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「松島明子のブログが炎上 飯島愛訃報に絵文字は不謹慎??」(12月25日、J-CASTニュース)
タレントの松島明子さんが2008年12月24日に書いたブログに、批判の書き込みが殺到して炎上した。飯島愛さんの死を惜しむ文章だったが、ブログで使った絵文字が不謹慎だという理由だった。松島さんは、この日のブログを削除して謝罪した。
松島さんは「衝撃☆」というタイトルで、この日ブログを書いた。其処には、「速報で知りました(絵文字)『飯島愛』さんが、亡くなったと・・・(絵文字)ビックリです。。。言葉が出ないです。。。話したコトはないですが、『金スマ』で一緒だったというので、なんだか身近に感じてました。だから、物凄くショックです(絵文字)」と書かれていた。飯島さんの死を惜しむ普通の文章だが、アップ後間も無く批判の書き込みが殺到する。
コメントを見ると、「悲しい事なのに、題名に☆は無いでしょ。絵文字は無いでしょ。軽過ぎる。」、「絵文字は不謹慎です。訃報に絵文字使うブロガーは見た事在りません。」、「謝罪しなさいよ!!!」等が並び、こうした批判コメントを削除した事が「コメント消すなんて最低です。」と炎上に拍車を掛けた。
松島さんはブログをアップしてから4時間半後の21時22分にこの日のブログを削除、「今日の記事で、皆様に不愉快に思われたことに、大変申し訳なく感じております。大変すみませんでした。2007年度に、肉親を亡くしているので、人の命の大切さは、十分にわかっていたつもりでしたが、不十分でした。」との謝罪文をブログに掲載した。
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先ず最初に断っておきたいのは、自分はこの当該記事を読んではいないし、わざわざネットで調べて読もうとも思わない。あくまでもこの元記事だけをソースとして、今回の記事を書かせて貰う。その点を御理解戴きたい。
確かに「衝撃☆」の「☆」は不適切とは思うし、他にどういった絵文字を具体的に使ったのかは定かで無いが、これも「不謹慎」と思われる人も居よう事は理解出来る。彼女の為人を良く知っている人ならば別だろうが、そうで無い人にとっては書かれた文章だけで判断するしかないので、サラッと流し読みした場合、絵文字を見て「不謹慎」と捉えらてしまう可能性はゼロで無いだろう。昔、客先に送る英文レターを作成していた際、それを見た先輩からアドヴァイスを受けた事が在る。「気心知れた相手なら別だが、そうで無い相手に『?』を多用しない方が良い。『?』を多用する事で、『御前はそんな事も知らないのか?』というニュアンスを受けてしまう人も居るから。書いた人間はそんな気が全く無くても、記号というのは時に相手を不快にさせてしまう事も在る。」という物で、社会人に成り立てだった自分にとって目から鱗が落ちる、非常に在り難いアドヴァイスだった。絵文字も、同じ様な危険性を秘めていると言えよう。
唯、松島さんが書いた文章自体は「飯島さんの死を惜しむ普通の文章」だったという事で、「『こういう絵文字の使い方は良くないですよ。』という老婆心からの注意なら未だしも、『謝罪しなさいよ!!!』と迄バッシングされなければならないレベルの話だろうか?」という思いが正直在る。そもそも、誰に謝罪しろと言うのだろうか?飯島さんの御遺族にというのならば判らないでも無いが、この手のバッシングは「抗議している我々に謝罪しろ!」といった雰囲気を感じてしまう。
以前に「敬称」という記事を書いたが、例え最上級の敬称を用いた所で、その用いた主が本当にその相手に対して敬意を持っているかは判らない。敬称を用いなかったけれど、心の中ではその相手に対して最高の敬意を持っている場合だって在るだろう。人の心の奥底なぞ、当人以外は100%把握する事なんて不可能だ。
「訃報に絵文字使うブロガーは見た事在りません。」という批判の書き込み、自分には実に耳が痛い。これ迄に訃報の記事を多く書いて来た自分の場合も、絵文字を使っているからだ。その殆どは「合掌」の横にヒヨコが手を合わせる絵文字()で、自分としては最大限の弔意を表しているつもりなのだが、人によってはこれを「不謹慎」と捉えてしまう事も在るのだろう。自分としては記事に取り上げる位ショックな出来事で在り、心の中が哀しみに満ちていたとしても・・・。
「松島明子のブログが炎上 飯島愛訃報に絵文字は不謹慎??」(12月25日、J-CASTニュース)
タレントの松島明子さんが2008年12月24日に書いたブログに、批判の書き込みが殺到して炎上した。飯島愛さんの死を惜しむ文章だったが、ブログで使った絵文字が不謹慎だという理由だった。松島さんは、この日のブログを削除して謝罪した。
松島さんは「衝撃☆」というタイトルで、この日ブログを書いた。其処には、「速報で知りました(絵文字)『飯島愛』さんが、亡くなったと・・・(絵文字)ビックリです。。。言葉が出ないです。。。話したコトはないですが、『金スマ』で一緒だったというので、なんだか身近に感じてました。だから、物凄くショックです(絵文字)」と書かれていた。飯島さんの死を惜しむ普通の文章だが、アップ後間も無く批判の書き込みが殺到する。
コメントを見ると、「悲しい事なのに、題名に☆は無いでしょ。絵文字は無いでしょ。軽過ぎる。」、「絵文字は不謹慎です。訃報に絵文字使うブロガーは見た事在りません。」、「謝罪しなさいよ!!!」等が並び、こうした批判コメントを削除した事が「コメント消すなんて最低です。」と炎上に拍車を掛けた。
松島さんはブログをアップしてから4時間半後の21時22分にこの日のブログを削除、「今日の記事で、皆様に不愉快に思われたことに、大変申し訳なく感じております。大変すみませんでした。2007年度に、肉親を亡くしているので、人の命の大切さは、十分にわかっていたつもりでしたが、不十分でした。」との謝罪文をブログに掲載した。
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先ず最初に断っておきたいのは、自分はこの当該記事を読んではいないし、わざわざネットで調べて読もうとも思わない。あくまでもこの元記事だけをソースとして、今回の記事を書かせて貰う。その点を御理解戴きたい。
確かに「衝撃☆」の「☆」は不適切とは思うし、他にどういった絵文字を具体的に使ったのかは定かで無いが、これも「不謹慎」と思われる人も居よう事は理解出来る。彼女の為人を良く知っている人ならば別だろうが、そうで無い人にとっては書かれた文章だけで判断するしかないので、サラッと流し読みした場合、絵文字を見て「不謹慎」と捉えらてしまう可能性はゼロで無いだろう。昔、客先に送る英文レターを作成していた際、それを見た先輩からアドヴァイスを受けた事が在る。「気心知れた相手なら別だが、そうで無い相手に『?』を多用しない方が良い。『?』を多用する事で、『御前はそんな事も知らないのか?』というニュアンスを受けてしまう人も居るから。書いた人間はそんな気が全く無くても、記号というのは時に相手を不快にさせてしまう事も在る。」という物で、社会人に成り立てだった自分にとって目から鱗が落ちる、非常に在り難いアドヴァイスだった。絵文字も、同じ様な危険性を秘めていると言えよう。
唯、松島さんが書いた文章自体は「飯島さんの死を惜しむ普通の文章」だったという事で、「『こういう絵文字の使い方は良くないですよ。』という老婆心からの注意なら未だしも、『謝罪しなさいよ!!!』と迄バッシングされなければならないレベルの話だろうか?」という思いが正直在る。そもそも、誰に謝罪しろと言うのだろうか?飯島さんの御遺族にというのならば判らないでも無いが、この手のバッシングは「抗議している我々に謝罪しろ!」といった雰囲気を感じてしまう。
以前に「敬称」という記事を書いたが、例え最上級の敬称を用いた所で、その用いた主が本当にその相手に対して敬意を持っているかは判らない。敬称を用いなかったけれど、心の中ではその相手に対して最高の敬意を持っている場合だって在るだろう。人の心の奥底なぞ、当人以外は100%把握する事なんて不可能だ。
「訃報に絵文字使うブロガーは見た事在りません。」という批判の書き込み、自分には実に耳が痛い。これ迄に訃報の記事を多く書いて来た自分の場合も、絵文字を使っているからだ。その殆どは「合掌」の横にヒヨコが手を合わせる絵文字()で、自分としては最大限の弔意を表しているつもりなのだが、人によってはこれを「不謹慎」と捉えてしまう事も在るのだろう。自分としては記事に取り上げる位ショックな出来事で在り、心の中が哀しみに満ちていたとしても・・・。
「人権擁護法案」に付いては以前、記事としてでは無いのですが触れた事が在ります。「人権を守る」という概念は重要なのですが、問題は「人権擁護を盾にして不当な逆差別が行われたり、特定組織に対して一切物が言えなくなってしまう可能性が在る。」という点かと。人権蹂躙か否かを判定する「人権委員会」の顔触れがどうなるかや、その権力の強さによっては妙な方向に走り出す可能性が無いとは言えない。それこそ「被差別組織が『差別』を錦の御旗にして不当な要求を通し、一般人がその事で逆差別を受ける。」というのと同じ事が、否、それ以上のおかしな事が生み出される可能性が在るとも言えましょう。
唯、その一件“だけ”が、麻生首相への批判に繋がっているとも思っていません。これはあくまでも私見ですが、一国の首相としての素養が彼に在るとは思えないからです。
「人権擁護法案」に関しては国民一人一人がきちんと注視して行かなければいけないとは思っていますが、麻生首相の素養に関しては別に切り離して考えて行く必要が在るというのが自分の考えです。
今後とも何卒宜しく御願い致します。
飯島愛さんにも関係あるかもしれません。
「人権擁護法案」(法案の内容をご存じなければぐぐってください)にも関連があります。
国民一人一人の力が必要なので支援を・・
http://blog.goo.ne.jp/nakagawasake
上でマヌケ様宛てに書かせて貰ったのですが、既に高齢者の範疇に入っている伯母が、絵文字を結構使ったメールを送る様になったのはビックリ。今時の若い子の格好を見ては「あんなチャラチャラした姿は・・・。」とボヤいていたのに。そう言えば、「インターネットを馬鹿にしていた爺ちゃんが、インターネットで孫の現況をこまめにチェックする事に嵌ってしまい、挙げ句に知り合いに『これ、俺の“メアド”だからよ。』とメールアドレスを教えている。」というCMが在りましたね。初めて見た時は、思わずニヤッとしてしまいました。
御身内の御不幸が続いたとの事、心より御悔み申し上げます。先日の記事(http://blog.goo.ne.jp/giants-55/e/0081062c609497ef97dbdf6dc0ce1e0b)でも触れましたが、今年は若い知人の訃報に接し、「人が亡くなる順番って、必ずしも年齢順では無いのだなあ。」という事を再認識させられました。又、同世代の知人の御両親が亡くなったという訃報が近年はチラホラ入って来る様になり、「自分もそんな年になったんだなあ。」と感慨を覚えたりも。
飯島さん、若い頃は御両親とも様々な葛藤が在った様ですが、有名になってからは御両親用にマンションを購入していたと報じられていましたね。色々在ったのでしょうが、最後は御互いに判り合えたのでしょうね。
確かに絵文字を多用するのは場合によっては不味いなあと思ってます。
でも自分の親世代(60代後半~70代)に携帯メールのやり方とか教えてあげるとビックリするほど絵文字を多用してお礼のメールをくれたりするんですよ。気持ちが若くなるような、華やぐような感じがあるんでしょうね。
正直最初は「うっ(大汗)」と思ったりしたんですが。
この12月も半ばを過ぎて、身内に相次ぐ不幸で大変でした。いわゆる喪中ハガキを出す範囲の親族ではないのですが、そのうちの一人は男兄弟のない自分には兄代わりのような存在だったので、とても年賀状を出す気にもならず、来た分は寒中見舞いで返礼しようかなと手配したり、なんだか慌しいです。
飯島さんの親族の方、お父上のコメントを読みましたが、「大久保松恵として帰ってきた」というコメントが胸に残りました。
自伝本の生い立ち部分では悪役のように描かれていたお父さんでしたが、彼も当然深い葛藤を抱えていたんだろうなと。しみじみ思いました。
>元気の象徴
10年ぐらい前かな?よく彼女のラジオ番組を聞く機会があったのですが、結構けだるいと言うか暗い感じを受けました。最初はラジオだからやる気がないのかなと思ったのですが、たまたま何回も聞いていると必ずしもそうではないと感じました。
でもマスコミで報じられるように彼女が不幸なだけだったとは決して思いたくない、彼女のファンではなかったが、決して不幸なだけでも孤独なだけでもなかったと信じたい、そんな気持ちがあります。
人それぞれに趣味&嗜好は異なりますから、或る事柄に付いて「嫌い。」と思うのは在りだと思うんです。「自分が絵文字を使わないから好きでは無い。」という人が居ても、それはそれでその人の考えですから尊重はしたいと思いますが、色々な可能性を自ら狭めてしまっている感じがして、「勿体無いなあ。」とも思います。
初期の頃の「ブログ炎上騒動」は、概して書き手の文章に大なり小なり問題を感じる物が殆どでしたが、最近は「それって難癖以外の何物でも無いのでは?」と思う様な“批判の書き込み”も目立ちます。文面から「虐めるのに良い対象が見付かったぞ!」という嬉々とした雰囲気が感じられ、実に嫌な気が。
こちらにもしばしば書き込みをして下さり、こちらがずっと勝手に男性とばかり思い込んでいた方が、実は女性で在るという事につい最近気付かされました。現実の自分とは全く別人格にも成り得るというのが、ネット社会の面白い所でも在り、怖い所でも在ります。普段は常識的で大人しい人物が、ネット上ではとんでもない“悪魔”になってしまう事も。ネット社会でのエチケット、即ち“ネチケット”を身に付けないといけないなあと自戒を込めて思います。
絵文字はかなり普及しましたよね。絵文字なんか知らないだろうと思っていた伯母が、うちの親に絵文字入りのメールを送っているのを知って、引っ繰り返ってしまった位ですから。
ブログが炎上するのはほとんどブログ主に原因があると思いますが、この件についてはよくわかりません。
関係ないのに、後ろからやってきて、ゴンゴンどついて、さっと逃げるヤツがいました。
こういう「炎上」に便乗して、悪意コメントを書き込むヤツは、子供のころに便乗殴りを思い出します。
絵文字に関しては、なんともいえません。ただ、日本の文字の基本である、漢字も元々絵文字だったのですから、今のいわゆる絵文字も、そのうち定着するかもしれませんね。
ただ、私は絵文字は、自分のブログに使いません。
飯島さんの熱烈なファンだからこそ、「謝罪しなさいよ!!!」という書き込みになった可能性も在るとは思います。唯、客観的に見ると、「これだけ立腹している自分」に酔っているだけの様な感じもするし、大事なのは「書き手の弔意の有無」ではないのかなあと。
どういう文章で在れ、相手に対する“最低限のリスペクト”が感じられない物は、好ましいと言えないでしょうね。
これは久保課長様だけでは無いのですが、自分(giants-55)と異なる見解のコメントを書かれる際、その差異に付いて「申し訳無いのですが・・・」といった但し書きを書き込まれる方が居らます。以前にも何度か書いております様に、人の思考や意見は十人十色で当然。どれだけ親しい間柄で在ったとしても、思考や意見が100%合致するなんて事は無い訳で、その辺は全く気になさらないで欲しいし、但し書きなぞは全く御不要ですから。
「同じ集合体に属する相手に対してだからこそ、絵文字を使うのは不謹慎。」という考え方はなるほどです。一般人の場合で言えば、御悔みの手紙の中に絵文字を入れる様な感覚と置き換えれば、確かにそれは不謹慎。唯、それにしても「謝罪しなさいよ!!!」というのが誰に対しての物なのだろうか?という思いが、どうしても残ってしまうんですよ。良く皇室関連の話題をワイドショーで扱う際、コメンテーター達がこれでもかと言わんばかりに、それこそ歯が浮く様な美辞麗句&(皇族達の在り得ない様な)超人伝説を並べ立てますよね。中には「これだけ皇室を尊敬しているなのだぞ。」とアピールしている自分に酔っている様な人もしばしば見受けられ、個人的には気持ちが悪い。「謝罪しなさいよ!!!」と飯島さんの御親族が口にするなら判るのですが、そうでは無い人間が口にすると、「立腹している自分に酔っている」様な感じもしてしまいます。
私はいわゆる2ちゃんねる風の言葉遣いにイライラします。それも40や50の人だと、その人の性格までうたがってしまいます。いけませんね、「謝罪しろ」ネットイナゴと同類です。。。
同じ芸能人仲間の訃報に対して絵文字を使うと多少は不謹慎と思われても仕方ないかもしれませんね。(もちろんこの程度の事でメクジラ立てて批判するのはバカげてるとは思いますが。) これが一般人のブログであれば何ら問題ないかと。もちろん人の死を茶化すような意図があれば論外ですけど。
これは先日giants-55さんが記事にされてた「敬称」の件にもつながるような気がするんですが、有名人のブログなら他の著名人には基本的に敬称はつけるべきだろうし、一般人のブログでは特別な場合を除いて敬称をわざわざつけないほうが逆にしっくり来るように思います。あくまで私見ですので気にしないで下さいね。
好意を感じている著名人が亡くなるのはショックな出来事で在りますが、特にその人物が自身より年下だとそのショック度は増します。引退理由に健康不安を挙げてはいましたが、元気な象徴の様な飯島さんだっただけに、今回の訃報はショックだし、残念です。本当に、今年最後の暗いニュースで在って欲しいですね。
今後とも何卒宜しく御願い致します。
「『食べれる』では無く、『食べられる』が正しい言い方。」と指摘される様になって久しいですが、近年では「食べれる」という言い方が定着しつつ在り、これに嫌悪感を持つ人も徐々に減って来ている様に感じます。時代と共に言葉も変化して行っているという事なのでしょうが、絵文字も同じ様な過程を辿って行くのではないでしょうかね。私見で言えばTPOを弁えていれば、絵文字の使用は別に構わないと思っています。まあ今回のケースがそのTPOを弁えているか否かは、人によって当然判断が異なるでしょうが。
絵文字にはそんな感覚を持っている自分ですが、多用し過ぎているケースには一寸付いていけないのも事実。それこそ一単語毎に絵文字を入れているなんていうのは読み難く感じる。又、所謂ギャル語に関してはtak様と同感。「ギャル語にそう思うのはおっさんの証拠。」と言われるかもしれませんが。
今年最後の暗いニュースであってほしいです。
絵文字だけでなく今回のお悔やみの文章にいわゆる「ギャル文字」を使っていた人も見受けられました。
「ぉ悔ゃみ申しぁけ〃ます★」
これ訃報でなくてもイラッとくるんです。。。