からの臨時路線バスが奥の駐車場まで運行されること、そこから先は徒歩で細野高原や三筋山へ行くことになる、そして今の時期は桃野湿原の駐車場までは通行可能だが、そこから先はなにか事故があったとかで通行止めになってるかも、ということでした。

 桃野湿原の駐車場までの所要時間を聞いたところ、10分ぐらいだと言われました。三筋山の山頂下まで行くなら30分はみておいたほうが良いそうですが、この日は通行止めになってるかもしれないそうなので、とりあえず期待しないことにしました。

 

 細野高原キャンプ場の駐車場です。停めてあるのがマイカーです。右手の樹林に隠れて見えませんが、その奥に細野高原第1観光駐車場があります。春秋のシーズンおよびイベント期間には満車になることも多いそうです。

 この景色が、そのまま原作コミック8巻の120ページ1コマ目に出ています。グビ姉たちの車と志摩リンのバイクが進んで行った通り、この道をずっと登って行くと、細野高原第2観光駐車場があります。

 

 ここが細野高原第2観光駐車場です。原作コミック8巻の120ページ3コマ目のシーンがここです。その左側の広い草原が細野高原イベント広場で、春秋のシーズンおよびイベント期間には観光客および登山客で賑わいます。特に秋のススキの景色が有名な場所なので、10月から11月にかけては人気のスポットになり混雑するそうです。関西でいえば、奈良県の曽爾高原にあたるでしょう。

 しかも細野高原はパラグライダー競技の聖地なので、そのシーズンにはパラグライダーの講習会や体験教室なども開催されるそうです。それで、春秋のシーズンおよびイベント期間などの時期にはここに入る際に入山料600円を徴収され、ここからの車の通行も禁止となります。
 今回、私は最奥の桃野湿原の駐車場まで行きましたが、夏のオフ期であったために入山料も必要ありませんでした。

 

 北の三筋山の尾根上には風力発電の風車が並んでいました。

 

 西側は緩やかに尾根筋も平原も下っていきます。奥の範囲は芝原湿原と呼ばれます。

 

 三筋山から吹き下ろされる風のお蔭で、暑さが気になりませんでした。景色もよくて気持ち良いので、もう山頂まで行かなくてもいいや、と思いました。

 

 イベント広場は大変に広いです。ここでキャンプ出来たら最高ですね。

 

 第2観光駐車場の奥から道か伸びています。春秋のシーズンおよびイベント期間などの時期には、ここからが通行禁止となります。

 

 とりあえず、桃野湿原まで行けるそうなので、奥に進みました。

 

 緩やかな坂道を登っていきますが、左手には中山湿原の広い範囲が望まれました。

 

 少し行ったところで、車を停めて第2観光駐車場の方角を撮りました。気付くと、1台の車が私と同じように入ってくるので、慌てて車に戻って発進させました。

 

 三筋山は、思ったよりも奥にあってかなりの距離が感じられました。もう山頂へ行くのはナシだな、と思いました。

 

 こんな道がえんえんと続くのです。本当に1車線ギリギリで、道路のすぐ側まで湿原の夏草が茂っています。対向車が来ても退避スペースが全くありませんから、どうにもならないレベルです。この日はバイクで登ってゆくライダーを何人か見かけましたが、程なくしてみんな引き返してくるので、やっはり通行止めなのだな、と感じました。

 

 桃野湿原の駐車場にたどり着きました。御覧のように、その先は通行止めというか、一般車の進入禁止の旨が示されていました。これで三筋山に無理して登らなくてもよくなった、と安堵しました。
 山頂下の駐車場まで行けたとしても、そこから山頂へは徒歩で登山道を15分ほど登らないといけません。暑さのなかで、とてもそんな余裕も元気もありませんでした。

 程なく、私の後に続いて進んできた車も駐車場に停まりました。降りてきた作業着風の方は、地元の観光ボランティアの方でした。高原一帯の遊歩道と車道などを定期的に見回りに来ているのだそうです。それで少し話をして、細野高原に関する情報を色々教えて貰いました。

 お話によると、上図の三筋山への車道は、景観保全維持事業用の作業路であるそうです。一般車の観光用車道ではないので、原則的に一般車は進入禁止としているが、無視して入って事故を起こす輩も少なくないそうです。その事故の大部分が、対向車との鉢合わせによるハプニングだそうです。道の両側はだいたい湿原の低湿地なので、無理してすれ違うために路肩にはみ出した結果、湿原の泥にはまってしまう、などのケースがあるそうです。

 要するに、原作コミック8巻の124ページのような、グビ姉の神頼みだけで進むとエライ目に合いかねない、ということです。今後ここを訪れるゆるキャン△巡礼者が増える筈なので、気をつけるべきですし、現地でもそれなりの対策が必要となってくるかもしれません。

 なお、この駐車場にあるトイレ施設が、細野高原の最奥のトイレであり、それから先はトイレが全く無いそうです。シーズンオフ期に三筋山に登る方がここまで車で来て、停めておくのたそうてす。

 

 今回は、この桃野湿原まで車で行けた事に満足しましたので、三筋山山頂をバックに記念の自撮りをやりました。
 実は、この日の巡礼コースの最大の目的地はここ稲取細野高原てはなく、他にあったのです。そこへまだ行っていない段階で、暑い中を無理して三筋山山頂まで行って体力を消耗するのは避けたい、との判断がありました。

 それで、地元の観光ボランティアの方と話をした時に、その最大の目的地への行き方も教わりましたが、ここ稲取細野高原へのルートよりもさらにややこしい道順でしたので、間違えずに行けるだろうかと心配になりました。
 なぜならば、この時すでに、マイカーのカーナビの指示は実際の地図とかみあわず、違うルートやポイントを表示したりして役に立たなくっていたからです。  (続く)

 


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ゆるキャン△の聖地を行く8 その8  二つの道の駅

2019年09月21日 | ゆるキャン△

 浄蓮の滝を出て、再び国道414号線を南下し、上図の道の駅「天城越え」に行きました。

 

 原作コミック8巻73ページ4コマ目に、上図のアングルで描かれます。グビ姉こと鳥羽先生運転の車で移動する各務原なでしこ一行が、伊豆入りして最初に立ち寄った場所です。

 

 昔は昭和の森広場とかいってたみたいですが、近年に道の駅として改修および拡張再整備がはかられたようです。広い駐車場を取り囲むように売店や食事処が並んでいます。

 

 そのうちの一軒が、原作コミック8巻73ページ5コマ目に出ています。各務原なでしこが指さしている、「わさびの山」というお店の元モデルです。

 

 実際の店名は「わさびの店」ですが、建物はそのままで、店先右のわさびマスコットのイラストも同じです。

 

 わさびやわさびを原料とする各種の品物の販売所ですが、入って左側に上図のコーナーがあります。

 

 とりあえず、原作コミック8巻とともに記念撮影。
 その74ページ1コマ目に、ここの人気メニューの「わさびソフト」が出ています。

 

 早速、自販機にて券を購入。300円なり。

 

 くわああ、冷たいい・・・・、旨いい・・・・、わさびがめっちゃ効くわああ・・・・・、わさびがああああ!
 これ、ハマりますね・・・・。わさびってアイスと相性がいいんだ・・・、知らなかった・・・・。

 

 ということで、シメは上図の看板との記念の自撮り。

 実は、ここで記念写真とか撮っておかないと、この先河津の海岸線に出るまでずっと運転続きで、立ち寄れる場所も無いので、しばらく写真が撮れないのです。
 国道414号線天城越えルートは、伊豆半島を南北に繋ぐ最短の交通路であるため、交通量もかなりあります。天城トンネルはもちろん、原作コミック8巻74ページに登場した河津七滝ループ橋も、停めて撮影出来る場所が無く、連なる車の流れに乗って通過してしまいました。

 なので、鳥羽先生みたいにスピード出してグオーーッとループ橋を降りるのは、道か混んでいた今回は出来ませんでした。ただ、ノロノロ進んでいたおかげで、ループ橋からの360度の眺めを割と楽しむことが出来ました。

 道を下って河津温泉郷を抜け、湯ヶ野温泉の分岐で河津への県道14号線に進みました。国道414号線をそのままたどると、下田市へ行きます。
 河津川に沿って県道14号線を終点まで行くと、河津町の中心街を通って海岸沿いの国道135号線に出ます。海岸に面したT字交差点で左折し、東伊豆町方面に向かいました。

 

 少し進んで、河津町と東伊豆町との境界の手前まで行くと、右手に上図の看板が見えてきます。「伊豆オレンヂセンター」とありますが、原作コミック8巻117ページ5コマ目には「マジウマ生ジュース 伊豆オレンヂの駅」と出ていて、斉藤恵那と犬山あおいのツーショット画になっています。

 

 原作コミック8巻と共に記念撮影。伊豆オレンヂセンターの公式サイトはこちら

 

 要するに道の駅の一つでした。売店では、各務原なでしこと志摩リンが飲んでいたオレンジジュースは売っていましたが、グビ姉が購入していたワインは見当たりませんでした。

 お店の方に訊ねたところ、該当する品は近くの東伊豆町の「JA伊豆太陽みかんワイナリー」で製造、販売している「みかんワイン」であると分かりました。今回は売切れだったそうで、人気商品なのだそうです。詳細はこちら。通販でも買えるようです。

 店内のオレンジ生ジュースを飲もうとメニューを見たら、ブルーベリーもあったのでそちらを買って飲みました。飲みながらお店の方に稲取細野高原への行き方を訪ねたところ、この道の駅の横の道へ登っていけば近道ですよ、と教えられました。稲取から入っていくのが一般的ルートですが、一車線しかなく、狭くて大変なのだそうです。
 道の駅の横の道を選べば、途中までは二車線の広い道で、それからは一車線になるけれど、稲取からの一般的ルートにまもなく合流するから、時間的には早く行ける、ということでした。

 これはいい情報を貰った、と思いました。なにしろ稲取細野高原への行き方に関しては、事前にネットやガイド類で色々調べても確かな情報が得られず、時期によっては有料化や通行止めもあるそうなので、現地に来るまで状況がいまいち掴めなかったからです。
 おまけに原作コミック8巻にて描かれる三筋山山頂への道は、夏場は閉鎖になることがあるらしいので、このまま行っても無駄かもしれない、と迷っていたのでした。
 ですが、この時期は細野高原までは間違いなく行けることが判明しました。三筋山山頂への道が通行止めになっているかどうかは、現地に行かないと分からないそうなので、とにかく細野高原まで行ってみることにしました。  (続く)

 


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ボンプル高校 7TP軽戦車(双砲塔型) 作ります!! その1

2019年09月20日 | ガルパン模型制作記

 ガルパン最終章第2話に登場した、無限軌道杯第1試合敗退組8チームのうち、新たに登場させた戦車の数が最も多いのは、上図のキャプテン・マイコ率いるボンプル高校チームです。7TP軽戦車の単砲塔型および双砲塔型、豆戦車TKSの3車種を送り出しています。

 

 その戦車部隊の主兵は、試合シーンを見る限りでは7TP軽戦車の単砲塔型および双砲塔型であったようです。史実においてもポーランド軍の主力戦車でありました。

 なので、無限軌道杯第1試合における総合火力も、おそらくアンツィオ高校チームよりは勝っていたのかもしれません。CV33の数が多いアンツィオ高校チームとしては、正面からまともに撃ち合ったらかなわないかもしれないので、7TP軽戦車の部隊を陽動にて引きつけておいて、マイコの搭乗するフラッグ車のFT-17をCV33で固めて動けなくしておいてP40の一撃で仕留めた、という流れであったのでしょう。

 

 ボンプル高校チームの7TP軽戦車の単砲塔型および双砲塔型、豆戦車TKSの3車種については、コミック「リボンの武者」の同チームの編成と同じです。アニメ版もコミック版も差異は無いようなので、模型で楽しむ場合の適応キットはポーランドのメーカーの製品一択となります。

 既に私の製作においては、7TP軽戦車の単砲塔型を劇中車仕様にて作っています。車体が共通する双砲塔型のほうも、間をおかずに作っておこうと考え、今回の製作となりました。
 使用キットは、上図のミラージュホビーの製品です。以前に中古ショップで入手したもので、箱はくたびれていますが、中身は大丈夫でした。

 

 中身です。成形色が3種類もあるのには驚きました。白、グレー、黒です。

 

 組み立てガイドです。解説文はありません。表紙はパーツの一覧図になっています。

 

 組み立てガイド図です。ステップは7つあり、作業もあまり難しくなさそうです。図も大きくて見やすいです。

 

 ステップ1では、2個の砲塔を組み立てます。劇中車の機銃はウォータージャケット付きですので、パーツは10を選択します。8は不要ですが、捨てずにとっておくと、同型車のウォータージャケット無し機銃タイプが作れるほか、TKSのオチキス7.92ミリwz.25機関銃装備型が再現出来ます。

 

 御覧のように箱組みなので、パーツを一つ一つ丁寧に合わせて作ります。バリなどは綺麗にカットし、パーツを整えて仮組みしチェックしておくと、組み付けもスムーズに進みます。

 

 組み上がりました。試しに車体パーツの砲塔穴に仮組みしてみると、きつくてはまらないうえに、砲塔同士がこすれて干渉し合うことが判明しました。そこで、二つの砲塔穴のそれぞれの外側をヤスッて0.5ミリほど拡げてみたところ、問題が解決出来ました。
 今回のキットに限らず、砲塔のセットに関する微調整は、よくあることだと思います。  (続く)

 


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ガルパンの聖地 ・ 大洗を行く32 その7 「梅原屋のBT-42です!!」

2019年09月19日 | 大洗巡礼記

 梅原屋に戻りました。店内にあった聖グロバッグの試作見本品を見ていると、まもなくNさんも到着しました。早速、ガルパンプラモデルの新作品について、概要や詳細、製作時のポイントなどを色々うかがいました。

 

 今回の訪問時に私が初めて見た新作品は3つありました。一つはこの継続高校BT-42でした。ダイソーのディスプレイケースをベースに使用し、そのままクリアボックスをかぶせて保護出来るように仕上げてあります。

 御覧のように、フルインテリアで、車体前面と砲塔内部の空間が見えるように外板を大きく開いてあります。道路脇の路傍縁石をまたいでの不安定な姿勢をとることで車体を前掲させ、外板の前面、砲塔上面、砲塔左側面部などの展開部分かよく見えるようになっています。

 Nさんによれば、「ドリフの爆破オチのように、被弾して内部があらわになるカンジで」、メカ全部を見せながら動きのある構成にしたそうです。
 確かに、被弾して外板がめくれあがった瞬間のように見えなくもないですが、それよりも大きく外板が開かれて、内部が隅々まで見えるように作りこんでありますので、「とことん見せる」という強い意識が感じられます。

 

 内部には、もちろんあのトリオがそれぞれの配置におさまって、彼女たちのあくなき戦車道を追い続けています。ミカはしっかりカンテレを弾いており、その音色が聴こえてくるかのようです。

 砲塔内部も細部まで作りこんで再現してあります。キット自体はタミヤ製品で、製作に際してボイジャー製エッチングパーツを導入、またカステンの可動履帯パーツ、パッションの金属砲身も準備し、インテリアのドナーとしてAFVクラブのT34/76を用意していますが、それ以上にブラ板等による自作のパーツ群が多いそうです。砲の取り付け桁、弾薬ケースラック、無線機とラック、ドラムマガジンラックなどがそうです。
 また、天井や壁面の配管はブラ棒で再現し、末端はアルミテープ巻き仕上げです。弾薬ケースは4ミリのプラパイプで作り、ラッチなどをエッチングで再現しています。スプリング類は0.3ミリの針金巻きによるものです。

 

 上図ではちょっと分かりにくいかもしれませんが、側面の視察窓内側の諸部品をブラ板やジャンクパーツやエッチングパーツで作りこみ、各部ピストルポートの裏側のカンヌキ部も再現、エッチングで鎖も付けています。ペリスコープは全てクリアパーツを使用しています。

 ここで視線を右外に移すと、車体側面のボックス群は全てボイジャー製エッチングパーツに置き換えられており、全て開閉自在になっています。左側後部のバッテリーボックスも、御覧のように蓋が開かれており、中のバッテリーも再現されています。ただし、バッテリー本体はT34/76用のパーツを転用したそうです。

 

 エンジンルームも完全に再現されています。写真を撮り忘れましたが、点検ハッチ部だけでなくフード全体も外せるようになっています。
 内部のエンジン本体はBT-42用のパーツが存在しませんから、ブロンコモデルのSU152の製作時の余りアッセンブリを流用したそうで、シリンダー上部のみ再現し、外装に合わせてフィルターボックスを補完しています。換気グリルの開閉レバーもしっかり再現しています。
 さらに、Nさん独自の遊びなのでしょうが、劇中車には存在しないジャッキ本体が装備されています。

 

 反対側から見ました。こちらはだいたい外観のフォルムを見られるようになっています。ですが、転輪は地形の凹凸に合わせて動きある状態にセットされています。サスアームおよび駆動スイングアームをダボに固定しないで、地形に応じてストローク出来るようにしてあります。

 

 再びインテリア表示側から見ました。このアングルですと、砲塔が前左の天板辺りに被弾して大きくひしゃげた瞬間、にも見えます。大きく波打つ砲塔外板のめくれあがりのなかで、平然と構えて何事もなかったかのように座姿勢を保ったままのミカの姿が笑いを誘います。
 このミカ以下3人のフィギュアは、ファッションが地味なのと、砲塔内部などの陰部分に入り込んだ位置にあるため、劇中よりは服装カラーを明るめにすべく、塗装時の彩度を上げてあるそうです。

 

 ベース部分の工作も細かいこだわりが感じられます。鉄道模型用の芝生シート、タミヤの石畳シートを使用し、L字形ブラ材で地形を構成し、芝生の履帯痕、路傍縁石のコンクリ欠けも再現しています。石畳の損壊部分は、目地単位で穴を切り抜き、ブラ角棒片で破砕石を作って、履帯がめり込んだ瞬間を可視化しています。

 

 ミッコが操縦しています。フィギュア自体も操縦シーンに合わせて両腕をレバー持ちに改造、各所の関節を使途やペダルに合わせて調整しています。

 操縦席周りの作りこみも砲塔内部と同水準の工作手順によっています。誘導輪のショックアブソーバはブラ棒で、床の弾薬ケース、砲弾ラック、左右計器類はブラ板で、弾薬ケースは5ミリプラパイプ、開閉ラッチや固定バンドなどはエッチングパーツで仕上げています。操縦装置の大半、レバーやペダル、スターター類はAFVクラブのT34/76のパーツを転用していますが、リンケージは真鍮線で補完してあります。
 ハンドルはティーガーⅠのパーツを使用し、ジャンクパーツで折り畳み機構も再現してあります。ちゃんと外してハンドル部を開閉出来るのは劇中車のままです。
 ただ、劇中車においてはハンドルを脇に置いたままであるのに対して、Nさんはハンドル収納ホルダーもエッチングパーツで再現しています。無いものまで作って劇中車以上のものを作る、というNさん独自の製作哲学がここでも炸裂しています。

 

 再び砲塔内部です。元キットパーツには無い砲基部、俯仰ギア、ハンドル、レバー、リンケージ等が追加されているほか、砲塔旋回機構とその旋回ハンドルも再現されています。多くはAFVクラブのT34/76のパーツを転用しているのでしょう。
 砲弾は、サイズ差を気にせずにRBモデルの105ミリカノン砲の真鍮砲弾と薬莢のセットを流用したそうですが、なんの違和感もなく綺麗におさまっています。

 なお、ミカのフィギュアは無改造ですが、アキは元々片膝を曲げた姿勢であったのを仁王立ちに改造しています。

 

 再び、エンジンフード部分。

 

 背面の車外装備品類はキットのパーツですが、取り付け金具はエッチングパーツに置き換えてあります。排気管も交換されているように思えましたが、確認するのを忘れました。

 

 塗装は、これまたNさんの独自の解釈を反映して単色グレーでまとめられています。劇中車のマダラ模様は掴みどころがなく、陰影と区別がつかなくなるのでアカン、なのだそうです。
 ただ、場所に応じてグレーの濃淡の塗り分けは施してあり、パネル境界を濃く、平面中央を白くボカしています。スミ入れやドライブラシも定番です。

 デカールは、フィギュアセット付属の品を使用しています。モデルカステンの品はデカールの白色部分がグレーなので使い物にならないからだそうです。 

 

 製作には6週間をかけたそうです。既に私の製作を含めてネット上では6件の先行作品が存在するため、おそらく最後発になると意識したうえで、諸先行作例よりも「激しく作り込む」ことを念頭において取り組んだそうです。

 てすが、「激しく作り込む」どころではなく、劇中車に無い要素も各所に盛り込まれて、岡本太郎ばりに「爆発」してしまっています。その作業の熱っぽいスタンスは、「わだはゴッホになる」の棟方志功を、はるかに超えてしまっています。織田信長のように、「我は神である」と言い切る領域に足を踏み入れつつあるのでしょうか・・・、Nさん。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く8 その7  浄蓮の滝

2019年09月18日 | ゆるキャン△

 巡礼二日目、9月1日の朝は快晴でした。天気予報では曇りがちになるように述べていましたが、宿の従業員のおばさんは、「伊豆はねえ、半島だから陸地せまいからね、天気予報が難しいんでよく外れるのよ、地元の私らの予報の方が確実ですわな。今日はバッチリ晴れます。保証しますよ」と言い切りました。

 

 確かに、おばさんの断言した通りになるだうな、と思いました。同時に、暑さも厳しくなるかもな、と旅館の店先で軽く体操しながら考えました。

 

 7時45分に案内があったので、食堂に行って朝食をいただきました。メニューは御覧の通りで、御飯はおかわり自由でした。この日の巡礼ルートが距離的にもっとも長く、場所も多く、かつ行きづらいため、迷う可能性があり、朝はきちんと食べて体力をつけておかないとな、と思いました。腹が減っては戦は出来ぬ、です。

 結果的に、出発後は殆ど山の中を走るケースが多く、全く食事処に恵まれなかったため、この宿での素泊まり予約を朝食付きに変更したのは正解でした。河津町に至るまでコンビニすら見当たらなかったからです。

 

 朝の旅館の畳廊下です。居心地の良い、落ち着ける宿でした。上図右の給水設備は、この宿のラジウム鉱泉水専用のそれでした。飲むと体にいいそうなので、昨晩のお茶の水をこれでまかないました。

 

 外観からは、御覧のとおり、開業後に建物を追加して規模を大きくしていったことがうかがえます。一見すると民家の並びに見えますが、左の白壁の建物は温泉および湯治施設、中央と右は宿泊施設で、全て同じ旅館の建物です。けっこう大きいので、内部もちょっとした迷路のようで、私自身も露天風呂へ行く際に迷いました。

 

 8時半に出発し、伊豆長岡の温泉街を西へ抜けて、伊豆縦貫道にあがり、終点の月ヶ瀬まで一気に移動し、その後は国道414号線天城越えルートに進みました。

 

 最初の訪問地、浄蓮の滝に着きました。ゆるキャン△の聖地ではありませんが、伊豆ジオスポットのベスト5に数えられる伊豆最大級の名瀑として知られます。作中で同じルートをたどったはずの各務原なでしこ達が立ち寄らなかったのが不思議ですが、折角なので、見てゆこうと決めてありました。

 

 駐車場の脇に、伊豆の踊り子像がありました。川端康成の小説で有名な、あのお二人です。説明は要らないでしょう。

 

 滝への遊歩道です。駐車場から滝へは谷間へかなり降りてゆくので、行きは楽ですが帰りはしんどいです。私もあっというまに汗だくになり、息を切らしましたから、単なる見物と気楽にかまえないほうが良いです。

 

 一帯は、静岡県指定の天然記念物である「ハイコモチシダ」の群生地があります。国内では伊豆半島と熊本県にしか自生が確認されておらず、貴重な存在です。動物に例えると絶滅危惧種のようなものですが、なぜここにだけ群生しているのかは解明されていないそうです。

 私自身、ガーデニングを長くやっていて、京都の芸大で自然ランドスケープも学びましたから、こういった植物相には関心があります。自生地が限られる種は、大抵の場合国内原産でないケースが多く、要するに外から持ち込まれて根付いたという形になります。
 「ハイコモチシダ」も外来種で、もともとは中国南部から台湾、ヒマラヤ辺りの高山帯に分布しています。伊豆も熊本も古代に渡来人の入植が多かった地域ですから、その頃に持ち込まれたのかもしれません。

 

 滝の全容が見える、一番下の展望所まで降りました。二日前まで当地域は雨続きだったそうで、水量も豊富でした。瀑布の響きもなかなかのもので、見応えも充分でした。

 滝本体は、約1万7000年前に伊豆東部火山群の鉢窪山スコリア丘が噴火した際に流出した玄武岩溶岩流を流れ落ちるもので、形式とては直瀑に分類されます。落ち口から滝壷まで一気に落下する滝、です。
 その落差は25m、幅は7mで岩盤には柱状節理が見られます。作中で各務原なでしこ達が他の場所で柱状節理を「カクカクした岩」と表現しています。

 

 この滝は、昨日見学して回った北条氏関連史跡群の西を流れる狩野川の上流にあたります。この辺りでは本谷川と呼ばれます。

 

 滝の付近にかつて「浄蓮寺」という寺があったことから「浄蓮の滝」という名称がついたと伝わりますが、その寺跡の位置は不明です。現在は 滝壺の近くにも土産物店が並んでいて、朝早くから営業していました。

 

 外国人観光客もかなり来ていました。その中のイギリス人らしき若いカップルに写真撮影を頼まれ、その際にちょっと英語で話をしました。
 相手が言うには、向こうのガイドブックでは伊豆の人気ナンバーワンのジオスポットとしてこの滝が紹介されている、インスタ映えもするから必見だ、昨日は箱根に行ったが感動はこちらのほうが大きい、実に見事な滝だ、ということでした。

 

 確かにインスタ映えはしますが、それ以上に現地はマイナスイオンがいっぱいで、とにかく気持ちが落ちつくのでした。深呼吸してみると、体中がなにかふわりとした感じに包まれる気がしました。

 

 いいところでした。同じルートを行かれる「ゆるキャン△」巡礼の皆様にも、おすすめのジオスポットです。ただ、場所が場所なので、ちょっとした上り下りのウォーキングを伴います。靴は履きなれたしっかりしたものを選ぶと良いでしょう。  (続く)

 


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ゆるキャン△の聖地を行く8 その6  伊豆長岡の宿

2019年09月17日 | ゆるキャン△

 神池から遊歩道を進んで駐車場まで戻ることにしました。神池周辺には大きな川原石がゴロゴロと転がり、もとは海底隆起による地形であったことをうかがわせます。角の取れた、丸い石が多いのが、火山帯の溶岩系岩石とは異なる、海底堆積層の特徴の一つです。

 

 大瀬神社つまり引手力命神社の絵馬殿です。

 

 神社境内地は、神池の北側の丘上に鎮座しています。社殿の背後は崖なので、そこまでがかつての琵琶島であったものと推定されます。それより北が砂州になるのでしょう。

 

 したがって、鳥居のある浜辺の参道筋は、砂州の上に通っているわけです。

 

 鳥居を出て、大瀬浜の外堤を過ぎました。まだ釣り人が居ました。奥の砂浜でのダイバー達のイベントは終わったようで、多くのダイバーがスーツを脱いで片付けやら洗い流しやらをやっていました。

 

 駐車場に戻って車に乗り、上の県道17号線にあがってすぐ左手に展望所があったので、そこで車を停めて大瀬崎の全容を眺めました。細長い半島を、上図右端まで歩いて一周してきたわけです。

 

 駿河湾の東側を見ました。遠くに沼津の海岸線が望まれました。

 

 県道17号線を引き返して、伊豆長岡まで戻りました。途中で現地の路線バスの後につきましたが、ラブライブのラッピングバスでした。
 そういえば、ゆるキャン△のラッピングバスってまだありませんね・・・。山梨交通さんあたりがやってくれそうな感じはしますが、運行路線があんまり無いのかもしれません・・・。

 

 沼津市の内浦の漁港です。先程、長浜城跡の横を通りましたが、その城跡も確かラブライブの聖地の一つになっていたと思います。

 

 今回の一日目の宿は、伊豆長岡温泉の「本店 弘法の湯」でした。同じ温泉街のなかに姉妹施設の入浴施設「弘法の湯」があるため、旅館のこちらは「本店」を冠しています。公式サイトはこちら

 今回の聖地巡礼は3泊4日で計画し、夜は温泉も愉しんでじっくり休もうと考えて3ヶ所の宿を全て天然温泉付き、素泊まりか朝食のみ付きで5000円前後で絞り込みました。
 それでこちらの宿も素泊まりで4800円で予約したのですが、明日の移動距離が最も長く大変であることを考慮して、朝食付きに変更しました。近くに朝食をいただけるお店が無かったからです。

 

 宿は湯治旅館に分類されているようで、数日滞在の湯治客が何人か居るようでした。御覧の通り、廊下も畳敷きという古風な和風旅館の装いですが、開業は平成の初めだそうですので、古い施設ではありません。

 

 一人用の部屋です。もとは四畳半ぐらいの和室にベッドを入れています。

 

 ですが、寛ぎ空間は最低限確保されており、御覧のように机に向かったり、寝転がったりするぐらいは出来ます。旅行中はタブレットで天気や道順や観光情報などを色々調べるので、無料Wi-Fiが使えるのは有り難いです。

 

 前室もついており、こちらに冷蔵庫や洗面台があり、お手洗いもあります。

 

 一人で泊まるには充分すぎるほどの空間です。これで温泉のほうは露天風呂、内風呂、ラジウム風呂などが揃っていますから、温泉好きとしては最高でした。

 露天風呂にて入浴中、同じように湯に浸かっていた50代ぐらいの客と世間話をしたのがきっかけで、お互いにアニメファンであることが分かって意気投合、その流れで外での夕食に一緒に行きました。伊豆長岡温泉の東の国道136号線沿いにファミリーレストランがあるので、そこへ行く予定でいたのですが、相手も同行することになり、食事中は色々盛り上がりました。相手は大阪の方で、沼津に行く事31回目の筋金入りのラブライバーでした。
 こちらも大洗に行くこと30回を超えるガルパンファンなので、同年代ということもあり、同じ関西人ということもあり、スタンスも似たり寄ったりで、アニメこそ異なるものの、色々と共通項が多くいので、あるあるトークで笑ってばかりでした。

 成り行きで、お互いのアニメの説明もしたのですが、先方はガルパンを「戦車バトル」と言い、ガルパンファンを「戦車乗り」と表現していました。まあ、その通りですね・・・。  (続く)

 


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ガルパンの聖地 ・ 大洗を行く32 その6 「ギャラリーとスーパーです!!」

2019年09月16日 | 大洗巡礼記

 ガルパンギャラリーは、かつての創設時に比べると面積は四分の一ぐらいになっています。それで以前は別室になっていた販売コーナーと同じスペースになっていますから、ギャラリー単体だけですともっと狭くなっています。かつての広々としたギャラリー、多くの展示品があった頃を知っている方には、雲泥の差に思えることでしょう。
 しかし、これが公式および大洗町サイドの現在のガルパンへの「評価」であり「認識」なのかもしれません。この種のアニメ関連コンテンツにお金をやたらにかけられない、という全国各地にありがちな意識がほの見えます。

 

 壁に掛けられたポスターやタペストリーの類は、いずれも大洗におけるガルパンの歴史を物語っています。この多くの品を時系列で分かりやすく構成し直すだけでもギャラリーの価値や機能が高まる筈ですが、そういった基本的な発想すらも、いまの公式や大洗町サイドには出てこないようです。本当に勿体無いな、と思います。今やガルパンは、日本でも数少ないアニメ聖地の成功例であるのに、その特色をもっともっとこのギャラリーにてアピールしないのは何故でしょうか。

 

 しかも、ファンからのガルパン戦車プラモデル寄贈展示品が、いまは無くなっています。製作主に返却したのでしょうか。
 ですが、ガルパンは戦車が登場する点が特色のアニメなのですから、その戦車関連展示品を無くすのではなく、もっと増やして、たとえは劇場版の対大学選抜戦の大洗義勇チーム全車輌ぐらいは展示したほうが盛り上がるのではないかと思います。

 

 コーナーの隅に、1つだけプラモデル展示品が残されていました。アンツィオ高校チームの移動用乗用車とされるコロニアーレです。戦車プラモカタログか何かの雑誌付録だったアンチョビのフィギュアが乗せられてありますが、スケールが同じですからピッタリですね。

 

 戦車プラモデルは少なくなりましたが、キャラクターフィギュアの方は増えているようです。が、こちらもスペースを限っているようで、なにかギュウ詰めに近い状態になっています。

 

 全てが販売品なので、展示を目的としたフィギュアは殆どありません。そのあたりもちょっと悲しいです。
 なにしろガルパンのフィギュア群は市販品だけでも350種類以上があるそうで、今後も増加する見込みです。最終章シリーズ全6話が完結する時点では、おそらくアニメの市販フィギュア総数としては国内最高とされる「けいおん」シリースの420種を抜き去っていると予想されますので、いずれは日本最高の市販フィギュア総数を誇ることになるわけです。まず、時間の問題でしょう。
 その素晴らしい状況を、このギャラリーにて全市販フィギュア製品陳列の形でアピールするのも悪くはないと思うのですが、いまだにその発想の片鱗すら、いまの公式や大洗町サイドには見られません。

 

 とにかく、売るための、儲けるための場所になっています。実際に訪れるガルパンファンの大多数は買物に来ていますから、ギャラリーというよりショップです。実態としてはもうそれですね。

 

 プラモデル関連は、御覧のように最低限です。ピットロード発のフィギュア付きのディフォルメ品のほうが多く並んでいます。たぶん、これが最近の購買動向なのでしょう。
 プラモデル関連は、全国的に通販や中古通販での値引き品の購入か主流になっているようですから、ここのコーナーで定価のまま売っていても無駄かもしれませんね・・・。こういう状態なら、むしろ取り扱いをやめて撤去し、タグチさんで一括して販売してもらえはよさそうな気がします・・・。

 

 展示コーナーの一角には、有名な「がんばれベジタブルイレブン」のバックナンバーが展示されてありました。今も連載しているのでしょうか。

 

 このポスター、どうみても「ゆるキャン△」の影響を受けてますね・・・。

 

 ギャラリーを出て外を見ると、マリンタワーとの間に大きなスーパーマーケットの施設が横たわって見えました。

 

 この夏にオーブンした、地元スーパーのセイミヤさんです。茨城県下に数店舗があるそうなので、ここ大洗への出店も有り得たのでしょうが、それはたぶん無かったのでしょう。
 最近のアウトレット施設のほうの管理者騒動絡みでいろいろと環境や条件が変化し、事情が大きく変わったために、結果的に大型スーパーマーケットの誘致がなされ、そして実現した、という成り行きのように思われます。

 ですが、これで大変便利になりました。素泊まりで大洗を楽しむ層が、昼食や夜食をここで気軽に買えるからです。しかも価格が安い筈です。夕方以降になれば値引きがありますから、それを狙うのもアリです。
 かくいう私も、今回は素泊まり利用なので、夜にもう一度行ってみようと思います。  (続く)

 


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