先週の土曜日、パ・リーグ公式戦は開幕を迎えた。WBCで日本チームが世界一を達成した事から客足が伸びるとは思っていたが、開幕戦では昨年(の開幕戦)よりも約2万5千人増、2戦目でも昨年の開幕戦並みの観客動員数となり、自分の予想を上回る、実に幸先の良いスタートを切った。この勢いを一過性のものにする事無く、一層ファンを魅了するプレーを選手達には心掛けて貰いたい。
さて、華やかな舞台が繰り広げられる一方で、同じ野球の世界でも様々な事柄が同時進行している。その中から、2つの事柄を取り上げてみたいと思う。
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① 報奨金と年俸査定
WBCで日本チームが世界一を達成した事を受けて、ジャイアンツは自チームから出場した上原浩治投手と李承選手にそれぞれ1千万円の報奨金を送る事と、WBCでの成績を今オフの年俸査定に加味する事を発表した。
この事に対して、他チームからは異論&反論の声が上がっている。主な声は、「報奨金は各チームが払うものでは無く、球界全体として払うべきもの。」、「本来、年俸の査定は所属チームに対してどれだけ貢献したかで判断されるもので在って、WBCの成績は所属チームへの貢献では無いので、それを年俸の査定に加味するのはおかしい。」というもの。
確かに筋論としてはその通りだと思う。WBCという世界的な大会で死力を尽くして頑張った選手達が、所属しているチームが異なる事で報奨金の額が異なったり(若しくは貰えなかったり)、その成績が年俸査定に加味されたりされなかったりというのでは、選手達の思いも複雑だろうし、気の毒にも思う。
WBCに出場し、その結果大怪我を負って1年間を棒に振った場合*1、「それは所属チームとは無関係なのだから年俸は下げる。」となったら、プロ選手として死活問題でも在る。だからこそ、”本来は”球界として然るべき取り決め&システム作りをしておくべきだったのだが、残念ながら我が国のプロ野球界には、有事に在ってはダンマリを決め込むくせに、日本チームが世界一を達成すると、ノコノコとその場を訪れて記念写真のど真ん中に写り込む様な、厚顔無恥な腐れコミッショナーが鎮座している以上、球界として選手達に報いる環境整備を望むのは難しいと言わざるを得ない。
それ故に、決してベストとは言えないが、今回に限って言えばジャイアンツの決断は正しかったと自分は考える。(所属チームには貢献していないかもしれないが、日本という国に対して貢献していると言えるのではないか。)
② 小池秀郎選手
先ずはこちらの記事を読んで戴きたい。
1990年のドラフトでオリオンズから1位指名を受けるも、入団を拒否して社会人野球の世界に進んだ彼。(当時オリオンズの監督だったカネやんが、小池選手の入団拒否に怒り狂っていた姿を今でも忘れられない。)そして、1992年のドラフトでバファローズに1位指名されプロ入りを決めた。
1997年にはパ・リーグ最多勝利投手に輝いた彼だったが、その後は年齢と共に球威が衰え、2000年にドラゴンズにトレード、そして2002年には再びバファローズに復帰という道を辿った。この過程では、先発から中継ぎ、そしてワンポイント要員へと役割が転じて行き、投球フォームもオーバースローからサイドスローに変更する等、もがき苦しんでいた時代と言えるだろう。
2005年からは分配ドラフトによりゴールデンイーグルスに移籍するも、投球回数は僅か7回3分の2に留まり、昨年9月12日に自由契約を告げられた。他チームから「打撃投手をしないか?」という誘いも在ったそうだが、「又マウンドに立って、バッターと勝負がしてみたい。(中略)子供の頃からずっと続けて来た野球を、未だやり足りないという事なんでしょう。未だ思い出を語るには早過ぎると思いました。」という気持ちが強く、嘗てバファローズで同じ釜の飯を食べた野茂英雄選手が運営しているクラブチーム「NOMO Baseball Club」に所属する事となる。
このチームで投手コーチを兼任しながら、プロ復帰の道を模索している小池投手。しかし、現実は非常に過酷で在る。最高時は推定年俸6千4百万円を稼ぎ出した男が、スポーツジムでアルバイトをしながら、プロ選手としての肉体をキープすべく鍛練に励む毎日。
又、現在37歳という年齢ですらプロ復帰への大きな障壁と言えるのに、加えてプロアマ規定が大きく立ち塞がっている。一度社会人野球に登録すると2年間はプロ契約をする事が出来ないという規定だ。つまり、彼が今年&来年のトライアウトに挑戦する事は許されず、次のチャンスは39歳という事になる訳だ。
この事に付いて彼は、「(39歳でのプロ復帰は)無理だと言いたいんでしょうか。でも、僕はそうは思わない。気持ちさえ留めておけば、チャンスは必ず来ると信じています。」と最後に語っている。
冷静な目で見れば、彼のプロ復帰の可能性は限りなくゼロに等しいと言わざるを得ない。でも、ゼロに等しくてもゼロでは無いのも確かだ。工藤公康投手も、一度は引退を覚悟した中から復活し、42歳の今も現役で頑張っている。
小池投手には夢を諦めないで欲しいと思う一方で、現役のプロ野球選手には「プロ野球選手で居られる事の在り難さをもっと自覚して、弛まぬ努力を怠らないで欲しい。」と強く思う。
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*1 ワシントン・ナショナルズに所属し、WBCではメキシコチームの選手として出場したルイス・アヤラ投手。彼は試合中に右肘を痛め、医師の診断を受けた所、腱移植手術が必要で今季の試合出場は絶望と告げられたという。大会前から肘に不安が在り、ナショナルズは欠場を求めていたが、本人の意思で出場したのだとか。
さて、華やかな舞台が繰り広げられる一方で、同じ野球の世界でも様々な事柄が同時進行している。その中から、2つの事柄を取り上げてみたいと思う。
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① 報奨金と年俸査定
WBCで日本チームが世界一を達成した事を受けて、ジャイアンツは自チームから出場した上原浩治投手と李承選手にそれぞれ1千万円の報奨金を送る事と、WBCでの成績を今オフの年俸査定に加味する事を発表した。
この事に対して、他チームからは異論&反論の声が上がっている。主な声は、「報奨金は各チームが払うものでは無く、球界全体として払うべきもの。」、「本来、年俸の査定は所属チームに対してどれだけ貢献したかで判断されるもので在って、WBCの成績は所属チームへの貢献では無いので、それを年俸の査定に加味するのはおかしい。」というもの。
確かに筋論としてはその通りだと思う。WBCという世界的な大会で死力を尽くして頑張った選手達が、所属しているチームが異なる事で報奨金の額が異なったり(若しくは貰えなかったり)、その成績が年俸査定に加味されたりされなかったりというのでは、選手達の思いも複雑だろうし、気の毒にも思う。
WBCに出場し、その結果大怪我を負って1年間を棒に振った場合*1、「それは所属チームとは無関係なのだから年俸は下げる。」となったら、プロ選手として死活問題でも在る。だからこそ、”本来は”球界として然るべき取り決め&システム作りをしておくべきだったのだが、残念ながら我が国のプロ野球界には、有事に在ってはダンマリを決め込むくせに、日本チームが世界一を達成すると、ノコノコとその場を訪れて記念写真のど真ん中に写り込む様な、厚顔無恥な腐れコミッショナーが鎮座している以上、球界として選手達に報いる環境整備を望むのは難しいと言わざるを得ない。
それ故に、決してベストとは言えないが、今回に限って言えばジャイアンツの決断は正しかったと自分は考える。(所属チームには貢献していないかもしれないが、日本という国に対して貢献していると言えるのではないか。)
② 小池秀郎選手
先ずはこちらの記事を読んで戴きたい。
1990年のドラフトでオリオンズから1位指名を受けるも、入団を拒否して社会人野球の世界に進んだ彼。(当時オリオンズの監督だったカネやんが、小池選手の入団拒否に怒り狂っていた姿を今でも忘れられない。)そして、1992年のドラフトでバファローズに1位指名されプロ入りを決めた。
1997年にはパ・リーグ最多勝利投手に輝いた彼だったが、その後は年齢と共に球威が衰え、2000年にドラゴンズにトレード、そして2002年には再びバファローズに復帰という道を辿った。この過程では、先発から中継ぎ、そしてワンポイント要員へと役割が転じて行き、投球フォームもオーバースローからサイドスローに変更する等、もがき苦しんでいた時代と言えるだろう。
2005年からは分配ドラフトによりゴールデンイーグルスに移籍するも、投球回数は僅か7回3分の2に留まり、昨年9月12日に自由契約を告げられた。他チームから「打撃投手をしないか?」という誘いも在ったそうだが、「又マウンドに立って、バッターと勝負がしてみたい。(中略)子供の頃からずっと続けて来た野球を、未だやり足りないという事なんでしょう。未だ思い出を語るには早過ぎると思いました。」という気持ちが強く、嘗てバファローズで同じ釜の飯を食べた野茂英雄選手が運営しているクラブチーム「NOMO Baseball Club」に所属する事となる。
このチームで投手コーチを兼任しながら、プロ復帰の道を模索している小池投手。しかし、現実は非常に過酷で在る。最高時は推定年俸6千4百万円を稼ぎ出した男が、スポーツジムでアルバイトをしながら、プロ選手としての肉体をキープすべく鍛練に励む毎日。
又、現在37歳という年齢ですらプロ復帰への大きな障壁と言えるのに、加えてプロアマ規定が大きく立ち塞がっている。一度社会人野球に登録すると2年間はプロ契約をする事が出来ないという規定だ。つまり、彼が今年&来年のトライアウトに挑戦する事は許されず、次のチャンスは39歳という事になる訳だ。
この事に付いて彼は、「(39歳でのプロ復帰は)無理だと言いたいんでしょうか。でも、僕はそうは思わない。気持ちさえ留めておけば、チャンスは必ず来ると信じています。」と最後に語っている。
冷静な目で見れば、彼のプロ復帰の可能性は限りなくゼロに等しいと言わざるを得ない。でも、ゼロに等しくてもゼロでは無いのも確かだ。工藤公康投手も、一度は引退を覚悟した中から復活し、42歳の今も現役で頑張っている。
小池投手には夢を諦めないで欲しいと思う一方で、現役のプロ野球選手には「プロ野球選手で居られる事の在り難さをもっと自覚して、弛まぬ努力を怠らないで欲しい。」と強く思う。
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*1 ワシントン・ナショナルズに所属し、WBCではメキシコチームの選手として出場したルイス・アヤラ投手。彼は試合中に右肘を痛め、医師の診断を受けた所、腱移植手術が必要で今季の試合出場は絶望と告げられたという。大会前から肘に不安が在り、ナショナルズは欠場を求めていたが、本人の意思で出場したのだとか。
プロ野球経験って「前科」なんでしょうか?
サッカーは代表出場すると協会からお金貰えましたっけ?
アジア公式プログラムに文も載せていないくせに(ナベツネの挨拶文はあるのですが)、さも自分が団長みたいな顔でしゃしゃり出て来た自称コミッショナーに期待なぞする方が悪いのでしょう。
読売が報奨金を払うのは、WBCアジアラウンド主催者として当然かもしれませんよ。2選手なんてケチなことを言わないで、全選手に大盤振る舞いすりゃいいんです。
イチローに色目使う暇があるならこのくらいはやるべきです。
WBCで活躍した選手が所属するチームの試合ならなおのことです。
それを考えると、所属チームから報奨金を出す、査定に加味するのは間違ってはいないと思います。
一方でやはり球界として報奨金や万一の時の保険金(適当な言葉ではないかもしれませんが)を出せるようなシステムは必要かと思います。
せっかく盛り上がった野球人気、すべての球団の選手の皆さんにはこれを一過性のもので終わらせないようにすばらしい試合を見せてくれるよう心から期待します。
また、giants-55さんの投稿内容からは少しはずれますが、元プロ野球野球選手の引退後の就職については球界がもっと真剣に考えるべき問題だと思います。皆野球が大好きで、また才能と経験のある人たちなのですから、野球と全く関係のない仕事を新たにはじめるのは本人が希望する場合をのぞいて大変もったいないことだと思います。
上でやま様も書かれておられますが、直接的には所属チームに対して貢献していないとしても、WBCでの活躍を見て「あの選手の出ている試合を観に行こう。」、「野球って面白いんだなあ。生で観てみるか。」と球場に足を運んだり、関連グッズを買ったりする人が増えるのは予想される事で、ひいては彼等の声援がチームをより盛り上げて行くかもしれず、間接的にチームへの貢献はしていると思うんです。
必ずしもWBC参加に前向きではなかった選手達。そんな中で、敢えて出場してくれた選手達には、それなりの報酬を与えて欲しいと願います。本来は球界全体がそういったシステムを作るべきなのですが、記事でも触れた様にあの腐れコミッショナーが居座っている現状ではそれを望むべくも無く、で在ればチーム個々がそれなりのケアをして貰いたいです。
あと、プロ野球選手の引退後のケアに付いてですが、この点に付いては以前に何度か記事にしました。「背番号34を思い出してしまった」(http://964.jp/Z3Ir)や「引退後に球界を離れざるを得ない者達の為に」(http://964.jp/Z3Is)、「本人が悪いのは当然!でも・・・」(http://964.jp/Z3It)等がそうですが、選手が現役の頃から球界全体でより組織だったよりまともな講習を行い、そして選手達自身ももっと引退後の事を真剣に考えて行く必要が在ると思っております。
憧れの視線で見詰めている選手達の引退後が、悲惨なもので在ってはファンとしても哀し過ぎますので・・・。
P.S. どうでも良い話では在るのですが、Sango-Q様の御名前の由来が非常に気になって気になって。「もしかして、孫悟空を捩ったものだろうか?」とか、「3x5(サンゴ)だったら9(Q)ではなく15なので違うしなあ。」等と、色々想像しております(笑)。
以前、もしかしたら伺ったかもしれませんが、教えて戴けると嬉しいです。
HNの由来ですか。
ひょっとするととっくにご推察かと思っていたのですが。
なぞなぞ遊びをするつもりはないのですが、一度だけお付き合い下さい。
ヒント1.私が一番好きな球団はgiants-55さんと同じです。
ヒント2.giants-55さんの「55」は松井(秀)選手の背番号ですよね?
それから全くの余談です。
私も最近ラジオで聴いて知ったのですが、ベースボールを、初めて野球と日本語に訳したのは、第一高等中学校の野球部員であった中馬庚(ちゅうまん かなえ)だそうです。ずっと正岡子規だと思っていました。
判じ物は好きなのですが、そういう意味が在ったとは全く気付きませんでした。松井秀喜選手が好きな自分(giants-55)ですが、その前は吉村禎章選手が好きでした。そうなると、Gogo-Nana(若しくはGogo-Shichi)となる訳ですね。
清水隆行選手は良い選手です。彼の大ファンと公言している中居君の場合はかなり怪しいですが(笑)、一般的には玄人受けする選手ですよね。自分もああいった職人タイプの選手は好きで、力が在りながら守備に難在りという事でレギュラー定着していなかったのをもどかしく思っています。
今季は広岡大先生の指導を受け、大先生曰く「格段に守備力が向上した。」との事ですので、大いに期待したいと思っております。
それと、「Baseball」を「野球」と意訳したのは正岡子規氏だとずっと信じ込んでいました。早速調べました所(http://964.jp/Z3IH)、御指摘の通り中馬庚氏という方が意訳されたものなんですね。「トリビアの泉」の1コーナーに、一般に広く信じられている”常識”だけれども、実はガセネタという物を紹介する「ガセビアの沼」(といったタイトルだった思いますが。)というのが在りますが、此処に出せるネタですね。勉強になりました。
清水選手をルーキーの時からずっと応援しているのですが、なかなか認められず悔しい思いをしてきました。
プレーもですが、野球に対する純粋で真摯な態度に惹かれています。
広岡氏の指導を受けた今年、守備を見るのが楽しみです。
3年後のWBCに選ばれるような活躍をして欲しいと思っています。
(気が早すぎ)
昨年、結果を出し続けながらも理不尽な形で二軍落ちさせられた矢野選手。悔しさからベンチ裏で涙していた彼に、「絶対に腐るな。一生懸命練習していれば、必ず一軍に戻れる。頑張れ!」と声を掛けたのが清水選手だったそうです。自らが苦労人だからこそ、他者の事も慮れる。ジーンとする話でした。