気分はガルパン、ゆるキャン△

「パンツァー・リート」の次は「SHINY DAYS」や「ふゆびより」を聴いて元気を貰います

ガルパンの聖地 ・ 大洗を行く14 その9 「夕方の街と港です!!」

2015年02月13日 | 大洗巡礼記

 永町商店街に移動し、蕎麦屋「大進」の前に着きました。マフラーを巻いた園みどり子が居ました。蕎麦を食べてゆこうかな、と考えましたが、まだ空腹では無かったので次の楽しみにとっておくことにしました。


 斜め向かいのみつだんご屋「たかはし」は、お店の方の午後の休憩タイムにあたっていたのか、戸は閉められて店内には人影が見当たりませんでした。


 続いて玩具店「タグチ」に立ち寄ってショーウインドーを見ました。ここの展示品を見るのが私の大洗での楽しみの一つです。


 今回は、秋山優花里のフィギュア作品が三つも並べてあったのが目立っていました。ネット上で紹介されていたガレージキット商品の一種だったかと思いますが、実物を見るのは初めてでした。意外に大きいな、と感じました。


 三点のうち、真ん中の作品がオリジナルっぽく見えました。仕上げも彩色も綺麗で、プロのモデラーさんの手になるものであろう、と推測しました。


 左の展示棚にはティーガーⅠが二輌あり、ガルパン仕様とドイツ軍仕様になっていました。ガルパン仕様の車輛にはねんどろいどの西住みほが黒森峰女学園の制服姿で搭乗していました。二輌のティーガーⅠの間にはⅣ号戦車D型あんこうチーム仕様が置かれ、キューポラには「にいてんご」シリーズの西住みほがおさまっていました。
 比較してみて、改めてティーガーⅠの大きさが分かりました。しかもカッコイイです。私のガルパン戦車の次のキットはティーガーⅠにしようか、と思いました。現時点で大洗女子学園の八チームの戦車が出揃っていたので、黒森峰女学園チームの戦車を作ってみるのも面白そうです。


 向かいの永町駐車場の出入り口左脇には、真新しい文化財解説板が設置されていました。この北側の丘陵上に位置する磯浜古墳群および磯浜海防陣屋跡についての説明と図面があり、後者はガルパンファンのなかではウサギさんチームの試合観戦シーンのあった「おでぃば山」に相当する場所として知られています。


 髭釜商店街から大貫商店街へと走り、水浜線大貫停車場跡の駐車場を見ました。来年春には新道が作られて廃線跡の一部が消滅することになります。


 水浜線大貫停車場跡の駐車場の周囲の建物も、新道敷設に先だって立ち退きとなる予定です。西側の「お好み焼き道」もやがて解体移転となるそうですので、その壁にはファンの方々によるお別れ記念の落書きが沢山描かれてありました。


 なかでも上図の大野あやのイラストは秀逸の出来です。しかも高い位置に描かれているので目立ちます。これだけは壁ごと保存しておくほうがいいのではないでしょうか・・・。


 斜め向かいの「金子屋薬局」は立ち退きを機に店をたたむそうです。建物も解体される予定ですが、劇中でⅢ号突撃砲F型が路地からの横撃を成功させた場所なので、聖地がまた一つ消えてゆくわけです。


 レストラン「大野屋」も立ち退きとなりますが、お店は移転後も営業するとのことです。


 町営駐車場を斜めに横切りました。マリンタワーが夕陽に染まり始めていました。レンタサイクルの返却時刻まで30分ぐらいになったので、最後に大洗港で海を眺めよう、と思いつきました。


 港湾の岸壁に着きました。大洗マリーナの北の道を終点まで行き、そこから平和祈念公園の方に回ったところにあたりますが、この場所まで行ったのは今回が初めてでした。


 北にみえるフェリー埠頭には、苫小牧行きの「さんふらわあ」が出航を控えて接岸中でした。機会があったら、大洗に五日ほど滞在し、真ん中の三日ほどをフェリー往復の旅にあてて楽しむのも良いだろうな、と思いました。旅行や歴史散策が趣味で全国各地へ行きましたが、北海道だけはまだ行ったことが無いからです。 (続く)

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ガルパンの聖地 ・ 大洗を行く14 その8 「かあちゃんの店です!!」

2015年02月12日 | 大洗巡礼記

 大洗漁港の向かいには、大洗のグルメスポットとして有名な「かあちゃんの店」があります。一般観光客にも人気のお店で、最近には横に二階建ての別館がオープンしました。


 今回はここで昼食をいただきました。時間は14時前と遅かったのですが、12時から13時台に行くと行列になって待つことが多いので、アウトレットレンタサイクルの利用時間帯と絡めて時間をずらしておきました。おかげで店内は空いていて、すぐに席につくことが出来ました。もうピークは過ぎたかな、と考えたのですが、直後に団体客が二組も来て、また行列が出来ました。平日でも大繁盛のお店です。


 メニューの幾つかは完売していましたので、今回は「しらす釜揚げ丼定食」をいただきました。以前に一回入った時は「刺身定食」をいただきましたので、このお店の看板メニューである「しらす丼」は今回が初めてでした。


 「かあちゃんの店」の西隣にはカニ飯やカニ汁のお店「弥七」が並びます。この日もカニの香りがただよっていて、食べていこうかなと考えたのですが、やめておきました。大洗に居ると色々な所で食べたくなり、時には食べ過ぎてしまいかねないのですが、健康第一として食べ歩きは控えることにしました。


 私の大洗での定宿、「さかなや隠居」の東玄関です。本来はこちらが表玄関にあたり、かつて水浜電車が走っていた頃は、曲松停車場の広場からこちらに来て入るのが常だったそうです。今回は、水戸の友人宅に泊めて貰うことになっていたので、この宿に泊まるのは次の機会になりました。


 ぶらぶらと走って「石福青果店」に立ち寄りました。店主の石井さんは外回りに出かけておられたので、奥さんと少し雑談をしました。奥さんは私のことを「隠居の常連さん」と呼びます。


 店内のガルパンコーナーです。年末の大掃除の際に少し整理した、ということでしたが、一見した限りではそれほど変化していないように思えました。展示物などの位置を整えた、という程度だったのでしょうか。


 隣の「国井屋」にも立ち寄り、お茶と海苔を購入しました。


 この日利用した二台目のレンタサイクルの記念撮影を兼ねて、お店の外観を撮りました。


 続いて「さかなや隠居」に立ち寄り、女将さんに挨拶しました。次の2月にガルパンファン仲間の二人とこの宿に泊まることになっていたので、その予約の確認も兼ねて少し雑談をしました。今度は土日に泊まることになりますが、土曜日にあたる1月31日だけはこちらの宿も満員状態になっているということで、私たちの予約が取れたのが奇跡的でした。土曜日は一般観光客の利用が多い、ということでした。


 向かいの路地に入って進んでみました。西福寺の裏山に至る道に通じていることが分かりました。


 「年宝菓子店」にも立ち寄り、飴とミリカンを購入しました。


 店先の自販機の側面には、曲松商店街の謹賀新年ポスターとお店の手製の迎春ポスターとが並べて貼られていました。手製の迎春ポスターに描かれるキャラクターは、秋山優花里ですかね・・・。


 「鳥孝」に立ち寄り、先ほど寄贈した同人系缶バッジがおさめられているのを記録撮影しておきました。この3月に大阪でアニメファンの交流イベントが予定されていることを伝えると、稲石さんは「またガルパン同人バッジの新作が出てくるのかね?」と問い返してきました。このお店に既に寄贈している同人バッジを出している海外のサークルも参加するらしいので、ひょっとしたら出るかもしれませんよ、と答えておきました。
 それよりも、この1月から関西主要テレビ局でもガルパンの全12話が放送されるので、それによって関西地域のガルパンファンが増え、その同人サークルでのガルパン同人バッジが新たに出る可能性の方が高い、と思います。


 公式缶バッジの陳列ボードは既に一杯になっていました。もう一枚増やすかな、と言いつつも、奥の窓の所にかけてある私の自作ガルパン缶バッジの陳列ボードを指して、「あれの続きのバッジはまだ作っていないの?」と聞いてきた稲石さんでした。そういえば、まだ9種の戦車デザインが残っているのでした。次の訪問時までに作って持参しますよ、と約束しました。 (続く)

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黒森峰女学園 ティーガーⅠ 作ります!! その1

2015年02月11日 | ガルパン模型制作記


 去年2014年の年末に大洗女子学園の全8チームの戦車が出揃いましたので、今年2015年からは黒森峰女学園チームの戦車も作ってみることに決め、その一番手として西住まほ隊長の搭乗車であるティーガーⅠを選びました。
 キットは既に購入済みで、他の黒森峰女学園チームの戦車のキットと共に積んでありました。上画像のタミヤの製品で、MMシリーズ216番の初期生産型です。 


 このキットをそのまま組むと、実在のドイツ軍の車輛の姿に仕上がります。ガルパン仕様で作ると上画像のような姿になります。ティーガーⅠのキットは複数のメーカーから幾つかリリースされていますが、西住まほの搭乗する劇中車は初期型のタイプであるので、これに最も近いキットが、今回選んだタミヤの製品です。組み立て易いので、初心者レベルの私にも扱えるでしょう。


 箱の中身です。国産品なので事前の洗浄が不要であり、かつ制作ガイドも見やすく、ランナーの数やパーツ数も適切なレベルでまとめられています。プラッツやドラゴンのキットにはない安心感があるうえ、前回の制作がポルシェティーガーでしたので、似たような重戦車をもう一輌作るんだな、という気分でした。
 事前に制作ポイントを調べてノートにまとめましたが、思ったより改造箇所も少なく、あっても簡単な工作で済むところばかりなので、気楽に楽しんで作れそうだ、と考えました。


 制作ガイドの冒頭には、このキットで作ることが可能な6種類の形式が示されますが、ガルパンの劇中車は装備品が全てついていないCタイプに相当します。上から三番目の「第504重戦車大隊第1中隊131号車」の形式になります。

 ステップ1では、ドライブスプロケットつまり起動輪を組み立てます。Cタイプで作るので、左側の初期型の方を選びます。


 ランナーには二種類の起動輪パーツがついていますが、使用する初期型のパーツは中央のボルトが平たいもので、B10およびB4を組み合わせます。


 左右の起動輪を組み立て終わりました。聞くところによれば、劇中車はこのタミヤの初期型キットを参考にしてデザインされたそうです。確かに相違点がほとんど見当たらず、CG画像処理数の軽減のためにOVM類を全て外した姿にまとめられたという感じです。


 ステップ2では、車体に背面部やサスペンションアームなどを取り付けます。このうち、背面部パーツのE2においてガルパン仕様への小改造が一ヵ所あります。


 背面部パーツのE2です。その左端の枠内にカマボコ状の出っ張りがモールドされています。たぶんバックライトではないかと思います。


 公式設定資料図をみると、黄色円内の該当箇所に、そのカマボコ状の出っ張りが見えません。バックライトであれば、無いと困るのでしょうが、劇中車にはついていませんので、戦車道に使われる戦車においては、重要な部品ではないのかもしれません。


 そこで、カッターやラインチゼルなどで削り取りました。小さな部分なので、削るのに苦労しました。


 車体パーツの前にサスペンションアームのB15を並べました。起動輪軸のB9、誘導輪軸のB25は接着済みで、背面部パーツのE2も取り付けました。


 全てのサスペンションアームを接着しました。太ったムカデを見ているような感覚に襲われました。


 ステップ3では、ホイールつまり転輪を二種類、そしてアイドラーホイール、つまり誘導輪を組み立てます。ガイドでは塗装の指示がありますが、塗装は組み立てが全て終わってから行ないます。
 ステップ4では、転輪をサスペンションに付けてゆきます。


 ティーガーⅠの転輪は大きくて組み立て易いです。


 スラスラと組み立てて、二種類の転輪と誘導輪の全てを完成させました。


 ステップ4の指示に従って、転輪を順番に取り付けてゆきました。交互に配置される形式なので、ゴム部分の塗装がかなり難しそうです。またポスカのお世話になるかもしれません。


 ステップ5では外側の転輪B6を取り付けます。予備履帯は装着しませんので、予備履帯のF47と留め具のF51は不要です。またB16も不要です。


 ステップ5の工程を完了しました。改めてこの戦車の転輪の多さに驚かされました。57トンもの車体重量を支えるべく転輪を多くし、それらの接地圧を分散し低減するために千鳥式配置にしているわけですが、これはメンテナンスが大変だったろうなあ、と思いました。
 内側の転輪が破損したりして修理が必要となった場合、その外側の転輪も全部外さないといけないからです。


 横から見ました。大きな箱型の車体を、たくさんの転輪が支えているという姿です。車体の装甲は分厚いことで知られますが、転輪部分に被弾するとダメージが大きかったと聞いています。修理するだけでも大変ですから、破壊されたらそれこそ行動不能になってしまったのでしょう。 (続く)


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ガルパンの聖地 ・ 大洗を行く14 その7 「二台目のレンタサイクルです!!」

2015年02月10日 | 大洗巡礼記

 「ベリークルーズ」さんのレンタサイクルの午後からの利用時間は13時半からの三時間となっていました。午前中の三時間からそのまま続けて借りることは出来ないかと聞きましたが、一回三時間と決まっているので、続けて利用する場合でもいったん返却して、再度貸し出し手続きをして下さい、とのことでした。不便なシステムですが、以前からそういう形でやってきているそうなので、他の利用客は不便に感じなかったのかもしれません。
 とりあえず、次の利用時間まで、アウトレット施設の一角にある展望所に登って景色を楽しみました。上図はマリンタワーです。


 マリンタワーの周辺の街区や港湾施設もよく見渡せました。マリンタワーから見下ろすよりも浅いアングルで俯瞰出来ますが、かえって広がりが感じられます。


 トラックヤードおよび埠頭です。


 トラックヤードからフェリー埠頭のターミナルビルを見ました。


 南にはリゾートアウトレットの施設の屋根が広がります。


 遠くには、大貫台地の北端の地形も望まれました。


 展望所の内部です。四方の窓から風が吹き抜けるため、かなり寒かったです。夏場は涼しいんだろうな、と思いました。


 展望所からは、まいわい市場の建物はこのように見えました。


 去年12月下旬まであった大貫商店会歴史ギャラリーの跡地です。看板も真っ白になっていて、どこか空しさをただよわせていました。


 午後からの三時間利用した、二台目のレンタサイクルです。M3中戦車リーのデザインでした。「ベリークルーズ」さんのガルパンレンタサイクルには、あんこうチームメンバーの五人のデザインと、大貫商店会の戦車五輌のデザインとがありますが、前者はマウンテンバイク、後者はママチャリのタイプです。


 大洗漁港に行ってみました。すでに漁は終わって漁船群が係止されていました。右奥にマリンタワーが見えました。


 漁船は、一隻一隻が独自の形状をみせていて、いわゆる同形船というのがあまり見当たりませんでした。一隻ずつ個別に注文を受けて建造されるからでしょうか。 (続く)

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ガルパンのパロディ??

2015年02月09日 | ガールズ&パンツァー

 上画像は、アニメファンの間では「ガールズ&パンツァー」のパロディであると指摘されているワンシーンです。大洗にひっかけて「大笑い」しているキャラクターは、髪形といい、服装といい、キャプテン磯辺典子によく似てますね・・・。
 このシーンが登場するアニメは私もよく知っています。パロディ満載のラブコメディーなので、各話の至るところにアニメやコミックや映画や有名人などのパロディがちりばめられています。ガルパンより後に制作されて2014年にテレビ放送されていましたから、ガルパンのパロディが含まれていても不思議はありません。


 このアニメは「のうりん」といいます。公式サイトはこちら。岐阜県の美濃加茂市が舞台で、主人公たちの在学する農林高校がメインステージですが、実在の農林高校をそのまま設定に採用していることで知られます。手前のキャラクターは「ゆかたん」こと草壁ゆか、その右肩に乗っているのはワラビーの「若旦那」です。


 これが「のうりん」の主なキャラクターです。左から良田胡蝶(よしだこちょう)、過真鳥継(かまとりけい)、中沢農(なかざわみのり)、木下林檎(きのしたりんご)、畑耕作(はたこうさく)ですが、主人公は一番右の畑耕作で、最初の「大笑い」シーンの人物でもあります。素でもどこかガルパンの磯辺典子に似た雰囲気がありますので笑えます。
 さらに過真鳥継も、ガルパンの河嶋桃にどこか似ているんですね。磯辺典子や河嶋桃の男性版が登場してるなー、と思って観ていた記憶があります。


 「のうりん」には数多くの名シーン迷シーンがありますが、一番有名なのが、上図の良田胡蝶が無精卵について簡潔に力説するシーンでしょう。農業県でもある岐阜県は養鶏業も盛んで、各地にブランド卵があって人気も高く、卵かけ御飯の材料として、美味しい無精卵などがアピールされています。無精卵についての知識はこちら


 で、良田胡蝶の力説シーンがあまりにもウケ過ぎて、ついにはアニメ内での創作キャラクターまで登場してしまいました。この萌えキャラの名前も夢星らん(むせいらん)ですから笑ってしまいました。


 で、ついには夢星らんが無精卵をアピールする「もえたま(萌えたま)」コンテンツまで登場してしまったのですが、これが実際の岐阜県発の新たな卵ブランドと勘違いされ、ツイッターやネットなどで拡散して数々の混乱と騒動を巻き起こしたことは周知の通りです。
 しかし、それだけでは終わらずに、岐阜県のサッカークラブが関連特典商品として本当に岐阜県養鶏卵を「もえたま」として発売、ファンが殺到したというオマケつきです。詳細は岐阜FC公式サイトの記事をどうぞ。
 ガルパンが水戸ホーリックとコラボしているように、岐阜FCも「のうりん」とコラボしており、密着度は「のうりん」の方が強いようです。関連のイベントでよく岐阜県の特産品や農産品が販売されるので、それらの方が目当てという人が多いです。かくいう私も、どうしても「濃姫いちごゴーフレット」が欲しくて予約までしたぐらいです。あれは本当に美味しんですよ、高いけど。


 で、ガルパンと同じように「のうりん」も献血イベントが時々あります。日本赤十字社はアニメ人気の効果をよく分かっていらっしゃるようです。

 「のうりん」は、アニメとしての人気度はガルパンに及ばず、円盤の売り上げも少なく、ご当地アニメとしては失敗作のほうに数えられているようですが、舞台の美濃加茂市が風光明媚な土地であるうえ、アニメに登場する地域が周辺の市町村に及んでいて観光エリアとも重なるため、アニメファンの聖地巡礼のほうはかなり盛り上がっていて、舞台の美濃加茂市もバックアップしています。「のうりん」聖地巡礼の記事はこちらこちらこちらこちら。現地でのイベント等を含めて聖地巡礼をサポートしている美濃加茂市観光協会のツイッターはこちら
 さらに面白いのは、「のうりん」の原作者である白鳥士郎さんがノリノリな方で、自身の作品の聖地巡礼をファンと共に楽しんでおられるほか、関連イベントに出席して色々と盛り上げているようです。そのブログはこちら

 この「のうりん」は、私も結構好きなので、原作のライトノベルも全巻読みましたし、テレビシリーズも全部観ました。ですが、現地へはまだ聖地巡礼に行っていません。行かなくても、大体分かるからです。
 実は、私の実家のある地域は、美濃加茂市のすぐ近くです。実家から「のうりん」の主舞台となった農林高校までは車で20分ぐらいで行けます。「のうりん」に登場する場所の多くは知っていますし、行ったこともあります。劇中では「愛生」として登場する郡上市八幡町相生あたりは景色の綺麗なところで、近くには史跡や温泉や観光地も多く、よく行きました。劇中に登場する長良川鉄道にも何度か乗っています。ガルパンの鹿島臨海鉄道とよく似たローカル鉄道で、清流長良川に沿って走るので良い景色が多く、終点の北濃は霊峰白山の美濃馬場(入峰口)として知られます。

 ガルパンブームが一段落したら、「のうりん」の舞台巡りをしてみるのもいいですが、実家に帰省する感覚の延長上にあるという感じなので、ガルパンの大洗へ行くような旅気分というものは、あんまり味わえない気がしますね・・・。

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ガルパンの聖地 ・ 大洗を行く14 その6 「様々な大洗の景色です!!」

2015年02月08日 | 大洗巡礼記

 登城遺跡から大洗の市街地に戻った後は、レンタサイクルの返却時間まで適当にあちこち回りました。上写真はおなじみ大勘荘さんの店先です。丸山紗希も居ました。


 大勘荘さんの前庭に設けられたビアガーデンの登り段に置かれた注意書きは、劇中の丸山紗希のセリフのパロディです。元のセリフは「薬莢・・・捨てるとこ」でしたね。


 水浜電車廃線跡の横にある神社境内地が、移転にともなう発掘調査を最近に実施したと聞きましたので、そちらにも行ってみました。この境内地も新たな道路の計画範囲にあたっているそうです。線路脇の護岸石列が綺麗な並びの姿になっていましたが、これも撤去される運命にあるということでした。


 祠が建っていた辺りに最も深くトレンチが入れられ、L字型に試掘がなされていましたが、黒土の盛り上げの層が分厚く、茶色っぽい地山の表面は1メートル以上下に見えました。つまり、神社境内地の微高地自体が土を盛り上げて造成されていたことになりますが、この人為的な造成というのは、神社においては古墳であるケースが多いです。それで、大洗町教育委員会も、古墳の可能性を視野に入れて調査を実施したのかもしれません。


 見渡したところ、どうも古墳でも遺跡でも無かったようでした。かつての神木の根の下まで掘り下げてありましたが、遺物の包含層にも突き当たることが無かったらしく、さらに掘り下げた形跡がうかがえました。


 髭釜地区を移動中に、劇中でカバさんチームの下宿先として登場した古民家を見ました。手前の老木の葉が全て枯れ落ちて無くなっていたので、建物の外観が初めてよく見えました。


 鳥孝さんに立ち寄り、店主の稲石さん夫婦としばらくおしゃべりしました。この日もガルパン缶バッジのアニメイト品と同人系品の一個ずつを寄贈させていただきました。


 石福さんの駐車場の籠の中の桃助です。カメラを向けるとシャキッと前足立ちのポーズを決めてカメラ目線になりました。アイドル顔負けですな・・・。カメラを下すと、途端に籠の縁に飛びついて首を突きだし、何かよこせ、モフモフしてくれ、というように前足をバタバタさせて催促してくるのでした。


 カワマタさんにも挨拶し、少しおしゃべりしました。まいわい市場へ卸す商品の製造中でしたので、あまり邪魔をしてはいけないと思い、三分ほどで退出しました。


 返却時間が迫ってきたので、一気にリゾートアウトレットへと駆け戻りました。返却前に「ベリークルーズ」さんの前で記念撮影しておきました。午後から二回目の利用をする予定なので、それまでリゾートアウトレットの施設内でのんびりとぶらついて過ごすことにしました。


 キラキラクレープさんの背面の戦車パネルは、去年春のペイントのままでした。ガルパン戦車ブームも一段落しているせいか、これ以上のカスタマイズは無いようでした。


 まいわい市場に行き、ガルパングッズ販売コーナーを見ました。新グッズの発売もピーク期を過ぎているようなので、種類も数も落ち着いた感じになっていました。月刊戦車道やガルパン新聞などの印刷物の方が目立っていました。


 壁にかけてあった優勝旗です。劇中に登場した優勝旗を完全に再現してあり、これを作ってしまう気合いとノリノリ感の半端無さがあらためて感じられました。アニメの聖地ではどこでもそうですが、劇中に登場したものを冗談半分で本当に再現してしまう、というのは最高の楽しみ方であるようです。


 お酒の陳列コーナーには、ガルパン関連商品も並んでいました。最近は下段の角谷杏のお酒を買う機会が増えました。お酒が飲めない私ですが、杏のお酒は味が梅酒に似ていてジュース感覚で飲めると分かったので、これまでにもココストアなどで購入しています。 (続く)

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ガルパン公式缶バッジとネットオークション

2015年02月07日 | ガールズ&パンツァー
 周知のように、この1月15日から関西ABCテレビでガールズ&パンツァー全12話が放送されています。深夜帯ながらも、関西地区の主要テレビ局からの放送としては初めてであり、これによってガルパンを初めて観て知った方も多いようです。
 そのせいか、先週に大阪で開かれたアニメ交流イベントでは、ガルパンの話題がけっこう出ていました。高校生や大学生ぐらいの若い人々が一気に魅せられてファンになり、興奮気味にガルパンの感想を述べたりしていました。関西地区では、これまでガルパンファンの層が薄かっただけに、これからの展開が楽しみなところです。

 実は、放送開始の1月15日からの10日間ぐらいの間に、拙ブログのコメント欄などに幾つかの問い合わせの投稿がありました。模型サークルなどの知人からも電話がありました。


 問い合わせで最も多かったのが、ガルパンの公式缶バッジに関するものでした。どこで買えるのか、ネットオークションで売っているのはどういう種類のバッジなのか、の二種類に大別されました。

 これらの問い合わせに接して、改めてアニメファンがよく買うグッズの一つが缶バッジであることを思い知らされました。
 普通ならアニメの缶バッジというものは、アニメイトなどのアニメグッズ専門店で購入出来るものなのですが、ガルパンの公式缶バッジは聖地の大洗でしか入手出来ないので、そのことを知らない新規ファンが色々と探し回り、ついには拙ブログにまで問い合わせてきた、という流れでしょうか。こちらも折に触れて大洗ガルパン公式缶バッジの紹介を行い、中間報告の記事も定期的にアップしていますから、検索すればたいていひっかかるのでしょうね・・・。

 考えさせられたのは、ネットオークションで売っているのはどういう種類のバッジなのか、という問い合わせの方でした。大体は最近に出された缶バッジが多いのですが、いまでも大洗で普通に入手出来るものが多く、100円で買えるものもあります。限定品もありますが、幾つかは大洗の各店舗に在庫があるので、場合によっては買い物などの特典として貰えるものもあります。

 たとえば、上写真の上の方の公式缶バッジは去年夏の八朔祭あたりの頃から、今年の1月までの時期に入手したものを順に並べていますが、これらの多くがネットオークションにも出品されています。価格は高めで、平均して三倍から五倍ぐらいになっているようです。大洗では100円で販売されている品が、ネットオークションでは1000円から3000円ぐらいで出品されているケースも見かけるので、沢山集めるのであれば、かえって損になるのではないかな、と思います。そんな金があるのなら大洗へ行って巡礼を楽しみながら集めた方がいいのではないかと思います。


 ですが、古い時期のものになると、ネットオークションでの出品例も激減します。大洗でも入手出来ないものが多いですから当然といえば当然なのですが、こうした希少品であればかなりの値がつくと思われます。でも、そうした古い時期の希少品は、ネットオークションでは滅多に見かけないのです。他のアニメの缶バッジでは、初期段階のレア品でも時々見かけますが、ガルパンのそれは全然出てきません。オークションに出品している人の大部分が、ガルパン公式缶バッジの希少品などの情報を全く知らないか、そうした品を全然入手出来ていないかのどちらかでしょう。

 私自身もそうなので分かるのですが、本気でガルパンに親しんで大洗にも何度も出かけているようなファンにとっては、缶バッジ一個でも大切な記念品であり宝物です。滅多なことでは手放さないのが普通ですし、ずっと大切に持って思い出とするケースが殆どではないでしょうか。だから、初期の缶バッジほど、ネットオークションでは出てこない筈です。今も在庫がやたらにある品は別ですが。

 問い合わせの中には、ネットオークションに出ている大洗校章デザインの公式缶バッジは初期の品か、というものもありました。実はこれがある意味落とし穴でして、いま入手出来てネットオークションにも出ている品は、だいたい去年夏からの第三期生産分であるようです。
 これは校章部分がやや小さめにプリントされているので、第二期までの生産分との識別はきちんと見比べたら可能です。見た目には同じに見えるので分かりにくいかもしれませんね。第一期生産分はデザインロゴが違いますし、第二期生産分はプリントエラーによる変色分も含まれていて、そちらの方が希少価値があります。でもそういうのはネットオークションでは稀にしか見かけませんから、初期の公式缶バッジは、ネットオークションではまず入手出来ないとみておくのが無難でしょう。なにしろ大洗へ出かけても入手出来ないのですから。

 したがいまして、これからファンになった方々には、これから大洗へいく機会を少しでも作って、聖地巡礼を楽しみながら、入手可能な公式缶バッジをあちこちの店舗で貰ったり買ったりする、という有り方をおすすめしたいと思います。
 なお、缶バッジの収集だけが趣味でネットオークションでの入手に頼るというケースもあると思いますが、現時点で知られている大洗ガルパン公式缶バッジのうち、ネットオークションで得られるのは半分以下に過ぎないであろう、と感じています。

 なお、私自身はいつも大洗行きにてガルパン公式缶バッジを幾つか入手しますが、多い時では50個ぐらいになりました。仮にこれらをネットオークションで買い集めた場合、どれぐらいかかるのかを、一度試みにネットオークション上の販売価格をもとにして計算したことがあります。その総計額は、私の大洗行きの交通費や宿泊費や食費や缶バッジ購入などの総費用額をはるかに超えてしまい、びっくりさせられたことがあります。

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ガルパンの聖地 ・ 大洗を行く14 その5 「遺跡からのメッセージです!!」

2015年02月06日 | 大洗巡礼記

 登城遺跡の遺構のうち、発掘調査にて確認された範囲においては堀や溝、建物跡などがあり、発掘終了後は埋め戻さずにそのまま放置されていました。当時、現地はすぐに開発工事が始められて遺跡も破壊される計画でしたが、周知のように開発計画が頓挫し、遺跡の放置状態も長引いて、結果的には草薮になってしまっています。


 だから、発掘調査で確認された堀跡などは、流れ土などで埋まっているものの、なお形をとどめて草薮の中に残っていました。上写真は、四号堀の現状です。伐採した木や枝葉などを投げ込んであるのでほとんど塞がってしまっていますが、位置は明瞭に識別出来ました。


 今回、重機が地表面の削平を進めていた範囲は、城跡の発掘調査範囲にて遺構や遺物が集中的に検出されたⅠ郭およびⅡ郭の東半分にわたります。そのなかには土橋状の虎口、水戸違いの施設などもあって、この城跡の中心的な区域であったことがうかがえますが、いまは全て車道計画線の盛り土の下に消え、一段高い郭面は削られて、遺構面は完全に消滅しました。


 Ⅰ郭の南側からⅣ郭にかけての東側も、御覧のように大きく削られ、約1メートルほど下がっています。東端の切岸は埋められて、車道部分を確保すべく大規模な盛り土がなされました。それで台地上の平坦面がさらに広がった形になっています。


 このように東側の遺構を全て失ってしまうと、残された遺構の輪郭はぼやけてしまいます。かつての遺構の全体像を見て知っていなければ、どこまでが遺跡であるかが識別出来なくなります。半分は残るから大丈夫だ、というような問題ではありません。
 遺跡は、全体像が誰の目にも明らかな状態であって初めて、遺跡としての真価を発揮しますから、全部が保存されなければ意味がありません。半壊状態では、全壊状態とあまり変わりません。


 この遺跡を破壊して設置される道路も、国道や県道といった重要な交通路線であるならば仕方が無いのですが、南側に計画される公園地区への導入路であると聞いています。その公園地区計画というのは自然環境とともに歴史遺産をも保護するという目的があるそうなのですが、その対象遺跡は、登城遺跡の尾根の南側に分布する古い時代の遺跡であるようです。
 つまり、古い時期の遺跡を守るための公園地区への道路を、新しい時期の城跡を破壊することで確保しようとしているわけです。それは果たして文化財保護のあるべき姿でしょうか。遺跡保存という目的があるならば、登城遺跡も含めて保存すべきではなかったか、ということです。これが、破壊されてゆく登城遺跡からの、最大のメッセージだと受け止めています。


 遺跡だけでなく、自然環境への負荷も大変に大きいです。もとあった谷間の半分を埋めて車道が計画されること自体、自然環境の保護という目的とも矛盾しています。この谷間は、歴史的にみると登城遺跡の東側の天然の堀という機能をもっていたはずなので、自然環境であると同時に遺跡範囲にも含まれていたとみるべきです。その景色も大きく変わってしまいましたので、景観も破壊されたわけです。


 谷間に降りてみました。動き回っている重機がかなり高い位置に見えましたので、もとの城跡の切岸面がいかに高かったかがしのばれます。その高さを頼んで防御線と成した、中世戦国期の城跡でした。


 重機が北へと進んで次の作業に移っていきました。谷間には、かつての廃棄ゴミが数ヵ所にまとめてあり、この辺りも不法投棄の場所であったことを物語っていました。
 茨城県に限らず、中世戦国期の城跡や遺跡は、辺鄙な山の中や市街地から離れた丘陵地に分布することが多いので、産業廃棄物の最終処理場やごみ捨て場、不法投棄のエリアなどに近接または該当してしまうケースが少なくありません。


 そんな中、まだ姿を保っていたⅡ郭北側の土居跡と堀切跡です。それらを分断している鉄板敷きの仮作業道と比較すれば、その形状がよく分かります。


 レンタサイクルの返却時間が近づいてきたので、遺跡見学を切り上げて工事現場の出入り口に向かいました。


 千代田テクノルさんの正門付近にとめてあったレンタサイクルを、記念に撮影しました。


 もと来た道を引き返して、浅間神社の丘の上まで来ました。マリンタワーや市街地の一部が望まれました。


 リゾートアウトレットへ戻る途中、田口理容店さんの前を通りました。その駐車場脇のガルパン戦車看板は、いつの間にかアンツィオ戦直前の練習シーンの姿になっていました。 (続く)

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ガルパンの聖地 ・ 大洗を行く14 その4 「三度目の登城遺跡です!!」

2015年02月05日 | 大洗巡礼記

 今回も千代田テクノルさんの横の登城遺跡にやって来ました。当初の予想よりも遺跡破壊がゆっくりと、範囲もややずれて進められているので、大洗行きの度に必ず立ち寄って、工事の進捗状況と遺跡の破壊消滅エリアの最終段階を出来るだけ見届けておくことにしようと決めていたからです。


 なので、今回の大洗行きにおいては、この登城遺跡だけが、あらかじめ予定した訪問ポイントでした。だからレンタサイクルが必要だったのですが、三時間しか利用出来ないので、午前中はこの遺跡見学だけのために借りたようなものでした。
 入口の告示板には、工期が3月27日までである旨が示されてありました。桜が咲く頃には道路が完成しているということでしょう。


 道路工事はかなり進んでいました。仮道には鉄板が敷かれてダンプカーが往来し、車道の輪郭がほぼ出来上がってきていました。運転手さんの一人は顔見知りで、また来たのかね、と笑っていました。他にも何度か見に来てる人がいるよ、と教えてくれました。おそらく城郭研究者かマニアの方々だろうな、と思いました。ここまで定期的に訪れるガルパンファンは、たぶん私ぐらいでしょう。


 北側の堀切跡の農道を見下ろしていると、先ほどの運転手さんが近づいてきて、少し話をしました。

「時々何人かやって来るんだが、みんなあの底へ降りて奥に行っちゃうんだよ。何かあるのか?」
「城跡の外回りを見られるんですよ。城の周りを堀とかが巡っていたので、そういうのを見に行くんです」
「へえ、そういうのが面白いのかね」
「まあ、興味がある人にとっては、面白いということですよ」
「ときどき、あっちの方で地面を探し回ってる奴もおるんだ」
「ああ、たぶん城跡に埋まってる土器とかの破片などを探してるんですよ」
「うん、そう言ってた奴がおったよ。ユンボの近くまで来たりするから、危なっかしいんだよな」
「それはいけませんね、工事の邪魔になったら駄目ですねえ」
「だろ?おたくさんはいつも挨拶してくれるし、監督さんにきちんと許可もらって入ってくるからいいんだけど、最近は知らん間に無断で入り込んでるのがおるんだ」
「そういうのには、怒鳴ってやったらいいんじゃないですか」
「えっ、怒鳴っちゃってもいいのか?なら、今度はそうしよう」
 そこで笑いになりました。運転手さんはダンプカーの席からコーヒー缶を取り出して手渡してくれました。恐縮して辞退すると、いやいいんだ、休憩の一杯だからよ、とすすめて下さいました。


 それから、発掘トレンチの横でコーヒーを飲みつつ、工事についての話を少し伺いました。
「3月27日までの工期らしいですね」
「そういうことだけど、少し早く終わるはずだよ。あれは予備日も入ってるんだから」
「工事が終われば、車で走ったりも出来るんですか?」
「そうだろうけど、道路は向こうで切れるんだよ。ここまでの道路だってそこで切れてるだろ、ああなるから車で走ったってどこにも行けないんじゃねえかな」
「向こうで公園か何かを作るので、そのための道路だって聞きましたが」
「ああ、そうらしいよ。詳しいことはよく知らんけど」


 ダンプカーに戻る運転手さんと別れて、遺跡歩きに移りました。城跡の中心エリアの状況は、前月に見たときのままでした。工事区域の範囲には入っていないようなので、このまま半ば放置状態になるのでしょうか。


 Ⅰ郭の西半分のかなりの範囲が大きく削られて平らに均されていました。その範囲の土の色が地山のそれなので、遺構面は完全に削られていることが分かりました。
 先ほど話した運転手さんのダンプカーが、鉄板敷きの上をバックで進んでいき、重機が回って土を削っている場所まで移動していきました。そうやって削った土を別の場所へ運び出していました。


 Ⅰ郭の削られた範囲に近づきました。車道計画範囲より西に広がった形なので、車道にともなう何らかの施設などがその位置に計画されているのかな、と思いました。遺構表面から約1メートル前後削られていましたが、全てが地山のように見えたので、築城当時の盛り土部分というのはあんまり無かったようでした。


 地表面は、鉄板の敷かれている西側で黒っぽく変色していたので、そのあたりは工事の際の盛り上げ造成部分だと分かりました。もとはⅠ郭東側の切岸面だった所ですが、完全に埋められてしまったわけです。


 工事の際の盛り上げ造成部分の東端に移動しました。前月の見学時に見られた城跡東端の切岸塁線は完全に埋められて見えず、東の谷間も狭くなっていました。このアングルからだと、車道の輪郭がおおよそイメージ出来ました。


 Ⅰ郭の西側へ戻りました。草薮を少しかきわけて入ってみましたが、地面すらよく見えませんでした。


 再び遺構削平範囲の横を回りました。先ほどの運転手さんのダンプカーは四度目の運び出しの最中で、けっこう忙しく動き回っている様子が分かりました。


 Ⅰ郭の遺構面削平範囲の脇で見つけた土器片です。白っぽいのは焼成温度が高かったことをうかがわせます。須恵器などの系譜上に位置する陶器の破片と思われますが、城跡の地面の中にも同じような破片が散見されたので、中世戦国期の遺物であることは間違いありません。


 そのうちに重機がⅠ郭の削平範囲へと移動してきて、もう一台のダンプカーが土を満載してその横に進んでいきました。


 重機は、Ⅰ郭の削平範囲の南側を削り均し始め、削平をさらに進めていました。もう一台のダンプカーはその奥のスペースで転回し、荷台を傾けて土を下にザザッと降ろしていました。Ⅰ郭の削平範囲の南側で何らかの地盤固めをやっているようで、建物などが計画されているのかな、と思いました。
 登城遺跡において、建物跡が検出されたのはⅠ郭でしたが、今回の道路工事においても似たような位置に建物が建てられるのであれば、まさに歴史は繰り返す、だな、と心の中で笑ってしまいました。 (続く)

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ガルパンの聖地 ・ 大洗を行く14 その3 「アウトレットのレンタサイクルです!!」

2015年02月04日 | 大洗巡礼記

 県道2号線バイパス沿いに歩きながら、大洗の港湾施設地域を見ました。かつての海岸線を埋め立てて広大な敷地を確保し、フェリー埠頭やトラックヤードなどが配置されています。


 大洗町役場の遠景です。昨年秋頃から続いていた外壁改修工事は終わっていて、外観は真新しい感じになっていました。左に見える建物は大洗町文化センターですが、地元の方は「中央公民館」と呼ぶのが常だそうです。


 トラックヤード越しにマリンタワーを見ました。劇中の聖グロリアーナ戦の後で西住みほたちがダージリン達と対面するシーンがありましたが、あれはトラックヤードのどの辺りで行われたんでしょうか。聞いたところでは、奥に「めんたいパーク」の建物が見える位置、らしいですが・・・。


 マリンタワー下の広場を横切りました。最近には「ミルキィホームズTD」の第三話のワンシーンにも登場しているので、大洗の景色が各アニメの背景として転用され出しているようです。アニメの聖地にはよくあるパターンで、取材費が節約出来るから、というような事情などが介在している、と聞いたことがあります。


 リゾートアウトレットの横に進みながら、マリンタワーを振り返りました。色んな意味で大洗のランドマーク的な建物です。京都でいうと教王護国寺の五重塔、奈良でいうと興福寺の五重塔、にあたりますね。


 リゾートアウトレット施設東面のプロムナードデッキを歩きました。快晴の陽光にあたたまりながら進むのは気持ちが良かったです。


 リゾートアウトレット施設の南東隅の屋根にあげられたロゴ看板です。いつも見上げている景色ですが、撮影したのは今回が初めてかもしれません。


 港湾エリアのトラックヤードは、リゾートアウトレットの東側にも広がっています。関東地方唯一の北海道との直結航路を擁するだけあって、キャパシティも破格の設定であったようです。この広大なトラックヤードが満杯となって限界点に達したことは一度も無い、という話を以前に聞いたことがあります。


 街路樹のヤシの木が、南国的情緒を感じさせるということですが、南紀や四国のそれに比べると木そのものがやせ細っている感じなので、逆に寒冷地であることを示しているように感じられます。


 今回は、この「ベリークルーズ」にやってきました。今回もレンタサイクルを利用しようと事前に榎澤輪業商会さんに問い合わせたところ、休日にあたっていたため、他で借りることにして、これまで全く利用したことのなかったリゾートアウトレットのレンタサイクルを体験してみることになったわけです。


 初めて利用したレンタサイクルは、大貫商店会提供の戦車シリーズ五台のうちの一台でした。Ⅳ号戦車D型のデザインを選択しました。ここのレンタサイクルは、事前にメールでの予約が必要であり、あらかじめ利用自転車と利用時間を設定しておくのですが、驚いたことに、一回の利用時間が三時間という短さでした。それで500円がかかるので、半日の利用を希望すれば、午前の三時間、午後の三時間と二回に分けての予約が必要になり、料金も1000円になります。
 これがガルパン巡礼の大部分には不評であったらしく、リピーターはあまりいないそうです。思えばこれまでの大洗行きでもリゾートアウトレットのレンタサイクル利用者を見かけたのは稀でした。むしろ曲がり松商店街のレンタサイクルの方をしょっちゅう見かけました。

 今回は、いつものように半日を自転車利用で動き回る積りでしたので、とりあえず午前の三時間、午後の三時間、の二回を予約しましたが、三時間しかないので遠出も出来ないし、ゆっくり楽しむことも出来ません。どのような構想にてこのような利用システムにしたのかは分かりませんが、少なくとも利用者の側に立って配慮した内容とは思えませんでした。


 自転車移動にうつってからの最初の立ち寄りポイントはみむら時計店さんでした。今回はガルパン眼鏡拭きの新商品であるアンツィオバージョンと眼鏡立てを購入し、店主の三村さんと少し話をしました。


 店先に立てられた、最近のガルパン幟の武部沙織バージョンです。


 天気が良いので気温も上がり、自転車で風を切って走っていても寒さを感じませんでした。浅間神社の丘への坂道を登ったりしたので、むしろ暖まって汗ばんだぐらいでした。 (続く)

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カモさんチーム B1bis 改修します !!

2015年02月03日 | ガルパン模型制作記

 以前に制作したガルパン戦車キットの一つ、カモさんチームのB1bisに修正すべき点がありましたので、暇をみて手直しすることにしました。上写真は、改修前の状態です。 


 公式設定資料の図と比較してみますと、車体右側面のハッチには長いヒンジがあり、アンテナ基部が細くなっています。アンテナ線は、保管上の理由から短いままにしてあります。


 私の制作したキットでは、ハッチの長いヒンジが無く、アンテナ基部には保護カバーがついています。これらは制作時にガルパン仕様との差異に気づかず、キットのままに作っていました。
 最近にこのキットを箱から取り出して展示ケースに入れ、眺めているうちに妙な違和感を覚え、資料画像とつきあわせて見落としに気づきました。


 改修後の状態です。ハッチの長いヒンジはプラペーパーで再現し、アンテナ基部の保護カバーを撤去して基部にプラペーパーを巻いて劇中の状態に近づけました。


 上の写真が暗い仕上がりになったので、ライトを当てて再度撮影しました。B1bisのガルパン仕様再現度も少しは上がったかな、と思います。

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ガルパンの聖地 ・ 大洗を行く14 その2 「初春の街歩きです!!」

2015年02月02日 | 大洗巡礼記

 拝殿に向かって左側に置かれるガルパン大絵馬です。予想通り、劇場版告知ポスターと同じオールキャラクターの図案にて新調されていました。迎春とあるので、今年一年間ずっとこのデザインにて置かれるのだろうか、と思いました。いずれデザインを変えるのかもしれませんね。


 私の奉納した絵馬もまだありました。普通なら古い絵馬や昨年の絵馬は回収して神前にてお炊き上げするのでしょうが、一昨年の絵馬も相当数あるので、ガルパン関連の絵馬だけはそのまま懸けられているようです。一般参拝客の絵馬はほとんど回収されたようで、全体の数も以前の半分ぐらいになっていました。


 覆屋に包まれた拝殿です。上の方に本殿や拝殿の写真が貼られていました。


 境内の摂末社にも参拝して回り、一の鳥居への車道を降りました。松林の景色はいつみても良い雰囲気で、しばらく立ち止まって眺めたりしました。


 一の鳥居前の信号交差点です。東には裏参道の一つである赤い鉄橋が見えます。劇中シーンにも登場している橋です。


 信号交差点の角には民宿「忠愛丸」さんがあります。ガルパン応援宿泊プランの実施施設の一つですが、まだ泊まったことがありません。神社境内地の横なので、こういった風情が好きな私としては、機会があれば泊まってみたいです。


 ウスヤ精肉店に行き、関野さん夫婦に新年の挨拶をしました。奥さんにも「星野さん今年も宜しくね」と頭を下げられました。自作ガルパン缶バッジを大量に寄贈させていただいたおかげで、名前も覚えていただけたようです。御飯まだでしょ、と言われて朝のトーストまでいただきました。


 店主の関野さんは焼き鳥串の準備中でしたので、奥さんが来訪客の話し相手になっていました。店内の展示品は相変わらずの質と量でした。


 店先のももがーも冬の装いでした。これはファンの方の飾り付けではなく、商工会ルールにのっとっての事前話し合いにもとづく、お店側の演出だということでした。キャラクターパネルへの着せ付けそのものを禁止する、というように噂が広がっていた時期もありましたが、実際にはかくのごとくでした。


 続いて丸五水産さんにも挨拶しました。店主さんが朝早くから魚をさばいて忙しく動き回っておられるので、会話も控えておきました。


 店内の展示品は整理されて寄贈のイラストや色紙類を中心にまとめてありました。細かいグッズを全て取り除いてあるので、博物館の展示のような、すっきりした見やすい構成になっていました。奥さんが「こういうのは今後はあんまり増えないと思うから、いっぺん整理してみたんですよ」と教えて下さいました。


 缶バッジの展示ボードも、以前より綺麗になった感じです。いったん並べ直して整えたのでしょうか。右の同人系やオリジナル系の陳列ボードの下端に私の自作ガルパン缶バッジも並べてありましたが、以前と並びが異なっているので、一度並べ替えたようです。

 おやつとして干し芋を購入したら、特典として角谷杏誕生日バージョンの缶バッジをいただきました。ついに出たか、という感じでした。1月1日が誕生日ですが、お店は休みなので、営業開始後に誕生日バージョンの缶バッジを配布することで個別に祝っていただく、という取り組みであるそうです。
 これで角谷杏デザインの公式缶バッジは何種類になったのでしょうか。私の手元にある分は9種類ですので、主役の西住みほの公式缶バッジよりも多い筈です。生徒会長の肩書がものを言っているのでしょうか。


 今回は商店街ではなく、海岸沿いの県道2号線バイパスに沿って歩きました。このコースはいつも自転車で走り抜けていたので、一度ぐらいはゆっくりと歩いてみたかったのです。


 松並木の歩道を歩きました。こういう道を歩いていると、奈良の法隆寺の松並木の参道をいつも思い出してしまいます。斑鳩の里へは久しく行っていないので、菜の花が咲く頃になったらのんびりと散歩に行こう、と考えました。 (続く)

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ガルパンの聖地 ・ 大洗を行く14 その1 「二度目の初詣です!!」

2015年02月01日 | 大洗巡礼記

 2014年の年末から2015年正月にかけての約10日間はずっと勤務でした。まとまった休みを頂いたのは年が明けて一週間後の1月8、9日でした。前回の訪問時の水戸の友人との約束もあったので、大洗磯前神社への二度目の初詣を兼ねて大洗に行きました。
 水戸から大洗に向かう鹿島臨海鉄道の車窓から、お馴染みの田んぼアートも見えましたが、デザインや文字が一新されているようでした。


 今回の切符です。私の大洗行きは、いつも何らかのテーマを設定して、それに沿って幾つかのスポットを回るので、スケジュールは常に過密気味で忙しいのですが、今回は初詣なので、あとは気ままにぶらついてゆっくりと楽しもう、と考えました。ここ何回か実施している城跡見学も、一ヵ所だけにしてあとは次の機会に回すことに決めました。


 大洗駅には、8時37分に着きました。いつもこの時間に大洗入りしていますが、すぐに巡回バス「海遊号」に乗り継ぐことが出来るのが理由の一つです。


 巡回バス「海遊号」にて大洗磯前神社へ向かいました。車内から一の鳥居および大洗ホテルを撮影してみました。


 大洗磯前神社の二の鳥居です。空は快晴、風も穏やかで気温も少しずつ上がってきているようで、この日は過ごしやすいだろう、と感じました。


 神磯の鳥居を拝みました。大洗の景色といえば、私の中ではこの図がナンバーワンです。この風景に接して大洗に居るという実感を強く覚えます。鹿島灘も静かに凪いで、新年の穏やかな朝の海景色が左右に広がっていました。


 神磯の鳥居から大洗磯前神社の二の鳥居への路地を進みました。


 大洗磯前神社の二の鳥居です。


 参道石段を登り切って、鹿島灘を振り返りました。大洗でも有数の綺麗な景色として知られますが、2015年度のガルパンカレンダーにも採用されましたね・・・。


 神社の修理工事は進行中で覆屋と保全塀に囲まれていました。幣門の保全塀には宮司さんのパネルまで貼ってあったので驚きました。大洗の店主さんパネルに、宮司さんまで加わったか、と感心し、半ば呆れました。ここまでノリノリな神主さんを見たのは初めてだと思います。
 さらに、その周囲には落書き寄せ書きがびっしりと書き込まれてありました。一般参詣客のものが大半を占めていましたが、なかにはガルパンファンの書き込みとみられるものも散見されました。


 拝殿の正面の破風の銅板が新しくなっていました。屋根部分は張り替えが完了しているようでした。今回の修理の大半が屋根の張り替えだということなので、修理工事の中心工程はほぼクリアされているということになるのでしょうか。


 拝殿内部は、従来のままに神事も催されているようで、建物内への修理工事は施されていないようでした。参拝した後、神前太鼓の音が響いてきました。二度目の初詣を、これで終えました。


 拝殿前の茅の輪です。新年の無病息災を祈念して、作法に従ってくぐりつつ心の中でお願いをしました。


 拝殿に向かって右側に設けられた、新年の干支の大絵馬です。未ですね。 (続く)
コメント (2)
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