****************************
人々がバブル景気に酔い痴れでいた1988年。医療の世界も好景気に沸いていた。しかし、その5年前の1983年に霞ヶ関から発せられた「医療費亡国論」なる言葉が、その下に医療費削減へ、延いては医師数の削減へと舵を切り始めていたのだった。
唯、その影響が表出するのは未だ未だ先。医師は医療に集中し、医学生は自分の興味を追求し、クラブ活動やヴォランティアに明け暮れる事が出来た麗しの時代の話だ。東城大医学部剣道部の“猛虎”速水晃一と、帝華大医学部剣道部の“伏龍”清川吾郎という2人の非凡な剣士が、自らの存在を懸けて闘う。そしてその闘いの陰には、帝華大から東城大佐伯外科に招聘された“阿修羅”高階顧問の姿が在った。
医学部剣道部の象徴的大会「医鷲旗(いしゅうき)大会」で、2人の剣士が率いるチームがその頂点を目指す。医鷲旗を奪取するのは東城大か、将又帝華大か。そして遂に猛虎と伏龍が、己の全存在を賭けて相見える事に・・・。
****************************
現役勤務医でも在る海堂尊氏の近刊「ひかりの剣」の概要だ。デビュー作「チーム・バチスタの栄光」が高評価を得て、その後の作品も売れに売れている海堂氏。しかし昨秋辺りから、その作風に試行錯誤している節を感じていた。熟知している医学界を題材にした作品を生み続けて来た彼にとって、「このままでは作風がマンネリ化してしまうのではないか?読者に飽きられてしまうのではないか?」という不安が生じ、その結果これ迄とは毛色の異なる作品「夢見る黄金地球儀」や「医学のたまご」というコミカル路線に走ったのではないかと勝手に想像したりしている。唯、私見を述べさせて貰えば、この路線変更は必ずしも成功したとは思えなかった。「医学のたまご」の次に刊行された「ジーン・ワルツ」では、再び元の路線に戻した感じが在ったが、今回の「ひかりの剣」は剣道を題材にした作品で意表を突かれた思いが。
剣道を題材にしているものの、舞台になっているのは、海堂氏がデビュー作から一貫して拘っている「桜宮市」。海堂作品の常連達が、ずらっと顔を揃えている。「ジェネラル・ルージュの凱旋」の速水晃一、「ジーン・ワルツ」の清川吾郎、そして常連中の常連で在る“狸親父”の高階等々の若かりし時代の話。現実を知り尽くした“未来の”速水や清川に対して、“この時代の”彼等の青さに、自分自身の青春時代を重ね合わせて読んでしまう。
愛する息子・星飛雄馬を更に成長させる為、飛雄馬のライバルのアームストロング・オズマにアドヴァイスを送った星一徹。この鬼の父を思わせる、若かりし時代の高階の存在が、ストーリーに良いスパイスを効かしている。常連達の“その後の姿”を知っているだけに、“過去の姿”と比較するのも一興だ。
この記事を書く上で幾つかのサイトを当たったのだが、その過程で他作品とは一線を画している様に思っていた「医学のたまご」に、実は「ジーン・ワルツ」に登場した人物が“時を越えて”登場している事に気付かされた。シリーズ物に常連が登場するのは普通だが、大概は作品毎の時代を明確にしない事で、整合性に破綻を来さない様にしているもの。ところが海堂作品の場合は、作品毎の時代設定を明確にした上で常連を登場させている。過去に未来に現在にと常連達が登場し、尚且つ整合性に破綻を来していないのは凄い事。ストーリー展開も相変わらず面白く、やはりこの作家は徒者じゃ無い。
総合評価は星4つ。
心に残る文章が少なくない海堂作品。今回の作品の中で最も印象に残った物を、最後に紹介したい。高階顧問が清川吾郎に語った言葉だ。
「いいかい、清川君。素質と才能は違うんだ。この世の中には、素質があるヤツなんて、実は大勢いる。河原の石くらいごろごろしている。才能とは、素質を磨く能力だ。素質と才能、このふたつを持ち合わせている人間は少ない。素質と才能の違い、それは努力する能力の差なんだよ。」
人々がバブル景気に酔い痴れでいた1988年。医療の世界も好景気に沸いていた。しかし、その5年前の1983年に霞ヶ関から発せられた「医療費亡国論」なる言葉が、その下に医療費削減へ、延いては医師数の削減へと舵を切り始めていたのだった。
唯、その影響が表出するのは未だ未だ先。医師は医療に集中し、医学生は自分の興味を追求し、クラブ活動やヴォランティアに明け暮れる事が出来た麗しの時代の話だ。東城大医学部剣道部の“猛虎”速水晃一と、帝華大医学部剣道部の“伏龍”清川吾郎という2人の非凡な剣士が、自らの存在を懸けて闘う。そしてその闘いの陰には、帝華大から東城大佐伯外科に招聘された“阿修羅”高階顧問の姿が在った。
医学部剣道部の象徴的大会「医鷲旗(いしゅうき)大会」で、2人の剣士が率いるチームがその頂点を目指す。医鷲旗を奪取するのは東城大か、将又帝華大か。そして遂に猛虎と伏龍が、己の全存在を賭けて相見える事に・・・。
****************************
現役勤務医でも在る海堂尊氏の近刊「ひかりの剣」の概要だ。デビュー作「チーム・バチスタの栄光」が高評価を得て、その後の作品も売れに売れている海堂氏。しかし昨秋辺りから、その作風に試行錯誤している節を感じていた。熟知している医学界を題材にした作品を生み続けて来た彼にとって、「このままでは作風がマンネリ化してしまうのではないか?読者に飽きられてしまうのではないか?」という不安が生じ、その結果これ迄とは毛色の異なる作品「夢見る黄金地球儀」や「医学のたまご」というコミカル路線に走ったのではないかと勝手に想像したりしている。唯、私見を述べさせて貰えば、この路線変更は必ずしも成功したとは思えなかった。「医学のたまご」の次に刊行された「ジーン・ワルツ」では、再び元の路線に戻した感じが在ったが、今回の「ひかりの剣」は剣道を題材にした作品で意表を突かれた思いが。

剣道を題材にしているものの、舞台になっているのは、海堂氏がデビュー作から一貫して拘っている「桜宮市」。海堂作品の常連達が、ずらっと顔を揃えている。「ジェネラル・ルージュの凱旋」の速水晃一、「ジーン・ワルツ」の清川吾郎、そして常連中の常連で在る“狸親父”の高階等々の若かりし時代の話。現実を知り尽くした“未来の”速水や清川に対して、“この時代の”彼等の青さに、自分自身の青春時代を重ね合わせて読んでしまう。
愛する息子・星飛雄馬を更に成長させる為、飛雄馬のライバルのアームストロング・オズマにアドヴァイスを送った星一徹。この鬼の父を思わせる、若かりし時代の高階の存在が、ストーリーに良いスパイスを効かしている。常連達の“その後の姿”を知っているだけに、“過去の姿”と比較するのも一興だ。
この記事を書く上で幾つかのサイトを当たったのだが、その過程で他作品とは一線を画している様に思っていた「医学のたまご」に、実は「ジーン・ワルツ」に登場した人物が“時を越えて”登場している事に気付かされた。シリーズ物に常連が登場するのは普通だが、大概は作品毎の時代を明確にしない事で、整合性に破綻を来さない様にしているもの。ところが海堂作品の場合は、作品毎の時代設定を明確にした上で常連を登場させている。過去に未来に現在にと常連達が登場し、尚且つ整合性に破綻を来していないのは凄い事。ストーリー展開も相変わらず面白く、やはりこの作家は徒者じゃ無い。

総合評価は星4つ。
心に残る文章が少なくない海堂作品。今回の作品の中で最も印象に残った物を、最後に紹介したい。高階顧問が清川吾郎に語った言葉だ。
「いいかい、清川君。素質と才能は違うんだ。この世の中には、素質があるヤツなんて、実は大勢いる。河原の石くらいごろごろしている。才能とは、素質を磨く能力だ。素質と才能、このふたつを持ち合わせている人間は少ない。素質と才能の違い、それは努力する能力の差なんだよ。」

素質と才能のお話。自分も同じ考えでよくその例えをしたりします。自分は才能については努力する能力+環境と考えてますが。
「素質」と「才能」、これ迄特に深くこの2語の差異を考えた事は無く、漠然と同一の扱いをしていたのですが、今回の文章で「なるほど。」と感じ入った次第です。「環境」というのも確かに重要なファクターですよね。環境面が“或る程度”整っていないと、努力するだけでは自ずと限界が在りそうですし。