気分はガルパン、ゆるキャン△

「パンツァー・リート」の次は「SHINY DAYS」や「ふゆびより」を聴いて元気を貰います

「倉野川」の倉吉をゆく シーズン2の9 「昭和の記憶」

2016年06月30日 | 倉吉巡礼記

 打吹公園通りを北に進み、倉吉銀座通りとの信号交差点その景色をふと振り返ってみたところ、角の建物のウインドー内にパネルがあるのを見つけました。


 こんな所にあったのか、とそちらへ近づきました。福神館という名の、現在は無料休憩所になっている施設です。倉吉市に在住する三人の仏師さんの作品を常設展示しているところです。


 パネルは春日咲子です。楽器を持った演奏シーンで表されていますので、4月の桜まつりひなビタイベントでは、未来中心のホールで行われた声優さんトークショーにて展示されていたものと分かります。

 日向美ビタースイーツはガールズバンドですので、5人とも楽器演奏の姿のパネルがあるわけですが、この春日咲子を含めてまだ4人分しか見つけていません。これまでに山形まり花をパープルタウンにて、和泉一舞をスーパーヒーロー倉吉店にて、芽兎めうを石谷精華堂本店にて見つけました。
 残るは霜月凛です。その演奏パネルは、どこにあるのでしょうか。


 さらに北へ進んで鉄道記念館、かつての国鉄打吹駅の跡地に行きました。かつては山陰線の倉吉駅から分かれて関金方面まで通じた倉吉線の中心駅であり、旧市街地の玄関口として機能していました。


 現在は、線路も駅舎もホームも全て撤去され、歩行者・自転車専用道や駐車場などに転じています。その一角に鉄道記念館と静態保存されるC11形蒸気機関車があります。


 倉吉線は、昭和60年に全線が廃止されましたので、私が鳥取市に住んで倉吉に毎週遊びに行っていた平成の時期にはもう過去のものになっていました。このC11形蒸気機関車が現役だったのも、昭和の時期まででありました。


 鉄道記念館の内部には芽兎めうが居ました。どうやらこのパネルはここに常置であるようですが、見るたびに位置が変わっているので、観光交流課の担当者が毎日管理しているようだな、と思いました。


 芽兎めうはいつも元気です。めうーー!!


 とりあえず、今回のパネル探索をここで切り上げることにしました。未発見のパネルがあと何枚残っているのかは分かりませんが、前回で19枚、今回で4枚、あわせて23枚となりましたので、残りは5枚前後だろうと推測しました。
 巡礼ファンの間では「30枚ぐらい」とされているようですが、倉吉市の公式情報では「20数枚」とありますから、30枚未満とみたほうが良さそうです。


 近くの民家の玄関先に、タイルを使った模様がありました。なにか良い感じなので、立ち止まって見ました。


 壁の装飾用、というには何か使い古されたような、中古品の感じが漂っていました。以前の建物のタイルを記念にちりばめてある、といった雰囲気でした。これもかつての時期の記憶の一つなのでしょうか。 (続く)

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モケジョの初ガルパン戦車プラモは継続高校BT-42

2016年06月29日 | ガールズ&パンツァー

 上図は、手元にあるタミヤのBT-42のキットです。先週に模型サークルの仲間からも「買って三年になるけど積んでるだけなんで」とキットを譲られましたので、2個になりました。1個は継続高校チームの劇中車に仕上げる予定ですが、もう1個はどうしましょうかね・・・。

 私が近々これの製作にとりかかることは、模型サークルでも何かと話題になっているらしく、「レポートしっかり頼む」「いつもの綿密な考察楽しみにしてるぞ」などと言われます。
 Tさんによれば「ネット上で数多くのBT-42のガルパン仕上げの先行作品を見かけるし、それなりのレポートもあるんやけど、ステップごとに細かく考証しとって、工作内容と手順をきちんと紹介したうえで、全体的な感想と評価も交えてレポートしているのはおそらく君だけや。だから、意味は大きいし期待している」ということなのだそうです。
 ところが、Aさんは「作るんなら、今までの奴が作らへんかったBT-42を作ってみたらどうや」と言うのでした。「日本中でただ一つしかない、お前だけの継続BT-42を作るんや。何でもええからプラスアルファの志向で、ポイントの高い付加価値をつけるんや」とけしかけてくるのでした。
 ポイントの高い付加価値、とは具体的にどういうものですか、と問い返すと、得意そうに胸を張って「例えば、イヨマンテの夜やな」と言うのですから、全く話になりません。

 ですが、私なりには、漠然とですが、劇中車の仕様に作るのであれば、付加価値のような何らかの要素はある程度必要なのかもしれない、とは思います。ガルパン仕様への工作や改造の精度を上げるとか、見落としやミスを防ぐとか、そういった類のものとは違った、何かです。現時点ではボンヤリとした感覚ですが、時間をかけてじっくりと考えを練れば、次第にまとまったイメージに固まってくるかもしれません。


 昨日、モケジョのSさんより電話があり、継続チームBT-42の記事に関して色々と話しました。Sさんとは、最近に拙ブログにコメントを頂いたことが契機となってメールや電話でのやり取りが始まったのですが、話題は必ずBT-42の事になります。彼女にとって、初めて作るガルパン戦車プラモが、継続高校チームのBT-42であるからです。

 お話によれば、昨年12月に模型女子の仲間に強引に付き合わされて劇場版を観たところ、「超感動的な衝撃を受けて頭の中が真っ白になり」、いっぺんにファンになってしまったのだそうです。特に継続高校チームの大活躍の場面に心を奪われ、それ以来ずっと「脳裏をBT-42が走り続けている」のだそうです。お名前も「ミカ」と読みますので、継続チーム隊長にも親近感も抱いていることでしょう。しかもご出身が石川県金沢市だというのですから、継続高校チームのファンになるのは必然的な帰結であるのかもしれません。

 Sさんは、以前に頂いたコメントでも述べているように模型女子、つまりモケジョのお一人ですが、これまではガンプラとお城を作っていたそうで、戦車は全く制作経験が無いそうです。その初めての戦車プラモデルがBT-42であるわけですが、キットを買って中身を見たら、ガンプラやお城とは全然勝手が違っていて、とても不安になっている、ということです。

 不安なのであれば、もっと簡単なキットから始めて、AFVの感覚やコツなどを少しずつ掴んでいったら如何ですか、と話したのですが、その際の答えは「いえ、でも難しくてもいいからBT-42を作りたいんです。いっぺん作らないと、いつまでも脳裏をBT-42が走り続けるんですよ」でした。
 これには笑ってしまい、「作ったら作ったで、余計に走り続けそうな気がしますがね」と言ったら、先方は「かもしれないですねー」とケラケラ笑っていました。「天下のクリスティー式をなめんな、ですねー」と。それに続けて「じゃあ、その走ってるBT-42を停める方法って他にありますかね?」と尋ねてくるので、返答に窮しました。

 こんな調子で、色々と質問を送ってくるわけですが、昨日のそれはこうでした。
「継続高校の戦車って、みんなああいう塗装なんですか?」

 それは、実は私自身の疑問でもあります。継続高校チームは、フィンランドティストのチームでありながら、いまパロラ軍事博物館に展示される実在のフィンランド軍車輌群の塗装とは異なるカラーをまとっています。模型誌などでは「冬季迷彩」と紹介され、その状態で劇中に登場していますから、プラウダ高校チームのように冬季以外のカラーも当然あるだろうと思うのですが、それをうかがわせる情報は、現時点では皆無です。

 それで、例えば夏季の塗装カラーを考えるならば、それこそパロラ軍事博物館の展示車輌群のカラーではないかな、と思ったりもします。劇場版ではBT-42だけが登場しましたが、よく考えるとあれは冬季迷彩ということで正しいのだろうか、とも思います。同じ試合に参加しているプラウダ高校チームが、夏季のロシアングリーンのカラーで登場しているからです。大洗女子学園チームでも、テレビシリーズの対プラウダ戦では雪中で冬季迷彩を施したカバさんチームⅢ号突撃砲F型も、劇場版においては通常塗装のままでした。

 これらの情報から類推しますと、劇中のBT-42のカラーは、季節ごとの迷彩塗装というよりは、継続高校チームの通常のカラーである可能性が高いようにも思えます。
 そのことをSさんに伝えましたら、「じゃあ、継続の戦車はみんなああいう塗装で作っていったらいいんですね」と、疑問が氷解したような明るい声で答えてきました。どうやら、BT-42だけではなく、他の所属車輌も作る気のようです。

「でも、ああいうボカシみたいな塗装、全然やったことないんですよお、エアブラシって必要になりますかね?」
「うーん、無いよりは有った方がいいと僕は思いますけどね。筆塗りですと継続のグラデーションっぽい車体色は難しいかもしれませんね。」
「エアブラシやるとなったら、塗装ブースとかいうのも、やっぱり準備した方がいいんですか?」
「そこまでやるかどうかは、制作環境の差に拠りますね。ベランダとか庭とかで周囲に迷惑がかからない状況が確保出来るんであればブースは必要無いです。私の場合はそれなんで」
「私のところもベランダがありますので、たぶん星野さんと同じ状態かもしれません」
「とにかく室内でやるというのは、可能な限り避けるべきですね。筆塗りならまあいいけれど、エアブラシは粉末粒子が意外に広範囲に飛散しますんで、換気は必須だし、マスクとかして鼻や目などはガードしたほうがいいですよ」
「分かりました。そのようにやってみます」

 ガルパン劇場版のヒット効果は確実に浸透しつつあり、モケジョの方々にも少なからぬ影響を与えているようです。Sさんの参加しているサークルはモケジョ6人で構成されているそうですが、その全員が劇場版を視聴していて、一度はガルパン戦車を作ってみようか、いや作ってみたい、というムードになっているそうです。
 しかし、全員がAFVは未経験だということで、めいめいに興味ある戦車のキットを買ったはいいが、どこから手をつけていいか分からない、という状態であるようです。

 なので、数ある模型誌がガルパン戦車特集を何度も組んでいますが、たまにはモケジョや初心者向けの特集も出してあげたらどうかな、と思います。作りたくても作れないで悩んでいるファンは相当数いると思われますから、それらを引き入れれば、ガルパン戦車プラモデルのブームも裾野がさらに広がるのではないか、と思います。
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「倉野川」の倉吉をゆく シーズン2の8 「倉吉マップでおさらい」

2016年06月28日 | 倉吉巡礼記

 バスターミナルにある路線図です。倉吉市の地図としても利用出来ます。主な観光施設などがわかりやすく表示されており、バス路線を見てゆくと移動ルートの概要が把握出来ます。

 倉吉市は、南側の打吹山と小鴨川に囲まれた旧市街、日本海へ直線的に注ぐ天神川の東側にJR倉吉駅を軸として発展した新市街とに大別されます。一般的には南側の旧市街が倉吉市の範囲と思われているようですが、実際の市域はもっと広く、関金町を合併してからは更に広くなっています。


 南側の旧市街と、その東側の新市街は小鴨川と天神川に囲まれる形です。倉吉市の公共施設はほとんど東側新市街の中心にあるスクエアパークにあり、市役所は南側の旧市街の南の打吹公園エリアに位置します。


 そして、一般の観光客が訪れる古い町並みは、旧市街のほぼ大半を占めています。ひなビタイベントの実施エリアは打吹玉川地区の白壁土蔵群の範囲に絞られましたが、それでもキャラクターパネルの配置エリアは相当の広さに達し、パネルの設置場所が前もって分かっていたとしても、一通り回るのには時間がかかります。


 倉吉駅の東隣にある物産品販売コーナー「駅ヨコプラザ」です。鳥取県の土産物や倉吉発の限定土産なども豊富に扱っています。町並みの赤瓦一号館などで買い忘れたり、買えなかった場合はこちらの「駅ヨコプラザ」で買えることがあります。
 「駅ヨコプラザ」の西側には観光案内所があり、白壁土蔵群の観光案内所とほぼ同じ内容です。


 駅周辺にパネルがあるようには思えませんでしたので、車で再び打吹玉川地区に戻りました。帰るにはまだ時間があったので、適当にぶらつきました。


 町並みの中では、消火器も木箱に入れられて景観への配慮がなされます。景観保持に力を入れている各地の街並みでは、よく見かける処置です。


 今まであまり行っていなかった、打吹公園通りの北側へ足を延ばしてみました。


 ふと見かけた、惣菜店のお品書きです。多くが1個80円です。100円以下でこういう品が買えるところは、最近はあまり見かけなくなりました。雑穀のお握りも80円です。


 ひなビタとのコラボ品もありました。お約束のちくわを用いた品ですが、店ごとに色々あるようです。こちらのちくわコロッケは、150円と高いほうですが、それ以前にどのような姿であるのかが想像もつきませんでした。
 案内イラストは、公式のものです。商店街にてひなビタとのコラボ品を出しているお店にはこれが貼られてありますが、景観に配慮してサイズも小さくおさえています。重要伝統的建造物群保存地区の範囲の外でもこうした処置がなされているところに、地域住民の街並み保存への意識の高さがうかがえます。
 ガルパンの大洗が、寄贈品やグッズまみれになって「ガルパンワールド」等と呼ばれているのとは対照的で、品格の高さすら漂います。


 この日は、パン屋の「エルハイナー永田」は休業日でしたが、山形まり花のパネルはウインドーに貼り付けてありますので、外からもよく見えました。このあたりは大洗と同じですね。 (続く)

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アンツィオ高校 M41セモヴェンテ 完成です!!

2016年06月27日 | ガルパン模型制作記

 組み立てが終わった三日後の晴れた日に、塗装ステップに入りました。まずは薄くサーフェイサーを吹き付けました。


 本塗装を行ないました。アンツィオ高校チームの車輌はP40、M41、CV33のそれぞれが車体色も異なっていますが、今回のM41はダークイエロー系のカラーです。劇中のワンシーン、アハトゥンク2で微妙に色感が違うのですが、サンドイエロー系のCV33の車体色よりはやや暗めです。
 これに近いのが、黒森峰女学園チームのティーガーⅠ(西住まほ搭乗車)のカラーであるように感じられましたので、今回は黒森峰カラーセットの「黒森峰ゲルブⅠ」を使用して吹き付けしました。履帯はミスターカラー28番の黒鉄色で塗装しました。


 続いて転輪のタイヤ部分をポスカの黒で塗りました。ポスカはペン先の太さが三種類あり、一番細い「極細」タイプ、「細字」タイプの二種類を使い分ければ、筆塗りよりも楽に塗れます。


 塗装後に転輪の二つのパーツを接着して組み立ててゆきました。


 車体後部左右の排気管は、42番のマガホニー、車外装備品の金属部分は28番の黒鉄色、木製部分は43番のウッドブラウンで塗りました。
 また、上図では見えませんが、背面のテールランプは47番のクリアーレッドで塗りました。


 車体側面前部のライトのガラス部分を8番のシルバーで塗りました。


 上部の転輪を取り付けました。


 予備転輪は、劇中車の状態に合わせて背面部の右側にセットしました。


 下部転輪を組み付けてゆきました。転輪の穴がやや小さいために軸にはまらないことが仮組みの際に分かっていたので、あらかじめピンバイスで穴を広げておきました。


 ベルト式履帯をはめました。上部の車輪類との隙間が狭いので入れるのに苦労しそうですが、まず前部の起動輪の歯にかませておいて固定し、それから順に入れてゆけば難なく入ります。後部の誘導輪には少し引っ張れば楽にはめることが出来ました。


 デカールは、いつも利用しているモデルカステンのガルパンデカールセットのVol1から使用しました。


 あんこうチームの5人の絵柄の横に、アンツィオチーム用のデカールが6枚並びます。大きなサイズが1枚、やや小さなサイズが5枚ありますが、今回のM41には、それぞれ1枚ずつを使いました。


 アンツィオチームのマークはピザをあしらったもので、半分にカットしたピザの右側に四つ切りにした部分、左にカットしていない半円形がくるのが正位置です。
 デザイン的には、左右同じように見えるため、逆に貼り付けている先行作品を、大洗でもネット上でも幾つか見かけます。


 大きいサイズの1枚は、戦闘室天板の左側のハッチ上に貼りました。前方から見るのが正位置になりますので、ピザの未カット半円部分が向かって左になります。


 小さいサイズの1枚は、背面パネルの右側に貼りました。劇中車の背面パネルのサイズおよび各パーツは、キットのよりもスケールが大きめに表されて印象も異なりますので、実際のデカールがやや小さめになりますが、それは仕方のないところです。


 M41は、側面部にマークがありませんので、横から見るとどのチームの車輌なのかが分かりにくいです。


 デカールを貼った後、半日ほど置いて乾燥させ、つや消しクリアーを薄く吹きつけました。


 小さな車体に色々とパーツがついているという感じの、独特の凝縮感がこの車輌には感じられます。CV33になれば、もっと印象が深いことでしょう。


 眺めていると、アンツィオ戦OVAでの、一騎打ちのシーンがリアルに思い出されてきます。あの短い砲身で、よくⅢ号突撃砲の長い砲身とわたり合えたものだなあ、と感心します。現実にはああいう動きは不可能であるに決まっていますので、アニメならばでの見せ場の一つでしたね。


 ねんどろいどぷちのアンチョビに登場願いまして、アンツィオ高校チームの雰囲気をそのまま楽しみました。なにか不良っぽい表情ですが、実際のアンツィオ戦OVAでは、ああいう顔つきは余り無かったように思います。むしろ剽軽な、滑稽味あるユーモラスなキャラクターとして描かれていましたね・・・。

 かくして、アンツィオ高校チームのM41セモヴェンテがアンツィオ戦OVA版仕様にて完成しました。製作日数は、2016年5月22日から6月14日までの24日でした。組み立てに約15日、塗装に1日、塗装後の組み立てとデカール貼り付けに1日かかりました。まとまった時間があまり取れず、僅かな暇を使って少しずつ組み立てましたので、割合に組み易いキットの割には、けっこう日数がかかりました。
 ガルパン仕様への工作は簡単なものが多かったのですが、前述したように、劇中車とキットの車体サイズや輪郭に微妙な差異がありましたから、その違和感をなるべく最小限にとどめるための微調整の方に手間取ったと思います。

 今回はタミヤの旧キットを使用しましたが、新キットの方を使用した場合は、ガルパン仕様への工作ポイントとして、車体後部のエンジングリルの向きの修正、が加わります。これは難度の高い工作となるうえ、旧キットよりもリベットやラインの表現が細かいので、かなりの修正が追加されます。
 しかし、ジェリカンはサイズが適正になっていますので、今回の旧キットのようにサイズが合わない、ということがありません。新旧のキットそれぞれにメリットがありますので、お好みで選べば良いでしょう。
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「倉野川」の倉吉をゆく シーズン2の7 「倉吉駅とバス停」

2016年06月26日 | 倉吉巡礼記

 JR倉吉駅への移動中、既に正午過ぎであることに気付きましたがあまり空腹ではありませんでした。よし軽く牛骨ラーメンでも食べよう、と思いついて今回は人気店の「香味徳(かみとく)」に立ち寄りました。鳥取県ではラーメン一家として有名な紙徳さんの息子さんが倉吉に開いた店です。

 鳥取県東伯郡琴浦町赤碕にて創業された紙徳さんのラーメンは、鳥取県の牛骨ラーメンのなかでも人気があり、現在は長男が本店を継ぎ、次男が北栄町由良に店を開き、そして倉吉には三男のお店があるというわけですが、東京にも進出して銀座にも店舗があります。
 なので、東京の方でも「香味徳」は知られているらしく、東京都品川区の知人が「牛骨ラーメンってとっても美味しいね、鳥取の本店に行ってみたくなるね」と話していました。


 ですが、「香味徳」の牛骨ラーメンは、実はお店ごとに微妙な違いがあります。三人の息子さんがそれぞれに味をつきつめた経緯からそうなったのですが、牛骨ラーメンそのものの基本的な味わいは外していませんので、ラーメンが好きな方々は、全ての「香味徳」のお店を回って楽しむのが定番になっています。


 私自身は、以前に赤碕の本店、由良の二号店にも食べに行ったことがありますが、個人的にはこちら倉吉の三号店の味が好みです。
 「香味徳」のルーツは牛骨ラーメンの祖とうたわれた「松月」で、先代さんが直接に教えをうけ、店を昭和27年に開きました。それから由良、倉吉に暖簾分けしていった流れですが、倉吉の年配の地元住民の方々の話によると、「こっち(倉吉店)の味が先代さんのに近いねえ」ということです。つまりは「松月」の系譜を色濃く受け継いでいる、ということになるでしょうか。
 とにかく、今回の一杯も大変に幸せな気分でいただきました。これはもう、やみつきになりますね。


 牛骨ラーメンの味の余韻にひたりつつ、JR倉吉駅に着きました。駅に向かって左側に観光駐車場があるので、そこに車を停めておき、駅舎に入りました。


 改札口の横にある、倉吉市マスコットキャラクター「くらすけくん」のパネルです。土蔵スタイルという分かりやすいデザインです。倉吉に関して知識がある方ならば、これを見たらすぐに「これは倉吉の・・・」と分かるでしょう。


 そして反対側の通路の角に、三枚めのひなビタパネルを見つけました。やっぱり駅にはあるんだな、と感心して近づいてゆくと、日向美ビタースイーツの五人が揃っていました。


 いや、正確には六人でした。中央には倉野川市日向美商店街のマスコット「ひなちくん」が居るからです。正直言って「ひなちくん」までがパネル化されているとは思いませんでした。すると「ひなちくん」の単独パネルもどこかに置いてあるのか?と思いました。


 倉吉駅を中心にした路線図です。横に続く青線が山陰線で、大阪や京都方面からの特急列車はは鳥取、倉吉、米子の3駅に停まります。


 駅からバスターミナルへと続く下り階段の上には、「ようこそ倉吉へ」の歓迎パネルがあります。倉吉へ列車利用で初めて来て、感動してこのパネルを撮ったひなビタファンが多かったそうです。


 バスターミナルの乗り場案内図です。7つの乗り場がありますが、市内観光で利用するのは2番です。打吹玉川の古い町並み、関金温泉方面のバスが出ています。
 3番は隣の三朝町行きで、三朝温泉や三佛寺へ行く場合に利用します。4番は倉吉の東隣の湯梨浜町方面に行きます。5番は鳥取短大専用の送迎バスの発着地です。6番は東京品川と連絡する夜行バス、鳥取コナン空港および米子鬼太郎空港との連絡バスが停まります。7番は使用されておらず、1番は車庫行きの回送車などの停留場です。
 したがって、古い町並み地区へ行くには2番乗り場からバスに乗ります。


 バスターミナルはこんな感じです。


 時刻表も乗り場ごとに掲示されていますが、2番乗り場から打吹玉川の古い町並みに行く場合は、どのバスに乗っても行けますので、あまり時刻は気になりません。
 それよりも、打吹玉川の古い町並みに近いバス停は、「赤瓦・白壁土蔵群前」と「白壁土蔵群前」の二ヶ所にありますので、どっちだ?と迷う観光客も少なくないそうです。町並みの北側に位置するのが「赤瓦・白壁土蔵群前」、南側に位置するのが「白壁土蔵群前」です。


 「桜・大立」の行き先表示が出たバスが2番乗り場に停まっていました。この便でも打吹玉川の古い町並みに行けます。その路線は町並みの北側を通りますので、町並みの最寄りのバス停は「赤瓦・白壁土蔵群前」となります。
 倉吉市域の公共バスは、日本交通バスと日ノ丸バスの2業者によって運営されていますが、主要路線の多くを受け持って本数も多いのは、日本交通バスの方です。 (続く)

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モデルアート臨時増刊号 「艦船模型の製作術2」

2016年06月25日 | ガルパン模型制作記

 去る5月23日に発売された、モデルアート臨時増刊号の「艦船模型の製作術2」です。公式サイトでの紹介記事はこちら。アマゾンでの案内はこちら

 この種の製作指南書というか、入門ガイドブックの類が艦船模型において充実してきているのは、やはり「艦隊これくしょん」の人気による艦船模型ブームのお蔭でしょう。模型専門店に行くと、艦船模型のコーナーにはよく人がいます。最近はモケジョとおぼしき女性の姿も見かけます。

 そういえば、私が参加しているサークルの女性会員の数人も、艦船模型を作りだしていると聞きました。手始めに小さくて手頃な駆逐艦にチャレンジしているそうです。
 話を聞けば、「細長くて狭いところにギッシリと詰め込むような感じが良い」、「刺繍やビーズ工作より楽だしバリエーションがあるので楽しい」、「完成品が場所を取らないのが良い」等、いかにも女性らしい評価が並びます。
 昔からの艦船模型の流れを見てきた身からすると、大げさでなく隔世の感があります。同時に、なかなか良い時代になったのだなあ、と思います。模型キット自体、近年はリニューアルが盛んでパーツの精度も向上していますので、価格が高騰している点はともかく、出来栄えは素晴らしくなっています。私の作品は昔のシリーズものが多いので、大型艦を中心に現在の新キットで楽しんでみるのも良さそうです。

 ですが、今はまだまだガルパン戦車が面白いので、艦船模型に戻るのはしばらく後のことになりそうです。


 同時に購入してきた本です。「エンガノ岬沖海戦小澤機動艦隊の孫たち」の一人としましては、買わずにいられませんでした。「最後の機動部隊、囮となって散る」の文句に、目頭が熱くなってしまいました。
 最後のZ旗を仰いで、数倍の敵にひるまず立ち向かった万余の将兵たちの魂を想い、そのなかに居た祖父や大叔父らの心を偲びつつ、厳粛な気分で読みました。

 世界大戦の歴史を通じて、アメリカ海軍空母部隊に唯一対抗し干戈を幾度も交えたのは、日本海軍の空母部隊だけでした。それ以降、現在に至るまで、アメリカ軍に比肩し得る空母戦力は現れていませんし、これからも出現しないでしょう。
 だから、アメリカ軍にとって、日本の空母機動部隊というのは、最後の最後まで脅威で有り続けたのです。この小澤機動艦隊は、兵力にしてアメリカの十分の一以下に成り下がっていましたが、しかし、日本の空母が存在するという事実そのものを、アメリカ軍は常に怖れ続けたのです。

 エンガノ岬沖海戦にて、ハルゼーが指揮兵力の全力を挙げて叩き潰しにかかったことが、彼らの日本空母部隊に対する心境を端的に示しているとされていますが、それ以前にアメリカ軍はサンゴ海で、ソロモン海で、サンタクルーズ海で、散々にやられてきた経験があります。正規空母の四隻までを撃沈され、さらに三隻を無力化させられたという屈辱の歴史です。アメリカ海軍空母部隊にこれだけの損失を強いた相手は、今なお、日本海軍空母部隊以外には存在しません。

 この戦歴は、囮となって散った最後の機動部隊にとっても誇りであったことでしょう。その切ないまでの煌めきは、日本海軍が敗れて崩壊して無に戻っても、決して消えることは無いのです。
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アンツィオ高校 M41セモヴェンテ 作ります!! その6

2016年06月24日 | ガルパン模型制作記

 ラストのステップ9では、アクセサリー等を取り付けます。が、予備履帯、土嚢、ワイヤーロープは劇中車にありませんので、これらのパーツC10、C19、C20は不要となります。またジャッキのC30は、劇中車では後部にセットされていますので、それに従いました。アンテナは省略しています。
 なので、ここで取り付けるパーツは、車体左右側面につくジェリカンのみとなります。そして、ガルパン仕様への工作が二つ加わります。


 劇中車のジェリカンは、左側には三個並びます。十字形の留め帯がつきますが、これはガルパン特有の謎仕様の一つであるそうです。
 というのは、実際のイタリア車輛の留め帯の写真を見ますと、十字形の部分はジェリカンの底面に位置してセットされています。タミヤキットの箱絵でもそのような描写がされているのですが、ガルパン仕様では、ジェリカンを外して畳んだ留め帯の状態を、そのままジェリカンの外回りにも表しています。
 明らかな考証ミス、とする指摘もあるようですが、ガルパンの謎仕様は他に幾らでもありますし、ここでの基本方針は「劇中車の姿に可能な限り合わせる」ですから、そのまま再現します。


 劇中のワンシーンにて、右側側面には二個のジェリカンが並ぶ様子が確認出来ます。したがって、ジェリカンは全部で五個が搭載されているわけです。


 ところが、キットのジェリカンのパーツはオーバーサイズなので、そのまま取り付けると外観に相当の違和感が生じます。そのまま使用するわけにはいきません。


 そこで、アスカモデルの「イタリア ジェリカンセット」をあらかじめ用意してありました。アンツィオ高校チームの車輌を制作する際の必需品の一つで、P40のキットにも応用出来るものです。
 アスカモデルからはこうした、各国仕様の小物や装備品セットが数種類リリースされており、ガルパン戦車を作るうえで不足したり、キットに入っていないパーツなどの幾つかを補完出来たりします。


 アスカモデルの「イタリア ジェリカンセット」のパーツを、キットのパーツと交換して使用することにし、とりあえず組み立てました。


 完成したアスカモデルのジェリカン(下)を、キットのパーツ(上)と比較しました。サイズが全く異なるのが分かります。アスカモデルのパーツのサイズが、ちょうどピッタリです。


 左側の三個と右側の二個を組み立てました。タミヤのパーツでは省略されたような感じになっているハンドルやキャップも精密な別パーツとして成型されており、これらを組み立てました。


 車体に取り付けると、御覧のようにサイズもほぼ適合していました。ほぼ劇中車のサイズ感に近く、違和感はありませんでした。


 右側側面のジェリカンの取り付け状況です。


 十字形の留め帯をプラ板で作りました。十字形にカットするのは困難なので、細長い帯を十字形に組み合わせる形で再現しました。上図は、左側側面のジェリカンの十字形の留め帯です。


 そしてこちらが、右側側面のジェリカンの十字形の留め帯です。


 二つのガルパン仕様への工作のひとつめは、フェンダー前端の形状の修正です。上掲のワンシーンに示すように、劇中車のフェンダー前端は下へ垂直に繋がっています。


 キットのパーツにおいては、斜めに内側へ切り込んでありますので、足りない部分をプラ板で補って、上図のように修正しました。


 ガルパン仕様への工作の二つ目は、天板のリベットの数を、上図のように6個だけにすることです。


 キットのパーツでは天板の周囲およびパネルラインに沿って沢山のリベットがモールドされているので、これらを全て削り取りました。劇中車と同じように、ペリスコープ後ろの6個だけを残しました。


 以上で、塗装前の組み立て工程およびガルパン仕様への工作の全てを完了しました。 (続く)

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「倉野川」の倉吉をゆく シーズン2の6 「打吹公園」

2016年06月23日 | 倉吉巡礼記

 町並みの東側を迂回して、本町通りに戻りました。とりあえず町並みのエリアでのパネル探しはここで切り上げ、車に戻る前に打吹公園の方へ回ることにしました。


 途中で見かけた、まだオープンしたばかりのような新しい店舗を、町屋跡の奥に見ました。若い二人連れが何かを注文して待っているようなので、軽食または食べ歩きの店かな、と思いました。


 手前に置かれた看板類によって、手作りスムージーのお店「くだものや」であると知りました。町並み散策の休憩タイムに飲むには良さそうな感じです。スムージーとは、凍らせた果物、又は野菜等を使った、シャーベット状の飲み物ですが、私はまだ味わったことが無かったので、この機会に一つ買ってみました。


 今回は「フルーツとまと」をチョイスしました。トマトジュースは毎日飲んでいますが、トマトのスムージーは冷やりとして、そして気泡が豊富なせいかふわりとした感じでした。これがスムージーか、と感動するあまり、肝心の写真を撮り忘れました。
 次に来た時は「いちご」を買おう、写真も忘れないにしよう、と考えました。


 次の辻を左折すれば、市役所横の観光駐車場および打吹公園エリアに行きます。江戸期には鳥取藩倉吉陣屋に通じる道でしたので、このあたりの地割は大きなところが多いです。上級藩士の屋敷も近くに並んでいたため、その広い敷地がいまでは観光施設や観光駐車場などに転じています。


 かつての倉吉陣屋、いまの成徳小学校の裏手に打吹公園が広がります。その入口の一段低い場所に「羽衣池」があります。


 もとは打吹山からの伏流水の一つが流れていたところとされ、おそらく中世戦国期には打吹山城の水の手の一つでもあっただろうと推測されます。これをせき止める形で、明治37年の打吹公園造園と同時に築かれた池です。市政30周年の昭和58年に名称を公募し、打吹山の天女伝説にちなんでの「羽衣池」が選定されたそうです。


 打吹公園内には、倉吉博物館、動物園、鎮霊神社、飛龍閣などの諸施設が点在しています。このうちで、パネルがありそうに思えるのは飛龍閣でした。
 飛龍閣は、明治36年(1903年)11月に時の皇太子(大正天皇)の山陰行啓の宿泊施設として起工し、翌年明治37年(1904年)4月に竣工した建物です。用材は京都から購入し、室内装飾庭園の一樹一石に丹精をこめて築造されました。現在は市の登録文化財に指定されています。市の公共施設として公民館に準じた扱いで市民にも開放されており、申し込めば誰でも利用出来ます。


 その東側の縁側内に、春日咲子のパネルを見つけました。が、室内に向かって立てられているため、外からは白い背面しか見えませんでした。おそらく、イベント時に飛龍閣が一般公開されていた折に、内部の見学者に対して向けられたもので、その後もそのままになってしまっているのでしょう。
 普段の飛龍閣は閉まっていますから、パネルも窓側に向けて、外から見えるようにしてほしいものです。とりあえず、この日の二枚目のパネルでした。


 すると、倉吉博物館にもパネルがあるのかな、と思って内部に進み、ついでに歴史民俗資料館の歴史展示も見学しましたが、パネルは見当たりませんでした。
 窓口の職員さんにそれとなく訊ねると、博物館の構内にはパネルは置いてありません、管轄が異なりますので、との答えでした。
 あっ、そうか、と思い当りました。パネルの管理は観光交流課、博物館は教育委員会の管轄下で、組織は別々になります。

 これも大きなヒントだな、と気付きました。市の関連施設であっても、観光交流課の管理下にあるか、もしくは関連があるところでないとパネルは無いのかもしれない、と思いつきました。
 つまり、市の施設であっても、倉吉パークスクエアのような、市立図書館や演劇ホールやプールなどの総合施設には無いだろう、ということです。観光交流課に関連した施設となると、あとは観光案内所があるJR倉吉駅ぐらいだな、と思いました。
 そこで車に戻り、県道38号線をたどって10分ほど走り、倉吉駅を目指しました。 (続く)

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キューポッシュ ガールズ&パンツァー 秋山優花里

2016年06月22日 | ガールズ&パンツァー

 コトブキヤのキューポッシュのガルパン第二弾、秋山優花里です。製品は2月8日のワンフェスで先行販売され、一般販売はコトブキヤのオンラインショップのみで予約を受け付けました。私の手元には6月8日に届きました。
 第一弾の西住みほとは、別系統の商品かと思うほどにパッケージのサイズやデザインが違います。個人的にはこういうコンパクトなパッケージの方がスペースを取らずに済むので有難いです。


 劇中のキャラクターの存在感をそのまま立体化したような、秋山優花里らしい独特の雰囲気に溢れる造形品です。笑顔や普通の表情ではなしに、熱っぽく語る時の相貌をチョイスしたあたりにも、ツボをおさえたこだわりが感じられて良いです。


 頭デッカチですから重心は上にいって、普通に立たせるのは難しいです。それでマグネット対応の台座が付属しており、この上に置けば靴裏のマグネットがくっついて安定が得られます。


 付属品は幾つかありますが、やはり双眼鏡が似合うでしょう。でも本当は測距器をつけてほしかった、と思うのは私だけでしょうか。


 秋山優花里 「さっそく偵察するであります!」


 秋山優花里 「おおっ、あれに見えるは戦車のプラモデルですよ!!」


 秋山優花里 「これはⅡ号戦車でありますねー、タミヤの。もしかして西住殿の・・・」
 (違います。それとは型式が異なります。これは以前に貰ったキットを、暇つぶしに組み立てたものですよ)
 秋山優花里 「そうだったんですかー。ガルパン戦車とは関係ないんですねー」
 (ええ、関係ありません)


 秋山優花里 「これはまさしく黒森峰女学園のラング・・・」
 (いや、これも余ってたキットを暇つぶしに組み立てたものですよ。元々はこれで黒森峰女学園の劇中車を作ろうかと思ってたんですけどね、タミヤの新キットがリリースされましたので、そちらで劇中車を製作しましたよ)
 秋山優花里 「じゃあ、こっちのラングはどうするんでありますか?」
 (いやあ、実は何も決まってないんですよ。何も考えずに、ただ暇つぶしに作りましたので・・・)


 秋山優花里 「我々のⅣ号戦車でありますね!でも、主砲がちょっと違いますね・・・」
 (お察しの通り、さきのラングの余りパーツを活用してあります。短砲身よりもこっちの方が見栄えがしますんで・・・)
 秋山優花里 「主砲以外にもあちこち転用しているパーツがあるんですか?」
 (まあ、幾つかありますね)


 秋山優花里 「こちらはタミヤのヘッツアーでありますね。ガルパン戦車のほうは、たしかアカデミーのキットで制作されたんですよね」
 (そうです。排気管とステーのパーツをこっちのタミヤキットから転用しています)
 秋山優花里 「それで余ったキットを、暇つぶしに作ったんですか」
 (そうです)


 秋山優花里 「こちらのM13/40はまだ作っていないんですねえ」
 (最近までガルパン戦車のM41を作っていましたからね、暇がありませんでした)
 秋山優花里 「そうでした、アンツィオ高校チームのM41でしたね!すると次はP40あたりを・・・」
 (いえ、リクエストを頂きましたので、継続高校チームのBT-42を予定しております)
 秋山優花里 「おおっ、いま大人気の戦車プラモデルですね!見通しは如何ですか?」
 (それが・・・、事前準備にかなり手間取ってまして・・・・、楽に作れるキットではなさそうです)
 秋山優花里 「いやいや、そこがBT-42の醍醐味なんじゃないですかあー」
 (・・・まあ、そういう考え方もありますね・・・)


 秋山優花里 「これはソ連のJS-3ですね!パッと見たらJS-2と間違えちゃいそうですねー」
 (実は、それ間違えて買っちゃったんです・・・。プラウダチームのノンナのJS-2を買おうと、まだプラッツの公式キットが出る前に探しに行きましてね、模型店を三ヵ所ぐらい回ったんですが、見つからなくて、最後に行った店で、あったこれだ、と衝動的に買っちゃったんですが、よく見たら違いましたので・・・)
 秋山優花里 「でもこのキットはガルパンのJS-2にパーツが使えますよ。履帯はピッタリなんじゃないですか?」
 (ああ、それは、そうなんですよね・・・)


 秋山優花里 「これはⅣ号突撃砲ですねー。ガルパンには出ませんでしたが、黒森峰女学園あたりで登場させてもよかったんじゃないかなー、と思います」
 (実は私も同じことを考えましてね、マウスをあんまり作る意欲が湧かなかったもんで、代わりにこれでいこう、と去年にドラゴンのキットを買ったんですよ。模型サークルの知人が見つけてくれたキットで、これを買え、と言われて買ったんです)
 秋山優花里 「どうしてそのドラゴンのキットを買え、と言われたんですか?
 (ガルパンのラングについてる排気管の偏向ノズルのパーツもそれについてたからです。偏向ノズルのパーツがついてるキットは稀なので。で、本体はマウスの代替車輌として黒森峰女学園チームの9輌目として作る積りだったんですが、模型サークルの別の仲間にどうしても売ってくれと頼まれまして、正月に手放しました)
 秋山優花里 「それで代わりにタミヤのキットを買ったんですねー!」
 (いや、買ったんじゃなくて、これも貰い物なんですよ・・・)


 秋山優花里 「ところで・・・、んん?・・・あれっ?」


 秋山優花里 「こっ、これは・・・!!まさか・・・!」


 秋山優花里 「これは入手困難なイタレリの225番!M4A1の名キットじゃないですか!!」
 (そうです。先週に見つけて購入したばかりです)


 秋山優花里 「やりましたねえ!これはアリサ殿の劇中車に全てがピッタリなんですよね、ほら、この履帯も・・・」
 (それはそうなんですけどね、ただこれの履帯パーツ、おっそろしく固いんですよ・・・)
 秋山優花里 「ノリと勢いで、ドーンと曲げてバーッと着けたらいいんじゃないですか?」
 (そんなふうに簡単にゆきますかねえ・・・)


 秋山優花里 「それでは、次の製作はこれでいってみましょうー!!」
 (さっき、継続高校チームのBT-42を予定してるって言ったじゃないですか!)


 秋山優花里 「ではM4A1の製作レポートを楽しみにいたしまして、続きはまた来週ーー!!」
 (だから、継続のBT-42だって言ってるでしょ!ってか、聞いてる?ちょっと!おおーーい!)

 ジャジャン、ジャーン!!
コメント (2)
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「倉野川」の倉吉をゆく シーズン2の5 「色々なチップス」

2016年06月21日 | 倉吉巡礼記

 大蓮寺の山門前から南に通る、「大蓮寺小路」と呼ばれる街中の細い路地参道です。ひなビタのイラストにも登場して聖地スポットの一つになっています。普段は地元の参詣客が通る程度ですが、最近は若い人が増えたと聞きます。明らかにひなビタのファンの方々でしょう。


 大蓮寺山門前に戻り、玉川沿いに東へ進みました。未発見のパネルは一体どこにあるんだろう、と地図を何度も開いては考え悩みました。朝から歩き回っているのに、一枚も見つけていないのでした。たかがパネル巡りに、こうまで手こずるとは思いませんでした。ガルパンの大洗とはえらい違いです。


 道なりに進んで、赤瓦五号館の「久楽」の前にきました。一階が民芸品店、二階が喫茶店になっています。4月のひなビタイベント時にはこの店先にもパネルがあったそうですが、現在は移動していて、その先を店員さんも知りませんでした。


 久領堤纒さんのパネルが居る赤瓦一号館に着きました。


 久領堤纒さんのパネルがこの位置に置かれるのは、GW期間まででした。通常は市役所内のデスクに置かれるのですが、観光シーズン中にはこのように「出張巡回」しているわけです。私はこのパネルを赤瓦一号館の店先でしか見ていませんが、日によっては倉吉駅などにも移動していたと聞きました。

 この時点で、JR倉吉駅がパネル設置ポイントの一つであるらしいことが分かりました。考えてみれば、倉吉観光の出入り口にあたるのですから、観光振興用のパネルがあってもおかしくありません。すると今はもしかして、別のパネルが駅に置いてあったりするのかな、と思いました。いっぺん倉吉駅に確かめに行ってみよう、と決めました。


 とりあえず、赤瓦一号館に入って、土産物販売コーナーで、何か適当な土産が無いか見て回りました。お菓子の多さが目立つのが特色の一つですが、鳥取県発の二大人気漫画である「ゲゲゲの鬼太郎」と「名探偵コナン」のコラボ商品もちゃんと並べてありました。


 しかし、最も目立つのは、チップス類です。鳥取県限定の品が多く、ポテトだけでなく色々な原料を使ってチップスにしています。上図には、牛肉が原料の「和牛チップス」、カニを用いた「カニ風味チップス」、白ネギを使用した「白ねぎチップス」が見えます。
 このうちで食べたことがあるのは「白ねぎチップス」ですが、本当に白ネギの味でしたよ・・・。


 ですが、観光客に一番ウケているのは、上図の「カニ風味チップス」、「和牛チップス」だそうです。他に「梨チップス」、「林檎チップス」、「牛乳チップス」など色々あります。
 ガルパンの大洗では、鳥取県三朝町の特産品として「ごぼうチップス」を販売していますが、あれは地元ではマイナー品にあたるようで、三朝温泉街でも一部の店しか扱っておらず、倉吉の土産物品店でもほとんど流通していません。


 さらに有名な伯耆大山乳業農協「白バラ牛乳」関連の商品も幾つかあります。西日本とくに兵庫県以西では、コーヒー牛乳といえばだいたい「白バラコーヒー」を指し、コンビニでもスーパーでも普通に売っています。ですが、その関連のお菓子などは、鳥取県限定のものが多く、倉吉でもなかなか買えないものがあります。


 土産を買って赤瓦一号館から東の街並みへ回る途中、偶然にも未発見のパネルの一つを見つけました。玉川に架かる橋からちょっと北にいったところにある、お香の店「ひフみ」の店先でした。


 これは芽兎めうです。この日の最初のパネルでした。やっと見つけた、と思いつつ写真を撮っていると、たまたま店の従業員の方が出て来られたので、挨拶して少し話をしました。

「桜まつりの時にたーくさん若い方が来てくれてねえ、パネルってこんな人気あるのん、すごい客寄せ効果があるわねえ、って私らも驚きました」
「その時もこのパネルだったんですか?」
「いいえ、その時はねえ、別のパネルでした。ここじゃなくて、あそこの角の家の窓のとこにパネル飾ってね、そこに若い人が次から次へとやってきて写真撮ってたりしてね」
「ひなビタ自体については、こちら地元の皆さんも御存知なんですか」
「まあ、知ってるって言いますか、役場の方から色々と説明受けてますし、町並み保存会の会議でも何度か話し合ってて、パネルをどのように使うか、っていうことも決まってますし」
「確か、観光交流課がパネルの管理にあたられているのでしたね」
「ええ、だから場所とか期間は向こうで決めててね、最初は桜まつりの期間だけで、って話やったんですけどねえ。でもイベントが終わってもファンの皆さんがやってこられますんで、パネルを置く期間も延長が決まりましたんです」
「なるほど」
「そんでねえ、あれだけ人が来てくれるし、今度はこっちで借りて店の前に置こうか、っていうことで改めて借りたんです」
「その、パネルを借りるというのは、やはり期間とか扱いのルールとか決まってるんですか?」
「ええ、期間は決めて、置くのは店の外でも中でも良いんですけど、汚したり壊したりしないようにきちんと管理して、というのはありますよ」
「店の中にもパネルを置いたり出来るんですか?」
「ええ、基本的には外に置いて分かるようにするんやけどもね、でもここいらは重伝建(重要伝統的建造物群保存地区)ですんで、色々と(景観保持上の)問題とかありますんでねえ、本町往来のほうだと店の中に置いてるところが多いですねえ」

 聞いていて、なるほどと思いました。そういえば街道往還筋の本町通りでは、山形まり花、春日咲子、霜月凛、芽兎めう、和泉一舞の5人ともパネルは店舗のウインドー内または施設内にあったな、と思い出しました。すると、外からは見えないような状態で店内にパネルを置いている所もありそうだな、と気付きました。
 これで、今後のパネル探しのヒントが得られましたが、既に相当距離を歩いて時間も費やした後なので、同じエリアを再探索するのであれば、次の機会に回そう、とりあえずは次の探索範囲へ移ろう、と考えました。 (続く)

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アンツィオ高校 M41セモヴェンテ 作ります!! その5

2016年06月20日 | ガルパン模型制作記

 ステップ8では砲塔や車体後部の排気管などを取り付けます。ここでもガルパン仕様への工作が幾つか加わります。


 組み立て前の車体部分と砲塔部分です。砲塔というより戦闘室と言うべきでしょうか。


 車体後部の左右につく排気管とフックのパーツを準備しました。このうち、フックのパーツB3は、劇中車のそれと形が異なりますので修正が必要です。


 公式設定資料図にて劇中車の状態を確認しましょう。右の白円がフックのパーツB3に当たります。取り付け位置は合っていますが、フックの鉤部分の向きが劇中車では逆になっています。
 次に、黄色枠内に示すように、排気管の後端下に支持棒があり、これは側面から見ますとU字形になっています。キットには該当するパーツがありませんので、プラ材などで自作して追加します。そして赤色枠内のステーも、キットでは省略されていますので、これもプラ板などで再現します。


 フックのパーツB3の鉤部分の向きを逆に直して取り付けました。排気管の後端下の支持棒も、ジャンクパーツから適当な曲線材を選んで調整し接着しました。


 ステップ6にて、取り付けを保留にしていた足掛けのパーツB15およびB16を、劇中車の位置に倣ってボルト1個分前に移して取り付けました。元の取り付け穴は埋め、新たにピンバイスで穴を開けて差し込みました。
 ですが、車体各部の形状や寸法が微妙に異なっていますから、劇中車の状態にピッタリ合わせることはもともと不可能です。大体の位置で合わせて妥協するしかありませんでした。


 左右フェンダーの後部を支えるステーをプラ板で自作して取り付けました。タミヤの新キットではモールドが再現されているものの、ステーの形そのものは省略されています。ステーを車体に取り付けているリベット2個も再現しました。


 続いて、ステップ4にて後送りにしていた、エンジンフード背面部のリベットを左右5個ずつ再現しました。


 左右フェンダーを支えるステーは片側に三つあります。先に作ったのは後部のステーでしたので、前部と中央部のステーも追加再現します。


 新キットと車体パーツを同じくする296番のパーツにはステーがモールドされていますので、それを参考にしてプラ板で二ヶ所のステーを追加しました。劇中車ではこれを沈頭式のリベットで打ち止めているようなので、リベットの再現は見送りました。 (続く)

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「倉野川」の倉吉をゆく シーズン2の4 「玉川に沿って」

2016年06月19日 | 倉吉巡礼記

 倉吉の打吹玉川地区とは、広域的には東町から河原町までの東西約1.4キロ、南北約0.4キロに及ぶ範囲を指しますが、観光エリアとしての「古い町並み」の範囲は東町から西町までの約0.7キロになります。その「古い町並み」のだいたい東半分、魚町から東仲町辺りに国の重要伝統的建造物群保存地区の指定範囲があります。

 そして西半分の範囲内には、登録文化財に指定された古建築が散在しており、これらを中心として景観の維持が図られているため、実質的には重要伝統的建造物群保存地区に準ずる扱いを受けています。上図の界隈は、その西半分の範囲の西側を占める西町のそれです。


 前回はこの辺りまで散策して、玩具店の向かいの駄菓子屋にて芽兎めうのパネルを見ましたが、このパネルも長期的に借りて設置しているものの一つだということでした。
 ここまでが観光エリアとしての「古い町並み」の範囲であるので、ここから西にはパネルはもう無いだろうと考えました。


 駄菓子屋の店先に置かれる「福の神」のひとつ、「笑門来福」の並び像です。お互いを指差して大笑いしており、「笑う門には福来たる」の故事を分かりやすく示しています。


 未発見のパネルを求めつつ道を北にとり、前回と同じく倉吉淀屋に向かいました。倉吉最古の商家建築の結構を、もう一度きちんと見て学んでおこう、と考えたからです。


 立派な商家のしつらえは、何度見ても飽きることがありません。いっぺん結界に座して番頭気分に浸ってみようかと考えたのですが、直後に修学旅行らしき中学生の団体がドッと入ってきたので、恥ずかしくなって止めました。


 この部分は、ほぼ昔ながらの状態をとどめているようです。柱が全て屋根を支える構造材であるため、これらをいじったりすると建物の骨組が崩れてしまいます。材も頑丈な木を用いて長持ちしているため、改修改変の必要がなかったものと思われます。


 屋根の下支えとなる梁は、北側で大半が修理交換されて新材になっています。以前は雨漏りがひどかったそうですので、長年の水濡れによって梁も腐朽してしまったもののようです。


 倉吉淀屋を出て、大社湯の辻から東に進み、二本目の路地で道を替え、玉川沿いの道に行きました。西仲町のほぼ中央にあたり、酒造工場の土蔵などが川に沿って軒を連ねています。


 玉川は、もともとは町並みの背後を護る防御線としての掘割が原形ですので、民家の裏口に通じる橋は、かつては移動式の仮設であったものと思われます。現在のように固定の橋となったのは江戸期になってからでしょう。


 大蓮寺の境内地が見えてきました。今では古い町並みに含まれる社寺の一つとして歴史的景観のアクセントになっている寺ですが、中世戦国期までは別の場所にあったということなので、打吹山城下の集落に付随する施設でなかったことは確かなようです。防御線となった玉川の掘割の外側に境内地がある点が、そのことを示唆しています。


 掘割のある街並みの景色、というのは、私の場合は奈良県に長く住んでいた頃によく調査していた環濠集落のそれに通じます。奈良県大和国は、中世戦国期を通じて幾多の戦乱を経ており、住民も自衛のために集落の周りに環濠を回して備えていました。規模が大きな環濠集落になると1キロ近い範囲を持つところもありましたから、ここ倉吉の打吹山城下の集落の成立過程なども、あまり変わらないイメージで捉えることが可能です。

 というより、中世戦国期の日本の各地の守護所城下集落がみんな似たような構えで、掘割や土塁などを築いて町を守っていたのです。その様相が現在もなお色濃くとどめられている場所は稀となり、その僅かな一例がここ倉吉であるわけです。
 この点が、歴史的風情の深い倉吉の街並みの、最大の特色であり魅力の一つでもあります。 (続く)

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アンツィオ高校 M41セモヴェンテ 作ります!! その4

2016年06月18日 | ガルパン模型制作記

 ステップ5では、主砲部分を組み立てます。ガイドの指示通りに進めます。


 必要なパーツを切り出しました。MMシリーズ初期の製品だけに、砲身パーツもどこか大まかな造形であり、砲身特有の質感というものがあまり感じられません。


 砲身のパーツC15およびC16を見ていて、先端のマズルの穴のモールドが気になりました。単なる窪みになっていますが、実車では穴が貫通していますし、劇中車でも同じです。


 マズルの穴ぐらいは貫通させてみよう、と思い立ち、0.4ミリのピンバイスで穴をあけてゆきました。


 右が貫通後、左が作業前の状態です。穴が貫通していると、それなりの雰囲気が出てまいります。その後、各パーツを合わせてガイドの指示通りに組み立てました。


 ステップ6では、戦闘室部分の組み立てと主砲の取り付けを行ないます。パーツB15、B16以外はガイドの指示通りに進めました。パーツB15、B16は、劇中車の取り付け位置が異なりますので、車体全体が組み上がるステップ8まで取り付けずに保留しておきました。


 主砲部分を取り付けますが、接着せずに可動とするパーツがありますので要注意です。


 左右のライトなどを組み付けました。劇中車のライトはサイズが僅かに小さいように見えるのですが、もともと劇中車の車体フレームはキットのパーツと微妙に違いますから、ライトだけサイズを合わせてもあまり意味が無いと判断しました。そこで、キットパーツをそのまま指示通りに取り付けました。
 足掛けのパーツB15、B16は、ステップ8まで保留しました。


 ステップ7では、車載機銃、ハッチ、ハンドルなどを取り付けますが、劇中車は機銃を装備していませんので、パーツC32は不要です。その取り付け穴も埋める必要があります。またハンドルのC28は形状が異なりますので、修正します。


 機銃の取り付け穴は、爪楊枝を突き刺して埋めました。この方法は、手っ取り早いうえに爪楊枝が接着剤で固まるとパテやプラ材以上の密度で固定されるため、乾燥後にヤスってもボロボロになったりしないのが利点です。

 実は、文化財修復の一手段に「填木」というのがあります。金属製や木製の造形品に出来てしまった穴などに、硬質の木材を嵌め込んで埋めるという方法です。主に樫や樺、欅、楢などの材が使用されているそうですが、これらの硬質木材は伸縮が少なく腐食にも強いので、樹脂でコーティングすれば効果が持続します。

 爪楊枝の材は主に樺ですので、その製品を使用すれば、プラ材の穴に対しても同じような「填木」効果が期待出来ます。この場合の接着剤は樹脂がわりになり、木の繊維にも浸透して密度を高め、表面をコーティングしますので、全体的には「填木」のミニチュア版と言えるわけです。作業後は一日ほど置いて乾燥させ、その後にサンドペーパーなどで処理箇所を綺麗に均せば良いです。プラ材やパテで穴を埋めるよりははるかに確実で手軽な方法ではないか、と思います。


 ハンドルのC28です。キットのパーツはこのような形状ですが、劇中車のハンドルは両端の横棒部分が無くシンプルです。


 両端の横棒部分をカットして、劇中車のハンドルの形に合わせました。


 全てのパーツを取り付けました。左右ハッチのC1、C2は仮組みのままで、これは接着せずにピットマルチ使用で開閉自在にする予定です。左右両方を開けば大きな空間が出来ますので、ねんどろいどクラスのフィギュアでも楽に乗せられます。
 そういえば、手持ちのガルパンねんどろいどぷちシリーズにアンチョビがありましたね・・・。それを乗せたら楽しいかも。 (続く)

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ガールズ&パンツァー 劇場版 ハートフル・タンク・アンソロジー (1)

2016年06月17日 | ガールズ&パンツァー

 去る5月23日に発売された、「ガールズ&パンツァー 劇場版 ハートフル・タンク・アンソロジー」の第一巻です。確実に数を増やしつつある公式の二次創作コミックシリーズの最新刊ですが、既にこの秋には第二巻の刊行も決定しているようです。
 アマゾンでの案内情報はこちら


 この本は、発売日を完全に忘れていました。昨日6月16日に本屋で見かけて買ってきました。この5、6月には本だけでなく、ガルパン関連のプラモデル、グッズ、フィギュアが次々と発売されますので、カレンダーにきちんとメモしていても、日常の多忙にまぎれてつい買い忘れたりします・・・。

 今回も色んなストーリーが描かれましたが、個人的には才谷屋龍一さんの「それいけ!大学選抜チーム」が楽しめました。登場人物全員が名前の末尾に「ミ」がつくのが笑えます。
 そうですか、カール護衛小隊のリーダーは「クミ」さんでしたか・・・。

 あと、槌居さんの「来た道、行く道」も良かったです。西住家の人々は、最終的にはこうなるんじゃないか、という私なりのイメージのままのストーリーでしたね・・・。リトルアーミーシリーズの経緯とどこかで絡めて、世界観を一本化してくれると、なお楽しかったんじゃないかと思います。


 最近にアニメイトでアンソロコミック版が並ぶのを見ましたが、気が付いたらガルパン関連はもう10冊を超えています。コミック版も同じように10冊以上あります。関連書籍を挙げれば20冊を超えます。雑誌に至ってはそれ以上でしょう。
 その全部が陳列されているのを見るのは、大手書店においても稀ですが、確実にひとつのコーナーが成立するぐらいの量がある筈です。一つのアニメにこれだけの刊行物が出ている、というのはこれまであまり無かったように思いますが、それもガルパンの人気のゆえでしょう。

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「倉野川」の倉吉をゆく シーズン2の3 「古民家の弁天様」

2016年06月16日 | 倉吉巡礼記

 打吹公園通りと本町通りの交差点に面する「あきない塾」の建物です。辻に面する店舗建築は、昭和初期まではこのように隅部を面に仕上げて出入り口を設けるのが一般的でしたが、その現存例はいまでは稀になってきています。
 というのは、都市再開発事業などで道路拡張などのケースが実施されると、こうした建物がまず立ち退きとなって解体され消滅してしまうからです。古い町並みのある地域は多いですが、いずれも街路は改修を何度か受けるのが常ですので、通りや交差点に面した建物はたいていは何らかの改変を受けるか、消滅してしまっている場合が少なくありません。
 こうした建物が残されているところに、倉吉の街並みの保存度の高さがうかがえます。


 「あきない塾」の向かいの建物は、建て直されて近代店舗の型を示していました。


 今まで何のお店か知りませんでしたので、店先の看板を見てみました。どうやら喫茶店のようです。機会があったら一度入ってみましょう。


 高田酒造さんの重厚な建物の構えです。軒先の腕木の形式などを見るまでもなく、倉吉の古商家建築の中でも指折りの歴史的遺産であることが、雰囲気でも察せられます。歴史の香りは、建物の形や姿からというよりは、重ね行く風雪に耐えたその佇まいにこそ、漂っているのだと思わせられます。


 観光客の何人かが店内に進んで行きました。看板を見ると御覧の通りでしたが、私は酒を飲みませんので、こういった商品には縁がありません。


 付近には、既に廃業しているものの、店構えには昭和の情緒を色濃く伝える建物が少なくありません。こういう建物は、使命を終えれば取り壊される場合が多いのですが、倉吉では空き家同然になっても、そのまま保たれているところが多いです。


 国登録有形文化財の豊田家住宅です。打吹玉川地区の重要伝統的建造物群保存地区とは離れていますが、町並みの中に散在的に残る古建築を文化財に指定しておくことで、その周辺地域は、重要伝統的建造物群保存地区に準ずる扱いとなります。景観保護法の併用によって、周りの街並みの景観もなるべく旧態を維持するように促されるためです。


 ひなビタのキャラクターパネルは、前回と同じ霜月凛でした。訊ねたところ、ここのパネルは長期的に借りている、との事でした。お店や施設によって借りる期間が異なっている、というのを今回初めて知りました。


 内部の見学は前回に済ませましたので、今回は土間から撮影するにとどめました。


 土間の脇には三体の「福の神」の木像が並びます。山本竜門氏作の「ほほえみ大黒」、小谷和上氏作の「三面大黒天」、そして上図の仲倉裕朋氏作の「弁財天」です。


 中世の仏像彫刻ふうの情感を現代風に編み直したような、いい雰囲気の彫像です。良く似た像をどこかで見かけたなあ、と思ってしばらく記憶の底をまさぐりました。程なく、東京芸大博物館蔵の竹内久一氏作の伎芸天像、と思い出しました。
 どちらも、鎌倉期の慶派仏師系列の彫像遺品をモデルにしているとみられ、精悍な相貌や理知的な眼差しが似通っています。髻を高く結って髪を耳前に肩まで垂らす点も、天平彫刻に学んでこれを再編成した鎌倉期の美的意匠の型をよくうかがわせています。
 私は長く仏教美術史を勉強していましたので、こういった彫刻作品があると、楽しくなってしばらく眺めていることが多いです。 (続く)

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