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世間が大阪万博に沸き返る1970年、石井洋一郎(いしい よういちろう)の父は母と離婚後、音信不通に。48年振りに再会した父は、既に骨壺に入っていた。遺された父の“生”の断片と共に、洋一郎は初めて自分と父親との関係に向き合おうとする。
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重松清氏の小説「ひこばえ」を読破。ひこばえという言葉自体は知っていたけれど、意味合いは知らなかった。「蘖」と書き、「樹木の切り株や根元から生えて来る若芽。」を指す事を此の作品で知り、読み終えた時「内容にピタリと合う、良いタイトルを付けたなあ。」という思いが。
主人公の“洋一郎”は、3度苗字が変わっている。生まれた時は“石井”だったが、金にだらしない父・信也(しんや)が1970年、洋一郎が7歳の時に母と離婚し、家を出て行ってからは、母の旧姓で在る“吉田(よしだ)”を名乗る事に。そして、母が再婚した事で、洋一郎の苗字は“長谷川”に変わった。自分と姉・宏子(ひろこ)という子持ちの母が再婚したのは、2人の連れ子(男の子2人)を持つ男性だった。そして、月日が流れて迎えた2018年、55歳の洋一郎は介護付き有料老人ホーム「ハーヴェスト多摩」の施設長を務めている。大学卒業後に生命保険会社に就職したものの、5年前の50歳の時に関連会社で在るハーヴェスト多摩に出向させられたのだ。娘と息子が社会人となり、娘の出産を控えている。自身が祖父という立場になる日が間近に迫り、定年が遠い存在では無くなった時、突然、実父・信也が亡くなったという連絡を受ける。父に苦労させられた母を見続けていた姉は、父に対して強い嫌悪感を持っているが、別れた時に幼かった洋一郎には父の記憶が殆ど無い。でも、父が出て行ってしまった事での寂しさや辛さは経験しており、父に対する複雑な思いを抱えている。なので、当初は父(=骨壺)に会いに行くのも抵抗が在った洋一郎だったが、「仕方無い。」という思いから赴き、父を知る人達から話を聞いて行く中で、自分が知らない父の事を知る。そんなストーリー。
洋一郎が実父と別れたのは7歳の時で、再会したのは55歳。別れた時から、48年が経過している。父と間近で接していた7年に対し、知らない期間は約7倍の48年。幼い頃に病気で父を亡くした自分の場合、父と暮らした年数の約3倍過ぎ去っている。別れた原因は「離婚」と「死亡」という違いが在るにせよ、「自身が生きて来た中で、父と接していなかった年数の方が遥かに長い。」という意味では、洋一郎の気持ちが凄く理解出来る。
自分の場合、母は再婚しなかったので義父というのは存在しない。でも、仮に義父が存在していたら、洋一郎の様に義父に対しても複雑な思いを持ったかも知れない。義父は洋一郎達に優しく接してくれたし、そんな義父に対して洋一郎達は強く感謝している。でも、「“血の繋がった親子”では無い。」という遠慮が心の何処かに在り続け、「御互いに100%打ち解けた関係。」は築けなかった様に感じている洋一郎。母も義父の2人の連れ子に対し、同様だったのではないかとも。
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寂しさとは、なにか。ハーヴェスト多摩に暮らす人生の先輩たちを見ていると、それは胸にぽっかりと空いた穴に吹き抜ける風のようなものではないか、という気がする。仕事をリタイアした人には、仕事の形の穴が空く。連れ合いを亡くしてしまった人には、夫や妻という形の穴が空く。住み慣れた我が家を処分してハーヴェスト多摩に来た人の胸には、我が家という形の穴が空き、いままでご近所で親しく付き合ってきた仲間一人ひとりの穴が空き、我が家や我が町と決して切り離すことのできない思い出という穴が空く・・・。かつてあったものがなくなってしまったときに、寂しさが生まれる。だから、人は寂しさを「埋める」ことを考えるのだ。
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父を知る人達からの話によって、洋一郎が知るのは「金にだらしなく、多くの人達に迷惑を掛け続けて来た父の人生。」だった。少なからずの人間が嫌悪していた現実を知り、堪らない気持ちになる洋一郎だったが、でも、そんな父に心を寄せてくれた人も存在する事を知る。彼等の話から、忘れていた父の思い出を取り戻したり、自分が父に似ている部分が在るを知ったり、別れた家族達に対する思いを持ち続けていた事が判って行き、父に対する頑なな思いが氷解して行く。其れは、母も姉も。
「ひこばえ」では、複数の“父と息子”の姿を描いている。自分の経験からも、「父と息子の関係性は、母と息子の関係性とは違った物が在る。」と思っている。単なる性別の違いでは無く、距離感の違いとでも言おうか。実父の記憶が殆ど無く、又、仕事人間として子供達と余り向き合って来なかったという思いが在る洋一郎。息子の立場としても、父親の立場としても、複雑な思いを持っている。でも、別れた実父の過去を知って行く中で、自分や自分の息子の中に脈々と受け継がれている物が在る事を感じ、そして娘が生んだ孫の中にも在るのではないかと。其れこそが「蘖」、「樹木の切り株や根元から生えて来る若芽。」で在るのだ。
重松氏は自分と同年代なので、彼の書く作品からは“幼き頃の懐かしさ”を感じる事が多い。今回の「ひこばえ」も同様で、読んでいて涙が出た。
総合評価は、星4つとする。