昨日発売された「週刊文春(12月29日号)」にて、「週刊文春ミステリーベスト10」が発表されていた。既に発表済みの「このミステリーがすごい!」及び「本格ミステリ・ベスト10」で、ダントツの1位に選ばれていた事から或る程度は予想していたが、此処でも東野圭吾氏の「容疑者Xの献身」が2位にダブルスコアを付けての1位に輝いた。三冠達成で在る。先日の記事でも触れた様に、東野氏の力量からすれば正直物足りなさを感じてしまうし、此処迄高評価を得られる作品とも思えないのだが、彼が無名な頃よりその作品を愛読して来たファンとしては、三冠達成は素直に嬉しい。”無冠の帝王”とも言えた彼が、これを期により素晴らしい作品を生み出してくれる事を確信している。
話はガラリと変わるが、今日の記事は「ズバリ聞きます!」シリーズの第4弾。常日頃から疑問に感じたり、私見が定まらずに揺れている事柄に関して、皆様からの御意見を頂戴しようという趣旨で始めたこのシリーズだが、今回のテーマは「何故、死体遺棄が増えて来たのでしょうか?」。
凶悪犯罪が増加している昨今、幼児を狙った犯罪も目立つ様になった。他者の命を理不尽に奪う行為は絶対に許せないが、特に幼児の純真無垢な心を逆利用して近付き、鬼畜の所業を為したる輩は地獄の底に叩き落してやりたくなる。
怨恨からというのではなく、然したる動機も無い内に人をいとも簡単に殺めてしまう等、殺人の質も変わって来たが、死体の処置に関しても昔とかなり異なって来た様に思う。統計を調べた訳ではないので(果たしてそういった統計が在るのかどうかも疑わしい所だが。)、あくまでも感覚的な見解になってしまうが、昔の殺人犯は如何に見付からない様にするかと”死体隠し”に腐心していた気がする。それこそ、人里離れた山奥迄こっそりと死体を運び、深い穴を掘って埋める等、隠そうという意思が其処には見えていた。
しかし、昨今は人目に付く様な場所に無造作に遺棄するケースが目立ちはしまいか?隠すとしても本当に申し訳程度の隠し方で、何としても露見しない様にという強い意思が感じられないのだ。これは一体何故なのだろうか?明らかに多くの人々に対して、殺人の事実を知らしめたいという快楽殺人者的な存在。そういった輩は死体を隠そうとせず、寧ろ曝け出す事でエクスタシーを感じている事は判る。でも、そんな輩は絶対多数では無く、少数派に属すだろう。
自分以外の事には全く無関心な人間が増えて来た事が大きな要因ではないかと自分は思う。自分の事だけしか関心が無いので、自らの欲望の赴くままに行動する。他人に対して無関心で在るからこそ、他者の目も全く気にならない。故に、死体を隠そう等という”面倒な事”にも意識が働かない。
そう思う一方で、他者との関係が希薄な時代だからこそ、犯行が敢えて露見する事で社会に於ける自らの位置付けを確認したいという気持を、心の何処かに潜ませている犯人も居るのかなあと思ったりもする。突飛に過ぎる考えなのは判っているが、人心が複雑多様化と単純化といった相反する方向に向かっている現代だからこそ、そういった考えもあながち捨て切れないでいる。
もしかしたら、マスメディアが殺人事件をセンセーショナルに報じ立てる事が多くなった為に、死体遺棄が増加した様に”思えるだけ”なのかもしれない。
その辺も含めて皆様にズバリ聞きます。「何故、死体遺棄が増えて来たのでしょうか?」
話はガラリと変わるが、今日の記事は「ズバリ聞きます!」シリーズの第4弾。常日頃から疑問に感じたり、私見が定まらずに揺れている事柄に関して、皆様からの御意見を頂戴しようという趣旨で始めたこのシリーズだが、今回のテーマは「何故、死体遺棄が増えて来たのでしょうか?」。
凶悪犯罪が増加している昨今、幼児を狙った犯罪も目立つ様になった。他者の命を理不尽に奪う行為は絶対に許せないが、特に幼児の純真無垢な心を逆利用して近付き、鬼畜の所業を為したる輩は地獄の底に叩き落してやりたくなる。
怨恨からというのではなく、然したる動機も無い内に人をいとも簡単に殺めてしまう等、殺人の質も変わって来たが、死体の処置に関しても昔とかなり異なって来た様に思う。統計を調べた訳ではないので(果たしてそういった統計が在るのかどうかも疑わしい所だが。)、あくまでも感覚的な見解になってしまうが、昔の殺人犯は如何に見付からない様にするかと”死体隠し”に腐心していた気がする。それこそ、人里離れた山奥迄こっそりと死体を運び、深い穴を掘って埋める等、隠そうという意思が其処には見えていた。
しかし、昨今は人目に付く様な場所に無造作に遺棄するケースが目立ちはしまいか?隠すとしても本当に申し訳程度の隠し方で、何としても露見しない様にという強い意思が感じられないのだ。これは一体何故なのだろうか?明らかに多くの人々に対して、殺人の事実を知らしめたいという快楽殺人者的な存在。そういった輩は死体を隠そうとせず、寧ろ曝け出す事でエクスタシーを感じている事は判る。でも、そんな輩は絶対多数では無く、少数派に属すだろう。
自分以外の事には全く無関心な人間が増えて来た事が大きな要因ではないかと自分は思う。自分の事だけしか関心が無いので、自らの欲望の赴くままに行動する。他人に対して無関心で在るからこそ、他者の目も全く気にならない。故に、死体を隠そう等という”面倒な事”にも意識が働かない。
そう思う一方で、他者との関係が希薄な時代だからこそ、犯行が敢えて露見する事で社会に於ける自らの位置付けを確認したいという気持を、心の何処かに潜ませている犯人も居るのかなあと思ったりもする。突飛に過ぎる考えなのは判っているが、人心が複雑多様化と単純化といった相反する方向に向かっている現代だからこそ、そういった考えもあながち捨て切れないでいる。
もしかしたら、マスメディアが殺人事件をセンセーショナルに報じ立てる事が多くなった為に、死体遺棄が増加した様に”思えるだけ”なのかもしれない。
その辺も含めて皆様にズバリ聞きます。「何故、死体遺棄が増えて来たのでしょうか?」
死体を遺棄した犯人像を考える上で、そもそもの殺人行為が「衝動的」、「何となく」というキーワードとリンクしてしまうのは自分も同じです。
そして、「守るモノが無い。」、つまり自暴自棄な状態に在るからこそ、捕まる事への恐れを抱かないというのも要素としては在りそうですね。
よいクリスマスをお過ごしください。
異常な迄の自己顕示欲の強さから、愉快犯的、又は扇情的犯罪が多くなって来ている気はします。でもそうは言っても、そういった犯罪者って絶対多数では無く、寧ろ少数派に属すると思うんですね。
そう考えると、雪様やshoegirl様の書かれておられる「投げ遣り」、「集中力が続かない」、「無気力」、「全てが面倒臭い」、「想像力の欠如」といったキーワードが、個人的には何かシックリ来るんです。「自分以外の事(人)には極めて無関心」というのも、この延長線上に在る気がして。
雪様が指摘されている様に、犯した事に対して「次はどういう手を打つつもりだったのだろうか?」という部分が、結局は全くと言って良い程講じられていない(様に思える)ケースが目に付きます。これって、殺人の動機に関しても同じ事が言えますよね。「何がそうさせたの?」という部分が、全く理解不能という意味で。
shoegirl様の言われる「行き当たりばったりで人を殺して」しまい、雪様の言われる「人を殺した時点で、すべて完了してしまっているから、敢えて隠す必要性を感じない。」というのが、死体遺棄が増えて来た要因なのかなあと感じます。
死体をバラバラにする事で、殺した相手を意識の中で
間化し、その事で自責の念から逃げようとしているという考え方は成る程と思います。
唯そうなると、死体をそのままの形で遺棄しているというのは、どういう事になるんでしょうね?その辺が自分の中では理解出来ない部分なんです。
バラバラにする事は、自責の念から逃れたいという思いも在るかとは思うのですが、それに加えて細分化する事で見付かり難くなるのではないかという思い(変な喩ですが、犯罪者が逃亡する際に北に逃げるのは、南よりも一般的に暗くて寂しいというイメージが在る北で在れば、見付かり難いのではないかという思いが在るからだという説が在ります。それと一寸似ている発想の様に思います。)も在るのではないかと。そうで在れば、未だ「隠そう」という意思が潜在的に見える気がするんです。
でも、死体そのままを遺棄するというのは、どういう思い(意思)が在るのかなあと疑問を感じるんです。そう考えて行くと、やはり全てに無関心だからなのかなあという思いに行き着いてしまうんですよね・・・。
精神的に成熟しないまま社会に出てしまったという意味では、自分等も人様の事をどうこう言える人間では無いです(^o^;;;。唯、だからと言ってそういった人達皆が皆、犯行に手を染めるかと言えば話は別なんですよね。
極度に未成熟な犯人が、深い思慮無しに死体を遺棄する。それは在り得る様に思います。
自己顕示欲の表れとして、敢えて見付かる様に死体を放棄しているという事ですと、所謂「酒鬼薔薇事件」と合い通じる部分が在るという事ですね。自分の中では「何故に自分は評価されないのだ?こんな能力の在る自分が評価されないというのは、世間の価値観がおかしいのだ。」という鬱々とした思いが在って、世間に自分の為した事(言葉は不適切になってしまいますが、”成果”と彼等は考えているのかもしれません。)を披瀝して、自らの充足感を堪能する。そういう事は確かに在るとは思うのですが、唯、そういった犯人が絶対多数かと言えば、そうではない様に思うんです。
他者との繋がりが希薄になってしまったからこそ、大胆に遺棄してしまっても、身元がなかなか判明し辛いというのは無くは無いでしょうね。ましてや、身に付けているものも、大量生産時代の影響で、元を辿って行くのが困難という面も在ると聞きます。
同じ日本人で在りながら、”一般会話”(一般常識と置き換える事も出来ますが。)が通じ合わない人が増えて来ているというのは感じますね。
自己顕示欲の為に人殺しをする、
それこそ推理小説に出てくるようないわゆる劇場型犯人も中にはいるかもしれませんが、
ほとんどは想像力もなく、気力もない、
ただただいきあたりばったりで殺してみたものの、
それをどうしようという力も湧かない人達なのだと思います。
片が多いんですが、もちろんそういった犯罪も過去に記憶に鮮明ですが、最近はちょっとちがうかなあ・・と感じています。
自分の存在を知らしめたいという積極的意志よりも、すべてに投げやりで、死体の露見を防ぐまでは集中力が続かない・・というふうに感じるんですが。
変な言い方ですが、犯罪を犯す人の人間力とか、バイタリティというのも下がってきてるように感じるのは、わたしだけでしょうか。
TVでニュースを見ると
その後どうするつもりだったんだろう・、とか、すぐにばれてしまうことを・・
と、摩訶不思議な気分になることが多いんですが、犯人にとっては、罪を犯した時点で、すべて完了しちゃってる。隠さなくてもOK!なんじゃないでしょうか。
殺人犯が遺体をバラバラにする事は、殺した相手を意識のなかで間化しているのではないでしょうか?
遺体そのものだとあくまで自分が殺めた対象のまま。
これをバラバラにして「モノ化」する事により、自責の念から逃げようとしているのかもしれませんね。
しかし、俺も含めてこの世の中は幼児化が多いこと、なぜか、ピーターパンシンドロームを思い出した。あの中に犯罪者の幼児化が、会ったような・・。FBI心理分析官か?
間違ってたら、すまん。本棚のどっかにあったような・・。後で、探してみよう。
それと、ご近所同士のつながりが薄くなってきたこともあるのかな?と思います。ちょっと様子が変でも、声をかけることがない。だからこそ、大胆に死体遺棄してもその遺棄した人間が見つからないのではないでしょうか?
とにかく、変な人が多すぎます。つい先日ニュースになった、乳児3人を殺害した母親も、変です。人間の形をしていても、中身が宇宙人のような人が増えた先ごろ。なんだか、この先どうなってゆくのかがとても不安ですね。