車を降りて、しばらく芦川の景色を眺めました。すぐ横の青洲橋の名前に、この辺りが渡辺青洲ゆかりの地なのかな、と思いました。
渡辺青洲のことは、昔、甲府の歴史研究団体に参加した時期に聞かされた記憶があります。ここ市川三郷町を出自とする明治期の政治家および実業家です。本名は渡辺信(まこと)、青洲と号し、当時の日本では指折りの蔵書家として知られ、自宅内に「青洲文庫」という私設図書館をひらいて広く公開したことで知られます。いまの東京大学の図書館の蔵書の何割かが「青洲文庫」からの購入または寄贈品であったとも聞いています。
そういえば、今年2020年4月に付近の3校を統合する形で近くに開校した公立高校の名前も青洲だったかと聞きました。地元では非常に親しまれている歴史人物であるのでしょう。
青洲公園のほぼ中央に上図のモニュメントが立っています。市川三郷町の「過去、現在、未来」を表しているそうですが、西洋の甲冑騎士のような感じに見えました。
モニュメントの台座にある銘板です。甲斐源氏の里、とあります。ああそうか、甲斐源氏つまり武田氏の祖、武田刑部三郎源義清が常陸国武田郷での抗争に敗れて勅勘を蒙り配流となった市河荘とは現在の市川三郷のことだったか、と気付きました。源義清は、八幡太郎源義家の弟新羅三郎源義光の三男です。有名な武田信玄は、義清から数えると18代後になります。
武田冠者とも呼ばれた源義清のことは、以前にガルパン大洗巡礼の途次に本貫地常陸勝田の武田館を訪れた事がありますので、よく知っています。当時の武田氏館の復原建築を見、館内では甲斐に配流になる前の義清と子の清光の父子の姿も拝見しました。その時の記事はこちら。
この青洲公園のモニュメントが、「へやキャン△」第11話に登場しています。野クルの3人がなんでここにやってきたのかは分かりませんが、おそらくは山梨県の観光情報紹介の意図から劇中に登場させているのでしょう。
このシーンですね。野クルの3人がモニュメントの姿に合わせたポーズをとっています。野クルの3人は色々な場所で色んなポーズをとりますね・・・。
蒸し暑い中、記念の自撮り。劇中のシーンは、実際には上図右端に見える建物が邪魔になるために撮影不可能なのでした。
続いて近くの市川三郷町役場に移動して、そこの駐車場に車を停めました。この日は祝日で役場は休みでしたが、事前調査の際の問い合わせにて、あらかじめ許可をとってありました。
次に行く場所には駐車場が無く、路上駐車も禁止されている区域ですので、レンタカーで回る際にどうしたら良いかと聞いたところ、短時間の駐車ならかまいませんよ、ということでした。有り難いことでした。
次の目的地へは、市川三郷町役場から歩いて3分もかかりません。指呼の間、よりも近い距離でした。とりあえず、その方向へ歩き出しました。 (続く)