「賀茂河の水、双六の賽、山法師、是ぞわが心にかなわぬもの。」
「平家物語」の中で白河法皇が「自分の思いの儘にならない物」として、上記の3つを挙げている。「賀茂河」とは現在京都市を流れる「鴨川」の事で、古来より氾濫を繰り返し、多大な水害を与えて来た河川として有名。「双六の賽」とは「双六に用いられる賽子」の事で、確かに自分の望む「目」を出すのは至難の業。そして「山法師」とは「比叡山延暦寺の僧」を指すが、当時強訴を繰り返していた彼等を押さえ込むというのも、生半可な事では無かったろう。
「東日本大震災」発生から、今日で丁度1ヶ月。落ち着かない日々を送って来た事も在り、「もう1ヶ月を迎えたのか。」という思いと同時に、「未だ1ヶ月しか経っていないのか。」という矛盾した思いが交錯していたりする。
余震は相変わらず続いており、「何時になったら、心安らかに日々を送れる様になるのだろうか?」という不安は正直在る。「数年は余震の警戒しなければいけない。」という話も在り、ウンザリ感は募るけれど、人知の及ばざる所ばかりの自然に対して抗うのは、風車に突進したドン・キホーテよりも無謀と言え、最大限の警戒を忘れずに、後は自然に身を委ねるしか無いのが現実。
「余震によって、地中の地震エネルギーは放出されて行く。だから小さな余震が多く起これば、其れだけ大きな揺れの可能性は低くなる。」と、地震を研究している人達は口にする。「自分なんぞは足元にも及ばない程頭脳明晰な人達が研究した上で主張しているのだろうから、間違い無いのだろうなあ。」と思う一方で、「人知の及ばざる自然界の事だけに、必ずしも事実では無いかもしれない。」という思いも。願わくは、研究家達の説が正しく在って欲しいが。