*********************************
「<ヘイト・スピーチ>『殺せ。』 デモ、目立つ過激言動」(3月18日、毎日新聞)
デモ等で特定の人々を公然と侮辱する「ヘイト・スピーチ」が目立つ様になっている。海外ではドイツやイギリス等、ヘイト・スピーチを処罰対象としている国も在るが、日本では「野放しの状態。」(専門家)。標的となった人からは「危険を感じる。」という声も上がっている。
「殺せ、殺せ。」、「ゴキブリ。」、「日本から叩き出せ。」。2月上旬、外国人が多く暮らす東京都内の繁華街でデモが在り、そんなシュプレヒコールが飛び交った。デモは特定の外国人を排斥する目的でインターネットで告知され、男女100人以上が参加した。
既存の右翼団体とは異なり、参加者も殆どが一般人。こうした現場を取材して来たフリー・ジャーナリストの安田浩一さんは「数年前に比べ、文言がより過激になっている。『殺せ。』という言葉は、ヘイト・スピーチと言えるのではないか。」と話す。
一方、デモを呼び掛けた団体の一つは「参加者から自然に出た言葉で、推奨している訳では無い。何がへイト・スピーチなのか明確な定義は無く、デモの表現として在って良いと思う。」(広報担当者)と説明している。
デモを間近に見た外国人男性(25歳)は小声で「怖かった。危険を感じた。」と話した。ツイッターでも「デモやばかった。」、「引くわー。」等の呟きが相次いだ。
デモを問題視した超党派の国会議員も抗議集会を呼び掛け、今月14日に200人以上が参加。又、17日の同様のデモでは、コースの途中に「仲良くしようぜ。」等と書かれたプラカードを持った人々が集まり、抗議の意思を示した。運動を呼び掛けた男性会社員(30歳)は「もう見過ごせないと思った。」と話した。
ヘイト・スピーチは社会の平穏を乱し、人間の尊厳を侵すとして、諸外国で規制されている。ドイツはデモや集会、ネットの書き込みで特定の集団を侮辱する行為を「民衆扇動罪」に定め、5年以下の禁錮刑を科している。国内に住む外国人を「駆除されるべき集団」等と表現する行為も、此の罪に当たる。
イギリスの公共秩序法も同様の行為に7年の懲役刑、フランスや民族対立から内戦が起きた旧ユーゴスラビアのモンテネグロも罰金刑を設けている。
しかし、日本では規制が無い。名誉毀損や侮辱、脅迫罪は特定の個人や団体を対象にしており、国籍や民族等で分けられる不特定の「集団」に対する言動には適用出来ない。東京造形大の前田朗教授(刑事人権論)によると、表現の自由に反する恐れの在る事とが、規制に踏み出せない理由と言う。
唯、前田教授は「個人への侮辱が罪になる様に、集団への侮辱を規制しても、表現の自由には反しない。日本だけが時代遅れの『ガラパゴス』になっている。」と話す。
高千穂大の五野井郁夫准教授(政治学)は「東京に五輪を招致しようとしている日本で、ヘイト・スピーチが罷り通っては、国際的な信用を失い兼ねない。」と指摘。今回、抗議の意思を示した市民が現れた事に着目し「表現の自由を狭め兼ねない行政による規制の前に、こうした動きが起きた事を評価したい。差別を許さない市民意識を育む切っ掛けになれば。」と話している。
*********************************
「『論』も何も無く、唯々『野卑な言葉』を特定の対象に投げ掛け、口汚く罵っているだけ。」という書き込みは、ネット上で目にする事は珍しく無い。自分自身が罵られている訳では無いけれど、そういうのは見ていて不快だし、「こんな事を書いていて、良く恥ずかしくないなあ。」と思ってしまう。其の匿名性から下種な書き込みが出来てしまうのだろうが、デモ等で顔を晒してヘイト・スピーチをしてしまえるというのは、全く理解出来ない。
デモを呼び掛けた団体の広報担当者が「何がへイト・スピーチなのか明確な定義は無く、デモの表現として在って良いと思う。」と主張しているが、一般的な常識を有している人間ならば、「自身が投げ掛けられて不快に感じる表現は『ヘイト・スピーチ』で在り、使用は慎むべき。」というのは理解出来る筈。自身が海外に行って「日本人を殺せ!」等と言われたら、どう思うか?
「何がへイト・スピーチなのか明確な定義は無く、デモの表現として在って良いと思う。」は言い訳の為の言い訳としか思えない。子供の頃、「~って自分で言ったのだから、其れはおかしいんじゃない?」と尋ねると、「西暦何年の何月何日何時何分何秒に言ったか答えてみろよ!」と言い返す子供が居たけれど、其れと同じ幼稚さを感じる。
「~の国民がそういう野卑な言葉を投げ掛けて来たから、俺達も同じ事をしているだけ。」というのも、相手と同じ土俵に乗ってしまっている時点で、幼稚と言われても仕方無い。
当人は面白おかしくヘイト・スピーチを行っているのだろうが、こういう事を続けていれば行政による規制が入るのは時間の問題で、そうなったら「自由に物が言えなくなる。」という事からも、自分の首を絞めるだけの話。「何がへイト・スピーチなのか明確な定義は無く、デモの表現として在って良いと思う。」という主張をした広報担当者が真剣にそう思っているのだとしたら、先に起こり得る事が判っていないという事からも、想像力が欠如していると言わざるを得ないだろう。
此の手の「想像力が欠如した人」が、増殖している様に感じる。ネット上で呼び掛けを行って、特定の対象に集団で嫌がらせ行為をしている連中も、そんな人間だろう。「面白おかしく騒いでいる先に待ち受けているのは、自由がどんどん制限されて行く世界。」なのは、一寸想像力を働かせれば判る事ではないか。
自分にいわれたら嫌な言葉は人にいわない。
自分がされたら嫌なことは人にはしない。
こんな単純なことが判らない人がいるのですね。
“ネット右翼”と称される人達の書き込みを目にすると、不快さを通り越して、情けなく思ってしまう。何を信じようが、どう思おうが個人の勝手なれど、1つの方向からの情報しか触れず、又、其れを自分の頭で考える事無く、其の儘受け入れて、野卑な言葉で批判するというのは、とても“文明人”とは思えない。
そういう人間が絶対多数だとは思わないし、ネットという空間で顕著なのだろうとは思うけれど、先達て知り合いがそういう思考だったのを知り、物凄く引いてしまった。ネット右翼程の酷さは無いけれど、所謂“嫌韓&嫌中サイト”の情報を鵜呑みにし、したり顔で批判していた。一寸でも自分の頭で考えれば、明らかな矛盾が在る情報だったのに・・・もっと理知的な人間と思っていただけに、個人的にはショックでした。
ドイツ兵の話は初めて知りましたが、素晴らしい見識に基づいた教育ですね。概して日本人は優しいし、思い遣りの在る民族だと信じています。でも、付和雷同的な面が在り、時には極端に偏った方向に流れてしまう特性も在る。何度も書いている事だけれど、「自虐史観」は自分も好きじゃないけれど、でも「日本人が行って来た事は、全て正しかった。」という思考には全く共感出来ない。「正しい事は正しいとハッキリ主張すると共に、明らかに誤っている点に関しては素直に認め、真摯に反省する。」のは、真面な人間の在り様。過去の誤りは誤りとしてきちんと認めず、アナクロで傲慢な主張をする連中の存在が、是々非々で判断出来る国民に多大な迷惑を掛けている。此れは日本人のみならず、何処の国の人にも言える事ですが。
「自分が言われたりされたりして嫌な事は、他者に対して行わない。」、其の通りだと思います。中々実行するのは難しい事では在るのだけれど、心掛ける事は出来る筈。近年、明らかに相手が嫌がっているのを判った上で、態と言ったり、したりする人が増えていますよね。残念な事です。
以前にgiants-55様が書いていらっしゃったように、「国民の間に閉塞感が漂い始めると、『仮想敵を作り上げ、それを激しく攻撃する事で国民の支持を集め、そして徐々に権力を掌握して行く者』が現れ、気付いてみれば独裁政治が敷かれていた」というのが、歴史を振り返れば往々にして見られる図式。扇動者と一緒にマイノリティを叩いていい気になっていたはずが、いつの間にか自分に矛先が向けられていたなどと想像したらぞっとしますね。
判例によれば、「差別は許されないが、合理的な区別は許される」とされています。しかし、「合理的区別という名の難癖」なんてつけようと思えばいくらでもつけられる。能動的に変更することのできる言動を対象としている場合でも、その否定的な側面が固有の属性から生じるのだという言い方がなされるのもまた巧妙なヘイトスピーチ。「実際のところがシロであろうとクロであろうと、疑いを招く属性を持っている時点でアウト」という風潮が根強く残っていますし。
ルサンチマンゆえにマイノリティを叩きたいのか、そのどちらでもなくて、単にタブー破りをしてみたいのか。「言動は慎重に行わなくてはならず、内容によっては行ってはいけないこともある」「自分がやられて嫌なことはしない」というのは当たり前のことなんですけどねぇ。人権というのは多数派だけのものでは断じてない。そして、「自分の属性を隠さないと幸せになれない社会」よりも、「隠さなくてもいい社会」=「その属性が卑しいもの扱いされない社会」の方が良いはずです。
金も学歴も仕事も無いけどたまたま日本で産まれたから日本国籍だけが唯一の武器(財産)です
日本人の俺に仕事が無いのは外国人が奪ってるからだ!
なんでアノ外国人は俺より良い生活をしてるんだ!
こう言う連中が一番厄介ですね
まぁ俺も金(浪費)や学歴(勉強嫌い)が無いんですけどねf(^_^;
彼等と同じ排他主義&同じ価値観の外国組織と手を組んで巨大化したらと思うと怖くて寝れません
特に愛国無罪と言って暴れた連中と同盟を結んだら・・・ (゜゜;)
良く指摘される事ですが、彼のナチスだって、選挙で党政を拡大して行った訳で、行き成り力尽くで独裁政権を強いた訳では無いんですよね。
「国全体を覆う閉塞感。」、「仮想敵を作り上げて叩く事で、国民の支持を集めて行く。」、「イメージ戦略(ナチスの宣伝大臣ヨーゼフ・ゲッベルスが、アドルフ・ヒトラーに対し、「演説をする際には、太陽を背に向けてする様に。そうすれば後光が差している様に見える等、聴衆をグッと惹き付け、そしてカリスマ性を演出出来るから。」と指示したのは有名な話ですが。)を多用し、カリスマ性を作り上げて行く。」、「目先を誤魔化す言動を多用。」、「“信者”を使って、非賛同者を消し去って行く。」等々、ヒトラー統治時代と似た雰囲気を感じる昨今。権力に対して懐疑的で在る事や、想像力を研ぎ澄ます事は重要と考えます。
意に沿わない人間を追い遣ろうとする人は、結局、身内をも追い遣る事になる。此れは東西を問わず、過去の歴史を見れば良く在る話。面白おかしく他者の“抹殺”に与するも、気付いてみたら自分自身が抹殺される事になったなんて、普通に在り得る事なのに、其処に思いが至らないというのは、本当に不思議です。
自分(giants-55)も金や学歴の無い人間ですから、御安心下さい。
自分は日本という国が大好きだし、無根拠で悪し様に言う連中には憤りを覚える。中国や韓国、北朝鮮等、傍若無人な言動をする“一部の連中”には辟易とした思いが在るし、「ふざけるな!」と言いたくもなる。
でも、だからと言って、彼等と同じ事をしたら、其れこそ同じ穴の貉になってしまう。又、“国家として”おかしかったり、“一部の人間”がおかしかったりはしても、全ての人間がおかしいという訳では無い。当たり前の話ですが、我が国の国民だって、どうしようも無い輩も居れば、真っ当な人間も居る訳ですから。十把一からげにして、野卑な言動で対峙するというのは、本当に愚かな事。