昨日のスポーツニッポンに載っていたのだが、近年、都会で人気の家庭教師は体育の先生なのだとか。その需要の高さは供給数を上回っており、派遣する先生が不足している状態だとか。
渋谷区の子供向け体育家庭教師センターである「スポーティーワン」の場合、体育系大学や教育学部の出身者&学生を中心にコーチ約150人が所属しているが、生徒数は幼稚園児から中学生迄約520人を抱えており、その構成比はほぼ半々。料金は90分、マンツーマンの場合、6,825円(税込み)。勉強を教える東大生の家庭教師の相場が、2時間で5,000~7,000円という事なので、ほぼ同じ基準と言って良いだろう。
一昔前になるが、体育大学受験の為の予備校を初めて街中で見掛けた時、「遂にそんなもの迄現れたんだ。」と正直驚いた。プロスポーツの世界ならいざ知らず、アマチュアスポーツの世界、それも受験という場にも指導者が必要な世の中になって来たのかという驚きだった。しかし、良く良く考えてみれば、受験の為に高名な奏者に”家庭教師”を依頼する音大受験者も多々居る訳なので、別に不思議ではないのかもと思う一方で、「スポーツ=己が努力で身体能力を高めて行くもの」という思いも在り、少なからずの違和感を持ち続けていた。
体育の家庭教師がここ迄求められている理由は多種多様。
「小学校受験に体育実技が在る為。」とか、「学校の体育の授業についていけないから。」、「体育が出来なくて学校で虐められているから。」等というものは、現代の教育界の状況を赤裸々に表している様に感じる。唯、自分等が子供の頃は、運動神経に自身が無い子(自分もそうだったが)は無い子なりに、上手くこなしている同級生等の姿を観察し、自分なりの工夫をしてそれなりの対応をしていたと思う。その事を考えると、わざわざ家庭教師を呼ぶというのもどうなのかなあと。
「私立校に通っていて、近所に遊ぶ友達が居ないから。」とか「共働きで子供に付き合って上げられないから。」といった理由の場合、体育云々というよりも子供の遊び相手を求めているのだろう。これも又、今の子供達が置かれている環境を如実に表している。
これ等の理由は何とか納得出来る部分は在るのだが、「子供とどう一緒に遊んだら良いか判らない。教えて欲しいから依頼した。」というものになると、納得出来ないというよりも呆れ果ててしまうというのが本音。
幼少時より、他者とのコミュニケーションを図るよりも、勉強一筋の生き方をして来た親が増えているという事なのだろうか?子供との距離感に悩む親が増えているのだとしたら、日本の将来に底知れぬ不安を覚えてしまう。
渋谷区の子供向け体育家庭教師センターである「スポーティーワン」の場合、体育系大学や教育学部の出身者&学生を中心にコーチ約150人が所属しているが、生徒数は幼稚園児から中学生迄約520人を抱えており、その構成比はほぼ半々。料金は90分、マンツーマンの場合、6,825円(税込み)。勉強を教える東大生の家庭教師の相場が、2時間で5,000~7,000円という事なので、ほぼ同じ基準と言って良いだろう。
一昔前になるが、体育大学受験の為の予備校を初めて街中で見掛けた時、「遂にそんなもの迄現れたんだ。」と正直驚いた。プロスポーツの世界ならいざ知らず、アマチュアスポーツの世界、それも受験という場にも指導者が必要な世の中になって来たのかという驚きだった。しかし、良く良く考えてみれば、受験の為に高名な奏者に”家庭教師”を依頼する音大受験者も多々居る訳なので、別に不思議ではないのかもと思う一方で、「スポーツ=己が努力で身体能力を高めて行くもの」という思いも在り、少なからずの違和感を持ち続けていた。
体育の家庭教師がここ迄求められている理由は多種多様。
「小学校受験に体育実技が在る為。」とか、「学校の体育の授業についていけないから。」、「体育が出来なくて学校で虐められているから。」等というものは、現代の教育界の状況を赤裸々に表している様に感じる。唯、自分等が子供の頃は、運動神経に自身が無い子(自分もそうだったが)は無い子なりに、上手くこなしている同級生等の姿を観察し、自分なりの工夫をしてそれなりの対応をしていたと思う。その事を考えると、わざわざ家庭教師を呼ぶというのもどうなのかなあと。
「私立校に通っていて、近所に遊ぶ友達が居ないから。」とか「共働きで子供に付き合って上げられないから。」といった理由の場合、体育云々というよりも子供の遊び相手を求めているのだろう。これも又、今の子供達が置かれている環境を如実に表している。
これ等の理由は何とか納得出来る部分は在るのだが、「子供とどう一緒に遊んだら良いか判らない。教えて欲しいから依頼した。」というものになると、納得出来ないというよりも呆れ果ててしまうというのが本音。
幼少時より、他者とのコミュニケーションを図るよりも、勉強一筋の生き方をして来た親が増えているという事なのだろうか?子供との距離感に悩む親が増えているのだとしたら、日本の将来に底知れぬ不安を覚えてしまう。
最近、その中の一つ「空手サークル」(空手の有段者の方が主催しているのです。)に小さい子供を持つ親が入れたいという問い合わせがいくつかありました。
なんでも、空手なら体力もつくし、護身にもなるから何か危ない目にあっても平気、きちんと礼儀作法も教えてもらえるからなんだそうで。
武術を子供に学ばせるのは非常に良いことだと思うのですが、礼儀作法とか、親が丸投げしてしまうのはどうかなあと思ってしまったり。子供は言うことは聞かなくても行動はきちんと見ていますから親が正しい行動をしていればまっとうに育つと思うのですが。
最近の子供達はでんぐり返しができないとか。
体育の授業でも、
「首の骨を折る可能性が高く」
取り上げることができないとか。。。
なんだか心配になってしまいます。
アメリカでは、個人インストラクターというのが、有名人の家に言って指導するそうですが、そこで名が売れれば本やビデオが売れて、ウハウハだそうです。
健康ブームは終わりそうにありませんので、そんなカリスマインストラクターが誕生する日も近いかもしれません。
今のアニメの主題歌って、普通のPOPSとかロックが多いので歌と作品が結びつかないものが多いです。逆に、堂々とアニメソングカラオケでしらっと歌えちゃうわけですがw。
特に、幼児向けアニメは作品のイメージに沿った主題化が必須ですね。ポケモンが懐かしアニメになるのは何年後なんでしょうね。
学校で習うべきことを塾で習い、家で教えるべき躾を学校に任せる。どこかずれてきているような。
こういう時代になれば、携帯電話全盛ですのでそれこそ待ち合わせて時間通りに行くということも出来なくなるかもしれません。
友達と前から約束しなくてもその場で空いている人と行けばいいし、遅れても「少し遅れます」と言えば済みそうだし。
約束も軽いものになっていくでしょう。
そんな世代とつき合わされるのは、私たちの世代が新人のときの会社の先輩より辛いのでは。