このブログに何度か登場して貰っている”熱きタイガース・ファン”(本人曰く、最近は”冷めたタイガース・ファン”との事だが。)の後輩から、先日メールが届いた。件名が「どっきりカメラじゃあるまいし・・・」となっていたので、一体何の事やら?と思って内容に目を通したのだが、件名のラフさとは大きく異なり、体調不良の状態に在る事を記したものだった。ノロウイルスに感染し、非細菌性急性胃腸炎に罹患。下痢が止まらず、体重も落ちたとの事。ニュース等では何度か見聞したノロウイルスに、よもや知り合いが感染するとは思ってもいなかった。幸いにも体調は好転に向かっている様なので、その点ではホッとしているのだが、大事な後輩だけにくれぐれも体調管理には留意して貰いたい。
話を戻すが、「このメールの内容と件名がどう結び付くのか?」という事だが、一定年齢以上の方ならばピンと来るだろう。そう、ノロウイルスという言葉から野呂圭介(のろけいすけ)氏を連想し、其処から彼の代表作でも在る「元祖どっきりカメラ」を引き出したという訳だ。この発想に、メール内容の深刻さを一時忘れて、大笑いしてしまった。
今から丁度35年前の1970年にスタートした「どっきりカメラ」という番組。芸能人が仕掛け人となり素人や同業者を騙すという、今ではオーソドックスとなった”どっきり物”のスタイルを作り上げた番組と言って良いだろう。その後、類似番組が多く作られた為、番組タイトルに”元祖”という文字を入れた様に記憶しているが、後発番組とは比較にならない位の面白さだった。晩年こそ、”仕込み”を思わせる内容で興醒めはしたが、初期の頃は本当に面白かった。
仕掛け人として多く登場していたのが、小松方正氏や宍戸錠氏、玉川良一氏、ポール牧氏といった、実に個性的というか灰汁の強い面々。特に、ポール牧氏のホモ・キャラや、小松方正氏の苦みばしった親分ぶりが今でも忘れられない。彼等がターゲットとなった人物を散々騙した所で、赤いヘルメットを被り、手には「どっきりカメラ」と書かれたプラカードを持った野呂圭介氏が登場してネタばらしをし、最後は皆で「大成功!」の掛け声で締めるのがパターンだった。(あの野呂氏は、今や陶芸家として名を成されている様だ。昔の姿を知っている身としては、今の姿に隔世の感を覚える。)
幼少時から多くのバラエティー番組を見て来た。「元祖どっきりカメラ」もそうだが、「8時だョ!全員集合」や「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」等々、馬鹿馬鹿しくも腹を抱えて見ていた番組の数々。今考えると、どれも作り手のパワーが伝わって来る番組だった。
「下品。」とか「単なる芸人虐め。」と批判も多かった様だが、「ビートたけしのお笑いウルトラクイズ」も最高に面白かった。先日、この番組にレギュラー出演していたダチョウ倶楽部等が、当時を回顧している記事を読んだのだが、「バブル景気の余韻が残っていたあの当時、莫大な制作費を投じていた。億の金って話も在るし、今じゃあもうあんな番組作るの無理だろうなあ。」と語っていた。億という金額の信憑性は別にして、かなりの制作費をかけていた事は間違い無いと思う。「制作費の多寡=番組の魅力」に必ずしも直結しないのは言う迄も無いが、バラエティーに限らず、制作者と出演者の番組にかける意気込みが昔はもっと強かった様に感じる。
後輩のメールから、昔の番組を振り返る記事を書こうと思い立った訳だが、そんな中、俳優の藤木悠氏が御亡くなりになった事を知った。「Gメン’75」の山田刑事役も然る事ながら、「アイフル大作戦」や「バーディ大作戦」追出刑事役(確か愛称は「ドデカ」だったと思うが。)も忘れ難い。オリジナル・メンバーで、Gメンの特番を作って欲しいと願っていたのだが、それももう叶わなくなってしまった。好きな役者が、又、一人鬼籍に入られてしまったのは堪らなく寂しい。合掌。
話を戻すが、「このメールの内容と件名がどう結び付くのか?」という事だが、一定年齢以上の方ならばピンと来るだろう。そう、ノロウイルスという言葉から野呂圭介(のろけいすけ)氏を連想し、其処から彼の代表作でも在る「元祖どっきりカメラ」を引き出したという訳だ。この発想に、メール内容の深刻さを一時忘れて、大笑いしてしまった。
今から丁度35年前の1970年にスタートした「どっきりカメラ」という番組。芸能人が仕掛け人となり素人や同業者を騙すという、今ではオーソドックスとなった”どっきり物”のスタイルを作り上げた番組と言って良いだろう。その後、類似番組が多く作られた為、番組タイトルに”元祖”という文字を入れた様に記憶しているが、後発番組とは比較にならない位の面白さだった。晩年こそ、”仕込み”を思わせる内容で興醒めはしたが、初期の頃は本当に面白かった。
仕掛け人として多く登場していたのが、小松方正氏や宍戸錠氏、玉川良一氏、ポール牧氏といった、実に個性的というか灰汁の強い面々。特に、ポール牧氏のホモ・キャラや、小松方正氏の苦みばしった親分ぶりが今でも忘れられない。彼等がターゲットとなった人物を散々騙した所で、赤いヘルメットを被り、手には「どっきりカメラ」と書かれたプラカードを持った野呂圭介氏が登場してネタばらしをし、最後は皆で「大成功!」の掛け声で締めるのがパターンだった。(あの野呂氏は、今や陶芸家として名を成されている様だ。昔の姿を知っている身としては、今の姿に隔世の感を覚える。)
幼少時から多くのバラエティー番組を見て来た。「元祖どっきりカメラ」もそうだが、「8時だョ!全員集合」や「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」等々、馬鹿馬鹿しくも腹を抱えて見ていた番組の数々。今考えると、どれも作り手のパワーが伝わって来る番組だった。
「下品。」とか「単なる芸人虐め。」と批判も多かった様だが、「ビートたけしのお笑いウルトラクイズ」も最高に面白かった。先日、この番組にレギュラー出演していたダチョウ倶楽部等が、当時を回顧している記事を読んだのだが、「バブル景気の余韻が残っていたあの当時、莫大な制作費を投じていた。億の金って話も在るし、今じゃあもうあんな番組作るの無理だろうなあ。」と語っていた。億という金額の信憑性は別にして、かなりの制作費をかけていた事は間違い無いと思う。「制作費の多寡=番組の魅力」に必ずしも直結しないのは言う迄も無いが、バラエティーに限らず、制作者と出演者の番組にかける意気込みが昔はもっと強かった様に感じる。
後輩のメールから、昔の番組を振り返る記事を書こうと思い立った訳だが、そんな中、俳優の藤木悠氏が御亡くなりになった事を知った。「Gメン’75」の山田刑事役も然る事ながら、「アイフル大作戦」や「バーディ大作戦」追出刑事役(確か愛称は「ドデカ」だったと思うが。)も忘れ難い。オリジナル・メンバーで、Gメンの特番を作って欲しいと願っていたのだが、それももう叶わなくなってしまった。好きな役者が、又、一人鬼籍に入られてしまったのは堪らなく寂しい。合掌。
“昭和は遠くなりにけり”
と感慨深いです・・・。こちらの記事からも懐かしいタレントさんの名前が並んでいて、嬉しいやらなにやら(笑) 現在スカパーで放送中の「愛の戦士・レインボーマン」にも藤木さんが登場されていて、コミカルな芝居をされていますヨ♪
それでは、さようなら〆
保育所ではノロ風邪が流行り始めています。大人がかかるともう大変なんで戦々恐々ですー。