ば○こう○ちの納得いかないコーナー

「世の中の不条理な出来事」に吼えるブログ。(映画及び小説の評価は、「星5つ」を最高と定義。)

10年間で約5千軒が廃業

2013年11月07日 | 時事ネタ関連

*********************************

豆腐店、続々廃業『365日働いても利益無い。』」(11月2日。読売新聞

 

豆腐業者が、倒産や廃業に追い込まれるケースが増えている。大豆価格の高騰に加え、スーパーから値下げを求められる等して経営が悪化し、豆腐業者は此の10年間に全国で約5,000軒が廃業。今年8月に破産申請をした内の業者は365日丸々働いても、利益が出なかった。と苦しい日々を打ち明けた。

 

1957年創業の豆腐業者「仙台屋本店」(東京都三鷹市、8月に自己破産申請)の及川英一さん(37歳)は、大学を卒業した3年後から、祖父が開業した同店で父親と共に働いて来た。

 

従業員は最大20人で1日2,000を製造してスーパーに卸す他、10年前には杉並区JR阿佐ヶ谷駅近く等に3つの直売店を開設。豆腐を加工した食材等も手掛け、好調な時は年4億円を売り上げた。

 

だが、5年前から輸入大豆の価格が高騰。豆腐の一部を別の業者から安く仕入れて費用を下げる等したが、3年前には3店舗閉鎖デフレの影響でスーパーからも値下げの要請を受けたが、経営が苦しい寧ろ値上げして欲しいと相談すると、取引が打ち切られた。

 

スーパーの中には協賛金の名目で売り上げの7%の「上納」を求めたり、売れ残った分は買い上げてくれずに、丸ごと負担させたりする所も在った。

 

今年になって、外国産大豆は更に値上がりし、1~9月末の平均価格は1kg当たり84.2円で、此の10年で最高値となった。国産大豆も其れに合わせて値上がりし、経営を圧迫した。

 

給与の支払いも遅れ、6月になると従業員も5人に減った。及川さんは「365日丸々働いても、もう利益が出ない。事業継続は厳しい。」と伝えると、残った5人からは「我々も休みを潰して働くから、何とかならないか?」と懇願された。だが、事業が好転する可能性は無く、8月に自己破産を申請した。

 

及川さんは、豆腐の安売りが激しくなっており、何処も経営が苦しい。適正な価格でスーパーに卸す等、販売価格を見直さないと、豆腐屋は何れ無くなってしまう。吐露した。

 

厚生労働省集計では、全国の豆腐業者は2012年度は9,059軒となり、2003年度(1万4,016軒)より4,957軒減った。

 

全国豆腐連合会(東京)は、来年4月からの消費増税分を価格に転嫁出来る様、流通業界に理解を求めている。同会は年間500軒のペースで、業者が廃業している。食の安全、安心を守る為にぎりぎりの経営を続けている事を知って貰いたい。と話している。

*********************************

 

「豆腐」に関しては、2つの思い出が在る。1つは名古屋に住んでいた幼少期、夕方になると「ピ~プ~。」という喇叭の音が良く聞こえて来たもの。自転車の荷台に豆腐等を積んだおっちゃんが、街中を練り歩いて販売していたのだが、母親から「豆腐1丁と油揚げ1枚買って来て。」と頼まれ、御金と(入れる)鍋を持ち、外に飛び出して行ったものだった。

 

そしてもう1つの思い出は、自宅で豆腐を作った事。40年近く前の話だが、ハウス食品から発売されていた「ハウスほんとうふ」【動画】を購入し、何度か豆腐を作ったが、本当に美味しかった。

 

で、話を今回のニュースに戻すが、「此の10年間に、全国で約5千軒の豆腐業者が廃業している。」というのは、「そんなにも多いのか。」という驚きが。でも、近所に在った豆腐屋が無くなったのは、もう7、8年も前の事だし、確かに“昔乍らの豆腐屋”というのは見掛けなくなった。

 

以前、「豆腐屋の1日」というのをTV番組で見たけれど、夜明け前から冷たい水の中に何度も手を突っ込み乍ら豆腐作りをしている姿には、「大変だなあ。」と思ったもの。元々、薄利多売なイメージが在ったけれど、デフレが続く中、値下げ競争に巻き込まれてしまったら、町の豆腐屋は生き残るのが難しいのは当然なのかもしれない。


コメント (4)    この記事についてブログを書く
« 嘗て石原裕次郎氏が | トップ | 「模倣の殺意」 »

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (透明人間)
2013-11-08 23:03:45
湯豆腐、すき焼き、麻婆豆腐、味噌汁の具、豆腐田楽、豆腐ハンバーグ、豆腐ステーキ、冷奴、揚げだし豆腐、杏仁豆腐など色んな料理を今まで食べて来ました
食べる側の俺としては安ければ安い方が良いと考えていたけど倒産件数がそんなに有ると消費者だからデフレ大歓迎とは手放しで喜んで居られませんね

俺も幼少時代によく手押し車にラッパを着けてパ~フ~と鳴らしながら豆腐を売り歩くお婆さんを見掛けました
豆腐と言って一番思い出深いのは高校時代にダイエーで豆腐を売っていた時の事です
閉店前に声を出して調子よく売ってると主任から余り気合いを入れて全部売ると閉店間際に買いに来たお客さんの分が無くなるから気をつけろと言われました
主任に言わすとせっかく足を運んで買いに来たのに商品が品切れだとお客さんが次に商品を買いに行こうと思っても「この時間にあの店に行っても又どうせ品切れだろうと思って違う店に行き二度と足を運んでくれなくなる恐れが有るからだ」と教えてくれました
確かに自分もせっかく来たのに売り切れだと無駄足を踏ませやがって客商売なら商品を切らすな!二度とこの店には買いに来ない!と心で怒るかも
しかし木綿豆腐や絹ごし豆腐は黙ってても売り切れる事が有りましたが焼き豆腐だけは声を出して売り込んでもいつも売れ残ってました(すき焼きしか使い道が無いですからね)
返信する
>透明人間様 (giants-55)
2013-11-09 01:09:46
書き込み有難う御座いました。

高校時代の話、興味深く読ませて貰いました。バイトで売る側としては、「早く売り捌きたい。」という思いが先行してしまうけれど、確かに「閉店間際」に関して言えば、主任が指摘された「客の心理」っていうのは判りますね。売れ残っても困るけれど、早く在庫切れになっても困る。「或る程度を売り捌き、多少残った物を閉店間際で完売する。」というのが理想なのでしょうが、中々難しそう。
返信する
Unknown (マヌケ)
2013-11-17 18:40:45
大豆やサトウキビがバイオエタノールになるなど、昔の人がだれも想像だにしなかったことが現実となり、ブラジルから輸入していた大豆が入手できなくなってしまいました。 パジャマのまま朝、鍋を持って豆腐売りのところまで走ったことなど、もはや今の子供にはあり得ませんね。 母が美空ひばりさんのことだったでしょうか、貧乏でおからばかり食べていたという話をよくして聞かされました。 お味噌汁の具はお豆腐と油揚げとわかめがいいな。 ラーメンのちゃるめらとお豆腐売りのラッパの音と、小学校の下校のチャイム、製鉄から聞こえてくるサイレン、路面電車の警笛、韓国人の友達の豪邸のピンポンの音、懐かしいです。 
返信する
>マヌケ様 (giants-55)
2013-11-18 00:44:59
書き込み有難う御座いました。

環境さえ整っていれば、世界の何処に居ようとも、御互いにリアル・タイムで遣り取り出来る。ガキんちょの頃、「インターネット」なんて物が構築されるとは、想像すら出来なかった。マヌケ様が書かれたバイオマス・エタノールなんていうのも、全く同様ですね。

「貧乏だったから、専らおからや麦を食し、バナナなんて高級品は食せなかった。」という時代が在ったと聞きますが、健康志向が高まった今では逆におからや麦が高価となり、バナナは誰もが食せる果物となったというのは、何とも皮肉。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。