先日、「初恋」という映画に付いて記事にしてみた。この作品は1960年代の若者達の姿を、3億円事件と絡めて描いたものだが、この記事にトラック・バックして戴いたkossy様の記事内に興味を惹かれる記述が。
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一寸惜しいのは脚本だったかもしれません。冒頭から「ナンパして来たよ。」等と言ってたけど、当時にそんな言葉は在ったのだろうか・・・。
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近年、近・現代を描いた作品が映画&ドラマを問わず増えて来ている。昨年の映画「ALLGAYS 二丁目の夕日」・・・元い、「ALWAYS 三丁目の夕日」が大当たりした事から、特に昭和の時代を描いた作品がブームになっているのだろうが、平安時代や戦国時代等とは異なり、昭和の時代を描くのは、当然ながらこの時代を生きて来た方々が未だ多く居られる事を考えると、時代考証が大変だろうなあと思う。例えば昭和30年代に生まれていなかった者でも、”時代の近さ”からつい「こんな物(or言葉)は在っただろう。」と思い込んでしまって、時代考証をせずにミスを犯してしまう事は多々在りそうな気がする。時代劇の背景にバスや飛行機が入り込んでしまえば、幾ら何でも気付くだろうが、昭和初期の”微妙な時期”にTV放送が日本でされていたかどうか等は、もしかしたらミスで取り上げてしまってもおかしくない様に思う。
話を元に戻すが、kossy様の記述を拝読し、自分も「確かにあの時代に『ナンパ』なんて言葉は無かったろうな。」と思い、コメント欄に「あの時代だと、ガール・ハントと呼んでいたのではないでしょうか。」等と偉そうにも書いてしまったので在る。
しかし何か気になるモノが在り、念の為検索で調べてみた所、「この言葉の語源を言えますか?」という本にこの「ナンパ」の語源が載っており、何と明治時代から使用されていた言葉というのが判明。そもそも漢字で書くと「軟派」、即ち「軟弱」さを表し、「軟弱な風潮に関心を示す。→異性を誘惑する。」という意味合いに変質して行った様だ。何時の時代から、今の意味合いになって行ったのかは定かでは無いが、1960年代で在れば所謂「ナンパ」の意味合いで使われていた可能性は高そうだ。
そう言われてみればこの語源、以前に見聞した記憶が在る。きちんと確認を取らずに、kossy様の所に偉そうなコメントを書いてしまった事を、唯々恥じるばかりだ。
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一寸惜しいのは脚本だったかもしれません。冒頭から「ナンパして来たよ。」等と言ってたけど、当時にそんな言葉は在ったのだろうか・・・。
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近年、近・現代を描いた作品が映画&ドラマを問わず増えて来ている。昨年の映画「ALLGAYS 二丁目の夕日」・・・元い、「ALWAYS 三丁目の夕日」が大当たりした事から、特に昭和の時代を描いた作品がブームになっているのだろうが、平安時代や戦国時代等とは異なり、昭和の時代を描くのは、当然ながらこの時代を生きて来た方々が未だ多く居られる事を考えると、時代考証が大変だろうなあと思う。例えば昭和30年代に生まれていなかった者でも、”時代の近さ”からつい「こんな物(or言葉)は在っただろう。」と思い込んでしまって、時代考証をせずにミスを犯してしまう事は多々在りそうな気がする。時代劇の背景にバスや飛行機が入り込んでしまえば、幾ら何でも気付くだろうが、昭和初期の”微妙な時期”にTV放送が日本でされていたかどうか等は、もしかしたらミスで取り上げてしまってもおかしくない様に思う。
話を元に戻すが、kossy様の記述を拝読し、自分も「確かにあの時代に『ナンパ』なんて言葉は無かったろうな。」と思い、コメント欄に「あの時代だと、ガール・ハントと呼んでいたのではないでしょうか。」等と偉そうにも書いてしまったので在る。
しかし何か気になるモノが在り、念の為検索で調べてみた所、「この言葉の語源を言えますか?」という本にこの「ナンパ」の語源が載っており、何と明治時代から使用されていた言葉というのが判明。そもそも漢字で書くと「軟派」、即ち「軟弱」さを表し、「軟弱な風潮に関心を示す。→異性を誘惑する。」という意味合いに変質して行った様だ。何時の時代から、今の意味合いになって行ったのかは定かでは無いが、1960年代で在れば所謂「ナンパ」の意味合いで使われていた可能性は高そうだ。
そう言われてみればこの語源、以前に見聞した記憶が在る。きちんと確認を取らずに、kossy様の所に偉そうなコメントを書いてしまった事を、唯々恥じるばかりだ。
何しろ当時を知らない(乃至は記憶が殆ど無い)自分ですので、実際どうだったのかは書物類に頼るしか無く、どうやら「ナンパ(軟派)」なる言葉が明治から存在していたという事だったので、今の様な意味合いで当時使われていた”可能性が高そう”としたのですが、どうやらそうでも無かった様ですね。失礼致しました。
数年前迄は邦画は殆ど見ませんでした。マックス様と同様に、昔の邦画にはそれなりの良さを感じていたものの、最近の邦画にはちゃっちさしか感じられず敬遠していたのですが、近年は割合完成度の高い作品もチラホラ出て来た様に思います。
「映画を見てしまうと、映画の適正価格を考えてしまう。」というのは、自分も全く同じです^^。でも昔は映画館の施設そのものが御粗末でしたので、格段に改善された今はどうしてもその分映画の評価を甘くしてしまうきらいが自分には在るかもしれません。
これからも何卒宜しく御願い致します。
軟派という言葉自体、当時としては死語みたいなもので使われていませんでした。
邦画はよく見ます。ただし1960年以前のものです。
監督、俳優、裏方の技術自体が今とはかなり違うようなきがします。完成度が低い映画を見てしまうとついいくらぐらいの入場料が妥当かなどと考えてしまいます。ただアメリカ映画も実にくだらないものが多い。
jポップというジャンルがあります。わたしたちの年代にはかなりきつい作品ばかりですが、よ~く考えてみるとポップな音楽といえば洋楽一辺倒だった時代からすると進歩です。
邦画もjポップのようになっていけばいいとおもいますが。
言葉の難しさを痛感しています・・・
映画の冒頭の時代は小学校に上がる前の時代ですので、「言ってなかったよ」などと軽々しく書くのもおかしいのですが、やっぱり使われていたんですね・・・
もうちょっとその時代の人の意見も参考にしたいですけど、一般的だったか隠語としてだったかの違いだけなのかもしれませんね。