ば○こう○ちの納得いかないコーナー

「世の中の不条理な出来事」に吼えるブログ。(映画及び小説の評価は、「星5つ」を最高と定義。)

死に纏る2つの話

2006年03月27日 | 時事ネタ関連
古くからこのブログを覗いて下さっている方ならば薄々感じておられたとは思うが、此処では「死」に関する話を取り上げる事が少なくない。学生時代に父親を病気で亡くし、その前後には祖父母を見送った体験から、死というものをより身近に感じているのが大きく影響しているのだが、今日も死に纏る2つの話を取り上げてみたい。

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① 安楽死
富山県射水市民病院に勤務する外科部長(50歳)が、2000年から昨年迄の間に患者7人を安楽死させていたのではないかという疑惑が浮上している。7人は富山県在住の50~90代で、何れも末期状態に在ったという。

家族及び当該患者の同意が在ったか否かに付いては、現状ハッキリしない部分が在る。又、この外科部長が採った処置が、積極的若しくは消極的だったのかによって、安楽死なのか尊厳死なのか、はたまた延命の中止なのかというのは判断の分かれる所では在るだろう。

より具体的な状況が明らかにならないと、今回の件に付いて明言は出来ないのだが、個人的には身内又は自分が、人間らしく生きられずに唯単に生き長らえさせているだけならば、安楽死にせよ尊厳死にせよ、医師の手によって生を終えさせて貰いたい。と考えている。これは、以前書いた「安楽死」という記事でも触れた様に、末期癌で長期間”生かされ”続け、苦しみぬいた末に亡くなった祖母の姿がどうしても頭から離れないからだ。

勿論、筋弛緩剤を用いて担当患者を快楽殺害したのではないか?という事件も起きている事から、医師及び医療担当者のモラルと患者側の意思が重要なのは言う迄も無いが。


② 直葬
昨日の東京新聞に載っていたのだが、近年、遺体を火葬するだけで、通夜・告別式等の儀式をしない葬儀スタイルが広がっているそうだ。死亡した病院や自宅から、直接火葬場へ向かう事から「直葬」とも呼ばれるスタイルで、以前は身寄りの無い人が亡くなった際等に行われていたのが、近年では家族が居ても、又は経済的にゆとりが在っても希望する人が増えており、何でも東京では3割以上が直葬とか。この場合、火葬場で簡単な御別れをしたり、住職に読経して貰う程度で済ませている様だ。

そもそも葬儀を行う法的な義務は無いので、「亡くなった場所からの搬送。→納棺。→安置。→死亡診断書の提出と火葬埋葬許可書の取得。→火葬。」という最小限必要な事だけを行うのが直葬スタイル。一般的に葬儀に掛かる費用は全国平均で236万6千円で在るのに対して、直葬の場合は30万円程で済むという。

従来の仏式葬儀を見直した、所謂葬儀の簡素化&個人化が進んでいる背景には、「葬儀費用が不明朗。」、「宗教色を無くしたい。」、「義理で来て貰うのでは無く、親しい人に送って欲しい。」、「自分らしい葬儀をしたい。」等の理由が在るそうで、加えて、高齢社会の現実として、葬式に人が集まらなくなっているという事情も在るのだとか。例えば80歳にもなると、子供に呼び寄せられて都会に住んだり、老人ホーム等に入ったりで、それ迄に構築して来た同年代の知人との関係が疎遠となり、又、仕事関係で訪れる人も殆ど居なくなってしまう現実が在ると。

葬儀の簡素化には、安楽死と同様に「人間(又は死者)に対する冒瀆だ。」という声も在ろう。でも、自分の場合は直葬を選びたい。己が葬儀に無駄に金を使わせたく無いという思いも在るが、一番強いのは義理で来て貰うのでは無く、親しい人にだけ見送って貰いたいという思い。

これからは直葬スタイルが、ドンドン増えて行くのではないだろうか。
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22 コメント

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同感 (syuu)
2006-03-27 10:27:48
 私も同意見です。看護師である母に言わせると、「医者や看護師は、なるべくその人の生命を持続させてあげようと努力するもの」だそうですが、本人、家族にしてみれば、生命維持装置などを体につけられて生きている姿は、辛いの一言ではないでしょうか。私は家族にも「尊厳死」を伝えてあります。自分がどのように最期を迎えるかは分かりませんが、最期が近いと思ったときには意識が無くなる前に家族に「お礼」を言いたい。

 葬式に関しても、私は全く無しを希望しています。前年ガンの手術やら治療やらで驚くほどの金額が出て行ったので、「死ぬまでにお金がかかるのだから、死んでからも家族にお金の負担はかけさせたくない」と思うし、身内の葬式でもあくびをしたり、火葬の最中に笑ってお酒を飲んだりしている人たちを見ると、やはり「ほんとに親しい人だけで送って欲しい」と思います。葬儀をしなくても、親しかった人たちの気持ちの中に、私を少しでもとどめてもらえれば、私はそれで十分です。

 高齢化が深刻化していく昨今、このようなことはどんどん増えていくのでしょうね。
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チョット一言 (さいぎょうほうし)
2006-03-27 17:55:23
 貴方には伴侶、親、子、兄弟、友人、知人などはないのですか?葬儀と告別式とは違います。

 貴方が言われる葬式なるものは、告別式ではないのですか。告別式は死者が自分のためにするものではなくて、上記のような死に別れ、生き残った者、つまり、生きている者が自分達の世間的な体裁を整えるためにするのです。

 死ぬ者や死んでゆく者がどうこういう筋のものではない。私はそう思ってます。

 天涯孤独でないかぎり、葬儀は必要です。生と死との間の”何か”のために必要だと思います。

しかし、告別式はかってです。私個人としては、告別式はして要らないと言ってます。

 あなたの言う直葬、なんだか寂しすぎませんか。
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延命 (麗菜)
2006-03-27 20:51:10
麗菜は生まれ持った病があるのは自ブログで少し触れた事がありますが、

生まれた時から付き合ってる事なので、当たり前のようにもなってもいます。

麗菜は具合が悪くなって入院をしなくてはならない状況になったらいつも思います。

食べたいものを我慢して、やりたいことを我慢して、夢をあきらめて、我慢、我慢をしてまで命を延ばして生きる事のほうが幸せのなのかって…。



家族を不安にさせ、余計な気遣いをさせて、それがまたぁたしのストレスになったりもしました。

今は、少しまた、生き方、考え方がかわってきてはいます。

人は生まれたらかならず対局の死に迎う。

おわりよければすべてよしではないけれど、ぁたしは笑って、生まれて良かったと後悔はしても未練を残さず死にたい。

だから、めぇいっぱいこの瞬間をいきていたい。

死に関する考え方は本当に千差万別でぁたしには偉そうに語れる事ではないかもしれない。

でも、苦しむぁたしの姿をみて、苦しそうに不安そうに看病してくれる周りを見てると「もぅ、死にたい」と思う事は確かにありました。自殺も図りました。

お葬式はぁたしはしていらないです。悲しい涙で見送られるのはイヤです。

(毎度のことですがまたコメントわけがわかんない事書いて申\し訳ないです)
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勉強になりました。 (hiro)
2006-03-27 21:24:39
直葬ですか。

知らなかったです。



自分もお金が無いし、独り身だから直葬にしようかなぁ・・・

まだかなり先の話ですが・・・
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>さいぎょうほうし様 (giants-55)
2006-03-27 21:46:59
初めまして。書き込み有難うございました。



「さいぎょうほうし」という御名前良いですね^^。以前記事でも書いたのですが、西行法師の詠んだ「願わくは 花の下にて 春死なん その如月の 望月の頃」という歌が自分は好きです。



・・・といきなり無関係な話になってしまって済みません(^o^;;;。



「生と死との間の何か」、この何かとは「けじめ」という意味合い”でも”在ると思うのですが、そういったものが必要ではないかとするさいぎょうほうし様の御意見を否定するつもりは毛頭ございません。と言うよりも、葬儀の有無(是非)というのは「在るのが正しい。」とか「無いのが正しい。」という白黒ハッキリ付く問題ではないと思っているからです。個々人の宗教観や死生観等に関わってくる問題ではないかと個人的には考えています。



私事になってしまうのですが、祖父が亡くなった際、その通夜に祖父の大学時代の友人が何人か参列しました。焼香の際にはしかつめらしい顔をしていた彼等が、控え室に戻った瞬間に大声で世間話をし出し、その挙句大声で笑っている姿を目にした時、「自分が”送られる”時には、本当に嘆き悲しんでくれる人間だけが来てくれれば良い。否、葬儀という形態を取るのではなく、火葬場で真に近しい人間だけが別れを告げてくれるだけで良い。」とつくづく思いました。



やや誤解が在る様なのですが、自分は「亡くなった場所から火葬場に直接搬送した後、”何もしない”でそのまま火葬してしまう。」のがベストとは思っておりません。記事でも触れました様に、火葬場で近しい人間に簡単な御別れをして貰えればそれで充分と考えています。



これ又誤解なさらないで欲しいのですが、自分は決してさいぎょうほうし様の御考えが誤っていて、自分の考えが正しいなんぞと言うつもりは毛頭在りません。それは上記しました様に、この話はその正誤が在るものではないと考えているからです。



勿論自分には愛する身内が居ます。その身内を見送る時には、ゴミを焼却する様な無機的な感情でいられる訳は無く、きちんと見送りたいと思っております。でも、葬儀という形式をきちんと踏みさえすれば最愛の者を心から見送った事になり、又、形式を踏まなかったから心から見送っていないという事にはならない様に自分は考えます。



これは極論になってしまいますが、大々的に葬儀(通夜or告別式を問わず。)を送ったとしても、唯々”惰性”で進行しているだけの場合も在るでしょうし、火葬場で簡単な御別れをするだけでも、その場で心底愛する者を見送り、そしてその後も愛する者を忘れない気持ちをずっと持ち続ける場合も在るのではないかと。つまり、形式よりも自分は内面の部分が重要に思うんです。



自分の考えが多数派なのか少数派なのか、はたまたどっちでも無いのかは判りません。自分の考えを寂しいと感じられる方も当然居るとは思います。でもそれよりも、自分は真の心の満ち足りが何処に在るのかというのを個々が大事にすれば良いのではないかと考えています。



何か脈絡の無い文章になってしまって済みません。(^o^;;;。



これからも宜しく御願い致します。
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>麗菜様 (giants-55)
2006-03-27 22:15:31
書き込み有難うございました。



こういう「死」に纏わる話って、結局の所は個々人の宗教観や死生観に関わって来るもので、余程の極論(例えば「貧乏人は死ね!」の様な酷いもの。)で無い限り、「これは間違い。」or「これは正しい。」と決め付けられるべきものではないと思っています。



自身が「生きて行くのは耐え難く辛いし、面倒を見ている家族にも迷惑をかける。」として死を望んでも、見守る家族にとっては「どんな形で在れ行き続けて欲しい。」と心底思っているケースも勿論在るでしょう。ですから、安楽死(尊厳死も含め。)の問題は難しいとも言えるのですが、”私見”で言えば、人間らしく生きられず、唯単に”機械的に生かされているだけの状況に自らがなったなら、医師によって生を終えさせて欲しいと思います。そして、愛する身内がその様な状況になった場合も、同様の事を思うでしょう。



唯、葬儀の事も含めて、人それぞれ色々な考え方が在るのは確かだと思います。
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はい。 (麗菜)
2006-03-27 22:46:27
ごもっともなご意見ありがとうございました。



麗菜はやはりまだ、世間知らずというか偏った人生経験しかしてないのかもしれないです。

難しいです。最近は、仕事もしていないので本ばかり読んでいます。

宇宙の本から、密教につながり、頭のなかは知りたいという好奇心だらけです。だから、giants-55さんのブログはとても勉強になっています。

死と直面するとさまざまな思いが駆け巡ります。

また、変な事かいてすみません。

なんだか、いろいろな感情がこみあげてきてしまいました。
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認識ですか? (メサドン)
2006-03-27 23:21:37
毎日楽しく閲覧させて頂いております。

初めてコメントさせて頂きますが、

どうしても気になりまして。

さいぎょうほうしさん。

どちらの葬儀屋さんでらっしゃいますか?

葬儀は必要と言い切りましたね?

生と死の間の‘何か’の為に?

理解不足なのか、意味が分かりませんし、貴方は死と云う事象の真理を把握した上での意見ですか?

はなはだ疑問です。

自分だけの認識を他人に押しつけ、柔軟に他人の意見も取り入れる事が出来ない方の様に見え、少々乱暴\に思えます。

長文になってしまいました。申\し訳ありません。
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>麗菜様 (giants-55)
2006-03-27 23:56:53
自分の書いている文章なんかは、単なるおっさんの戯言に過ぎず、勉強になる等とはかなりの誤解かと(^o^;;;。



自分の考えはニュートラルなものでは無く、かなり偏ったものと自覚しています。ですので、時には誤った考え方も当然在るでしょう。一番大事なのは、麗菜様の様に積極的に”何か”に触れ、其処から自らの頭で”咀嚼”した上で己が知識として行く事だと思うんです。



どんな情報源にせよ、鵜呑みにする事無く、先ずは疑ってかかるという姿勢が、こういう御時世だからこそ必要ではないでしょうか?ですから、自分の記事も先ずは疑ってかかって読んで下さい(笑)。
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工エェ(゜Д゜;)ェエ工 (麗菜)
2006-03-28 00:07:14
鵜呑みにしちゃう麗菜です。

あと、バカを丸出しにする質問をしてよろしいでしょうか。

葬儀と告別式の違いがわかりません。

辞書で調べたのですが、いまいちわからないです。



あと、giants-55さんは伯父さまなんでしょうか。

(・∀・)

だったら麗菜もおばさんになっちゃいます。



本当にぁたしはいろんな意味でgiants-55さんに感謝してます。

知識を増やすのは生きるうえでのぁたしの財産になります。



また、記事とはずれたコメントすみません。
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