ば○こう○ちの納得いかないコーナー

「世の中の不条理な出来事」に吼えるブログ。(映画及び小説の評価は、「星5つ」を最高と定義。)

文句を言う前に先ずは投票を

2009年07月28日 | 時事ネタ関連
7月23日付けの東京新聞(朝刊)に「1票には、幾らの価値が在るか?」という記事が載っていた。色々な計算方法が在るだろうが、慶應義塾大学の曽根泰教授の計算によると(1票は)ハイブリッド車1台分の価値。とか。どういう根拠かと言えば、我が国の1年の予算を約80兆円とすると、衆議院任期4年分で約320兆円となり、これを有権者約1億人で割ると1人当たり320万円とハイブリッド車価格とほぼ同等になる為。車を購入する際にはそれなりに悩んで決断するものだが、ましてや根が張るハイブリッド車の場合ならば余計にじっくり悩む事だろう。それだけの熟慮が有権者の側にも求められると記事はしている。つまり1票を投じなかった人は、みすみすハイブリッド車1台分の価値を放棄しているとも言える訳だ。

先日行われた東京都議選。良くも悪くも国政選挙の前哨戦と位置付けられ、又、石原都政への不信感の高まりも在ってか、その投票率は前回の43.99%を10.5ポイント上回る54.49%だったとか。投票率が高まったのは良い事に思うが、でもこれでも有権者の2人に1人近くは棄権している事になる。選挙権を得てからウン十年になる自分だが、これ迄に棄権した事は一度も無い。投票行為は権利で在ると同時に義務でも在ると考えているからだ。「自分が1票投じた所で、世の中は何も変わらない。」とか、「『投票しないでも良い。』と考えられる世の中は、それだけ平和な世の中なのだ。」といった意見が在るのは承知しているし、そういう考え方を持つのも自由とは思う。唯、個人的な意見を言わせて貰えば、現状に文句を言いたければ、投票は最低限行うべき。と思っている。

以前にも書いた話だが、或る政治評論家が面白い話をしていた。

『良い候補者が居ない。』という理由で棄権をされる方が居ますが、一寸考え直して欲しい。例えば投票率が50%だったとします。そうすると、その場合の1票の価値は2倍、つまり2票分の重みを持って来る訳です。これが33%だったら、3票分の重みになります。何を言いたいかと言えば、組織票(宗教法人等)を抱えた候補は、確実に一定数の票が見込めます。その場合、彼等の得た票が1票以上の重みを持ってしまうという事です。『良い候補者が居ないから棄権する。』というのでは無く、じゃあ、『“より良さそうな”候補者は誰か?』という観点で投票しないと、より組織票が重要性を持つ事になってしまいます。

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12 コメント

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投票率を上げよう (雫石鉄也)
2009-07-28 08:58:51
まったく、おっしゃる通りです。
ロクな候補者がいないという理由で、棄権するのは、絶対に避けるべきです。
投票率を上げるためだけにも、投票に行くべきでしょう。
投票率が下がると組織票を持った候補者が強くなる。と、いうことは、ある種宗教団体などの発言力が強くなるということですね。裏返せば、当該団体以外の人たちの発言力が弱くなるということです。
これは民主主義として健康とはいえないですね。
民主主義の健康を守るためにも投票に行くべきですね。
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Unknown (マヌケ)
2009-07-28 13:02:31
選挙の場合、棄権は主義や主張の表明にはなりません。 それは組織票に加担することにつながるシステムになっているからです。 棄権する人たちの決まり文句と言いますか、ただの言い訳ですが、「だれがなってもいっしょ」とか
「どうせ世の中は何も変らない」とか言って投票しない人の数が積み重なり、それによって世の中を変らなくしているということがなぜわからないのでしょう。 ほとんどが休日に投票所に足を運ぶのがめんどくさいだけなのではないで
しょうか。 あとは無関心。 怠慢と無関心が世の中を変えない大きな原因であっては情けないです。 いっそのこと投票した人にだけ給付金を手渡すとかすればよかったですね。 さらに情けない冗談ですが。 世の中の大事な決断が投票した人の過半数だけで決められていくことに疑問も感じないのであればその後の結果については一切不平不満をたれる資格はないと誰かがメディアできっぱり言ってくれないでしょうか。 どこまで無関心でいられるのかと。 権利の放棄によって、支持していなくても、当選した候補を結果的には間接的に支持したのと同じことになるのはおかしいでしょ。 なぜそれがわからない。
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>マヌケ様 (giants-55)
2009-07-28 16:26:52
書き込み有難う御座いました。

他者の手を借りないと投票所に行けない等、投票する事に困難を伴うケースも在りますから、そういう方は止むを得ないとは思っておりますけれど、そうでは無い「単に面倒だから。」という理由だけで棄権している人達には残念さを感じています。

「自分が一票投じた所で、世の中は何も変わらない。」棄権する人の中には、然もそれが格好良い事で在るかの様に嘯く人も居ます。失礼さを省みずに言わせて貰えば、それは「自分は何も考えていない。」と表明しているだけで自分は感じます。

「投票」は権利で在る以上に、国民にとって義務だと思う。それを自ら放棄するという事は、「この国がどういう方向に進んでも、一切文句を言えない。」という表明だと思うし、無責任な行動にしか自分には感じられないのだけれど・・・。
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だから (ハムぞー)
2009-07-28 19:19:57
若い人は投票に行かない
年寄りはしっかりいく。
よって政策に反映されますよね。
(ネットでの選挙活動禁止が最たる例)

「入れる人がない」
上で皆さんも言われてますが、
棄権したら組織票団体が喜ぶだけです。

それなら投票所に行って「キケン」とでも
書いたほうが、後々
「○○選挙区、1割を超える無効票」とかで
問題になり、
あり方を見直すことになるかもしれません。
(別に推奨するわけではありません)

佐藤優によると、ロシアの選挙は
「悪人、極悪人、超悪人」から選べ
みたいなもんなんだとか。
「よりマシ」な人を選ぶ発想だそうです。
「入れたい人がない」なら
「この人は選びたくない」人の対立候補に
入れるという考え方も、ありかもしれません。


逆の立場から考えてみると
候補者は自分の名前を何万人に書いてもらわねば当選できません。
これは、すごいことです。
だから(そのときだけかもしれませんが)
ヘコヘコするのです。

一票の価値を
最大限に使いましょう。
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>ハムぞー様 (giants-55)
2009-07-28 21:33:59
書き込み有難う御座いました。今回はこちらにレスを付けさせて貰います。

先日、「高齢者に比べて、若年層の投票率の余りの低さ」が具体的に報道されていました。「投票に行かないから、その年代に向けての政策が疎かになって行く。」という悪循環は在りましょう。

「無党派層は寝ていてくれれば良い。」と言い放った元首相が居ましたが、これは組織票を或る程度計算出来る人間(乃至は政党)の本音で在り、逆に言えば「きちんと投票する意識を常に持っていな人間」を愚弄している訳で、見返す意味でもしっかり投票しないといけないかと。

「きちんと投票したら、翌年の納税で僅かでも控除される。」という仕組みにしたら、もっと投票率は上がるのでしょうけれどね。
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えええ~ (Spa supernova)
2009-07-28 21:36:43
そんなに!

でもその一票を入れなかったばっかりにハイブリッドカー一台分ぐらいではないぐらい損していると思っている人はいるはず。

高校の同級生で地元の旧町の青年会議所なんてのの理事長やったくせに国政選挙に一度も言ったことがないという男がいます。理由は「国政の政治家は信用ならん、白票入れたいのしかいなかった」。でも今度は流石に「vote better」しに行くとのこと。商店街や自営業者はエライ目に遇い続けてますからね・・・。もうかんべんならんということらしい。青年会議所のクセにK党に清き一票入れるとの堂々の表明でした(笑)。そうなんだよね、M党は大型スーパーの関係者がいるもんだから・・・。

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>Spa supernova様 (giants-55)
2009-07-28 23:00:20
書き込み有難う御座いました。

「棄権するというのは、これだけの金額を溝に捨てている様なものなんですよ。」というのを具体的に数字で挙げて貰うと、改めて棄権の愚かしさを感じましょうね。勿論、それ以上に不利益を被っている人も居るでしょうし。

「K党」というのは一瞬「I田D作大先生の親衛隊組織」の方かと思い、「?」と感じたのですが、恐らくは「党首が犬のタ○キン」みたいな顔に見えてしまう(失礼!)方の「K党」でしょうね。その思想面に相容れる部分は無いけれど、個人的には「政権与党の暴走をしっかり監視している。」という意味に於いては、この党を評価しています。

民主党も寄せ集め所帯ですし、元党首も大手スーパーの子息ですから、「帯に短し襷に長し」といった面は確かに感じます。マニフェストを見ても「本当に大丈夫かなあ?」と思ってしまう部分も在るし。唯、長期に亘って政権与党の座に在り続けた事で、国民の姿が見えなくなってしまっている自民党にはより信頼度が置けず、結局は消去法で今回は投票を決める人が多いのではないでしょうか。「国破れて山河在り」では無いけれど、「国破れて、政治家と官僚在り」では洒落になりません。
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お駄賃 (悠々遊)
2009-07-28 23:21:16
選挙活動はテレビの政見放送や、立会演説会などで、主張すべきをしっかり語ってもらうのが、本来あるべき姿だと思いますが、候補者の名前を連呼して行くだけの、騒音撒き散らし街宣車に、選挙費用として税金が使われているそうです。名前と顔写真だけの選挙ポスターも然り。

で、とりあえずこの2点への税金投入をカットして、投票に行った人にその場で500円を支給したらどうでしょう。人気取りのバラマキ給付金でなく、投票率の向上に貢献する生きたお金になりますよ。きっと。
でも、お金に釣られて投票に行く意識の程度もなんだかなあ・・・。やっぱダメですかね。
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>悠々遊様 (giants-55)
2009-07-29 00:01:05
書き込み有難う御座いました。今回はこちらにレスを付けさせて貰います。

「民主党だから。」とか「自民党だから。」というのでは無く、本来的には「その候補者自身が国政を任せるに値するか否か。」で判断すべきなのでしょうが、とは言え個人で遣るには限界が在り、自ずと「政党で選ぶ」という感じになってしまいますね。

朝っぱらから駅前に立っている候補者達。きちんと自身の主張を訴えている者はまだしも、中には「いってらっしゃいませ。」と自分の名前を言っているだけの者も居る。そんな奴に限って、「郷土歴史の会」に入会している会員達と思しき人達が通り掛かると「私も歩くの大好きなんです。」と、そして若者が通り掛かると「XXというバンドが大好きな私です。」と見え見えの“迎合策”を打ち出して来る。某都知事が自身の選挙になると「裕次郎がどうのこうの。」とやたらとアピールしていましたが、そんなのはどうでも良い事。きちんと自身の主張を、妙な横文字を連発して誤魔化すのでは無く、判り易く説明して欲しいもの。

「何等かの見返りを求めて投票に行く。」といのは、ハッキリ言って好ましい事では無いと思うのですが、兎に角「投票に行くのって大事な事なんだ。」と認識するきっかけになるので在れば、そういうのも在りかなという気はします。くどい様ですが、本来的には好ましい事では無いけれど。

「投票に行かないのって、凄くダサい事なんだよ。」って風潮が出来上がると、もっと行く人が増えるのではないでしょうか。
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こんばんはです。^±^ノ (てくっぺ)
2009-07-29 01:06:54
賛成です。^±^ノ
まず、投票ですよね。^±^
まず、行って一票を入れることから始まりますよね。
ちなみに、うちは投票に必ず行きます。
どんな形でも一票入れないと、自分の中でとても気分が悪くなります。
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