気分はガルパン、ゆるキャン△

「パンツァー・リート」の次は「SHINY DAYS」や「ふゆびより」を聴いて元気を貰います

ガルパンの聖地 ・ 大洗を行く5 その29 「雄大な土塁と空堀です!!」

2014年05月31日 | 大洗巡礼記

 江戸期の弘道館は、現在の弘道館の敷地の倍以上の範囲におよんで調練場、馬場、医学館、天文台、文館などの諸施設がありましたが、大部分は茨城県庁舎や県立図書館、水戸市立三の丸小学校などの敷地に転じています。弘道館の北側の文館跡および西側部分が、いまは鹿島神社境内地を含む歴史公園地区として整備されています。そのなかにある幾つかの建物や遺物などを見て回りました。
 上画像は、弘道館の北に隣接する孔子廟です。当時の建物は第二次大戦中の空襲にて焼失し、昭和45年に復元されたのが現在の建物です。


 鹿島神社への参道の横にある古井戸です。弘道館のある地域は城内三の丸に属し、現在の公園地区は馬場に隣接して有事の際には兵馬を動員する範囲となっていたため、このような井戸も各所にあったといいます。


 八卦堂と呼ばれる八角形の覆堂です。内部には弘道館の建学精神を表記した記念碑が据えられています。江戸期の建物は第二次大戦中の空襲にて焼失し、昭和28年に復元されたのが現在の建物です。
 U氏が「水戸市が空襲を受けたのは、終戦直前の8月2日なんだが、その際に市街地は八割ぐらいがやられたんだ。爆弾は弘道館地区にもいっぱい投下されて孔子廟も八卦堂もやられたが、そのかわり弘道館の本館が奇跡的に焼け残ってくれた。水戸市民にとっては不幸中の幸いだったということかなあ」と淡々と語っていました。


 八卦堂の南側には、種梅記碑と呼ばれる石碑があり、簡素な覆屋根にて保護されています。徳川斉昭が弘道館や偕楽園に梅を植えさせた趣旨が刻まれています。これの拓本が、弘道館の至善堂の溜に展示されています。


 弘道館に隣接する鹿島神社です。徳川斉昭が弘道館の創設に際して常陸国一宮の鹿島神宮の分霊を勧請したものです。創建以来の社殿は第二次大戦中の空襲にて焼失し、昭和49年の伊勢神宮の第64回式年造替に際して皇大神宮別宮の「風日祈宮」の旧殿一式を譲渡されて正式の再興を果たしたものです。
 なので、伊勢神宮には二度お詣りしているU氏や私にとっては、「お伊勢さんの社殿」そのものでした。


 鹿島神社に向かって左側の老木群の下にある要石歌碑です。碑文は、徳川斉昭が日本の国や日本人の進むべき道を示したもので、原文を漢文としています。


 要石歌碑の漢文を読み下せば、「行く末も 踏みなたかへそ あきつ島 大和の道そ 要なりける」となります。これの拓本が弘道館の至善堂の御座間に掛けられています。U氏は二度声に出して詠み、「やっぱり日本の歴史や精神の故郷が大和国であるわけだなあ」と感慨深げにつぶやいていました。
 思えば、彼が京都造形芸術大学の講座を志してやってきたのも、一度は奈良や京都の古い歴史や文化に直に触れて学びたい、との情熱からでした。それでオリエンテーションの初日に席が隣だったのが縁となって親しくなり、その翌々日にはU氏を奈良に案内して山の辺古道を歩きました。その折、景行天皇の纏向日代宮伝承地にて、彼は「倭は くにのまほろば たたなづく青垣・・・」と詠んで感激にむせんでいたのでした。
 そのことを言うと、U氏は「また奈良へ行きたいなあ、来月にでも行こうかなあ」と言いました。


 要石歌碑付近から孔子廟を見ました。歌碑は孔子廟の南側に位置しています。この辺りの景観がU氏のお気に入りだと聞きました。


 弘道館の時計台にあたる、鐘を吊るした建物です。鐘は「学生警鐘」と呼ばれ、徳川斉昭による創設時の鐘はいま弘道館の資料展示室に保管されています。表面には徳川斉昭の和歌が刻まれており、読み下せば「物学ぶ 人のためにと さやかにも 暁つぐる 鐘の声かな」となります。現在のこちらには、模造品が吊るされています。


 公園一帯には桜の木も並んでいて、風に花びらが次々に舞っていました。地元の写真サークルとおぼしき団体が、カメラで色々な景色を撮っていました。


 弘道館エリアの史跡は大体回ったのかな、と思っていると、U氏が「君に最も見せたい遺構は向こうにある」と茨城県立図書館の正面へと進んで行きました。三の丸の南西隅、かつての調練場の南側にあたる場所ですが、そこには大きな土居がありました。
「これは立派やねえ」と言うと、「うん、立派だろう、28万4千石の構えの一部がこことあっちにしっかり残されてるぞ」と誇らしげに答えてきました。


 かつての虎口跡の土居をみながら空堀にかかる土橋を通って遺跡案内板の所に行き、U氏の説明を聞きながら案内文を読みました。さきに見てきた本丸や二の丸の高い切岸などは戦国期以来の規模を踏襲しているということですが、三の丸地区は水戸藩時代に追加されていますので、その遺構こそが水戸徳川氏の縄張りであるということになります。


 虎口に向かって右側にある土居は高く積まれて堂々とした姿を伝えています。案内板では「塁」つまり土塁としていますが規模的にはそれ以上であって、土居と表現するほうが実態に即しているでしょう。


 土居は虎口の左側にまっすぐ続き、高さに空堀の深さを加えた雄大な塁線を見せています。近世城郭ではだいたい石垣を築く部分ですが、水戸藩は最後まで石垣を構築しなかったので、三の丸の正面にあたるこの部分も完全に土造りのままです。
 ですが、規模が大きいので、戦国期城郭の構えとは完全に一線を画した大規模な土木量が投じられていることが一目瞭然です。


 そして空堀がまた立派なもので、深さは10メートルを優に超えています。土居の高さとあわせて堅固な防御線を具現しています。もちろん泰平の世には必要ない構えなのですが、御三家の一にして副将軍の意識にたつ水戸藩の威容を示すには、必要であったかもしれません。
 U氏は「これが、28万4千石の構えである」と何度も繰り返していましたが、たしかに現在の水戸城エリアの遺構のなかでは、最も見応えがあると思います。 (続く)

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ガルパンの聖地 ・ 大洗を行く5 その28 「弘道館です!!」

2014年05月30日 | 大洗巡礼記

 塀越しに桜を見ながら、弘道館の敷地内に進みました。2011年3月11日の東日本大震災にて甚大な被害を受けて閉鎖され、2014年から二年余りをかけて復旧工事が進められ、今年2014年の3月27日、ほぼ三年ぶりに一般公開が再開されました。
 江戸期の藩校の建築遺構は、全国各地に幾多の例が知られ、多くの遺構を残す所だけでも六ヶ所が挙げられます。その六ヶ所のうちで唯一、私がこれまで行っていなかったのが水戸の弘道館だったので、その見学は残された課題のようなものでした。U氏はそのことを知っていてくれたから、その公開再開の情報を一番に知らせてくれたのでした。

 京都造形芸術大学の受講期間に共に席につき、同じ単位コースを選択して京都、奈良、滋賀などの文化財を一緒に見学していたころ、日本建築史のレポートを共に提出したことがありました。U氏は古社寺建築のうちの天平期遺構を、私は城郭や陣屋の御殿建築を、それぞれテーマに選んだのですが、その折にU氏が言いました。
「俺の地元の水戸にも弘道館という立派な藩校の建物が残っている。機会があったら見るといい」
 それは是非見なければ、と応じてから、早くも十数年が過ぎてしまいました。ようやくここに来たか、という思いでした。


 弘道館の玄関の両側には、有職故実に倣って左近の桜、右近の橘が植えられています。上画像は左近の桜で、本来は平安宮内裏の紫宸殿前庭に陣を植えられている桜と橘のうちの前者を模しています。さかのぼって平城京の頃には左近の梅でしたが、藤原期に桜に替えています。


 こちらは右近の橘です。左近、右近とは本来は左近衛府、右近衛府の略称で、天皇のおわす紫宸殿の東西に陣して侍る両衛府長官の陣頭に花を挿した故実が知られます。いずれも朝廷の軍隊ですが、格は左近衛府の方が上であったといいます。


 玄関の式台を見ました。本来はここから入るのですが、文化財指定を受けているので観覧者出入口が別に設けられてあります。近年に復元された「国老詰所」が資料展示室となっていて、玄関からそこへ繋がる廊下に出入口がつけられています。


 玄関の奥の「諸役会所」の床の間には「尊攘」の額が掛けられます。「尊皇攘夷」の略語で、王を尊び、外敵を撃退しようとする思想です。江戸末期に朝廷から一般民衆まで広く論じられ、討幕運動の基本思想となりました。


 玄関より廊下を左に進んで「入側」に進むと右手には「三の間」、「二の間」と控室が続きます。藩校であるというものの、御殿建築に準じた部屋割りが採用されていることが分かります。


 「正席」と呼ばれる表向部分の正庁の主室です。ここで藩主臨席のもとでの試験や諸儀式が行われました。この部屋から外には「対試場」が設けられ、武術試験の観覧も行なわれました。


 表向部分の西側にある「湯殿」です。この部分は近年に復元されていますが、江戸期の浴室の構造を知る事が出来ます。部屋の中央に向かって床が傾斜しており、中央の溝から湯水を外へ流す仕組みです。


 奥向部分の主室にあたる「至善堂」の空間です。床の間には「要石歌碑」の拓本が掛けられてあります。明治元年に徳川慶喜がここに恭順謹慎したことで知られ、水戸家出身の将軍の蟄居空間でもありました。


 「至善堂」の入側より表向部分の方向を見ました。「十間畳廊下」の長い建物の右手に「湯殿」および「便所」の建物が張り出しています。


 「至善堂」の入側辺りの景観です。外の空間も内庭のような形になっており、表向きからは見えない部分でもあったため、徳川慶喜が恭順謹慎の場としてここを選んだのでしょうか。U氏曰く、「飛騨高山の陣屋の奥向部分とよく似てるな」でした。そういえばそんな感じですね。


 「至善堂」の北の入側部分で、右には復元された「便所」部分が続きます。ここで過ごした徳川慶喜の胸中はいかばかりであったか、と思われがちですが、実際には色んな学問の本に熱中して科学の実験なども自分で試してかなり充実していた日々であったとされています。


 南側に設けられた「対試場」から表向部分の西側外観を見ました。ほとんど御殿建築と変わらない形式と格式を見せており、最終段階では徳川慶喜の隠居所同然になっていたのも頷けます。


 「対試場」から東の正門の方を見ました。どこかの城郭の本丸御殿とその通用門、といっても通じそうな景観です。各地の藩校の遺構を幾つか見てきた目で見ますと、弘道館という建物は最も御殿建築風に造られた立派なものであるという印象がありました。


 外庭をぐるりと回って、奥向部分の「至善堂」の裏手に回ると、ごく一般的な武家屋敷のような外観に転じます。表の御殿と奥の屋敷との対比が面白い建築遺構だと思います。

 ちなみに私がこれまでに見てきた主な藩校遺構の五ヵ所とは、信濃松代藩の「文武学校」、信濃高遠藩の「進徳館」、伊賀上野藩の「祟廣堂」、出羽庄内藩の「致道館」、備前岡山藩の「閑谷学校」です。他にも遺構の例はありますが、規模や建物の数などが揃って現存しているケースはこの五ヵ所に水戸弘道館を加えた六ヶ所でしょうか。
 それらの中で、いかにも藩校らしい構えと雰囲気を色濃くとどめていたのは、信濃松代藩の「文武学校」だったなと記憶しています。つまり、今回の弘道館はそれだけ御殿建築としての色彩が濃いと自分なりには感じた次第です。その感想を述べたら、U氏も「なるほどな」と頷いていました。「藩校といったら、中心の建物を講堂と呼ぶところが多いけど、ここには講堂という部屋は無いもんな」と言っていました。


 弘道館の裏手には、旧敷地に含まれて現在は公園となっている区画があります。弘道館を出て、北の散策路をたどって公園へ向かいました。 (続く)

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ガルパンの聖地 ・ 大洗を行く5 その27 「水戸城本丸と城門です!!」

2014年05月29日 | 大洗巡礼記

 「二の丸展示館」を出て本丸へと向かいました。途中の道端に枝を広げるシイの老木を見上げました。U氏曰く「水戸藩のみならず戦国からの変遷も見届けてきているのであろうなあ」と。


 二の丸地区を東西に通る車道は、かつての城内通路をそのまま踏襲しているとされます。建物や施設の大部分はその南側に分布していたということです。


 二の丸と本丸とを分ける、深くて大きな堀切です。戦国期にはほぼこのような形になっていたらしく、水戸藩の時期には目立った整備工事がなされていないようです。堀底にはJR水郡線が通っています。


 高くて深い堀切なので、切岸の規模も相当なものです。簡単には攻め登れません。佐竹氏の時期にこれだけの状態に掘り切ったというのが凄いです。でもU氏に言わせれば、茨城県をはじめとする関東地方の城にはこのような大規模な堀切を持つところが少なくないとのことです。


 本丸地域は、現在は水戸第一高校の敷地になっていますが、その正門にあたる虎口の奥には、水戸城以来の唯一の建築遺構である「薬医門」が遺されています。単なる城門ではなく、城内の重要な場所に置かれた格式の高い門であったことが、その重厚な造りからもうかがえます。


 門の傍らにたつ案内板をしっかり読んでくれ、と言われたので、じっくりと読みました。建立の時期に関して「安土・桃山期」と推定されている、という点にびっくりしました。これは佐竹氏時代からの建築遺構なのか、と振り返ると、U氏はいよいよ誇らしげな表情になって大きく頷いてきました。


 だとすれば、この門は類例が希な戦国末期の建築であるわけです。常陸国の戦国大名佐竹氏の歴史を物語る貴重な遺産であるわけです。それが水戸城の「橋詰御門」であった可能性が言われるということは、要するに佐竹氏時代の水戸城の大手門にあたる可能性が高い、ということなのでしょう。


 そういえば、建物の各部材は大ぶりで武骨さがにじみ出ており、京都や奈良でも時々見かける室町戦国期の建築の豪壮さに通じる要素が感じられます。江戸期の城門は、部材を綺麗に揃えて仕上げも丁寧にする傾向がありますが、そういうものがこの城門にはあまり感じられません。


 とりわけ印象的だったのが、板蛙股の大きさでした。これだけで屋根組全体を支えているといった感じで、鎌倉時代の社寺建築の部材の雄大さを受け継いだような感覚にあふれています。


 脇戸は、もとは両側にありましたが、現在は向かって左側のものだけが残ります。はめ込むというより、単に内側から貼り付けただけの形式が余計に古さを感じさせます。


 門の扉は内側に開かれています。透かし部分が無いのも社寺建築の門形式に倣った古い形式を思わせますが、現存部材がオリジナルではないようなので、元からこういう状態であったかどうかは分かりません。


 本丸と二の丸とをつなぐ橋です。江戸期は木橋であったようですが、深い堀切をまたいでいるので、有事の際にこの橋を落とせば守備側が大変有利になったものと思われます。ですが、地形的には丘陵先端部に孤立する形となるので、長く持ちこたえられたかは疑問です。


 もと来た道を引き返して二の丸地域を移動中、茨城大学教育学部付属小学校の敷地脇に、御三階とも呼ばれた三階櫓跡の標識を見ました。遺跡の位置は標識よりももっと南にありますが、将来的にはこれを復元するという計画があるそうです。


 大手橋に戻ってきました。次に向かう弘道館が見えてきました。時刻は既に9時を回っていたので、いつでも内部の見学が出来るわけです。


 大手橋を渡って右側には、徳川斉昭の銅像がありました。水戸藩九代藩主で、現在の弘道館および偕楽園を創設したことでも知られます。十五代将軍徳川慶喜の実父でもあり、幕末期における尊皇攘夷運動の流れに大きな関与をもったことでも有名です。
 でも、地元水戸市民のなかでは、この方の評価については両極端に分かれるところがあるようです。U氏も「藩主としてはよくやった方かもしれんけど、改革を急ぎ過ぎてかなり無理があったらしい。この人が藩主だった時期は領民の生活も苦しかったらしいし、思想的にも先走りし過ぎのところが無くもない。名君と呼ぶのは尊皇攘夷派だけで、あとの大多数は冷めた目で見つめていたんと違うかね」と淡々と語っていました。
 私は幕末維新期の歴史には疎いので、そういう評価もあるのか、と聞き入るのみでした。 (続く)

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ガルパンの聖地 ・ 大洗を行く5 その26 「彰考館跡です!!」

2014年05月28日 | 大洗巡礼記

 翌朝も快晴でした。ホテルを8時に出て、水戸市の中心部を通る銀杏坂を歩道橋から見ながら、U氏との待ち合わせ場所に向かいました。


 待ち合わせ場所はJR水戸駅北口のペデストリアンデッキ上でした。お互いに時間をキッチリ守る性格なので、着いた途端に挨拶して行動開始となりました。大洗へ何度も行っておきながら、水戸市観光は全くの初めてであったので、U氏も「やっとこちら(水戸)に興味が向いてきたかね」と笑っていました。


 まずは水戸城の主要部を案内しよう、と言ってきたので、得意げに説明しつつ導いてくれるままについて行き、三の丸小学校の敷地の外側を回りました。学校の塀は江戸期の姿に復元され、通用門も冠木門の形に復元されていて、景観的には城内らしい雰囲気にまとまっていました。


 今回の見学地のメインとなる弘道館は、9時からの開館であるので、先に城郭の方を見て行く、とU氏が東の大手橋を指さしました。


 弘道館の正門の横に通用門と番所があり、番所の建物も江戸期以来の遺構だということです。


 大手橋からは、三の丸と二の丸とを分ける深い堀切と高い切岸、堀底を通る車道が見えました。県道232号線だ、と教えられました。


 大手門跡は土塁が鉤型に配置されて桝形虎口の一種を形成し、北側土塁の裾には徳川頼房の銅像が立っていました。徳川家康の11男で水戸徳川氏の祖となった人物です。つまり、水戸藩の初代藩主でもありました。その時点では25万石であったそうで、U氏の言う「28万4千石」は後に加増されての石高です。


 土塁で固めた大手虎口には、戦国期城郭らしい風情も漂いますが、U氏によれば、佐竹氏時代の城郭をそのまま踏襲した部分と徳川氏による改造部分とが混ざっているそうで、大手虎口は江戸期に改修整備されているとのことでした。でも土造りのままというのは、御三家の城としては簡易質素の感をぬぐえません。
 将軍家から数度にわたって石垣普請の勧めがなされたにもかかわらず、水戸藩として遠慮したのか、または経済的な理由によるのか、最後まで石垣を築くことがなかったそうです。


 大手虎口の桝形空間より、大手橋越しに弘道館の方角を見ました。かつては大手門が建っていたのですが、今は失われています。


 大手虎口を通ってまもなく左手に立派な門と塀が見えました。U氏が「今は水戸市立第二中学校の敷地になってるが、徳川光圀時代の彰考館がここにあったんで、その外構えを最近に復元してるわけ」と誇らしげに言いました。
 ここに彰考館があったのか、と感動しました。水戸藩の修史局として設置され、「大日本史」の編纂事業がなされた場所です。TVドラマ「水戸黄門」でも時々舞台に登場していて、格さんの名で知られる渥美格之進のモデルであった安積格兵衛が後に「澹泊斎」と号して彰考館の六代総裁になっています。


 U氏が「ここには発掘調査成果などのガイダンス施設もあるぞ」と教えてくれたので、さっそくその「二の丸展示館」を見学しました。歴史や文化財を専攻した私にとって、こうした施設の見学は必須とも言えました。


 お約束とも言える、「大日本史」の版本が展示されていました。正徳五年(1715)の年紀と、権中納言従三位源綱條の名が付されていますので、これが「大日本史」の正徳本であると分かります。
 源綱條とは、水戸藩三代藩主徳川綱條(つなえだ)のことで、TVドラマ「水戸黄門」でも光圀の後継者として度々登場しています。光圀の兄で讃岐高松藩を創設した松平頼重の次男で、後に叔父光圀によって水戸藩に迎えられて養子となり、水戸家を継いでいます。


 水戸城の実測図と航空写真です。水戸市街のほぼ中央に位置する細長い丘陵に築城されており、北を流れる那珂川と南に広がる千波湖を天然の堀として要害性も高かったようです。本丸の西に二の丸、その西に三の丸が配され、それぞれが深い堀切で仕切られていました。
 城郭そのものは、戦国期に常陸大掾氏の分流馬場氏が築き、次いで佐竹氏が居城としていて、その時点までは現在の本丸部分のみが城郭であったとされています。佐竹氏の後に水戸徳川氏が入城して以降、現在のような縄張りに整備されています。


 水戸城の実測図を、水戸市の市街地図に重ねた図面です。城の範囲がいまどうなっているかが一目で分かるので、この種の地図の方が城跡散策に役立つ場合が多いです。二の丸と本丸を分ける堀切の底に、いまはJR水郡線が走っているのが分かります。


 二の丸地区の発掘調査で出土した瓦などの遺品も展示されていました。


 瓦の出土はとても多かったらしいのですが、水戸家の家紋である三つ葉葵紋をあらわした瓦はたったの二点しか検出されなかったそうです。調査範囲にあたっていた建築遺構が、彰考館など、城内の重要施設でなく付属施設であったことを示しているのかもしれませんが、水戸藩そのものが質素を旨として幕閣に遠慮し続けた姿勢を保っていたことも影響しているかもしれません。
 尾張藩の名古屋城ではどこを掘っても三つ葉葵紋が出てくる、というのと対照的ですね。 (続く)

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アヒルさんチーム 八九式中戦車甲型 完成です !!

2014年05月27日 | ガルパン模型制作記

 車体の塗装の大部分が終わった後、誘導輪ごと履帯をはめて、その後に転輪カバーを接着しました。履帯はキットの指示に従って、28番の黒鉄色に塗っておきました。


 続いて、マフラーをキットの指示に従って61番の焼鉄色に塗りました。劇中でも同じ色です。その後にエッチングパーツのマフラーカバーを取り付けました。


 後部の尾体上のワイヤーは33番のつや消しブラックで塗りましたが、履帯の色とあまり変わらないので、変化をつけるために少しホワイトを混ぜて明るめの色に調整しました。


 塗装しておいたOVM類を全て接着しました。劇中では留め具が一切見えないので、D6やD25やD27の留め具は不要かと考えましたが、ジャッキD21、24は、留め具無しでは取り付けられないことが判明しました。そこでジャッキだけはD25だけを使って繋止し、あとは留め具無しで接着しました。劇中シーンの通りに作ると、OVM類はただ載せてあるというだけで、留めて固定していない不自然な状態になります。これもガルパン特有の省略から生じた謎設定の一つでしょう。


 前面の日本陸軍の星章を8番のゴールドに塗りました。金色のエンブレムがいかにも日本軍らしさを感じさせます。海軍艦艇の菊花章もそうですが、日本軍兵器の前面には必ず金色のマークがありますね。ちなみにキットには錨章のパーツもありますので、海軍陸戦隊所属の乙型を作れるようになっています。


 最後に車体前面の機銃と、砲塔後部の機銃とを28番の黒鉄色に塗って、塗装作業を完了しました。


 このアングルで見ても、マフラーカバーの追加工作の稚拙さは一目瞭然でした。プラペーパーではなくプラ板を使った方が凹みが少なかったかもしれないな、と反省しました。


 最後にガルパンデカールを貼りつけました。全国大会時の仕様にて作りましたので、キット付属のデカールから大洗女子学園校章を1枚、アヒルさんマークを3枚使用しました。デカールが完全に乾いてからつや消しクリアーを吹き付けました。


 この戦車はリベットが全面に出ていますので、デカールを貼りつける位置が分かり易かったです。リベットの数や位置は、公式設定資料の画像や劇中シーンと全く同じですので、周りのリベットの位置や数をチェックすれば、デカールの位置が簡単に分かります。


 今回の制作では、砲塔キューポラのハッチをピットマルチにて取り付けて開閉自由としておきました。今後、アヒルさんチームのフィギュアが出た場合には、キャプテン磯辺典子をキューポラに乗せてみたいと思います。


 履帯は、たるませて転輪に乗せるのが実際の形状に近いですが、今回はそこまでの再現は見送りました。これまで制作したガルパン戦車の4輌全てにおいて、履帯をそのままはめただけで済ませているのも理由の一つです。


 正面から見ますと、主砲防楯の改造が大きな意味を持っていることに改めて気付かされます。キットの指示通りのパーツを使って作ると乙型の形状に仕上がるので、甲型に仕上げるのであれば、主砲防楯の改造をどうしても欠くことが出来ません。


 背面から見ました。この戦車もあまりマーク類が目立たないので、外見は地味です。アヒルマークのついているハッチはエンジンルームのそれで、この戦車が珍しい後輪駆動のタイプであったことを示しています。


 転輪カバーに追加工作したヒンジ部分は、塗装後には余り目立たなくなっています。輪郭だけがうっすらと見えると言う程度ですが、それで良いと思います。


 この角度からみても、OVM類に留め具が無いという点が不自然に見えてしまいます。ツルハシなどは、ただ立てかけてあるといった感じで、戦車が揺れれば転がり落ちてしまいそうな雰囲気です。劇中の状態にさからって留め具を付けたほうが良かったかな、と思いました。


 低いアングルから見ると、いかにも旧式の戦車だな、という感を強く持ちます。太平洋戦争開戦時にはすでに旧式化していましたが、日本軍の慢性的な兵器不足の故に、終戦まで各地の戦線で使用され続けました。
 私自身、かつて南太平洋の島々へ遺骨収集のボランティアに参加した際、戦跡にて幾つかの日本戦車の残骸や砲塔だけを据えた簡易トーチカの残骸を見たことがあります。そのなかには、八九式戦車のそれも含まれていたと思いますが、もう十数年も前のことなので、どんな戦車の残骸だったかハッキリと思い出せなくなっています。


 以上で、アヒルさんチームの搭乗車が完成しました。製作期間は、4月26日から5月2日までの一週間ですが、実際にキットを製作していた日数は5日でした。これまでで最も短い日数でした。作りやすく、ガルバン仕様への追加工作も少なく簡単なものばかりだったのが大きかったと思います。
 これをふまえると、ガルパン公式キットの中では一番作りやすいのではないか、と感じました。初心者の方にもおすすめだと思います。
コメント (2)
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ガルパンの聖地 ・ 大洗を行く5 その25 「ケイとダージリンとアッサムとキャプテンです!!」

2014年05月26日 | 大洗巡礼記

 喫茶店「ブロンズ」を出て、商店街の通りをたどり、ケイの「飯岡屋水産」に着きました。ケイのパネルはなぜか存在感がありますね・・・。


 店先に飾られた、段ボール製のM4シャーマン戦車です。最近にファンの方より寄贈されたということです。砲塔の上に乗っているのがタミヤの1/35スケールのキットなので、その大きさが分かります。


 イラストラリーにともなって展示されてあるイラストも幾つかありました。阪口桂利奈と秋山優花里の画像であるのは、至近にパネル設置店があるからでしょうか。私自身は、右下にみえる十二単衣姿のケイが印象に残りました。


 しかし、それらの展示品やグッズ類には目もくれず、ひたすらスタンプに専念するSちゃんでありました。まさにスタンプの鬼になりきっていました。


 「黒沢米穀店」にて宇津木優季とのツーショットにお決まりのVサインで望むSちゃんでした。この直前に、Sちゃんが、これまで集めた缶バッジを入れた袋を「ブロンズ」に置き忘れたらしい事が発覚し、N氏が「僕が取りに行ってきますんで、星野さん、Sを頼みます」と言って大急ぎで戻っていきました。
 その時点では「年宝菓子店」から「スルガヤ薬局」へ移動中でした。N氏がこれまでに購入した大量の土産物を「黒沢米穀店」にて宅配便発送依頼する予定であることを知っていたので、「じゃあ黒沢米穀店で待ってますんで」と応じ、Sちゃんを連れて行った次第でした。


 Sちゃんはスタンプを押した後、店内のガルパン名刺をじっと見つめていたので、私がお店の方にお願いして一枚を貰ってあげました。


 N氏が戻ってきて、「やっぱりブロンズに忘れてました」と報告してきました。私もホッとしました。忘れ物をやらかした当のSちゃんは、何事も無かったかのような悠然とした雰囲気でした。その後、N氏は大量の土産物を宅配便発送すべく手続きを取りました。


 続いて「肴屋本店」の前を通りました。この日は日曜日だったので「国井屋」と「鳥孝」は定休日でした。それで両店のパネルもこちらに移動していました。ダージリン、西絹代、磯辺典子、アッサムの四人が並んでいました。


 坂道をまっすぐ降りてホシノの「カジマ」の店先を通りました。このお店も日曜日は定休日で、ホシノも店内に収容されてウインドー越しに見えました。ウインドーに貼ってあったポルシェティーガーのカッティングシート、欲しかったですね。


 「カジマ」の店先に設置されているガルパン自販機の、M3中戦車リーのキューポラ部分をなぜか人差し指でなでていたSちゃんでした。その丸っこい部分が気になったの?と聞いたら、「目があるよ」という返事でした。キューポラの覗き窓が二つ並んでる姿は、そのようにも見えますね・・・。


 「まいわい市場」へ立ち寄ってイラストラリーの用紙を掲示して景品のバッジを貰った後、大貫地区へと回りました。「今村金網工業」の店先を通りました。


 このお店の業務用軽トラは、今回初めて見ました。あちこちにガルパンシールやステッカーが貼られてあり、「丸五水産」の「丸五式軽鮮車」と大して変わらない姿になっていました。これで街の内外を仕事で走り回っているわけですか・・・。


 エルヴィンの「和泉屋米穀店」にて、最後のスタンプを押すSちゃんでした。この日、N氏父子は東京に帰り、私も同じ列車で水戸に移動する予定でしたので、このお店が今回の同道のラストになりました。時間的に余裕があったので、猫を相手にしつつ、店の方と色々お話ししてゆっくりと過ごしました。


 大洗駅へと向かう途中、花池寺の墓地の横に立派な桜を認めて写真を撮りました。墓地をなるべく写さないようにして撮るのが難しいね、と話しましたら、N氏も大きく頷いていました。やっぱり墓石を撮影することはタブーなんですよね、タブーを平気で無視して墓を撮っている人が居ますが、そういうのどう思われますか、と聞いてきました。
 一般論としては、墓石をただ単に撮影することは基本的に避けるべきであると思います。まったく駄目だ、というのではありませんが、正当な理由が無ければ避けた方がよいと考えます。墓とは、これまでの世を作って歴史を支えてこられた方々の霊魂の眠る安息の場所ですので、敬意を表してうやまい礼拝する気持ちを大切に持つべきと思います。

 なお、学術的観点や研究上の必要から古い墓石を撮影するというケースがあります。私自身、奈良に居た頃に中世戦国期の歴史を勉強していましたから、関連する時期や人物たちの墓石や石造遺品を数多く撮影しています。その頃はいつも数珠を携帯して撮影前に合掌礼拝し、線香をともして撮影の非をお詫びしていたのでした。そして、何となく墓石の下の御方にお尋ねしていたものでした。「あなた方が見見聞きして支えてこられた大和国の中世戦国史の素顔と真実とは、いったいどのようなものだったのでしょうか」と。


 大洗駅に着きました。これで私たち三人の大洗巡りが終了しました。楽しい道中だったと、いまも鮮やかに思い出します。


 Sちゃんが、駅内のインフォメーションコーナーの外にあるネームステッカー印刷機を見つけ、N氏にねだってステッカーを発行してもらっていました。私は、そういう機械が置いてあるということを今回初めて知りました。何度も出入りしている大洗駅なのに、子供の視線のみが捉える対象物には、なかなか気付かないものだと、改めて思い知らされました。

 その後、三人で列車に乗って水戸駅まで移動し、N氏父子が乗る特急「スーパーひたち」の時刻までホームに居て、列車にて帰途につく二人を見送りました。それから30分ぐらい時間をつぶして、水戸駅北口まで迎えにきた水戸の友人U氏夫妻と合流し、共に夕食を楽しみました。十年ほど昔に京都造形芸術大学に共に通った三人での、プチ同窓会でした。


 水戸市内のホテルにチェックインしたのは20時過ぎでした。翌朝からU氏の案内で水戸城および弘道館のエリアを回るので、早めに就寝することにし、荷物整理の仕上げに、缶バッジのカウントをしておきました。合計32個になっていました。 (続く)
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ガルパンの聖地 ・ 大洗を行く5 その24 「ペパロニセットです!!」

2014年05月25日 | 大洗巡礼記

 精肉店「ウスヤ」の向かいにある立派な古民家です。いつ見ても気になる、由緒ありげな建物ですが、表札すら掛かっておらず、長い事空家のままになっているように見えます。向って左側の門塀が前に倒れそうになっている感じなので、注意が必要です。


 ももがーのパネルの横のスタンプ台で、一心にスタンプを押すSちゃんと、それを見守る私でした。Sちゃんがスタンプを押すたびに、綺麗に押せるかな、といつも気になっていました。私がSちゃんと同じ小学一年生の頃は、何かに熱中したり、何かを集めていた、というような記憶は無かったように思いますので、スタンプ集めに燃えている子供の姿が、なにか羨ましくも思えました。


 店内にて串カツや缶バッジを購入するN氏と、にこやかに応対していた「ウスヤ」の御主人でした。この方も大洗発の缶バッジになったことで知られ、ガルパン巡礼者でこの方を見なかった人は居ない、とされるほどの超有名人です。大洗で販売されるガルパン公式缶バッジの販売および配布にも力を入れておられ、現時点で最も多くの種類の缶バッジを取り揃えておられます。なので、缶バッジに興味を持たれた方は、まず「ウスヤ」に立ち寄ってみるといいかもしれません。


 N氏が注目していた、日本赤十字社水戸支部の献血ポスターです。あんこうチームが登場しており、このポスター欲しさに献血に行ったファンも少なくなかったようです。冷泉麻子の女医姿がけっこう似合ってますね。私は献血をしたことがないので、機会があったら、献血を体験し学ぶためにも一度やっておくべきかな、と考えました。


 山郷あゆみの「新屋酒店」でスタンプを押すSちゃんでした。私は店内で知人に贈る酒を購入し、それについてきた山郷あゆみの缶バッジをSちゃんにあげました。Sちゃんはスタンプだけでなく缶バッジも集めていたからです。


 「さかげん」の店先には、昨日はカチューシャとノンナのコンビでしたが、今日はこれにプラウダチームの戦車IS-2が加わっていました。IS-2のパネルは、普段は確か大貫地区の「日野屋豆腐店」に置いてあるんでしたね。


 そしてカチューシャを造形したおからアートもありました。ガルパンを知らなかったら、外国の女の子、といった程度にしか見えませんが、カチューシャは北海道在住の日本人なのですよ・・・。


 店先には「さかげん」の保有するレンタサイクルらしき自転車が停めてありました。その向こうに見えるダージリンの自転車は「肴屋本店」が運営しているレンタサイクルの一台でした。それを指しながら私がN氏に「この自転車が肴屋本店さんのレンタサイクルですよ」と話したら、その自転車の借り主のガルパン巡礼の方が、そうですよ、と言わんばかりに大きく頷いていました。


 「大洗ホテル」に到着し、館内の売店に飛び込んでスタンプを押すSちゃんでした。イラストラリーのラストのスタンプもしっかり押した後、N氏にイルカのおもちゃか何かを買ってもらっていました。


 引き返す途中、「さまた接骨院」横のガルパン自販機の横にて。必ずVサインを出すSちゃんでした。


 大洗の街中歩きコースは、子供の足には遠すぎるようです。昨日もそうでしたが、Sちゃんは歩き疲れるとN氏におんぶしてもらっていました。N氏いわく、「この子はスタミナがありませんのでね・・・」でした。スタミナは無いかもしれませんが、元気と集中力は相当ありますよ・・・。


 この日の昼食は、かねての予定通り、喫茶店「ブロンズ」にてとりました。注文した品が運ばれてくるまで、N氏はスマホに夢中、Sちゃんは寄せ書きノートへの書き込みに夢中でした。親子だけあって、夢中になるスタンスが完全に一致していました。


 運ばれてきたトーストセットの「ペパロニセット」です。パンが思ったより厚くてペパロニも美味しかったです。ペパロニは、ガルパンではアンチョビ率いるアンツィオ高校戦車道チームの副隊長の名前ですが、パスタやイタリア料理が好きな私にとっては、サラミソーセージであります。唐辛子やパプリカなどをスパイスとして使ったドライソーセージの一種です。

 奈良に住んでいた頃に、いくつかのイタリア料理店へよく通っていたのですが、そのうちの一軒は三輪山を望む桜井市の街中にあり、ペバロニピザが美味しいことで有名でした。数年前に店主が郷里へと移転し、あちらでもお店をやっていると噂に聞きましたが、そこでもペバロニピザを出しているのでしょうか。


 「ペパロニセット」を食べ終え、ジュースを飲んでまったりしている私です。次の機会には、パスタの「アンチョビセット」をいただいて更にまったりしたいと思います。 (続く)
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アヒルさんチーム 八九式中戦車甲型 作ります !!  その6

2014年05月24日 | ガルパン模型制作記

 ステップ24では、車体右側の足回りを組み立てました。


 ステップ25で車体左側の足回りを組み立て、ステップ26で砲塔を据え付け、履帯をはめて完成となりますが、私の制作においても塗装と併行して大体同じ手順で進めました。


 ステップ24の作業が、パーツG2の接着を残して完了しました。同様にステップ25の工程も、パーツG1の接着を残して完了しました。


 パーツG1およびG2は転輪カバーですが、キットのパーツは二ヶ所で劇中とは異なりますので、追加工作が必要となりました。


 一つ目は、上画像に示した先端部分のリベットです。このリベットの幾つかかが劇中では存在していません。


 劇中のワンシーンを見てみましょう。黄色円内に示した範囲のリベットのうち、頭が上に向いているリベットの大部分が無く、赤色円内の端のリベット1個のみが表現されています。これは転輪の内側のカバー部分でも同様ですので、該当する範囲のリベットを削り取るという追加工作が必要です。


 該当する範囲のリベットを削り取りました。細かい部分なので、ヤスったりすると他のリベットも削ってしまいそうなので、アートナイフで一つ一つ慎重に削りました。


 二つ目の追加工作箇所は、上掲のワンシーンの黄色円内に示したヒンジ部分です。このヒンジ部分は正確には埋め込み式なので、そこだけ僅かに窪んでいるのですが、これを再現するには四角く彫りこまないといけません。でも、彫りこむのはサイズ的には困難なので、ここではヒンジの形が線として分かるように表現することにしました。


 このヒンジ部分は、上画像のシーンから全部で8つあると分かります。上段に同じヒンジが並んでいるのに対応しており、左右あわせて16のヒンジを追加工作することになります。


 1ミリの幅にプラペーパーを細長く切り、上段のヒンジの長さに合わせてカットしていきました。


 カットしたプラペーパーを、転輪カバーG1およびG2に接着していきました。そのままだと盛り上がり感が残るので、流し込み接着剤のMrセメントを塗って、プラペーパーを少し溶かして薄くしておきました。


 追加工作が終わった転輪カバーを、車体に仮組みしてみました。この状態で履帯をはめるのが難しいことが分かったので、転輪カバーは塗装後に誘導輪ごと履帯をはめてから接着することにしました。


 これで組み立て工程は全て完了しました。このキットの履帯はプラモ用の接着剤でも楽に繋げられるので助かりました。


 サーフェイサーを吹きつけて下地をこしらえました。


 本塗装を行いました。キットの指定では車体色がオリーブドラブ2となっていますが、ガルパン戦車においては、オリーブドラブ2はM3中戦車リーの車体色にほぼ同じであると判断しました。劇中の諸シーンをチェックすると、八九式中戦車甲型の車体色もオリーブドラブ2のように見えますが、M3中戦車リーの車体色よりはやや明るめのカラーであるように感じました。
 そこで、私の制作においては、クレオスのMrカラーの38番のオリーブドラブ2に62番のつや消しホワイトを5対1の割合で混ぜて明るめの色に仕上げて使用しました。


 OVM類は、ランナーについたままで塗装しました。ジャッキなどの金属部品は28番の黒鉄色、木製部分は43番のウッドブラウンで塗りました。以前に作った三式中戦車チヌと同じ日本戦車なので、カラーも同じものに統一しました。 (続く)

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figma「西住みほ」が届きました

2014年05月23日 | ガールズ&パンツァー

 マックスファクトリーのfigmaシリーズの211番、「西住みほ」がようやく5月21日に発売となり、きのう22日に私の所にも届きました。思ったよりもパッケージが大きいので、本棚に入れることが出来ず、とりあえず大洗ガルパン缶バッジ陳列ボードの前に置きました。


 パッケージの色は濃いピンクで、あんこうチームのカラーを意識しているようにもみえます。でも、他のメンバーのパッケージの色が同じである可能性は低いと思いますので、西住みほパッケージのカラー、という程度なのかもしれません。


 裏面は、様々なポージングの例を紹介しています。付属品の「車長椅子」や「コマンダーキューポラ」との組み合わせ例は、いずれ発売される1/12スケールⅣ号戦車D型のイメージの一部を具体化しているのでしょうか。ひょっとすると、1/12スケールⅣ号戦車D型の発売時に、今回のキューポラ等のパーツが必要になる、という流れなのかもしれませんね。


 箱の中身を取り出しました。「コマンダーキューポラ」の大きさが印象的です。ハッチは可動式なのかなと思いましたが、固定されていました。


 まず立たせてみました。台座と支柱が付属していますが、それらを使わないで立たせるのはかなり難しいです。カラコレやスイングほどではありませんが、重心が上にありますので、うまく姿勢を作らないと普通に立つのも困難でした。かかとの角度と上半身の向きがポイントになるようです。


 接写してみました。アニメの世界が立体化されますと、リアルさが全然違いますね。立体特有の奥行き感が付加されますから、存在感が飛躍的に増します。個人的にはアニメよりも大人っぽい感じになっているかな、と感じました。アニメの基調は、どちらかといえばねんどろいどの方でかなり再現されている気がしました。


 ライトをもう一つ増やして正面から撮りました。光の加減で情感が変化しますので、対象のもつ雰囲気をはっきりと写し撮るのは難しいです。私の場合、ガルパン戦車プラモデルの撮影の時はライトを近くにもってくるのですが、今回のフィギュアのような細長い対象に対しては、陰翳をあまり出さないようにライトを離すのが良いように感じました。


 足を少し開いて立たせると、安定度が増しました。重心が上にありますから、足の位置を広くとらないと倒れやすいのでした。フィグマは全身にボールジョイントが組み込まれて実際の人間と同じ関節の動きを持ちますから、自分の姿勢や動きを参考にしながら各部の動きを調節して色々なポーズを取らせるという楽しさがあります。


 再び接写してみました。なかなか良い感じですね。


 付属品の「車長椅子」と組み合わせてみました。キューポラに潜って椅子についた瞬間を私なりに表現してみました。椅子のアームを掴んで姿勢を保ちつつ、足掛けに左足を掛けて安定させて腰を下ろした、というシーンです。こんなシーンでも、表現するのは難しいものでした。


 続いて、椅子からピョンと降り立った瞬間を私なりに表現してみました。こんなもんでしょうかね・・・。Ⅳ号戦車D型の場合、砲塔バスケットの床面が割合に低い位置にあるようなので、車長椅子から降りる場合はこんな感じでストンと落ちる形になるのかな、と思いました。食事処の高めのカウンター席から降りるような、そんな感じです。


 再び接写してみました。ガルパンの世界に浸れるので楽しいですね。続くは秋山優花里ですが、これも発売時期が延期になった旨の連絡がアマゾンよりありました。二人が揃う日は、果たしていつになるでしょうか。

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ガルパンの聖地 ・ 大洗を行く5 その23 「ナオミと教官と会長です!!」

2014年05月22日 | 大洗巡礼記

 二日目の宿となった「あんばいや」は、私自身は1月の訪洗時に続いて二度目でした。予約はN氏が取って下さったのですが、これには事情がありました。N氏は魚介類が食べられないそうなので、事前に色々相談して、朝夕の食事に魚介類が含まれない宿を選ぶことにし、私が「あんばいや」を提案したのでした。大洗の宿はどこも海鮮料理が普通ですので、そうでない宿は稀です。

 この宿のガルパンプランは二種類あって、Bプランの方は夕食がカツカレーになります。前回の宿泊時に私もこのBプランを利用し、カツカレーとお蕎麦を美味しくいただきました。そうした経験談も参考にして、N氏がこの宿に決めたわけです。
 なので、予約もN氏の名前で入れていましたから、女将さんはN氏の同行者が私であることを知りませんでした。宿に到着して挨拶したら、「あらあら、Nさんのお連れさんって、星野さんだったのね」と驚いていました。私が「前にお世話になった際に、次は友達を連れて来ます、と申し上げましたが?」と応えると、「そうだ、そうだったよね、ほんとに連れてきてくれたんだね」と笑っていました。
 
 それで、夕食はカツカレーとお蕎麦を前回と同じようにいただきました。いったん二階の部屋に戻って過ごしましたが、Sちゃんが就寝してからは、一階の食堂に降りて色々話をして過ごしました。女将さんが「ガルパンの今度の新作の案内DVDが来てるんで、観てみる?」と言ってくれたので「是非」とお願いし、N氏を呼びに行ったりもしました。アンツィオ戦OVAの予告編は、この時に初めて見ました。その後は夜遅くまでN氏と語らって過ごしました。


 翌朝も快晴でした。朝食時間の30分ほど前ぐらいに順に起き出しましたが、Sちゃんがことのほか元気ではしゃぎまわっていたのですが、N氏は朝からスマホでなにやら忙しそうに見て没頭していたので、私がSちゃんの遊び相手を務める羽目になりました。それで少しくたびれてきた頃に朝食時間となり、一階の食堂にSちゃんを連れて行きました。サンダースのナオミが室内に居ました。その首にはまだボコ作戦のヒントが掛けられてありました。


 後から降りてきたN氏が、既に席についていたSちゃんと私を撮りました。しっかりナオミも一緒におさまっていました。


 私の背後のTVは、昨夜見せてもらったアンツィオ戦OVAの予告編をエンドレスで再生していました。これで見るとアンツィオ校の戦車道チームは軽快な小型車を用いての機動戦も展開してくるようですね。大洗女子学園チームの八九式中戦車甲型が、それに負けじと追尾を行っていましたが、そのスピードは実際の車輌には有り得ないもので、よく履帯がもつなあ、と思うほどでした。


 食後、しばらく休んだ後に出発しました。この日の午前中に昨日からのイラストラリーの続きをやって「大洗ホテル」まで歩き、また戻ってくるので荷物を宿に預かってもらいました。Sちゃんは早くも外に出て待っていました。この日はももがーの「ウスヤ」にも行くので、それを楽しみにしていたようです。


 出発直前に「あんばいや」の玄関口で、女将さんに私のデジカメを渡して撮影をしていただきました。Sちゃんは「早くももがー(ウスヤ)へ行こうー、スタンプ押したーい」状態で、私の手を引っ張っては「ももがーはどこ?」と二度ほど聞いてきましたが、「とりあえず記念写真撮ろうか」と言うと「ウン」と頷きました。
 N氏父子と私の三人、さらにナオミも加えて写真におさまったのはこれが初めてでした。厚着の私と競輪選手風の軽装のN氏が並ぶと、寒いのか暖かいのかよく分からない図になりますね・・・。


 東町商店街を移動中に、「古川酒造店」の立派な建物を見ながらN氏と古い商家建築の見方などについて話しました。東町商店街は、その地名が「明神」や「宮下」であることからも分かるように、大洗磯前神社への参詣道に発展した門前町であったようです。それで立派な商家や旅籠風の建物が多く、地元の有力者が軒を連ねていた様子が、いまに残る幾つかの古い建物からうかがえます。


 この建物には「うだつ」と呼ばれる小柱または防火壁がつけられています。現在の大洗では余り見かけない遺構なので珍しく、そのことを話すとN氏も興味深そうに撮影していました。「うだつ」って漢字でどう書くんですか、と訊ねられたので、室町時代以降に色々な書き方があったんですが私が知っているのは宇宙の宇に立つの字で「宇立」という書き方ですね、と答えました。


 「森屋菓子店」でSちゃんが張り切ってスタンプを押していました。キャラクターのパネルよりもスタンプの方に集中している状態というのは、昨日から一定していました。ガルパン以外でもスタンプラリーに熱中しそうですね・・・。


 さらに人気の「シベリア」と「プリン」をチョイスしてゴキゲンのSちゃんでした。子供の行動に完全に合わせていましたから、私たちも「シベリア」を食べたのですが、これを食べるのは初めてだったかもしれません。


 さらに河西忍とのツーショットを撮影してあげました。もはや完全にSちゃんのガルパン巡礼のアシスタント状態でした。


 「金丸釣具店」では店内に入ってあちこち商品を見て回りました。N氏は色々土産を買っていました。その中には以前に私が購入した「砲弾型ウキ」も含まれていました。


 店の奥の部屋にも初めて入りました。一番くじA賞のフラッグが貼ってありましたが、そのために商品の一部が隠れてしまっていました。


 店内にスタンプが置いてあったので、Sちゃんが大喜びで押していました。紙がまだあるか、押すスペース残ってるか、と聞いたら「うん、あるある」と紙を広げてくれました。


 天井には大きなスズキの拓本が貼られてありました。他にも色々な魚の拓本がありました。店の御主人の「戦果」なのでしょう。


 「丸五水産」では、スタンプがちょっと分かりにくい場所に置いてあったので、私がそれを指してSちゃんに教えました。その瞬間をいつの間にかN氏が撮影してくれていました。


 店内にはおからアートの新作であろう、蝶野亜美教官と角谷杏生徒会長が並べて展示してありました。本当に造形が上手で感心してしまいました。Sちゃんは、角谷生徒会長の方を「杏ちゃん」と指しましたが、蝶野教官の方には「誰?」というような雰囲気のままでした。アニメでは登場回数が少ない方のキャラクターですから、子供にとってはちょっと印象が薄かったのかもしれません。 (続く)

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ガルパンの聖地 ・ 大洗を行く5 その22 「スタンプを集めます!!」

2014年05月21日 | 大洗巡礼記

 リゾートアウトレットの西側へ行きました。振り返るとマリンタワーが見えました。N氏のいう「戦艦長門の艦橋」です。


 Sちゃんが「キラキラクレープ」のガルパンクレープを食べたいというので、小休憩を兼ねてテーブルにつきました。N氏がSちゃんとお店の窓口に向かいました。


 注文したクレープが出来上がるのを、じっと動かずにおとなしく待ち続けるSちゃんでした。出来上がったクレープを手に取って、嬉しそうに食べていました。その包み紙もガルパングッズなので、クリームで汚さないようにした方が良いですよ、とN氏に言いましたら、その通りにしていました。


 その後、アニメのシーンに登場した一画を見物し、N氏に新三郎や五十鈴百合の登場場面の場所や、あんこうチームのメンバーが歩いていたコースを指して説明しました。「マーケットガーデン」の看板もしっかり見ました。


 再び戦艦長門の艦橋・・・じゃなかった、マリンタワーの方向を見ました。N氏は戦艦長門に思い入れがあるようですが、私は航空戦艦伊勢や日向が好きですね。その艦橋といえば、以前に呉ミュージアムの学芸員の方に聞いた話を思い出します。航空戦艦伊勢の艦橋は、戦後の解体時に陸揚げされて臨時の住居として使われていた時期があったそうです。すごい住居ですね・・・。


 マリンタワー最上階のあんこうチームパネルを、今回も望遠モードで撮影していました。N氏もスマホで撮影していたようですが、私が撮影したデジカメの画像を見て、こんなに接写出来るんですねえ、と感心していました。


 それから宿に向かって歩きましたが、永町、曲がり松の商店街を通っていったので、あちこちにスタンプ設置場所がありました。張り切るSちゃんは、私が場所を教えるとすぐに飛んでいって一生懸命にスタンプを押していました。上画像は「魚忠」での一コマです。


 新三郎の「常陸屋」でもしっかりスタンプを押すSちゃんでした。


 五十鈴百合の「福本楼」の玄関先まで小走りに行って一心にスタンプを押すSちゃんでした。


 Sちゃんがスタンプを押している間、私は道端で待っていました。Sちゃんは、側に居ると思った私が居ないので回りを見回し、それを認めた私が「こっちこっち」と手招きしました。その場面をN氏が撮影して下さいました。


 N氏は更にもう一枚撮影していました。手招きに気付いて走り寄ってきたSちゃんに、私が次のスタンプ設置場所を教えていたシーンなのですが、たぶん「次はタグチさんにスタンプがあるよ」と話したと思います。


 で、「タグチ」の店先で一心にスタンプを押すSちゃんでした。その後、店内に入って何かのキャラクターグッズみたいなのをN氏に買ってもらったりしていました。


 「タグチ」のショーウインドー内の展示品の一つは、ダージリン&オレンジペコの試合観戦シーンジオラマでした。


 次のスタンプ設置場所は「たかはし」で、「イラストラリー」のスタンプもありましたので、Sちゃんは私たちのイラストラリースタンプ用紙にもしっかりと五十鈴華のスタンプを押してくれました。


 カエサルの「加藤豆腐店」でスタンプを押すSちゃんでした。その後に磯辺典子の「鳥孝」でもスタンプを押しました。N氏が磯辺キャプテンのマグカップなどを土産に買っていました。


 西住まほの「さかなや隠居」でスタンプを押したSちゃんは、その前に「肴屋本店」や「黒沢米穀店」や「山戸呉服店」のスタンプもみんな押していました。スタンプが沢山あるので、一生懸命になっていました。この日だけで50個以上は押したんじゃないかな、と思います。


 宿に連絡しておいた到着予定時刻をオーバーしてきたので、「吉田屋」梅カフェを横目で見ながら急ぎました。ここまでくるとスタンプ設置場所は少なくなったので、あとは宿に向かうだけとなりました。


 Sちゃんが「まいわい市場」で食べていた「74アイス」の包装カップです。宿に落ち着いてN氏と共に荷物の整理などをやっている合間に何気なく撮影したものです。
 この時点で、Sちゃんがかけていた花粉除けのアイグラスが無くなっていることに気付き、N氏とこれまでの道中の写真などをチェックしつつ、どこで無くしたのか、をあれこれと推定し合いました。「小野瀬海藻店」ではちゃんとアイグラスをかけていたのですが、「お好み焼き 道」を出た後ではかけていませんでしたから、ひょっとすると「お好み焼き 道」に置き忘れたかもしれない、という推測も出ました。
 それでN氏が「お好み焼き 道」に問い合わせたりしましたが、どうやら違うようでした。結局、アイグラスはそのまま行方不明となってしまいました。移動中に落とした可能性も考えられますね・・・。 (続く)

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大洗のガルパン公式缶バッジに関する中間報告 その5

2014年05月20日 | ガールズ&パンツァー

 中間報告の五回目となる今回は、2014年5月12日から15日までの大洗行きにて新たに知り得たガルパン公式缶バッジに関する諸々の情報を追加すると同時に、2014年5月現在において、通常の大洗行きにて入手出来るガルパン公式缶バッジの動向をまとめてみました。
 上画像は、2014年5月12日から15日までの大洗行きにて各店舗にて貰った計52個のガルパン公式缶バッジのうちの50個です。あとの2個は、6月から公式に配布される予定なので現時点では伏せておきます。

 今回の滞在期間においては、GWの直後の週であったため、缶バッジの余剰在庫などが普段の時期よりも多めに出回っているという感じでした。商工会発の新たな缶バッジが二種類追加されたのに伴ってか、大洗町の各商店街に分布する缶バッジの在庫調整が行われたようで、本来は入手不可能なはずの限定品が配布または販売されていたりしました。
 とりあえず、前回の報告内容への追加または変更などを入れました。参考までに、( )内にパネル設置店を示しました。新たに追加または更新した分については、赤字で表しています。

1 大洗女子学園 あんこうチーム
  西住みほ(坂本文具店、シーサイドホテル)   限定品を含めて数種類があり、クリスマスバージョンもあるが、普通に入手出来るのは宿泊特典ぐらい。宿泊特典には、ガルパン応援宿泊プラン実施施設共通のタイプとシーサイドホテルのオリジナル品がある。
  武部沙織(カワマタ)   吉田屋のオリジナル品が二種類あったが完売し、4月8日からの梅カフェオープンにともなって戦車ケーキの予約特典として新オリジナル品が500点限定にて登場。また「カワマタ」のオリジナル品がある。また宿泊特典の品があり、5月より商工会発の新デザインが登場している。
  五十鈴華(たかはし)   宿泊特典の品がある。ほかに五十鈴華誕生日イベントや水戸夜梅祭の限定品があるが、いずれも入手は不可能に近い。
  秋山優花里(年宝菓子店)   宿泊特典の品。イベント「冬の進軍ボコ作戦」の参加賞品にエルヴィンとのペア後姿がデザインされている。
  冷泉麻子(大洗ホテル)   宿泊特典の品のほかに、エンカイウォーイベントの限定品があるが、後者は入手不可能に近い。
  五人のセット   「がんばっぺ大洗」デザインの新旧二種類のほか、好梅亭のオリジナル品がある。他に鹿島臨海鉄道が販売している缶バッジセットの新旧二種類があるが、旧バージョンの6種セットは入手不可能に近い。あとはイベント時の限定品が幾つかあるが、入手不可能に近い。また2014年3月の海楽フェスタにともなう新バージョンがある。

2 大洗女子学園 カメさんチーム
  角谷杏(丸五水産)   商工会が数種類を制作。「がんばっぺ大洗」デザイン二種類、「あんこう踊り」や「迎春」のタイプもあるが、「迎春」タイプは季節限定。オリジナル品としてはブロンズの澤梓とのコンビ品がある。また「いばらきイメージアップ大賞受賞」の限定品があるが、5月より商工会にて販売されているほか、青年部所属の一部の店舗でも配布している。
  小山柚子(茨城県信用組合)   「あんこう踊り」のみ。
  河嶋桃(石福)    「あんこう踊り」のみ。(5月下旬から6月ぐらいに石福のオリジナル品が出る予定)
  三人のセット   「あんこう踊り」と「エンカイウォー」の二種類のほか、大貫商店街から出されているEDバージョンがある。

3 大洗女子学園 カバさんチーム
  カエサル(加藤豆腐店)   なし(5月下旬から6月ぐらいに加藤豆腐店のオリジナル品が出る予定)
  エルヴィン(和泉屋米穀店)   和泉屋米穀店のオリジナル品がある。イベント「冬の進軍ボコ作戦」の参加賞品に秋山優花里とのペア後姿がデザインされているが、イベント終了後はほぼ入手不可能。
  左衛門佐(江口又進堂)   なし
  おりょう(玉屋菓子店)   なし
  四人のセット   大貫商店街から出されているEDバージョンがある。

4 大洗女子学園 アヒルさんチーム
  磯辺典子(鳥孝)   鳥孝のオリジナル品がある。
  近藤妙子(魚忠)   なし
  河西忍(森屋菓子店)   なし
  佐々木あけび(タグチ)   なし(5月下旬から6月ぐらいにタグチのオリジナル品が出る予定)
  四人のセット   大貫商店街から出されているEDバージョンがある。

5 大洗女子学園 ウサギさんチーム
  澤梓(いそや)   いそやの宿泊特典オリジナル品が二種類あるほか、ブロンズの角谷杏とのコンビ品がある。
  大野あや(お好み焼き道)   道のオリジナル品が新旧二種類ある。
  丸山紗希(大勘荘)   大勘荘の宿泊特典オリジナル品がある。
  宇津木優季(黒沢米穀店)   黒沢米穀店のオリジナル品がある。
  山郷あゆみ(新屋酒店)   新屋酒店のオリジナル品がある。
  阪口桂利奈(大久保酒店)   大久保酒店のオリジナル品がある。
  六人のセット   「エンカイウォー」と、大貫商店街から出されているEDバージョンの二種類がある。

6 大洗女子学園 カモさんチーム
  園みどり子(大進)   なし(5月下旬から6月ぐらいに大進のオリジナル品が出る予定)
  後藤モヨ子(スルガヤ薬局)   なし
  金春希美(みむら時計)   なし
  三人のセット   みむら時計の購入特典品および大貫商店街イベント時に配布された品がある。

7 大洗女子学園 アリクイさんチーム
  ねこにゃー(川崎燃料店)   なし
  ももがー(ウスヤ精肉店)   なし(5月下旬から6月ぐらいにウスヤ精肉店のオリジナル品が出る予定)
  ぴよたん(藤乃屋)   なし
  三人のセット   大貫商店街から出されているEDバージョンがある。

8 大洗女子学園 レオポンさんチーム
  ナカジマ(ブリアン)   なし
  スズキ(小沼酒店)   なし
  ホシノ(カジマ)   なし
  ツチヤ(豊年屋機工部)   なし
  四人のセット   大貫商店街から出されているEDバージョンがある。

9 大洗女子学園 その他のキャラクター
  新三郎(常陸屋)   商工会および各商店街で配布している品がある。
  蝶野亜美(月の井)   商工会および各商店街で配布している品がある。

10 聖グロリアーナ女学院
  ダージリン(肴屋本店)   肴屋本店の宿泊特典オリジナル品がある。
  アッサム(国井屋)   なし
  オレンジペコ(ヴィンテージクラブむらい)   なし

11 サンダース大付属高校
  ケイ(飯岡屋水産)   なし
  ナオミ(あんばいや)   あんばいやの宿泊特典オリジナル品がある。
  アリサ(小林楼)   小林楼の宿泊特典オリジナル品がある。

12 アンツィオ高校
  アンチョビ(寝具店やまと)   JR東日本びゅうチケットの景品バッジ三種の一つ。2014年2月28日に終了。2014年4月から5月まで実施の「イラストラリー」の景品がある。

13 プラウダ高校
  カチューシャ(さかげん)   なし(5月下旬から6月ぐらいにさかげんのオリジナル品が出る予定)
  ノンナ(森寅ひもの館)   なし

14 黒森峰女学園
  西住まほ(さかなや隠居)   さかなや隠居の宿泊特典オリジナル品がある。
  逸見エリカ(かまや)   なし
  二人のセット  厳密には大洗の缶バッジではないが、寿司店栗崎屋の系列店「海鮮どんどん」と「すし一番」のオリジナル品がある。


 続いて、入手方法別に追加更新してみました。●がついているものはオリジナル品です。在庫が無くなり次第終了、という所もありますので、事前に在庫を問い合わせておくのが良いでしょう。参考までに、( )内に設置パネル名を示しました。新たに追加または更新した分については、赤字で表しています。

1 グッズやお土産やおやつなどの買い物をすると貰える

 ●和泉屋米穀店(エルヴィン)  あんみつやプラッシーなど購入
  あいりす(Ⅳ号戦車D型改H型仕様)  「男の身だしなみセット」購入
  ココストア大貫店(ポルシェティーガー全国大会時)  土日のみ「ばくだんおにぎり2個」購入
 ●今村金網工業(M3中戦車リー全国大会時)  ガルパン網戸購入
  みむら時計(金春希美)  ガルパンメガネ拭きなどのグッズ購入
  榎澤輪業商会(ヤークトティーガー)  レンタサイクルを利用
  島屋米穀店(八九式中戦車甲型発見時)  あんみつなど購入
  小野瀬海藻店(38t戦車親善試合時)  お土産など購入
 ●お好み焼き道(大野あや)  駄菓子セット購入
 ●鳥孝(磯辺典子)  商品合計500円以上を購入
 ●国井屋(アッサム)  「茶ーちる歩兵煎茶」やティーセットなど購入
  坂本文具店(西住みほ)  ガルパン名札や文房具セットなどを購入
 ●大久保酒店(阪口桂利奈)  日本酒「桂利奈」購入
  森屋菓子店(河西忍)  商品やおやつなど購入
 ●吉田屋  「常陸乃梅」など購入
 ●新屋酒店(山郷あゆみ)  商品購入
 ●丸五水産(角谷杏)  「丸五式戦兵」購入
  ウスヤ精肉店(ももがー)  串カツ購入
  金丸釣具店  「砲弾型ウキ」など購入
 ●好梅亭  「キューポラ煎餅」など購入
  まいわい市場  ガルパングッズの購入
  キラキラクレープ  ガルパンクレープ各種の購入
 ●カワマタ(武部沙織)  商品合計500円以上を購入
 ●黒沢米穀店(宇津木優季)  お米や商品など購入
  セイコーマート島忠  商品など購入

2 食事をすると貰える

 ●栗崎屋(ティーガーⅠ)  ガルパン寿司コースなど。まいわい市場で販売している「海鮮丼」にも缶バッジがついています。また水戸市に展開する支店の「海鮮どんどん」と「すし一番」にて800円以上の食事をして栗崎屋の缶バッジを示すと、それぞれの支店の缶バッジが貰えます。
  渡来人(ヘッツアー)  ラーメンなど
 ●さくらい(Ⅲ号突撃砲F型親善試合時)  「あのカツ丼」など
  大進(園みどり子)  蕎麦
  常陸屋(新三郎)  蕎麦
 ●お好み焼き道(大野あや)  たらしなど
 ●ブロンズ(ペパロニ)  ガルパンメニュー

3 宿泊すると貰える
 大洗の各ホテルや旅館や民宿のなかには、「ガルパン宿泊応援プラン」を実施しているところがあります。共通の宿泊特典缶バッジとしてあんこうチームの五人のいずれか一つが大洗女子学園タオルと共に貰えますが、なかには設置パネルのキャラをデザイン化して独自の特典缶バッジを渡している施設もあります。独自の特典缶バッジを出している所は●をつけています。宿によっては在庫がなくなっている所もありますので、事前に確認しておくのが良いでしょう。

  旅館くるみ屋  缶バッジの他にポストカードなどのオリジナルグッズも貰えます
  入船  缶バッジの他にオリジナルトートバッグも貰えます
  東光苑
  勝村荘
  雲仙
 ●いそや(澤梓)  缶バッジの他にポストカードなどのオリジナルグッズも貰えます
  忠愛丸
  たくみ
 ●小林楼(アリサ)
 ●あんばいや(ナオミ)
 ●肴屋本店(ダージリン)  缶バッジの他にオリジナルグッズも貰えます
  大和旅館(Ⅳ号戦車D型プラウダ戦時)
  南荘(Ⅲ号突撃砲F型プラウダ戦時)
  浜の湯(マチルダⅡ)
 ●大勘荘(丸山紗希)  缶バッジの他にポストカードなどのオリジナルグッズも貰えます
  浜野屋(パンターG型)
  セイラーズ(ルノーB1bis全国大会時)
 ●シーサイドホテル(西住みほ)
 ●さかなや隠居(西住まほ)  缶バッジの他にナップサックも貰えます

4 販売している
 公式缶バッジを制作している大洗町商工会館にて一部を販売しているほか、大洗の各商店街の店舗によっては1個100円で販売しているところがあります。販売品である以上、完売や売り切れも多いので、在庫が常にあるとは限りません。各店舗での仕入れ補充の動きなどを確かめておいた方が良いでしょう。
 ここでは、私がこれまでに缶バッジを1個100円で買った所を挙げておきます。その多くは、私が訪問した時に数種類を販売していたお店なので、一種類だけを販売しているお店ですと、他にも沢山あり、主に大貫地区のほうに分布しているようです。

  大洗町商工会館
  さかげん(カチューシャ)
  新屋酒店(山郷あゆみ)
  ウスヤ精肉店(ももがー)
  カワマタ(武部沙織)
  みとや
  黒澤米穀店(宇津木優季)
  肴屋本店(ダージリン)
  鳥孝(磯辺典子)
  加藤豆腐店(カエサル)  
  和泉屋米穀店(エルヴィン)
  小野瀬海藻店(38t戦車親善試合時)
  セイラーズ(ルノーB1bis全国大会時)
  住谷商店
  梅原屋(38t戦車全国大会時)
  島屋米穀店(八九式中戦車甲型親善試合時)
  坂本文具店(西住みほ)  
  カネハチ海藻店(三式中戦車チヌ発見時)
  金丸釣具
  大洗観光協会

5 その他
 最近、大洗町の各店舗では、公式缶バッジの他に、ガルパンとは関係ない各店のオリジナル品を出すところが増えています。お店の御主人の顔写真、ペットの犬や猫、ファンのイラストなど様々なものがあります。これまでの大洗行きにて見かけたもの、入手したものを挙げてみます。

  商工会館  あんこうマーク新旧三種、がんばっぺ大洗の茨城県デザインなど
  大洗町観光協会  アライッペの青と赤の二種
  丸五水産(角谷杏)  鮮魚道始めます、丸五式軽鮮車、など
  森屋菓子店(河西忍)  シベリアなど
  和泉屋米穀店(エルヴィン)  猫
  梅原屋(38t戦車全国大会時)  犬
  オレンジペコ(ヴィンテージクラブむらい)  店主さんの誕生日記念イラスト
  坂本文具店(西住みほ)  店主さんの写真
  ウスヤ精肉店(ももがー)  店主さんの写真
  肴屋本店(ダージリン)  店主さんの写真
  金丸釣具  お店のロゴマーク
  ブロンズ(ペパロニ)  お店のロゴマーク
  大洗観光協会  アライッペのマーク二色
  松のぶ  うなぎ
  日野屋商店(IS-2)  おからアート


 こんなところでしょうか。なお、大貫商店街の各店舗にて話を伺ったところ、新たに申請している缶バッジがEDバージョン二種類を含めて四種類、曲がり松や永町商店街などでも二件の申請がなされたということですが、版権の許可がこのところ停まっている、ということでした。商工会発のものはすぐに許可がおりるそうですが、各店舗からの申請に対してはなかなか許可がおりないそうです。
 そのこともあってか、ガルパンとは関係ない各店のオリジナル品を出す方向に向かう店舗が増えている、ということです。それで、先に挙げたような、大洗オリジナル缶バッジの種類は今後増えてゆくものと思われます。

 なお、今回の滞在中においては、大貫商店街の6回目の「こそこそ作戦」を楽しもうと各店を全て回って挨拶し、買い物などをして会話を楽しみましたが、普通なら入手が不可能、とされている限定品も貰うことが出来ました。ひとつは「いばらきイメージアップ大賞受賞」の限定品で、二ヶ所のお店に大量の在庫があり、さらに商工会館でも販売を始めていました。二つ目は去る3月3日の「M3の日イベント」にて参加者のみに配布されたウサギさんマークの限定品で、四ヶ所の店舗にて販売していたほか、そのうちの一ヶ所には多量の在庫がありました。また大貫商店街以外では、東町商店街にて冬に実施したイベント「冬の進軍ボコ作戦」の参加賞品バッジも一部の店で配布または販売していました。
 また、大貫商店街にて4月下旬から登場したEDバージョンのカメさんチーム、アヒルさんチームの二種類は、GWのピーク期に大部分の店舗が在庫を一掃して品切れのところが多かったのですが、二ヵ所のお店がGW期間中に全く配布を実施しておらず、仕入れ当時の袋入りのままで保管しているのを見かけました。まだある所にはある、という感じでした。

 滞在中に、新たなキャラクターのカルパッチョとペパロニの設置店について商店街の方々から情報をいただき、いずれのお店にもお邪魔しました。パネルの設置前でしたので店主さんにも控え目に確認するにとどめましたが、缶バッジの申請についてはまだ考えていないとの事でした。と言うよりも別の形やグッズなどを出したいという考えをお持ちのようでした。
 その傾向は、他の多くのお店の方と話をしていても感じられました。もう缶バッジ関係はあまり力を入れなくていいんじゃないか、という雰囲気すら感じられました。版権の許可がなかなか取れなくなったこととあわせて考えますと、イベント類やアンツィオ戦OVAや劇場版の公開にかかわらず、ガルパン公式缶バッジの今後の動きは、今までよりは緩やかになってゆくのではないか、と推察されます。
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ガルパンの聖地 ・ 大洗を行く5 その21 「お好み焼き屋の「たらし」です!!」

2014年05月19日 | 大洗巡礼記
 マリンタワーから降りて相談の後、三人で「イラストラリー」を楽しむことになり、まず「まいわい市場」へ行ってスタンプ用紙を貰いました。スタンプ集めが大好きなSちゃんは張り切っていました。マリンタワー前のバス停へ戻り、再びバスに乗って大貫地区へ回り、「海岸病院入口」バス停で降りました。すぐ近くのセイコマートに立ち寄った後、徒歩にて「小野瀬海藻店」に行きました。イラストラリーの第一スタンプをここから始めて、徒歩で宿まで行こうという計画でした。


 スタンプを押した後、N氏は土産を買い、Sちゃんは私のカメラに向かってVサインを向けて来ました。その後ろでN氏がスタンプ用紙をチェックしていました。


 「小野瀬海藻店」の店内に飾ってあったイラストの数々です。武部沙織と角谷杏です。このお店にはカメさんチームの38(t)戦車のパネルが置いてありますから、角谷会長が居るのも当然ですね。


 さらに西住みほ、ぴよたんもありました。西住みほのポーズは、前日に見かけた五十鈴華のそれとよく似ています。横溝正史タッチで言うなら「あっ分かった、犯人は青沼静馬、貴方ですね?」って感じ。いや私は犯人じゃないって言ってるでしょう、なぜなら私は犬神佐清なんですから・・・・。(アホかお前は)


 この日の昼食は、N氏のリクエストで「お好み焼き 道」でとることになっていましたので、お店目指してひたすら歩きました。途中で「住谷商店」や「小沼酒店」などに立ち寄ってSちゃんがスタンプを押したり、缶バッジを買ったりしました。


 「住谷商店」は私も今回初めて入ったのですが、雑貨屋さんという感じで、色々な品物がありました。缶バッジもかなりの種類を売っていたのには驚かされました。大貫地区の商店の大半にはまだ入ったことがありませんので、新たな出会いや発見がまだまだあるんだな、と思いました。「小沼酒店」ではスズキにちなんだ「レオポン酒」なるグッズを売っていて、N氏がさっそく購入していました。「月の井」発のガルパン酒の新製品のようです。


 「みむら時計店」にてスタンプを押すSちゃんと、それを見守る私です。前日に商店街を一巡して「イラストラリー」も達成しているので、どこにスタンプがあるかは大体知っていましたから、スタンプ集めに熱中するSちゃんが「次はどこにあるの」と聞けば「次はあの店だったかな」という調子で教えてあげました。


 Sちゃんは、最初は「大洗女子学園生徒手帳」のスタンプ欄に順番に押していたのですが、今回の多数のスタンプを押すにはページ数が絶対的に不足していました。スタンプ集めが趣味だということは以前から聞いていたので、しまったスタンプ帳をプレゼントすれば良かったな、と後悔しつつ、私のメモ用無地紙の数枚を取ってSちゃんにあげました。


 Sちゃんがスタンプを押していた「梅原屋」の缶バッジコレクションです。サークルケイサンクスのビンバッジも並んでいました。コルクボードですから、ピンバッジの方は突き刺すだけでOKですね。私の持っているガルパンビンバッジも、コルクボードに並べてみようかな、と考えました。


 そんなこんなで「お好み焼き 道」に着きました。パネルをみて「あやちゃんだー」と喜ぶSちゃんでしたが、いつの間にか花粉除けグラスを外していて、グラスは行方不明になっていました。そのことにN氏や私が気付いたのは随分後、宿に落ち着いてからでした。


 注文した最初のメニューはお約束の「たらし」でした。一枚目は私が焼き、二枚目はN氏が焼きました。奥の座敷席でしたが、室温が高かったために少々蒸し暑く、Sちゃんはちょっとバテ気味でした。冷たい水を飲んで生き返ったような表情になったので、これは早めに外へ出た方がいいかもしれないな、と考えたのですが、その後さらにN氏がお好み焼きを追加注文したので、昼食タイムは延長となりました。


 これが「たらし」です。関西のお好み焼きや広島焼きなどと比べると水っぽい感じで、焼き上がりも早いのですぐに鉄板から上げないと焦げ付いてきました。私はこのお店では二回とも「焼きそば」を食べたので、三度目の今回になって初めて「たらし」に対面したわけです。


 「まいわい市場」にいったん戻ってN氏が土産を購入し、Sちゃんはあんこう焼きのお店で「74アイス」を食べました。私は甘いものが基本的に苦手なので、大洗でもアイス類は食べません。なので、「74アイス」はSちゃんのお蔭で実物を初めて見ることが出来ました。お好み焼き屋の熱気にバテ気味だったのが、アイスを食べて一気に元気を取り戻したようでした。


 その後、Sちゃんを遊ばせるということで、N氏が施設横の広場にある「ふわふわ館」に連れて行きました。ガルパン劇中にも登場する施設ですが、何の施設なのかずっと分からず、今回N氏に続いて近くまで行って、子供用の遊戯施設の一種だと分かりました。大きな風船状のドーム内で飛んだり跳ねたりして遊べるようです。


 Sちゃんが大喜びで遊んでいる間、N氏と「まいわい市場」の二階に登って戦車キットの展示を見ながら、いろいろな話を楽しみました。ミリタリー関係が多かったですが、歴史や文化に関する話題も少なくなく、N氏がいろいろなことに興味を持っている様子がうかがえました。
 上画像は、展示品のひとつ、Ⅳ号戦車H型です。ガルパンあんこうチームの搭乗車の最終形態がこれにあたりますが、展示キットの方は実際のドイツ国防軍の仕様に作られてありました。


 こちらは日本陸軍の九四式六輪自動貨車です。これのキットは私も持っていますが、完成品を見るのは初めてでしたので、大変参考になりました。プロのモデラーさんの作品らしく、キットをそのまま組み立てずに色々と追加工作してありました。
 私は、なるべくガルパン仕様に作るつもりですが、劇中でも上空からのワンシーンしかないので、素組みでも問題ないだろうと思います。


 「ふわふわ館」で一時間ほど遊んだSちゃんをN氏が引き取り、それからリゾートアウトレットを一巡しました。N氏は今回初めてリゾートアウトレットに立ち寄ったので、劇中シーンの舞台などが気になっていたようですが、Sちゃんは「クレープ食べたい」と、そっちに気持ちが行ってしまっていました。
 移動中にSちゃんが何かに気付いてそのお店に入っていきました。N氏が「レゴの直営店みたいですね」と言うので、アウトレット内にそういう店があることを初めて知りました。レゴブロックは私も子供の頃によく遊びましたので、懐かしい気分になって一緒に入りました。が、現在のレゴの商品群は、建物系が多かった私たちの頃とはちょっと異なって乗り物系がメインになっているようでした。
 お店の名前は「クリックブリック」と言います。案内情報はこちら。こういうお店には、子供連れで無ければなかなか気付きませんし入れませんので、ガルパンファンとしての視線だけで見ていたら気付かない場所が色々あるのだということに改めて気付かされた次第です。


 店内にてレゴブロックに夢中になっているSちゃんでした。何つくってるの?と聞きましたら、答えは「うーん分かんない」でした。分からないままに何らかの形を作り上げることを、芸術の世界では「無我の造型」と位置づけて相当の評価を与えているようです。もしSちゃんが充分な時間を持って一通り組み上げたら、どんなものが出来上がったんでしょうね。 (続く)
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ガルパンの聖地 ・ 大洗を行く5 その20 「マリンタワーに登ります!!」

2014年05月18日 | 大洗巡礼記

 大洗駅に着きました。ここで今回の同行者となるN氏父子と合流する予定でした。列車の時刻まであと20分程度でした。


 とりあえず、駅舎内のインフォメーションコーナーを見て時間をつぶしました。展示構成は一新されていて、アニメに大洗町の各所が登場しているシーンを並べてありました。


 こちらにも、例のコルクボードに缶バッジを並べたものが出来上がっていました。少しは他の方法で缶バッジの展示を試みて欲しいなあ、と思うほど、どこでもこの形式の缶バッジコレクションになっています。


 土曜日で天気も良かったので、ガルパン巡礼者や観光客が駅舎内に大勢居ました。そこで、N氏にメールを打って、駅舎の外で待ちます、と連絡しておきました。ロータリーの桜の木の下で待つこと数分、予定通りに到着した列車はガルパンラッピング車で、直後にぞろぞろと人が駅舎の外へ出てきました。しかも、子供を連れた父親らしいのが三組も出てきたので、どれがN氏なのか分からず、カメラの望遠モードで探してみました。

 最後に出てきた父子のうちの子供の容姿が、以前にN氏より送られていた写真の女の子の特徴と一致したので、たぶんあれがN氏の小学一年生の長女だな、と思いました。が、父親の方はまるで競輪選手のようないでたちで、グラサンに真っ青なサイクルウェアという、かなり目立つ独特のファッションでした。あれがN氏・・・?と、疑問に思いましたが、向こうも私の姿を追い求めて駅舎の前を行ったり来たりしていたので、思い切って近づきながら声をかけました。思った通り、返事があって、間違いなくN氏父子と分かりました。

 N氏とは、拙ブログのコメント欄にいろいろと熱い思いを書いていただいたのがきっかけで交流が始まり、サークルケイサンクスのガルパンフェアや一番くじの期間中にも情報交換をし、私が当てたB賞のマウスクッションをN氏の子供に贈ったり、N氏があてたC賞のドラマCDを送ってもらったりと、ガルパンファン同志ならばでの付き合いが続いていました。それで、いつか大洗で会いましょう、と言い合ってその機会を待っていたのでした。

 それから二ヶ月余り、ようやく今回の大洗行きにて同道および同宿出来る次第となり、ここに初めて対面して握手を交わしました。父親に劣らないガルパンファンだという長女のSちゃんも元気一杯にはしゃいでいて、さあスタンプ集めるぞ、缶バッジ集めるぞ、と気合充分でした。子供のガルパンファンというのは初めて見るので、その視点やスタンスにて何が見えるのか、という点に興味を持ちました。


 とりあえずこれからの行程を相談し、バスを利用してまずはマリンタワーに登ることになりました。駅前のバス停から茨城交通のバスに乗りましたが、この種のバスに乗るのは今回が初めてでした。


 バスの席におさまったN氏とSちゃんです。N氏の独特のファッションについて、後で聞いたところ、イタリアのメーカーのサイクルウェアで、そのデザインはイタリアの自転車レースとして知られるジロ・デ・イタリアの雰囲気を漫画チックに表したものだということでした。出勤前には近くの山まで往復100キロのロードレースをこなすというN氏ならばでの、意欲的かつ個性的なアピールなのでしょう。


 今回初めて利用した、大洗町循環バス用の一日フリー乗車券です。マリンタワーを含めた大洗町内の観光施設の割引券がセットになっていて、これで200円というのは大変におトクでした。


 マリンタワーを見上げながら、「戦艦長門の艦橋みたいですね」とN氏が言いました。言われて初めて、ああ長門の艦橋に似てるなあ、と感心しました。N氏の豊富なミリタリー情報に裏打ちされた独自の感性は、到底私の及ぶところではありませんでした。


 タワー一階売店で、色んな玩具やグッズに目を輝かせてあれこれと手に取るSちゃんでした。その帽子にはガルパン大洗女子学園校章ピンズがさりげなくきらめいていました。なかなかの通ですね・・・・。


 最上階の展望室に並ぶあんこうチームの五人です。イベントの際などには、下へ降ろされることもあると聞きました。


 天気が良いので、眺めは抜群でした。まずは西の大貫地区を一望しました。あれが以前に泊まった「大勘荘」ですよ、などと言ってN氏に説明したりしました。N氏父子はマリンタワーに初めて登ったので、全ての景色が素晴らしかった筈です。


 曲がり松商店街の辺りを指さしたり、この日泊まる宿の「あんばいや」は大体あの辺り、などと話しました。


 手前の大きな屋根は「ゆっくら健康館」で、昨日の夕方にそこの温泉に入りました、と話しました。


 リゾートアウトレットの方向を見ました。ああアニメのシーンそのまんまですね、とN氏。


 一時間ほど前に立ち寄っていた、フェリー埠頭の全景です。敷地が広大なので、ターミナルの建物が小さく見えます。


 あれが大洗磯前神社の森、あの白い建物は大洗ホテルですか、とN氏。N氏は以前に家族旅行で訪れた際に大洗ホテルに泊まったのだそうです。立派なホテルに泊まれていいなあ・・・。


 あんこうチームの五人のパネルの前にて記念写真を撮ってあげました。Sちゃんに、いつもVサインをするの?と尋ねたら、「決まりだから」と元気よくいい切りました。そうか「決まり」ですか。


 戦艦長門の艦橋・・・・いやマリンタワーをバックにして再び記念写真となりました。Sちゃんは花粉除けのグラスをつけていましたが、その後まもなくグラスが行方不明になろうとは、この時点では予想だにしませんでした。 (続く)

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ガルパンの聖地 ・ 大洗を行く5 その19 「大洗港フェリー埠頭です!!」

2014年05月17日 | 大洗巡礼記

 大洗漁港魚市場の次はフェリー埠頭に行きました。途中で大洗輸送の丸紅ガソリンスタンドの横を通りました。町内最大のガルパンパネルが見えました。


 フェリー埠頭へは、今回初めて行きました。広いトラックヤードや駐車場の奥にマリンタワーも小さく見えました。


 大洗港フェリーターミナルの建物です。いつか北海道への船を利用する機会があるかもしれないので、その出発点とはどんなところかをちょっとのぞいてみようと考えたのでした。


 建物の二階へ上って、窓から大洗の街並みを望みました。丘の上には大洗第一中学校の円形校舎が目立って見えました。


 建物内には、ガルパンの三種のタペストリーが掛けられていました。以前にガルパンイベントを実施した際のものですが、係の方の話では、時々ガルパンファンの方が訪ねてくるので、タペストリーもずっと掛けたままにしてあるということでした。


 二階から一階の乗船手続きコーナーへと降りる階段の正面にあるタペストリーです。あんこうチームの五人が揃って敬礼している図は初めて見ました。


 二階のラウンジにある、大洗港の航空写真です。これによって、大洗港の規模や形を初めて知る事が出来ました。かなり以前の写真らしく、リゾートアウトレットの建物群がまだありません。


 こちらは別の日に別の角度から撮影された航空写真です。リゾートアウトレットの建物も写っています。よく見たら、「さんふらわあ」が二隻も岸壁に接舷していますね。一万トンクラスの客船が小さく見えるぐらいに大きな港湾施設だと分かります。


 二階のロビー兼待合室からは、海が見渡せます。苫小牧からの「さんふらわあ」が入港してくる時に、上写真の視界を右から左に横切ってゆくそうです。


 同じ場所から西側を見ました。港湾施設の向こうに大貫地区の街並みと丘陵が望まれました。


 そうこうしているうちに、今日から同行する予定のN氏からメールが届き、予定通りに大洗駅に着くとの連絡が入りました。そこで、ターミナルビルを降りて外に出て、自転車に乗ってフェリー埠頭を出ました。


 フェリー埠頭の出入口を左へ曲がると、マリンタワーの横を通る道路に入ります。大洗駅へは、マリンタワーの向こう側から行くのが近道でした。


 次第に近づいてくるマリンタワーが、ぐんぐんと高く聳えて見えました。


 マリンタワーの東側の公園には桜の木が並んでいました。アウトレットのある地域を含めて付近にはあまり桜の木が無いので、マリンタワーの春景色を桜つきで撮影するなら、ここしか無いかもしれないと思い、自転車を停めてカメラを構えました。桜とマリンタワー、これぞ大洗の春を象徴する景色と言えましょう。


 若見屋の信号交差点を通りました。八百萬商店の古い建物が、いつも懐かしい風情をまとって道角に佇んでいます。


 榎澤輪業商会に自転車を返却しました。御主人は「今日も大洗に滞在するんだったら、ずっと借りててもいいんだよ」と言ってくれましたが、「いえ、今日これから同行者とバスとか歩きで回りますんで、とりあえず返却します」と応じました。
 「そうかね、じゃあこれを」と言って、バンダイ公式のガルパン名刺を下さいました。去年の年末にいろいろとあったガルパン名刺の件は、バンダイからの許可を得た公式名刺の発行および配布という形で、いちおうの決着をみたようです。 (続く)

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