物心が付いた頃からずっと、我が家では東京新聞を購読していた。父方の祖父母の家が同紙を購読し続けていたというのが大きな理由だろうが、父が亡くなって以降、朝日新聞に切り替えた時期(「大学受験の現代国語で、朝日新聞の「天声人語」から出題されるケースが結構在る。」と良く言われていたので、試しに切り替えた。)が在ったものの、内容的にどうにもしっくり来ないので、半年程で東京新聞に戻した経緯が在る。
極右系の人達からは蛇蝎の如く嫌われている様だが、自分は東京新聞が大好き。「体制に阿らず、独自路線を貫く姿勢。」が自分には合っているし、教育問題を中心に、オリジナリティー溢れる記事が、実に読み応え在るからだ。
前身の都新聞が創刊されたのは「1884年9月25日」という事なので、東京新聞は今年9月25日で創刊140周年を迎える事になる。そんな歴史在る新聞が、転機を迎える事となった。「9月1日から、“東京23区を除く地域”で、夕刊配達及び即売を終了し、朝刊に一本化する。」と言う。詰まり、東京23区以外の地域では、東京新聞の夕刊配達及び即売が無くなってしまうのだ。「東京新聞、御前もか!」という思いが。
此方に記されている様に、「1995年頃からインターネットが普及し始め、夕刊紙の売り上げ其の物も伸び悩んだ事から、休・廃刊に追い込まれたり、朝刊に一本化する新聞社が相次いだ。」という現実が在る。若者を中心に“活字離れ”が進んでいた事も、そういう流れに拍車を掛けたと言われている。
最初は“夕刊紙の宝庫”といわれた大阪府で、地方紙の廃刊や朝刊への一本化という動きが相次いだが、軈て全国紙にも飛び火。産経新聞の東京本社版夕刊が2002年3月30日で廃止となると、毎日新聞でも北海道支社版夕刊が2008年8月30日で廃止。以降、此方に詳しく記されている様に、朝日新聞や読売新聞、日本経済新聞でも“特定地域”での夕刊廃止が続いている。
そういう新聞業界の苦境は知っていたけれど、「東京新聞は大丈夫だろう。」という根拠の無い思いが在ったので、今回の決定には驚かされた。世の中の活字離れが益々進みそうで、「読む。」という行為が大好きな自分にとっては、とても不安を感じてしまう。
途中何紙か浮気をしたことはありますが、我が家では京都新聞をとり続けています。
この新聞も明治期から続く歴史を持つ、地方紙の代表格のような新聞です。
その京都新聞も今春の値上げと、夕刊が『ほぼ広告紙』状態化していたことと相まって、朝刊だけの契約に切り替えました。
ひょっとしたら京都新聞も夕刊の廃止を考えているのかな?
私の周囲でも「もはや新聞は時代遅れ」とばかり、購読そのものをやめた人が多くいますが、テレビや、ましてインターネットという、ややもすると断片的や偏った取扱いのニュースを流すメディアにだけ頼るというのはどうなのか?
その点、新聞はニュース記事だけでなく、大きな記事になれば社説や論評記事もあり、読者自身も自分のペースで記事を消化できるので、より客観的思考になれる媒体だと思っています。
でも購読者数の減少のゆえなのか、最近広告の占める割合が大きくなっているのですよね。
まるで広告紙を購読しているのかと錯覚するほど(苦笑)。
全国紙ですら経営的に厳しい状況なのですから、地域密着を掲げている地方紙でも、非常に厳しい状況なのでしょうね。
自分の周りにも新聞どころか、TVすらも見ないという人が居ます。彼曰く、「ネットさえ在れば、ニュースは判る。」と。でも、偏向報道が指摘される新聞でも、其れなりに情報を集めた上で報じている。署名記事も在り、全くの嘘を報じる可能性は、零とは言わないけれど、限り無く低い。一方でネットに関して言えば、申し訳無いけれど(意図的or意図的では無いに限らず)「嘘」が結構目立つ。
コメンテーターとしてだけでは無く、時には司会も務めたりしている某弁護士が、3年前だったか「ネット上に転がっているデマ情報を検証する事も無く、鵜呑みにして″事実”の様にTV番組内で語り、其の後、謝罪するという一件。」が在りました。彼の様な所謂インテリでも、デマ情報を鵜呑みにしてしまう御時世に、正直怖さを覚えた物ですが、ネットの危うさという物″も”理解した上で、「此の情報、本当かなあ?」と常に疑いの目を持って接しないと、ネットだけに情報を当たるというのは非常に危険だと思います。
「新聞はニュース記事だけで無く、大きな記事になれば社説や論評記事も在り、読者自身も自分のペースで記事を消化出来るので、より客観的思考になれる媒体だと思っています。」というのは、全く同感ですね。又、仮に興味が無い分野で在っても、新聞紙を手に取ってパラパラと流し読みしている過程で、そういう分野にも目が行くという有益性も、新聞には在ると思っています。