「NHKスペシャル MEGAQUAKE 巨大地震」という本を読んだ。自分は見なかったのだが、昨年1月から3月に掛けて「NHKスペシャル」内で放送された全4回分を書籍化したもの。本の帯には「マグニチュード9の巨大地震、千年に一度の大津波を予見した本!東日本大震災は『想定内』だった!」という惹句が記されているが、実際に中身を読んでみると「予見出来た大災害だったのだなあ。」と感じた。「僅か1年前に放送された此の番組を、より多くの人が視聴し、十二分な心構えが出来ていたなら・・・。」と残念でならないのだが、本の中で「人間は、過去何度も地震によって傷つき、命を落としてきたにもかかわらず、時の経過とともに災害の恐ろしさを忘れていきます。これは、今も昔も、洋の東西を問わず変わらない、人間の習性なのかもしれません。」と書かれている様に、例え当該番組を見ていたとしても「地震って怖いなあ。でも自分が被災するなんて事は、実際に在り得ないだろう。」と無根拠な思い込みをしてしまう可能性は低くない。 「地震発生のメカニズム」や「地震によって具体的にどういった事が起こり得るのか?」等が、写真を多用する事で、判り易く記されている。凡そ1,600年前に巨大地震で亡くなった3人の親子の遺骨や、凡そ5,000年前に用いられていた「免震装置」等が写真で紹介されており、人類が如何に古くから地震と対峙して来たかが良く判る。もし当該番組を見ておられない方は、読まれてみたら如何だろうか。 尚、物理学者の寺田寅彦氏が1934年に記した随筆「天災と国防」が本の中で紹介されているのだけれど、其の内容を読むと、同氏の卓抜した先見の明に驚かされる。中でも次の一文は、鋭く胸に突き刺さった。 「しかしここで一つ考えなければならないことで、しかもいつも忘れがちな重大な要項がある。文明が進めば進むほど天然の暴威による災害がその劇烈の度を増すという事実である。」 ② 「ぼんぼん」と「叩き上げ」の違い? 2006年以降、我が国の首相は毎年交代している。一国の指導者としての能力が不足しているので在れば交代させられるのは致し方無いとは思うけれど、こうもコロコロと首相が変わる国を、他国はどう思うだろうか?自分が他国の首脳ならば、「こんな国とは、腰を据えての外交協議なんて出来ない。」と考える。色々約束事を交わしても、其の相手が1年も経たずに変わってしまったのでは、約束事をきちんと履行してくれるのかが不安なので。
だから首相がコロコロ変わる事には賛成出来ないのだが、公の場で「退陣表明」をした以上、菅首相が小賢しい「延命策」を弄する事は許されない。彼及び彼の側近は「(党代議士会での発言は)退陣表明という訳では無い。」といった事を主張している様だが、誰がどう見ても彼は退陣表明としか考えられないだろう。記事「被災地に歳費の一部を寄付せよ!」の中で触れた様に、「原発事故の収束等、先が見えない懸案事項が多く、『何時何時迄に退陣する。』という具体的な日時は出せないし、具体的な日時を出す事で“完全に”レイム・ダック状態になってしまっては外交に差し障りが出る。」という判断が在った上での“誤魔化し”ならば理解は出来るけれど、「出来る限り首相の座に留まりたい。」という思いからだけの詭弁(歴代の首相も多かれ少なかれ詭弁や嘘を平然と口にして来たから、菅首相だけが例外という訳では無い。嘘を追及されるときちんと説明する事無く、「其れがどうした?何が悪い?」と開き直った小泉純一郎元首相という人物も居たし。)ならば言語道断。口にした通り「一定の目途(常識的に考えれば、長くても3ヶ月といった感じだろう。)」が果たせた時点で潔く辞めなければ晩節を汚すだけだし、国民の政治不信も益々増すに違いない。(彼が辞任し、新しい首相が登場したら、与野党一致団結して政治に当たって欲しいが、現状を見る限りでは何方からも「新たな難癖付け合戦」が始まるだけの気もする。結局は何方も「国民」なんかどうでも良く、自身の私利私欲だけを追求しているだけなのだから。)
それにしても感じるのは、菅首相の「首相の座に対する執着心の強さ」。首相というのは本来非常に重い職務で在り、軽々しく投げ出す物で無いのは確かなのだが、「国民を守りたいが為」なら良いけれど、単に「権力を死守したいが為」に首相の座に執着しているのなら、其れは許されない。
以前、或る人が面白い事を書いていた。「嘗ては『絶対に首相の座から降りるものか!』と激しく抵抗し、実際に留まり続けた首相も居たけれど、近年は安倍晋三元首相に福田康夫元首相、麻生太郎元首相、そして鳩山由紀夫前首相と(嘗てに比べると)余りにあっさりと首相の座を放り出している。嘗ての首相は激しい権力闘争の末に自ら掴み取った首相の座という事で、『絶対に降りるものか!』という思いが一入強くなったのだろうが、安倍元首相を始めとした世襲議員の場合は大した苦労も無く、他者が敷いたレールに乗った儘年数を経て、首相の座が偶転がり込んで来ただけなので、首相の座に対して余りに淡泊なのだろう。」という指摘だったが、確かに其れは感じる。長期政権だった小泉元首相も世襲議員だが、最後は意外にあっさりと首相の座から降りたし。(「様々な襤褸が出そうになったので、慌てて辞めたのでは?」とも思ったりするが。)
其れに対して菅首相の場合は、市民運動家から数々の権力闘争を経て首相となった訳で、典型的な「叩き上げ」の経歴を有する。だからこそ安倍元首相等の様な「ぼんぼん」とは異なり、良くも悪くも首相の座に執着してしまうのかもしれない。其の執着心を、「国民の幸福の為」に向けてくれれば良いのに・・・。*1
*1 今回の記事は4日の午前中に書き上げた物だが、午後になって「菅首相は、8月中に退陣する腹積もり。」との報道が流れた。上記した様に首相がコロコロ変わるのは望ましく思っていないが、「退陣表明」を口にした以上は其の辺りが妥当な線だろう。野党共に不毛な難癖付け合戦を即刻止め、真剣に政治を行うべし!何とかの一つ覚えの如く「問責!問責!」と叫んでるだけの“問責馬鹿”を始めとして、「国民」を一顧だにしていない連中は不要!!
ここで紹介された1節を見て感じたことは、文明とはみんなが思っているほど確かなことではなく、例えて言えば積み木細工の塔のようなもの。
塔が低いあいだは壊れても被害は少ないが、高さが増すほど甚大になると。
もうひとつ。馬鹿と煙は高いところに昇りたがる(力量も無いのに一国の首相という高みに登りたがる輩も含めて)。
・・・ということは、文明化するということは馬鹿になっていくということでしょうか? 分相応の文明化で留めて置くのは・・・やはり難しい。
「文化人シリーズ」、懐かしいです。野口英世氏や西周氏、樋口一葉女史等を所有していました。一寸調べてみたら、「2次文化人シリーズ」(http://marumate.shop-pro.jp/?pid=616920)なんていうのも発行されていたんですね。1次と比べると可成りカラフルで、時代の違いを感じてしまいました。
*********************人類がまだ草昧の時代を脱しなかったころ、がんじょうな岩山の洞窟の中に住まっていたとすれば、たいていの地震や暴風でも平気であったろうし、これらの天変によって破壊さるべきなんらの造営物をも持ち合わせなかったのである。もう少し文化が進んで小屋を作るようになっても、テントか掘っ立て小屋のようなものであって見れば、地震にはかえって絶対安全であり、またたとえ風に飛ばされてしまっても復旧ははなはだ容易である。とにかくこういう時代には、人間は極端に自然に従順であって、自然に逆らうような大それた企ては何もしなかったからよかったのである。
文明が進むに従って人間は次第に自然を征服しようとする野心を生じた。そうして、重力に逆らい、風圧水力に抗するようないろいろの造営物を作った。そうしてあっぱれ自然の暴威を封じ込めたつもりになっていると、どうかした拍子に檻を破った猛獣の大群のように、自然があばれ出して高楼を倒壊せしめ堤防を崩壊させて人命を危うくし財産を滅ぼす。その災禍を起こさせたもとの起こりは天然に反抗する人間の細工であると言っても不当ではないはずである、災害の運動エネルギーとなるべき位置エネルギーを蓄積させ、いやが上にも災害を大きくするように努力しているものはたれあろう文明人そのものなのである。
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「天災と国防」の中の文章ですが、考えさせられる内容です。神に対抗すべく、高さを求め続けた「バベルの塔」(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%99%E3%83%AB%E3%81%AE%E5%A1%94)が、神の怒りに触れて倒壊させられたり、約5千年前に免震装置を作り上げる程の能力を有し乍ら、過信して無茶な構造物を作り上げて行った事で消え去ってしまった文明が在ったりと、己の「高」を弁えずに突き進む事の危うさを感じる逸話です。