*********************************
「ヤンキー的な気合主義が蔓延している」(3月17日、東洋経済オンライン)
日本社会にヤンキー文化が拡大しているという精神科医の斎藤環氏。今回の安倍晋三政権も、ヤンキー特有の「気合入れれば、何とかなる。」という空気に支持されていると指摘し、話題となっている。
―ヤンキー的事象が次々と出て来ているそうですね。
大阪・桜宮高校の体罰問題がそうです。先生が叩かれ始めた途端、保護者が「桜宮応援団」の様な支持団体を作り、先生の体罰の御蔭でこんなに家の子は良くなったとか、自分も体罰で強くなったとか言い始めた。正にヤンキー的な気合主義です。体罰は、気合を入れる為に在る訳ですから。
体罰する側に此れ程支持が厚いのは異様な事態だが、日本社会に居る限り、其れ程異様に見えない。我々は、そういう空気にどっぷり浸かっているのです。
其れから立て続けに起きたのがAKB48メンバーの丸坊主問題。過剰に自分を痛め付けるパフォーマンスによって、罪を償う自傷的謝罪です。切腹の時代から土下座文化を経て丸坊主、此れは日本に連綿と受け継がれてきた後進的カルチャーと言って良い。ところが或る調査では、彼女の丸坊主を肯定する人が50%を占めた。海外にも報道され、アウシュヴィッツだと批判されているにも拘らず、日本では丸坊主が当たり前に受け止められている。
―そして安倍政権も・・・。
ヤンキーは仲間と家族を大事にする。安倍さんの親学への親和性、子育てに対する考え方や家族の絆を大切にするという発想がヤンキー的です。福祉や弱者保護は国民の絆任せにし、政府は御金をじゃんじゃん刷って経済を守り立てれば良いという発想も、ヤンキー的なアゲアゲの乗りを上手く捉えている。
皆、絆という言葉に弱いですから。抑は拘束や動きを束縛するという意味を持つ絆という言葉が、特に震災を契機にして麗しい物、なくてはならない物という言葉に変わって行く様は奇妙ですが。
生活保護費の切り下げも、ヤンキー的です。ヤンキーの人権意識は自己責任。詰まり「義務を果たしていない奴には、権利を与えるな。」という物。万人が一定の人権を持っているという『天賦人権説』に照らせば、生活保護は請求が在れば支給するのが当たり前です。其れが何時の間にか、本当に困っていて、頑張ったけれど駄目だった人にしか上げる事が許されない様な事になっている。
其処に在るのは、ヤンキーの村的発想に他ならない。集団に寄与していない人間には、集団も利益を与えないという村八分的論理です。
―学校現場でも、ヤンキーに慣らされる教育が為されているとか。
其れは、もう露骨です。例えば、多くの中学校で踊られている「南中ソーラン」【動画】が良い例。元は北海道の或る中学校が、不良の更生の為に導入して成功した。其れがドラマ金八先生【動画】のエンディングで使われた所、あっと言う間に全国に広がった。伝統的なソーラン節【歌】をロック調にアレンジしており、中学生でも乗り易い。衣装は竹の子族の様な派手な法被。金のネックレスやセカンド・バッグ等と同じく、ヤンキーが好むバッド・センスです。
中学校ではダンスが必修科目になり、多くはヒップ・ホップを踊っている。詰まり、今の中学生はヤンキーになるか、B系になるしかない。こうして日本のヤンキー文化は、益々増殖傾向に在る。
嘗ては不良経験を持った人しかヤンキーになれなかったが、今や不良経験というコアな物を抜きに、バッド・センスだけを引き継いだヤンキー層が広がりつつ在る。
日本の政治家にも、ヤンキーは多い。日本の選挙運動というバッド・センスな物に何の抵抗も無いのが、ヤンキー的な人達だからです。
決起集会では「エイエイオー。」なんて遣って、襷を掛けて、白い手袋で街頭演説。群衆の中で自分の名前を連呼するという、恥辱プレーをしなければならない。普通なら耐え難いですよ。しかし、ヤンキー的な人々にとっては自然な事。「此れが、そういう伝統なんだ。」と言われたら、納得してしまう。反知性主義で在り、現実思考的なのは、ヤンキーの特徴です。
―統治する側とされる側が、同じ体質。自民党政権は安泰ですね。
安泰だとしか考えられない。日本維新の会はヤンキー色が濃過ぎるが、自民党は丁度良い。漫画雑誌に喩えれば、ヤンキー漫画が一番多く載っているのは「少年チャンピオン」です。維新の会はチャンピオン。一方、ヤンキーも在ればオタクも在る、鵺的な雑誌が「少年ジャンプ」、此れが自民党。日本で一番売れているのは、ジャンプですから。
ヤンキーは基本的に内向きで、内弁慶です。女子柔道で問題になったが、スポーツマンでも公式の場では「皆様の力で、勝たせて戴きました。」なんて言い乍ら、裏では「俺が厳しく指導したから、勝てたんだぞ。」とか言っている。ヤンキー的な裏と表の顔の使い分けです。
日本人には、「身体を痛め付ければ、心が鍛えられる。心が鍛えられれば、身体が強くなる。」という様な変な回路が在る。其れが兎跳びとか、運動中に水を飲んじゃいかんという、無茶苦茶な非合理的特訓、スポ根的な特訓に繋がって行く。こうした精神主義は、ヤンキー的気合主義と相通ずる。根っ子は、第二次大戦当時の大和魂や精神主義に繋がる物です。当時の論理が亡霊の様に生き残っていて、スポーツ界他、色々な場所に顔を出している。不気味で、嫌な印象を抱きます。
―ヤンキー文化のマイナス面を、どう打破するべきでしょうか。
体罰が強要されるのは、スポーツマンの個人主義が認められていない所為だ。技量の不足は未熟さの表れで在り、未熟な人間の権利は、制限されて当たり前と考えてしまう。
学校で教える徳目(道徳の内容)から、協調性を外す事が必要かもしれませんね。協調性だけを強調するカルチャーが、村社会に於ける虐めのロジックを補強している。1人だけ変わった事をする奴は、虐めて良いという話に繋がっている。
飽く迄も個人の権利を尊重する事が最優先事項で、協調性は2番目か3番目に大事で在ると教育しないと、何時迄経ってもヤンキー的な、個人よりも集団を優先する論理が罷り通ってしまう。個人よりも家族、個人よりも地域、個人よりも学校。今起きている問題は全て、此のロジックに起因している。
但し、日本的集団主義のカルチャーは、簡単に否定出来ない面も在る。集団主義が世間という相互監視システムを作り上げ、突出した犯罪は、滅多に起こらない。薄い毒を皆で共有する事で、濃縮された毒が1ヶ所に溜まるのを防いでいる。日本社会は世界に稀に見る平和な社会で、治安に掛けるコストも低い。唯、此の平和を維持している空気が、社会の天井の低さ、閉塞感に繋がっている。
典型的なのは、日本に於ける引き籠もりの多さと、ホームレスの少なさでしょう。若年ホームレスだけ見れば、1万人居ない。米国には100万人、英国に25万人居るのに、日本は異常に少ない。其れが何処に居るかと思ったら、家の中に居る。引き籠もりという形で。排除された若者は、家族が支えているんです、絆で。
こうした事も、アゲアゲの景気の良さに掻き消されて行く。何だ彼んだ言っても、景気が良くなれば、国民の気分は良くなる。良くなれば、弱者の存在は目に入らなくなる。安倍内閣が景気最優先と掲げたのは、目眩ましとしては最高でしょう。
*********************************