気分はガルパン、ゆるキャン△

「パンツァー・リート」の次は「SHINY DAYS」や「ふゆびより」を聴いて元気を貰います

継続高校 BT-5(フェイズエリカ仕様) 作ります!! その1

2018年05月31日 | ガルパン模型制作記

 最近、サークル交流仲間のモケジョさん達の間で、上図の「ガールズ&パンツァー フェイズエリカ」第2巻および第3巻がよく読まれていると聞きました。黒森峰女学園チームが継続高校チームと対戦して苦戦させられたエピソードを描いており、継続高校ファンにとってはたまらないコミックシリーズとされています。

 ですが、モケジョさんの面々のなかでは、継続高校ファンはミカさんのみで、あとの方々は特に贔屓にするチームは無いそうです。それなのに、どうしてこのコミックをよく読んでいるのかというと、ガルパンの一つの戦車道チームの所有車輌が全て網羅されていて、描写も色々なされているので、プラモデル再現のテーマとして面白そうだから、という理由でした。

 

 確かに、ガルパンのコミック版においては、上図のように特定のチームの保有車輌がずらりと並ぶシーンは稀です。「ガールズ&パンツァー フェイズエリカ」においては、継続高校チーム保有車輌が9両出ており、右よりBT-42、BT-7、BT-5二輌、T-26、T-34/76、T-34/85、Ⅳ号戦車J型、Ⅲ号突撃砲G型となっています。さらに黒森峰女学園チームとの対戦にてT-28も登場しています。

 これらをプラモデルで再現する場合、アニメに登場している戦車よりは独自の要素が少ないので、適応キットを入手してそのまま素組みでも楽しめます。さらに、車輌ごとにボディーカラーが異なるようなので、塗装も各自のイメージで自在に楽しめる、という点が、モケジョさん達にはウケているようです。
 それを聞いて、私も興味が出てまいりまして、ちょっと作ってみようか、と考えました。

 

 ではどの車輌を作るか、と考えてすぐに上図のBT-5に決めました。そのフェイズエリカ仕様を作ります。継続高校チーム保有車輌のなかで最もシンプルな外見を呈しており、気軽に組み立てを楽しめそうです。

 

 BT-5を選んだ理由は、二年ほど前にBT-5のキット中古品を購入してあったのと、上図のようにコミックのカラーページに出ていてボディカラーが判明しているためでした。
 カラーページに出ていて車体色が分かる車輌は、ほかに隊長トウコのT34/76、T34/85、ミカ達のBT-42ぐらいなので、チームに二輌が入っているBT-5が上図のようにフィンランドグレー系のカラーであると判明する事自体が貴重だったりします。

 

 二年ほど前に、大阪のリサイクルショップで購入した、BT-5のキット中古品です。確か1000円ぐらいだったと思います。
 日本のメーカーからはBT-5のキットは出ていないので、上図のズベズダの製品が現時点では1/35スケール唯一の適応キットになります。初発は2011年らしいのですが、上図のキットは2015年発売品なので、再販分であるのかもしれません。

 このキットに関して模型サークルの先輩方に聞いたところでは、この2015年版が組み立て易い改良版であるそうです。従来指摘されている車体の組み合わせの悪さや隙間の生じ易さが改善されているので、BT-5を作るのならば2015年版がベターである、しかしベストなキットではないので、パーツの下拵えや仮組みは依然として必須、ということでした。
 私自身、以前に同じ継続高校チームのBA-10装甲車をズベズタのキットで制作して、パーツの合いの悪さに悩まされた経験がありますので、今回もパーツの下拵えや仮組みはきっちりやろう、と決めました。

 「ガールズ&パンツァー フェイズエリカ」に登場するBT-5は、当然ながらズベズダの製品を参考にしている筈です。相違点は砲塔のループアンテナおよび機銃基台が無い、ぐらいですので、ほとんど素組みで進めるに等しいと思います。

 

 中身を見ますと、パーツ数そのものはそんなに多くありません。ドラゴンみたいに何でもかんでも細かくパーツ割りする、という傾向は、ズベズダにはあまり見られません。

 

 制作ガイドは、上掲の2ページで全てでした。組み立て工程も最低限にまとめられています。ただ、イラストの指示が大雑把に描かれるので、正確な貼り付け位置や接着ポイントが分かりにくかったりします。仮組みをマメに行って、パーツの取り付け位置が分からなければ保留にして、分かった時点で取り付ける、ということの繰り返しが重要になります。

 

 付属のデカールは使用しません。

 

 今回のキットは、表面に離型剤などの残滓が見えず、表面もツルツルしていませんでしたから、事前洗浄は不要と判断し、そのまま制作にとりかかりました。

 

 ステップ1では、車体を組み立てます。ステップ2から5までは、足回りの前部を組み立てます。

 

 ステップ1の作業に進みました。御覧のように箱組みですので、先ずはそれぞれのパーツの下拵えを行いました。けっこうバリとかが残っていますので、アートナイフで削ったり、カンナ掛けを施したりして、接着面などを綺麗に整えました。その後に仮組みを行ってチェックました。

 

 丁寧に進めたお蔭で、上図のようにピッタリと組み上がりました。とにかく接着面は綺麗に均すことが大切だ、と改めて悟りました。

 

 ステップ2に進み、足回りの前部に組み込むパーツの組み立てを行いました。

 

 けっこう複雑な部分を、上図のパーツの組み合わせによって再現します。サスペンションを左右で同じ状態に仕上げる必要がありますが、今回のズベズタのキットでそれを目指すのは、けっこう難しかったです。どこかで微妙にズレが出てきたりするからです。

 

 なんとか組み上がりました。

 

 続いて反対側も組み付けました。

 

 とりあえず完成しました。上図では分かりにくいかもしれせんが、右側の車軸が僅かに斜めになっていました。ダボ穴の角度が正しくないための誤差であるようで、ヤスリで削って是正しましたが、完全な仕上がりには至りませんでした。 (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く4 その1  信州伊那谷の光前寺へ

2018年05月30日 | ゆるキャン△

 2018年5月8日より11日までの期間、三泊四日の日程にて、四度目の「ゆるキャン△」聖地巡礼に行ってまいりました。初のマイカー巡礼であり、当初は7日から10日までの計画であったのを、天候不順のために一日ずらして実施しました。

 8日の朝6時きっかりに京都西大路の下宿を出発、国道1号線を東進して教王護国寺の五重塔に一礼し、堀川通、五条通を経て東海道筋を山科に抜け、京都東インターから名神高速に入りました。その後、多賀SA、上図の恵那峡SAにてそれぞれ30分ほど休憩し、中央自動車道の駒ヶ根インターで降りたのは11時7分のことでした。走行移動時間はほぼ4時間でした。

 

 中央自動車道の飯田あたりまで降り続いていた雨も、駒ヶ根で降りる時にはすっかり止みました。雨が降らなければ8日の行程は予定通りにいけるだろう、と考えました。
 まずは休憩を兼ねて、早めの昼食を上図の「明治亭」本店でとりました。駒ヶ根インター出入り口の東約400メートルに位置し、アクセスも容易です。以前にも三度ほど利用したことがありましたので、今回もお世話になりました。

 

 駒ヶ根は、「ゆるキャン△」の志摩リンの食事にも登場した「ソースカツ丼」の発祥地として知られています。実家が岐阜県各務原市ですので、子供の頃は、伊那谷あたりや駒ケ岳は家族で出かける場所の一つでした。もちろん、ソースカツ丼も何度か食べています。

 あと、大学時代の恩師が、飯田市の出身でしたので、南隣の飯田市へも何度か行きましたし、北の高遠や諏訪にも史跡巡りで行ったことが度々です。
 なので、駒ヶ根エリアは、勝手知ったる範囲も同然でした。しかし、今回のようにアニメの聖地巡礼で行くとは思いもよりませんでした。

 

 今回は、上図の海老フライハンバーグ定食をいただきました。ソースカツ丼でも良かったのですが、そちらは志摩リンに倣って温泉施設の食事処で夕方にいただく予定でしたので、昼食は違う品にした次第です。

 

 昼食後、近くの光前寺に行きました。「ゆるキャン△」アニメ第9話にて志摩リンが訪れていた地の一つですが、長野県でも有名な寺院で、天台宗の信濃五山に列する古代からの名刹です。

 原作を読んでいて、3巻第16話にてこの寺が「わんこ寺」として登場したのには面食らいましたが、原作者のあfろ氏が犬が大好きらしいので、犬にまつわるスポットの一つとして出したのかと納得しました。地元でも寺でも、霊犬の早太郎ゆかりの寺、としてアピールしているようです。

 

 門前脇の参拝者駐車場に車を停め、伽藍正門の仁王門から境内地に進みました。

 

 アニメ劇中でも、そのまま出ています。志摩リンは、仁王門参道口に愛車ビーノを停めていますが、実際に二輪の駐車場が同位置にあります。

 

 仁王門は、古そうな建物にみえますが、太平洋戦争中の昭和19年に再建された建物です。それ以前の江戸期の建物が傷んでいたため、建て替えとなったものです。

 

 仁王門に掲げられる山号の扁額です。宝積山といい、本来は天台宗による鉱山開発の拠点として創建された事がうかがえます。仏教では、宝とは鉱脈、積とは掘削蓄積、という意味でもありました。

 周知のように、長野県の伊那谷は、全国有数の鉱山集中地域でした。戦時中まで、下伊那だけでも約20ヶ所の鉱山が稼働していたそうです。駒ヶ根を含む上伊那ではもっと多くの鉱脈が掘り当てられていましたが、それは古代からの長い歴史をもっています。

 日本の鉱山開発は、古代においては国家の直営事業であるケースが多く、寺院建立に必要な銅、水銀、朱丹などを生産していたわけですが、中世には天台宗や真言宗などの最有力宗派がその事業を担っていました。いわゆる両宗の山岳修験者の任務の一つが、鉱脈の探査でありました。鉱脈は、だいたい温泉や鉱泉とセットになっていることが多いため、まず温泉を見つけ、そこで沐浴を行いつつ、付近をくまなく踏査して鉱脈の露出部を探し出す、という作業を、「修行」の一環と定義していたようです。

 そして駒ヶ根および駒ケ岳の辺りは、銅およびマンガンの鉱脈がかなり存在したらしく、天台宗が信濃に進出する過程でこれに目をつけたのでしょう。それが発端となっての、光前寺の開創であったことは想像に難くありません。

 

 仁王門に安置される金剛力士像一対のうちの阿形像です。室町期の大永八年(1528)の造立で、作者は七乗門院雲慶十三代慶延法眼を名乗ります。長野県下の数少ない在銘彫刻遺品の一つとして、駒ヶ根市の有形文化財に指定されています。

 

 仁王門からの参道です。かつては両側に数十の坊が建ち並んでいたといいますが、明治期の廃仏毀釈までに全てが烏有に帰しました。

 

 拝観受付の手前まで行った時点で、仁王門の方を振り返りました。このアングルでアニメに出ています。

 

 このシーンです。秋の景色ですから、あおあおと若葉が燃える5月中旬の状態とは少し趣が異なります。

 

 創建を九世紀におく寺伝の通りならば、境内地の中心的な老木群は十一の世紀を刻んで聳えたっていることになります。この雄大なる原生林の景観こそ、この寺にて見るべきポイントの一つです。

 

 参道の左右に枝分かれする路地の一つは、立ち入り禁止となっていました。苔庭ならぬ苔道として、それ自体が貴重な自然景観になっているためです。

 

 三門が近づいてきました。江戸期の嘉永元年(1848)に再建されましたが、最近に屋根の傷みが目立ったため、平成29年3月に葺き替えを行いました。上層に十六羅漢像を祀っていますが、普段は非公開となっています。 (続く)

 

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アンツィオ高校 AS42サハリアーナ 完成です!!

2018年05月29日 | ガルパン模型制作記

 塗装後の作業の続きです。タイヤをはめたホイールを車軸に取り付けました。

 

 全てのゴムタイヤパーツを取り付け終わりました。ゴムならばでの色と質感が良い感じです。海外メーカーの製品におけるタイヤのパーツは、ズベズダもイタレリもトランぺッターも大抵はゴムそのもので付けてきますが、タミヤやピットロードなどの国内メーカーはプラスチックパーツにしています。製品における思想の違い、ということでしょうか。

 

 前部の左側にスコップ2本を取り付けました。金属部分は28番の黒鋼色、木製部分は43番のウッドブラウンで塗っています。

 

 以上で塗装後の組み立ても全て完了しました。

 

 デカールは、劇中車における校章マークの有無がはっきりせず、劇中シーンに出ている範囲には見えないため、貼りませんでした。実際、貼れそうな場所がありません。キットの指示では操縦席のパネルにデカールを貼ることになっていますが、凹凸が多くてうまく貼れそうにないため、やめておきました。

 

 フロントガラスは、キットに入っている透明ブラ板を指示寸法に合わせてカットして貼ることになっていますが、その透明ブラ板そのものが、入っていませんでした。中古品で買った品なので、透明ブラ板パーツは失われていたのかもしれません。
 代替可能な素材も手元にありませんでしたので、ガラス部分の取り付けは保留にしておきました。いずれ良い材料が見つかれば、カットして貼ることにします。

 

 さて、お約束のアンチョビ登場です。本当はカルパッチョやペパロニも出したいのですが、まだねんどろいどぷちシリーズに出ていません。と言うか、出るのでしょうか・・・?

 

 校章マークがついていなくても、アンチョビが側に居れば、アンツィオ高校チームの車輌だという雰囲気になってゆきます。

 

 乗せてみました。まったく違和感がありません。むしろピッタリ感が強いです。堂々として見えます。カッコ良いです。このスタイルでチームの車輌群を観閲すれば、まさに「ドゥーチェ」そのものです。
 見ていて、P40戦車に乗せるよりもこちらの方が似合ってるなあ、と思いました。

 

 「アンツィオは、弱くないぞ!!」と断言するかのような雰囲気です。大きな車体に広い車内空間を備えていますので、ねんどろいどぷちのカルパッチョやペパロニが出ても、余裕で乗せられるんじゃないかな、と思いました。

 

 以上で、アンツィオ高校チームのAS42サハリアーナ偵察車が完成しました。製作日数は、2018年5月6日から5月25日までの20日でした。組み立てに14日、塗装に1日、塗装後の組み立てに1日かかりました。

 今回はイタレリのキットを使用しましたが、パーツの歪みや反りは殆ど無く、パーツの合いも割としっかりしていたため、思ったよりも楽に組めました。ガルパン仕様への修正もごく一部のみにとどまりますから、大半はストレート組みでした。レジンパーツは使わず、エッチングパーツも扱いが大変なので出来るだけブラ板に置き換えたりして、作業量の軽減を図りました。
 このキットは、5月8日から11日にかけての「ゆるキャン△」聖地マイカー巡礼にて持参し、宿やテントの中で組み立てましたが、なかなか楽しかったです。他にやることが無いので、自宅で組み立てる時よりも集中出来ました。

 ガルパンに登場する、戦車以外の車輌の中では、トラックに次ぐ大きさを持つので、存在感もそれなりにあります。戦後に数多くのスーパーカーを誕生せしめたイタリアの自動車工業の特徴の一つともいえる、曲線曲面を多用した流麗なフォルムが印象的です。イタリア特有の芸術的感覚がいかんなく発揮された事例であるとも言えます。

 試みに、ガソリン缶も車外装備品も全て外して、車体を赤とか青のカラーに包めば、そのままオシャレなオーブンカーに見えるでしょう。第二次大戦中に、デザイン性の高さを軍用車にも織り込んでいたあたりは、さすがにイタリアだなあ、と感心する次第です。

 


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ガールズ&パンツァー リボンの武者 9

2018年05月28日 | ガールズ&パンツァー

 5月23日に発売されました、「ガールズ&パンツァー リボンの武者」の第9巻です。これで10巻に達することは確実となったようです。
 アマゾンでの案内情報はこちら

 

 巻を追うごとにストーリー内容が複雑になってきますので、前巻を読み返してから新巻をひらいて内容を整理しつつ読んでゆく、というパターンが私の場合は定着しつつあります。

 本来の主人公はムカデさんチームだったはずですが、アニメ本編に登場しているサブキャラクター達が殆ど勢揃いしていて、そちらの存在感がけっこう大きいものですから、鶴姫しずか達がかすんでしまいそうな錯覚にもとらわれます。
 さらに他の高校チームも色々加わっているため、ごった煮状態になりつつあります。もう少しストーリー構成を分かり易く分解して、「ゆるキャン△」的手法で複数のストーリーを並行的に描写してくれれば、と思ったりします。

 これは、原作者のお二人が徹底的に楽しんで描いておられる作品だなあ、ということが改めてよく分かりますね・・・。戦車に関してはいまだに素人の私なんぞは、ストーリーの大筋を把握するのもやっとですから、最低5回は読み返します。それだけ楽しめるわけですね。

 

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アンツィオ高校 AS42サハリアーナ 作ります!! その6

2018年05月27日 | ガルパン模型制作記

  ステップ22では機銃を組み立てますが、劇中車は武装一切を載せていませんので、関連のパーツは全て不要です。ステップ23ではフロントガラスを24cのパーツにて組み立てます。23cのパーツは防弾板がついたタイプのようですが、もちろん劇中車には防弾板もありません。

 

 御覧のとおり、通常のガラスをはめこんだ状態になっています。

 

 組み立ててゆきました。

 

 ステップ24では、フロントガラスのみを取り付けます。機銃関連は全て不要です。Mの弾薬箱も不要です。そしてステップ25も不要ですので、今回の製作においてはステップ24がラストになります。

 

 フロントガラス部分を取り付けました。

 

 以上で、塗装前の組み立て工程を全て完了しました。

 

 塗装工程に進みました。薄くサーフェイサーを吹き付けた後、劇中車の車体カラーにほぼ一致するミスターカラー39番のダークイエローを使用して本塗装を行いました。タイヤはゴム製なので色もそのままですから、塗装は必要ありませんでした。

 

 タイヤは予備を含めて5本あります。4本をホイールにはめ込みました。接着剤は不要でした。

 

 車外装備品の鶴嘴は、金属部分を28番の黒鋼色、木製部分を43番のウッドブラウンで塗りました。

 

 シート部分やハンドルなどは33番のつや消しブラック、バックミラーは8番のシルバーで塗りました。

 

 排気管は、42番のマガホニーで塗りました。劇中シーンでは車体後部が全く見えませんから、仕上げはキットのガイドおよび付属写真集を参考にしました。

 

 予備タイヤを車体前部にはめこみました。タイヤそのものの色で、ゴム製ですから、色感も質感もリアルです。接着はしていませんので、取り外すことも出来ます。 (続く)

 


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ゆるキャン△の聖地を行く3 その12  セルバ身延店

2018年05月26日 | ゆるキャン△

 身延駅前商店街を辞して車に戻り、身延橋を渡って国道52号線を北上し、上図のセルバ身延店に行きました。今回のレンタカー巡礼の最後の訪問地でした。

 

 駐車場に車を停め、向かって右側の入口から入ると、扉の内側左に、上図の犬山あおいパネルがありました。劇中ではこのお店がモデルの「ゼブラ」でアルバイトをしているという設定ですから、パネルが置かれるのも必然の結果でありましょう。
 デザインは、山梨県大阪事務所で見たものと同じです。公式のパネルは、キャラクター一人につき一種類しか出ていないようです。

 

 この時点で時刻は13時5分でしたが、まだ昼食はとっておらず、栄昇堂さんの「みのぶまんじゅう」を食べたきりでしたから、ここで弁当を買うことに決めていました。まずは惣菜コーナーへ行って、各務原なでしこも食べていたメンチカツを見ました。

 

 売り場のPOPもしっかりと劇中のなでしこちゃんの図になっています。こちらの店員さんはノリノリですね。こちらもノリノリで買ってしまうのです・・・。

 

 ですが、メンチカツだけでは寂しいので、ウズラ玉子もチョイスしました。別に稲荷寿司、お茶、コーヒー、おやつのナッツ類も買いました。

 

 レジの近くには、「ゆるキャン△」グッズの販売コーナーが設けられていました。前回の巡礼時には買えなかった「ほうとう」も「ゆるキャン△」パッケージのゼブラデザインで陳列されていましたので、迷わず買いました。

 

 こちらは西嶋和紙の「ゆるキャン△」デザインボックスメモ4種のうちの一つ、ゼブラバージョンです。ここセルバ身延店でしか売っていない限定品です。価格がけっこうしますが、ファンは買いまくるだろうなあ、と思いました。GWには完売するんじゃないかな、と予想しましたが、その通りだったようで、5月の巡礼時に立ち寄った時には販売終了となっていました。

 

 公式発のグッズは、大体取り扱っているようですが、幾つかは品切れになっていました。平日でも巡礼ファンが訪れて買ってゆくそうで、ドンドン無くなっていくそうです。
 しかし、スーパーがアニメの聖地になるというのは、商売にとっては大変な効果があるでしょうね。話を聞いたところ、土日にはファンが数十人訪れて色々買っていく、メンチカツや焼き鳥関係が売り切れることもしばしばある、ということでした。

 

 人気の高いクリアファイルやタペストリー等のアイテムは既に完売または品切れでしたから、それ以外の小物系やステッカー等が目立っていました。

 

 店舗の向かいには、閉店したリカーショップの建物がありました。劇中で大垣千明がアルバイトしていた酒屋のモデルです。

 

 劇中そのままの景色です。車に戻って車内で弁当を広げ、アニメの雰囲気にひたりつつ食べました。メンチカツ臭が一気に車内に充満してきましたので、ウインドーを開けて風を通しました。各務原姉妹のやり取りが実感出来ました。

 食後、すぐに出発して甲府へ引き返しました。これで今回の巡礼の行程は全て終えたので、レンタカーを返却して列車で帰るだけになりました。計画では16時までに甲府に帰ることにしていましたが、朝から順調にコースをたどって、所要時間も計画より短くて済んでいたため、予定より約2時間ほど早くクリア出来ました。
 甲府には14時過ぎに着きました。タイムズ甲府駅南店にレンタカーを返却したのが14時20分、甲府駅にて帰りの列車に乗り込んだのが14時36分でした。

 

 帰りは甲府発の特急「ふじかわ10号」で静岡へ行き、新幹線に乗り換えて京都へ向かいました。予定よりも2時間早く帰途につけましたので、レンタカーでの巡礼というのは思ったより早く回れるなあ、と思いました。身延町内の主要ルートを走りましたから、次の5月のマイカー巡礼に向けての予習にもなったと思います。

 

 途中、市川大門駅の前あたりで、富士山を見ました。5月のマイカー巡礼がとても楽しみになりました。

 

 反対側の車窓からは、南アルプスの山々も少しだけ見えました。5月のマイカー巡礼では長野県の聖地スポットも幾つか行く計画なので、南アルプスの山々もより近くで眺められるかな、と思いました。

 京都駅には18時45分に着きました。甲府から静岡経由で4時間ちょっと、でした。西大路の下宿に帰りついたのは、ちょうど19時でした。
 以上で、「ゆるキャン△の聖地をゆく3」の記述を終わります。 (了)

 


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アンツィオ高校 AS42サハリアーナ 作ります!! その5

2018年05月25日 | ガルパン模型制作記

 ステップ20では、車内の椅子や右側面のガソリン缶などを取り付けます。エッチングパーツの6PHおよび7PHは、左側面と同じくブラ板に置き換えます。35Cのパーツは、劇中車にありませんので不要です。
 ステップ21では、車体各所の部品を取り付けますが、劇中車にはヘッドライトがありませんので、ヘッドライト関連の18G、34C、39C、40Cは不要です。また16Gのスコップ2本は塗装後に取り付ける予定です。さらにパーツ45Cは、該当部品が劇中車に見当たりませんので不要です。

 

 椅子と車内装備のガソリン缶2つです。ガイドの指示通りに組み立てます。

 

 組み立てました。

 

 車内の指示位置にセットしました。その後、床面にモールドされている機銃の据え付けダボを削り取りました。劇中車は武装類は一切装備していないからです。

 

 エッチングパーツの6PHおよび7PHは、左側面と同じくブラ板に置き換えました。

 

 車体前部には、このようにヘッドライトの取り付け穴、方形のモールドがあります。

 

 劇中車においては、御覧のようにヘッドライトもモールドもありません。この状態に合わせました。

 

 モールドを全て削り取ってから、前部左右のガソリン缶ラックを瞬間接着剤で取り付けました。

 

 取り付けが終わった状態です。

 

 続いて、ステップ21に進みました。関連パーツを切り出しました。そのうちの16Gのスコップ2本は塗装後に取り付ける予定です。

 

 とりあえず、上図のように組み付けました。タイヤは塗装後にセットする予定です。前部右サイドにセットしたジャッキのような部品は、劇中シーンでは手描きのために形状が省略されたような感じですので、ぴったり一致させて再現するのは難しいです。それで、劇中に見当たらないパーツを除いて、あとはガイド指示通りに組み立てました。

 

 赤矢印で示すように、形状が省略されたような感じです。今回の劇中車は、3Dグラフィックではなくて手描きによって描写されており、シーン毎に微妙に変化がみられます。こうした状態には忠実に合わせるのは困難ですから、キットの指示を優先したほうが良いと考えました。

 

 最後にパーツ18Cおよび21Cを指示通りに取り付けて、ステップ21を完了しました。 (続く)

 


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ゆるキャン△の聖地を行く3 その11  みのぶまんじゅう再び

2018年05月24日 | ゆるキャン△

 波高島駅から、富士川東岸の県道9号線を南下して、身延駅前しょうにん通りに移動しました。3月の巡礼時にJR身延線利用にて訪れた地ですが、この日も木曜日であったため、大多数のお店は休業でした。そのためか、巡礼ファンの姿もあまり見当たりませんでした。

 

 今回はレンタカーでやってきましたので、上図の来客用駐車場に車を入れて停めました。上図右端の白い軽自動車が、今回利用のレンタカーです。

 

 しょうにん通り商店街の来客用駐車場の案内です。御覧の通りです。駐車場の南半分ぐらいは各店舗の来客用、北側にフリースペースがあります。聖地巡礼で訪れた際には、特定の店舗に用事があるのでなければ、北側のフリースペースを利用しましょう。

 

 駐車場の出入り口は、御覧のように聖地スポットの一つであるポケットパークの向かいにあります。

 

 JR身延駅です。

 

 唯一営業していた「栄昇堂」さんです。この日もここに用事がありましたから、他のお店が休業であっても問題はありませんでした。

 

 店内に置かれていた、斉藤恵那のパネルです。これが今回の目的の一つでした。斉藤恵那のパネルは京都の叡山電鉄にも大阪の山梨県大阪事務所にもありませんから、今回初めて実物を見ました。

 

 御覧のように、4月21日から6月3日まで開催される「ゆるくないスタンプラリー」に伴ってのパネル設置でした。斉藤恵那は、公式キービジュアルが身延橋橋梁下の場面になっていますから、身延駅周辺にパネルを置くことは、必然的な結果であったことでしょう。

 見ていて気付いたのですが、斉藤恵那は、これまで原作やアニメにて自宅の情報が全く示されていません。しかし、身延橋橋梁下にて愛犬のチクワを散歩させていますから、その近所に自宅があると考えるべきでしょう。
 そういえば、原作の第4巻、アニメの第12話にて、斉藤恵那が各務原なでしこを年末の年賀状バイトに誘っています。その郵便局は、原作第5巻7ページ1コマ目に外観が描写されており、モデルが身延町梅平に所在する身延郵便局であると分かります。その近辺の波木井川岸にて二人がバイト中の昼食休憩をとっている場面も描かれますので、斉藤恵那の自宅はそのエリア近くにあるとみて良いのでしょう。身延橋から身延郵便局に至るまでのエリア、です。

 

 今回も美味しくいただきました、みのぶまんじゅうです。今や、「ほうとう」と並ぶ「ゆるキャン△」ファン及び巡礼者の二大ソウルフードと言えましょう。

 

 おなじみのポケットパークからの景色です。「栄昇堂」さんで伺ったところによれば、前日まで雨が降っていたそうで、富士川の水量も増して流れも速かったです。こういう状態の時は川岸に降りるのも禁止されるそうです。それで、斉藤恵那の散歩スポットに行ってみるのは諦めました。 (続く)

 


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アンツィオ高校 AS42サハリアーナ 作ります!! その4

2018年05月23日 | ガルパン模型制作記

 ステップ16では、車体右側の各部品を取り付けます。エッチングパーツの1PH、2PH、3PH、17Gは劇中車にはありませんので不要です。
 ステップ17では、車内の各部品を取り付けます。椅子はガイドの指示通りに組み、一つを収納状態にします。エッチングパーツの6PH、7PHはブラ板に置き換えます。

 

 車体右側に装備されるガソリン缶やマフラー等のパーツです。

 

 全て組み付けました。

 

 ステップ17で取り付けるパーツ類です。上の細長いブラ板は、エッチングパーツの6PH、7PHの代わりに取り付けます。

 

 椅子は展開状態と収納状態を一つずつ組み、操縦席パネルも組み付けました。

 

 車体内部の指示位置に取り付けました。

 

 側面のガソリン缶の留め帯は、エッチングパーツの6PH、7PHの代わりにブラ板を取り付けました。

 

 ステップ18および19では、車体前部左右に装備するガソリン缶とラックを組み立てます。

 

 ラックはエッチングパーツになっています。まずは右側のラックに取り掛かりました。

 

 ガイド指示どおりに曲げて形にしてゆきました。ラックの正面に円形がついています。

 

 その円形部分が、劇中車のラックにはありません。

 

 そこで、ラックの円形部分をカットしたうえで、組み立て作業を進めました。

 

 組み上がりました。

 

 続いて、左側のラックも同じように作ります。

 

 中にセットするガソリン缶も組み立ててゆきました。

 

 左右のガソリン缶ラックが組み上がりました。エッチングパーツを複雑に折り曲げて作る部分なので、今回の製作において最も緊張した工程でした。 (続く)

 


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ゆるキャン△の聖地を行く3 その10  甲斐常葉から波高島へ

2018年05月22日 | ゆるキャン△

 甲斐常葉駅から旧下部中学校までの道は、「ゆるキャン△」では本栖高校への通学路として登場します。景色も大半はそのまま再現されていますから、聖地のなかの聖地と言えます。5人の主要キャラクターが同じ学校の生徒として活動し、この道を毎日歩いていたのであれば、ファンとしては必ず歩いてみたいと思うわけです。

 ですが、初めて現地にやってきた方の多くは、地理に詳しくありませんから、本栖高校のモデル地はどこだろうかと探し回るケースも少なくないようです。
 私自身は、甲府の歴史団体に参加していた時期に、一度ここに来たことがあります。当時はまだ西八代郡下部町で、いまは無き役場の建物もありましたし、そこの教育委員会担当者を訪ねて当地の歴史について教えて貰ったりしていたのは、前に述べた通りです。

 それでも、2018年3月に初の「ゆるキャン△」聖地巡礼でここに来た時は、一度道に迷いました。劇中に登場する本栖高校への通学路は、実際には旧下部小および中学校への裏道ルートにあたり、小学校の正門に向かうルートが表道にあたるからです。かつての役場の角を曲がって丘に向かう道であり、私も記憶のままにそちらへ行ってしまったのです。

 

 なので、このような方角および距離の案内板がコースに沿って掲示してあるというのは、本当に有り難いことだと思います。3月巡礼時にはまだ無かったので、4月ぐらいに設けたのでしょう。

 

 甲斐常葉駅前の広場に着き、駐車場に車を停めて徒歩に移りました。車で移動しながらの表示板探しは難しかったし、交通安全の面では危なかったからです。

 

 甲斐常葉駅です。3月の巡礼時には身延線の列車でここに降りました。

 

 駅舎の隣のトイレの壁に貼ってある表示板です。これが、おそらくは巡礼ルートの最初の表示だろうと思いましたが、次の5月のマイカー巡礼時に、さらに外側にもう一ヶ所あることを常幸院の深山住職に教えていただきました。この「ゆるキャン△」表示は、全部で15ヶ所に設置されているそうです。

 

 常葉川の橋より、本栖高校の方角を見ました。

 

 橋のたもとの理容店にも、案内表示が貼られてありました。本栖高校までの距離が740メートルとあります。

 

 橋を渡ったところの店舗の窓にもありました。

 

 劇中に登場した景色の一つです。上画像には写っていませんが、右に下部薬局があります。その駐車場入り口脇にも、案内表示板が設けられています。上図にも小さく写っていますが、お分かりでしょうか。この表示板は、近づいて撮影するのを忘れました。
 その後、下部薬局で水とドリンク剤を買い、駅前駐車場へ引き返して車に乗りました。

 

 次の訪問地は、上図の波高島駅でした。御覧の通り、ここも無人駅です。

 

 内船駅や甲斐常葉駅と同じく、改札もありませんから、ホームへも自由に立ち入り出来ます。

 

 既視感バッチリの駅名標です。

 

 劇中では反対側の面が登場しています。所在地の表記だけがなぜか消えていますが・・・。右のオレンジ色の棒は、安全確認用ミラーの支柱です。

 

 その安全確認用ミラーに、自身の姿が写っているので、そのまま撮りました。

 

 さらに記念の自撮りをやりました。とにかく楽しい、聖地に来られて嬉しい、という状態でしたから、どうしても笑ってしまいます。自分でも、笑顔で写真におさまるというのは余り無かっただけに、本当にアニメ聖地巡礼というのは面白くて最高だなあ、と改めて思いました。

 

 駅前の広場の一角には、現地の波高島の地名の説明版がありました。もとは畑ヶ島と呼ばれていたのが訛った結果とされ、江戸期には既に波高島の表記が定着していたそうです。

 中世戦国期の頃、富士川流域のエリアにおいては、各地にある村落の多くに「島」の名が付きました。川に面した特定の地域を指す場合もあって、いわゆる地域称として使われていたようです。なので、現在でも甲斐大島、西嶋、というように、島の字がつく地名が少なくありません。 (続く)

 


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アンツィオ高校 AS42サハリアーナ 作ります!! その3

2018年05月21日 | ガルパン模型制作記

 ステップ10から11までは、レジンパーツによるエンジンの組み立てです。今回の製作では対象外ですのでパスしました。

 

 ステップ12および13では、車体の後部を組み立てます。エンジンフードは開状態にも作れますが、ここでは閉状態を選びました。要するにエンジンは見えなくなるわけで、今回エンジン部分の組み立てを省いたのもそのためでした。
 なお、ステップ12にて、ナンバーのパーツ7cは、劇中車についていない可能性がありますので、今回は取り付けませんでした。

 

 ステップ12で組み立てる車体後部のパーツ類です。

 

 こちらのフェンダーの縁にも、ハンドルや金具などのモールドがありますが、劇中車に倣って全て削り取りました。

 

 削ったら欠けてしまった箇所があり、後でパテなどで補修しました。

 

 組み立ては、エンジンが無くても可能でした。箱組みなので、歪みやズレが出ないように注意しながら組み立てました。

 

 ステップ13で組み立てるエンジンフード等のパーツ類です。

 

 エンジンフードは閉状態で仕上げました。

 

 だいぶ形が出来上がってまいりました。軍用車輌というより、大型のオープンカーみたいな雰囲気があります。

 

 ステップ14では、車輪を組み立てます。私の製作においては、タイヤの装着も含めて塗装後に取り付ける予定です。
 ステップ15では、車体回りの装備品を組み付けます。このうち、エッチングパーツの1PH、2PH、3PHおよび17G二個、機銃架関連の12c、14c、15cは不要です。劇中車には装備されていないからです。

 

 車輪のパーツです。

 

 組み立てて、塗装作業後まで保管しておきます。

 

 ステップ15では、上図のガソリン缶と鶴嘴を取り付けます。鶴嘴は劇中車のシーンでは見えないのですが、車体前部のスコップやパール等の車外装備品が全てセットされているのが確認出来るため、同じ車外装備品の鶴嘴もセットされているものと見なしました。

 

 この組み立て作業は、「ゆるキャン△」巡礼中の5月10日、富士山西麓の朝霧高原ふもとっぱらキャンプ場でのテント泊の夜中にやりました。ランタンの下でしたので、暗い写真になっています。

 この時点では、次のステップまで組み立てを進める積りだったのですが、さすがに標高800メートル台の高地帯とあって夜の最低気温は3度まで下がり、作っているうちに凍えてきたので、プラモデルどころではなくなりました。焚火をたいて暖をとったり、お湯を沸かしてカップラーメンをすすり大蒜味噌スープを作って飲んで温まったりと、大忙しになり、それで疲れて眠りこんでしまったのでした。
 なので、その次のステップに進んだのは、帰宅して数日後の休日でした。 (続く)

 


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ゆるキャン△の聖地を行く3 その9  本栖高校への表示板

2018年05月20日 | ゆるキャン△

 旧下部中学校への道を登りながら、眼下の街区を見回しました。南の方に、甲斐常葉駅のホームも見えました。全体として、旧本栖道が街道であった時代の集落からの景観が引き継がれているような印象でした。地形的にはかなり余裕があるようですが、街区は街道沿いに細長く発達しています。江戸期には宿場町として再整備された経緯がありますから、町並み自体の規模または骨格は、中世戦国期以来ずっと維持されている形になっているとみて良いようです。
 一度、現地の詳細な地籍図を見てみたいな、と思いました。地籍図の字名などをたどれば、その地域の歴史が鮮やかに甦るケースがあるからです。

 

 さて、道のカーブの外側に、上図の「ゆるキャン△」案内表示が立てられていました。どうやら、複数が街中に配置されているようです。アニメ聖地のキャラクターパネルのようですが、こちらはアニメのシーンをそのまま採ってプリントしてありますので、キャラクターパネルよりもアニメの雰囲気に浸れる利点があります。

 

 おなじみの本栖高校です。もう説明は不要ですね。

 

 上図の体育館などはまだ充分使えるそうですので、一度ぐらいは「ゆるキャン△」イベントの会場として利用すれば良いのに、と思います。広いグラウンドも、例えば臨時のキャンプ場として開放するなどして、「本栖高校野外活動サークルキャンプオフ」のようなファンイベントをやったらどうか、と思います。
 実際、常幸院では、年中行事の一つに「寺キャン」というのをやっているそうで、寺に集まってキャンプ体験を楽しむ、という内容であるようです。そのイベントを上の旧下部中学校に移して規模を拡げるだけで、「ゆるキャン△」イベントが実現出来そうな気がします。

 ガルパン大洗でもけいおん豊郷でもそうですが、一般的に、アニメイベントを開催する際の大きな問題点は、遠方からのファンの宿泊をどうするか、ということです。「ゆるキャン△」の場合はキャンプの物語ですから、皆でテントを持ち寄ってキャンプを楽しめば、宿泊地確保の問題はクリアされます。近くに下部温泉郷もありますから、宿が足りない、という懸念はまず無さそうです。旧下部中学校の校舎や体育館の中で「室内キャンプ」という方法もあります。
 次いで、駐車場の確保という問題がありますが、常幸院の駐車場が開放されているうえ、学校の広いグラウンドの開放を実現出来ればクリア出来ます。
 つまり、現時点では、現地においてファンイベントを開催出来る環境が割合に整っていると言えます。これは重要だと思います。

 「ゆるキャン△」の聖地はいまや山梨、長野、静岡の3県にまたがって数も増加しており、大勢のファンがあちこちで動いています。でも、「ゆるキャン△」のキャラクター5人が本栖高校の生徒であるという大前提がありますから、ファンの全員が必ず一度はこの地にやってきます。他の聖地へは行けていないけれど、本栖高校へは絶対に行きたい、と考えるのが「ゆるキャン△」ファンの基本だからです。
 だから、「ゆるキャン△」の聖地のなかで一つだけ選べ、ということになれば、大多数は本栖高校を挙げるに相違ありません。地元の方々が、何かを仕掛けるならば、今ではないでしょうか。

 いずれにしても、ファンが食料とテント持参でここに集まって語らい、交流を深めたりする機会があれば、聖地としての価値は今よりももっともっと上がります。「けいおん」の豊郷小学校のレベルには及ばないかもしれませんが、少なくとも「ゆるキャン△」聖地の中心という立ち位置だけは確立出来る筈です。

 

 ところで、この登り道は、何度見ても古い時代の山道の系譜を受け継いでいるような気がします。かつての城砦は、地形からみると旧小学校校舎の辺りにあったように推測出来ますので、そこからいったん尾根筋が下って北側に支尾根が分かれる旧中学校の辺りには、砦の外郭部にあたる部分があった可能性が考えられます。

 

 常幸院の駐車場まで戻りました。さっき見た表示板の裏側にも、「ゆるキャン△」案内表示が貼られているのに気付きました。アニメのシーンも様々で楽しいです。
 どうやら、他にもありそうだな、と思いました。車に乗って道を引き返し、甲斐常葉駅の前まで移動することにしました。

 

 道を曲がった所の左右の民家の塀にも貼ってありました。

 

 反対側の民家の柵にも設けてありました。

 

 少し進んだ地点の左側の建物の壁にも貼ってありました。

 

 別の民家の窓にもありました。一体、何枚あるのでしょうか。

 

 ほとんど徐行に近いスピードで、旧本栖みちを南下しつつ、左右に案内表示板の有無を確かめる状態が続きました。対向車が全く無かったから出来たことですね。

 

 下部支所入口の交差点の角の民家の戸口にもありました。甲斐常葉駅から旧下部中学校までの道順を案内する表示板ですから、その間にほぼ等間隔で設けて距離を示しているのでしょう。

 しかし、こういう仕掛けは、他のアニメ聖地では見かけなかった気がします。地元住民の協力無しには成立し得ない取り組みであり、低予算で可能な、貴重かつ有意義なチャレンジではないかと思います。これで旧下部中学校でのファンイベントが実現すれば、大勢のファンが全国から集まるに決まっていますから、これらの案内表示板もより役に立つことでしょう。 (続く)

 


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アンツィオ高校 AS42サハリアーナ 作ります!! その2

2018年05月19日 | ガルパン模型制作記

 ステップ4では、サスペンションを組み付けます。ガイドの指示通りに進めます。続くステップ5は、レジンパーツのエンジンの取り付けですが、今回の製作ではレジンパーツを使いませんので、飛ばします。

 このステップ4からの組み立て作業は、5月8日からの「ゆるキャン△」聖地巡礼の時に旅館などでやりました。8日の夜は長野県駒ケ根市の駒ケ岳山麓の国民宿舎「すずらん荘」に泊まり、広い和室でプラモデルをまったりと作りました。が、温泉に二度出かけ、名物の「ソースカツ丼」を食べに行ったりしていましたから、あまり進みませんでした。

 

 さて、ステップ4に入りました。今回のキットは、イタレリ製品本来の組み易さ、取扱い易さがあると感じました。細かいパーツもキッチリはまり、歪みもズレも一切ありませんでしたので、組み立てが気持ちよく進みました。

 

 数分で組み上がりましたが、車軸が僅かにグラつくので、流し込み接着剤を追加して固定しました。

 

 上から見ると、こんな感じです。シャーシーが箱型になっているので、エンジンを取り付けても底部すら外からは見えません。

 

 底面を上にした状態です。底面も完全に鋼鈑で覆われて密閉されています。AS42サハリアーナは、アフリカ戦線での使用を前提として開発された長距離用偵察車ですので、砂漠での移動にも支障が無いように設計されていました。底面を密閉することで、車内やエンジンに砂が侵入するのを防いだわけです。

 

  ステップ6では、操縦席などを組み立てます。ステップ7では、車体を組み立てます。ステップ8では、車体とシャーシーを合わせます。いずれもガイドの指示通りに進めました。
 車体前部下端に取り付けるパーツ44Cは、いったん指示通りに取り付けましたが、後で劇中車についていないことに気付き、後のステップ13の作業中に取り外し、車体後部下端に移しました。

 

 これで見ると操縦席は中央にあって、助手席とかは無いことが分かります。

 

 ハンドルの取り付けの向きがおかしいように思いましたが、実車の写真で見ますと、操縦手がハンドルを前に倒してから運転に入るシーンがありました。キットの状態は収納状態であったわけです。

 

 車体は箱組みですので、パーツのそれぞれに歪みが無いか確かめ、仮組みをしてみました。

 

 ここで、ガルパン仕様への修正工作が一つ加わります。御覧のように、フェンダーの縁に複数のハンドルのモールドがあります。これが劇中車には一切ありません。

 

 劇中のワンシーンでも、フェンダーの縁に複数のハンドルが無いことが分かります。

 

 別のシーンでは、さらに分かり易いです。

 

 そこで、ハンドルのモールドは全て削り取りました。

 

 組み立てが完了しました。ここまで一時間もかかっていません。大きな車輌だから組み立て易いのでした。似たようなキットに、サンダース大付属高校チームのM20高速装甲車があったなあ、と思い出しました。 (続く)

 


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ゆるキャン△の聖地を行く3 その8  甲斐常葉の禅刹

2018年05月18日 | ゆるキャン△

 志摩リンの自宅の場所のモデル地は、古関地区の中央を流れる反木川のせせらぎが聞こえる良い場所でした。甲州いろは坂ルートの高度差はあるものの、本栖湖とは近所になります。志摩リンが本栖湖畔の浩庵キャンプ場へよく行っている、という設定は、近所に住んでいることが前提になるわけですが、その場所がここ古関地区であったわけです。

 ちなみに古関地区から本栖高校モデルの旧下部中学校までは約4キロぐらいですが、ずっと下り坂なので、登校は楽ですが、下校は大変です。志摩リンが自転車通学であると仮定すれば、毎日の下校時に約4キロの坂道をえんえんと登るわけですから、各務原なでしこの「浜名湖ぐーるぐる」ではありませんが、同じように鍛えられる筈です。それならば、甲州いろは坂ルートを登って本栖湖畔へ行くのも、大して苦にはならないのでしょう。

 しかし、今回も車であちこち移動してみて実感出来たことですが、「ゆるキャン△」の舞台における距離感覚というのは、どうも一般的なそれよりもはるかに上だと思います。南部町から本栖湖まで自転車で行くとか、ちょっと送って感覚で南部町から四尾連湖まで行くとか、原付で古関地区から長野県まで行くとか、とにかく移動距離がものすごく長いのです。
 しかし、劇中では近くへササッと行くような雰囲気で描かれているので、実際に行くと、相当の距離と所要時間とに驚かされるケースが殆どです。こんな遠くへよく行くなあ、といつも感心してしまいます。

 

 さて、来た道を引き返して、古関地区の中心部の北側の分岐まで戻りました。郵便局や身延町役場の出張所などがあるエリアです。

 

 上図の左端に見える橋が、本栖湖から甲州いろは坂を下りて、古関地区への道に進んで渡った橋です。また、道を北へ進むと、国道300号線本栖みちに合流します。右へ曲がる道は、地図で見ると地区内の路地へと枝分かれしています。

 

 そして、この赤っぽい壁の建物は、いまは少し北に移転している郵便局の旧施設です。劇中で志摩リンがバイトしている書店のモデルです。概観は色々と異なりますが、それらしい雰囲気はあります。

 

 劇中では、武田書店となっています。アニメ画像はこれだけですが、原作コミック第5巻の20ページ3コマ目や23ページ5コマ目や24ページ5コマ目では付近の景色も幾つかのアングルで登場しており、舞台が古関地区であることが分かります。

 このエリアに限らず、「ゆるキャン△」の聖地の景色に関しては、アニメよりも原作の方が幾つかのシーンを描いているため、現地への巡礼行動に際しては、原作コミックを携行したほうが、現地での場所特定などが容易になります。アニメでは、限られた尺のなかで相当の場面を削っていますから、原作では分かる場面が劇中では分からなかったりする場合が少なくありません。

 

 古関地区から国道300号線本栖みちに戻りました。上図の三叉路が、原作コミック第5巻86ページ1コマ目に描かれています。志摩リンが母の咲から古関地区の路面が凍結した旨を知らされるシーンです。

 

 本栖みちを下り、常葉バイパスのトンネルの手前で右にそれて旧本栖みちの県道419号線に進み、ダイハツさんの販売所の前を過ぎて少し進み、標識にしたがって左折して坂を上ると、左手に上図の常幸院の駐車場がありました。最近に「ゆるキャン△」巡礼者向けに、駐車場を開放していると聞きましたので、甘えさせていただきました。

 

 駐車場入口の脇に建つ小堂の壁には、最近に貼られた「ゆるキャン△」聖地巡礼の案内表示板がありました。常幸院は、本栖高校のモデル地となった旧下部中学校のすぐ下隣にありますので、住職が巡礼ファンの動きを知ってかなりノリノリになり、地元の方々を巻き込んで積極的に対応して下さったということのようです。
 というより、住職自身がファンになっているのではないか、と思います。なにしろ、しっかり「本栖高校」とアニメ劇中の名称で表記されています。こんな本格的な聖地巡礼の案内表示板は、初めて見た気がします。ガルパンの大洗にも、けいおんの豊郷にも、これだけのレベルの案内表示はありません。

 

 駐車場の脇に並ぶ羅漢石像の列の上に、本栖高校つまり旧下部中学校がそびえたちます。五条ヶ丘と呼ばれる丘陵上に学校敷地があります。かつて戦国期には武田氏の狼煙台が置かれていた地と伝わります。

 

 常幸院の山門にあたる「光明門」です。両脇を石造の金剛力士像が固めています。宗派は曹洞宗、山号は金龍山です。本尊は、禅刹には珍しい千手観音菩薩ですが、創建を14世紀後半と伝える他は由緒が詳らかでないようなので、おそらくは流転衰微の歴史を背負って一度は廃絶を経験しているものと推測されます。古記録類が豊富に伝わっていれば、寺史はもっと明確に詳細に公表される筈ですが、その形跡が感じられませんので、古い記録は失われているのかもしれません。

 

 境内地に進みました。正面に本堂、右手に庫裏が建ちます。いずれも近世以降の成立になるようで、境内地そのものも一度大きく造り替えられたような感じで、ありようとしては江戸期の禅寺の形態に整えられています。とても14世紀後半に成立した寺の構えには見えませんでした。

 14世紀代といえば、中世戦国期の半ばにあたります。甲斐の武田氏はまだ勃興の途についたばかりで、当地には在地勢力が林立する状態だったとみられます。現地の北に市ノ瀬という所があって、JR身延線の市ノ瀬駅がありますが、そこに居館を構えていた常葉氏が、ここ五条ヶ丘地域も支配していたと伝わります。おそらく、常幸院の前身は、常葉氏の菩提寺のような性格を帯びていたのではないか、と思います。

 私は近畿地方の中世戦国期の歴史に興味を持ち、かつて奈良県民であったので、奈良県の中世戦国期の武士と城館の歴史を探訪し学んでいた時期がありました。その頃に回った城跡や館跡は400ヶ所余りを数えますが、大半は在地領主の館と詰城のセットでした。そして多くの場合、館または城のすぐ近くに寺があり、菩提寺の性格を有して平時はそこで政務を執るケースも少なくありませんでした。

 そのケースが、ここ常幸院の立地にもあてはまりそうだな、と思います。五条ヶ丘は、いまは学校敷地になっていますが、地形から考えると城や砦を築くには絶好の場所です。武田氏の狼煙台が置かれていた、という伝承もたぶん本物で、実態としては市ノ瀬の常葉氏の支配圏の南側の砦、ということではなかったかと推察します。そのすぐ下に位置する常幸院は、常葉氏の砦とセットで配置された宗教拠点であった、とみても良いのではないかと考えます。
 その仮定に立てば、常幸院の寺号も、常葉氏との関連で捉えるのが良さそうな気がします。創建以来の寺号であれば、常葉氏の多幸を祈念する、というような意味が込められていたかもしれません。

 

  かつて甲府の歴史団体に参加していた頃、下部町役場の教育委員会の担当者に、現地が武田氏家臣の馬場氏の支配圏にあったと聞いたことがあります。長篠合戦で討死した馬場美濃守信房の実家にあたりますが、この馬場信房の本姓が常葉で、もとは常葉次郎であったそうです。

 当時聞いた話を要約しますと、もともと常葉氏と馬場氏は隣同士の在地勢力として割合に友好的な関係にありました。当時の馬場伊豆守虎貞は甲斐の武田信虎に仕えていました。武田信虎は暴君であったので、馬場虎貞は憂いて諫言したところ、怒りをかい殺されました。馬場家は後継ぎが無くて断絶になるところ、常葉光季の二男の常葉次郎が馬場家に養子入りしてこれを継ぎ、馬場美濃守信房と名乗った、ということです。
 後に、長篠の露と消えた武田氏の勇将にしたがって、織田徳川の圧倒的火力の前に次々と斃れて散った信房配下の将兵たちの何人かは、常葉次郎についてきた市ノ瀬の一党だった筈です。常葉氏の本家も武田氏滅亡と運命を共にしたそうなので、常葉氏もまた、歴史の彼方に消え去ったことになります。常幸院の寺史が詳らかでないのも、そうした在地の歴史の断絶があるからでしょう。

 

 かくして由緒の多くを失った寺は、おそらく江戸期に再出発をとげて今に至るものと思われますが、それだけに、古刹にありがちな歴史の重苦しい風情とは無縁です。なにかホッとするような、明るさと安らぎの空間として綺麗に整えられた境内地の一角には、上図の語らいの場とみられるベンチがしつらえてありました。

 

 その中央の机の上には、「ゆるキャン△」のあの5人の画像と交流ノートがありました。ここの住職は想像以上にノリノリなお方であるようですが、この日は留守であったのか、寺のどこにも人の気配が感じられませんでした。
 いずれ5月にまた訪れる予定がありますので、とりあえず退出しました。

 

 旧下部中学校への坂道を登る途中で、常幸院の境内地全景を見ました。この一帯は東に五条ヶ丘の丘陵、西に常葉川があってそれぞれが天然の城壁と濠の役目を果たします。在地勢力が拠点を置いて防御も意識するには相応しい地形です。

 寺の西側は傾斜地になっていますが、かつては切岸が設けられていた名残ではないかと思います。一帯をくまなく発掘調査すれば、中世戦国期特有の土塁や溝などの遺構が検出される可能性は高いでしょう。常幸院の現状から元の地形を復元推定すると、前身寺院はもう少し南寄り、いまの駐車場入り口の小堂あたりに位置し、北側に切岸、南側に門を置いて門前の道は五条ヶ丘の砦への連絡路にもなっていたものと思われます。

 いまの旧下部中学校への登り道は、かなり屈曲してから尾根斜面を斜めに上がるのですが、これは中世戦国期の城館への大手道によく似た形式です。かつての五条ヶ丘の砦への道を大体踏襲して、学校建設時に拡充された結果であろうと思われます。
 さらに、いまの下部町の街区自体が、もとは中世戦国期の集落から出発しているような雰囲気があります。県道419号線は間違いなく昔の往還を伝えており、常葉川を天然の外濠に見立てれば、城下集落のメインルートであった可能性が高いです。だから南側で道がクランクして辻になっているのであろうし、北側の尾根筋には木戸を設けるに適した場所があります。

 いずれにせよ、歴史的に見てもなかなか楽しい地域だなと思います。五条ヶ丘エリアは、特に道や地形や寺の状態が、かつての在地勢力の城下集落の面影をしのばせます。「ゆるキャン△」聖地巡礼に、歴史散策をプラスすれば、より楽しめそうですね。 (続く)

 


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アンツィオ高校 AS42サハリアーナ 作ります!! その1

2018年05月17日 | ガルパン模型制作記

 第63回戦車道全国高校生大会の第2試合にて、アンツィオ高校チームのアンチョビ達が、大洗女子学園チームとの試合直前に挨拶にやってきた際、隊長のアンチョビは上図のように車の上に颯爽と立ち上がってポーズを決めていました。副隊長のカルパッチョが運転していたその車は、AS42型サハリアーナ偵察車と呼ばれ、史実では第二次大戦中のイタリア軍の車輌として知られます。

 

 周知のように、アンツィオ高校チームはイタリア軍ティストのチームですので、使用する車輌は全てイタリア車輌です。戦車以外の軍用車輌も色々揃えており、劇中では他にフィアット508CM型コロニアーレ連絡車を使用するシーンがありました。今回のAS42型サハリアーナ偵察車は、同じ移動用車輌でありながらも大型の部類に属し、史実ではアフリカ戦線で使用するための特殊スカウトカーとして開発されました。各種の攻撃作戦にも参加出来るように重火器の搭載が可能でしたが、ガルパンにおいては単なる移動用車輌として使われているようで、武装の類は一切ありません。

 さらに、劇中では車輌の全容が分かるシーンは無く、上図のように車体の上半分を前から見たアングル、そして車体右側面の前部四分の一ほどを横から見た図が知られるのみです。
 ですが、その範囲においても劇中車の独自の要素は幾つか見られますので、今回の製作にあたっては、なるべくそれらを反映させ、劇中に出ていない部分についてはキットのまま仕上げることにしました。

 

 AS42型サハリアーナ偵察車の適応キットは、上図のイタレリの製品が知られています。確か、機銃搭載型と対戦車砲搭載型の2種類のキットが出ていたと思うのですが、後者のキットには未だにお目にかかれていません。
 上図のキットは、機銃搭載型のほうで、二年ぐらい前に大阪の中古ショップで2000円ぐらいで購入したものです。

 

 パッケージの中身です。今回のキットは旅先の宿にて作り始めましたので、普段と比べて写真が暗いです。御容赦下さい。

 

 レジンパーツとエッチングパーツも入っています。レジンパーツは全てエンジン関連ですが、今回の製作では使いませんので、全て不要となります。エッチングパーツの半分ぐらいも、劇中車にはありませんので不要となります。

 

 左は実車の写真集です。アニメ劇中車が一部しか出ていないため、残る部分についてはこの写真集を色々と参考にしました。
 右は制作ガイドです。表紙の解説文は主要6カ国の言語で述べられますが、分かるのは英語だけでした。もちろん日本語文はありませんが、製作そのものはイラスト図にしたがえば良いので、支障はありませんでした。

 

 ステップ1から3までは、シャーシー部分を組み立てます。ガイドの指示通りに進めました。

 

 シャーシー本体部分のパーツ類です。

 

 組み立てました。

 

 車輪の基部などを組み付けます。

 

 ドンドン進めました。

 

 左右の細かいパーツを、無くさないように注意しつつ、順番に取り付けてゆきます。

 

 全て組み付けました。ガイド図に取り付け状況の側面図が載っていますので、それもチェックして仕上がりを確かめました。車輪の基部に少しでもズレがあると、車輪を取り付けた時にズレが大きく表れますので、注意が必要でした。

 

 これでステップ3までの工程が完了しました。30分もかかりませんでした。今回のキットのパーツには歪みなどが全く見られず、パーツの合いも良かったのが幸いしたようです。 (続く)

 


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