安直な作りの番組が余りにも多い事から、地上波の番組を見る機会が年々減っている。其の一方で専門チャンネルの番組を見る機会が増えているのは、概して個性的な番組が目立つから。
地上波では“日陰の身的な存在”となってしまったプロ野球中継をガッツリ見られるのもそうだが、懐かしいドラマの数々が見られるというのも「専門チャンネルを視聴出来て良かった。」と強く感じる点。現在再放送中のドラマで言えばTBSチャンネルの「赤い運命」(動画)、同じくTBSチャンネルの「3年B組金八先生(第2シリーズ)」(動画)、ファミリー劇場の「アイフル大作戦」(動画)、そして同じくファミリー劇場の「秘密戦隊ゴレンジャー」(動画)を録画&視聴するのが楽しみとなっている。
「ドラマは時代を映す鏡」なんて言う。ドラマから「放送当時の流行や風俗等、社会の世相が垣間見られるから。黒電話等、今では一般的に見られなくなった物が、当たり前の光景として用いられているのを目にすると、「時の流れを感じるなあ。」と思ったりする。
昔のドラマを見て「時代の違い」を感じる一方で、「近年に始まった傾向と思っていたけれど、実はそんなに昔から存在していた現象だったのか・・・。」と驚かされるケースも在る。先月迄TBSチャンネルで再放送されていた「ありがとう 第1シリーズ(婦人警官編)」(動画)が初めて放送されたのは1970年、即ち今から41年も前の事。しかし「年々、夏が暑くなっている。」とか「朝遅く迄寝ていて、子供に朝食を作らない母親が多くなっている。」、「少年犯罪が増えている。」、「『ラジオ体操の音楽が五月蠅い!』といったクレームが出る等、近隣で出る音声に対して昔の様な寛容さが無くなって来た。」等々、「現在言われている事が、そんな昔から言われていたんだ。」と判り、或る意味「新鮮な驚き」が自分には在った。
以前の記事で「現代よりも戦前の方が少年犯罪の発生件数も然る事乍ら、凶悪な内容の物が圧倒的に多かった。」という事を紹介したが、必ずしも「昔は良かった。」という訳では無いという事か。
公害のひどさったらすごかったし
交通戦争っていう言葉も・・
隣人がどういう人かもわからんかったし
それが21世紀の今日本中に広がった。
・・ということかもしれません。
>朝遅く
低血圧の母親の話って昔から聞いたなあ。
よほど抑圧的な舅や夫がいない限り、「母親が朝弱くて・・・」みたいなことはありがちかも。
>ラジオ体操
藤子マンガのカミナリさんみたいな人はいそうですね
>少年
当時は中卒で就職が多かった。15で大人の仲間になる人がたくさんいた。
昭和40年代はまだ集団就職先があまり良くなくて「蒸発」するという話も多かった。今より遥に格差問題が劣悪だった。一時期話題になった「消えた年金問題」、そういう時期のことを知ってる人にしたら「まあ、そうだろうね」という感じだったらしいし、自分もよほどの大企業か公務員でもなければそういう管理をしっかりされることはないと考えていました。
大量の煙を吐き出す工場の煙突やヘドロが溜まったドブ川等、幼少期には「公害」というのが今よりも身近だった気がします。今の中国と似た雰囲気でしたね。今はそういう光景が余り見られなくなったけれど、単に「見え難くなっただけ」なのかもしれません。
70年代には都心で見受けられた現象が、やがて全国へ拡散して行った・・・其れは言えるのかも。
ロゼッタ・ストーン(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%82%BC%E3%83%83%E3%82%BF%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%B3)に「今時の若者は・・・」と、当時の大人達が若者に対する苦言を記していたのは有名な話ですが、こういうジェネレーション・ギャップ的な物は何時の時代にも在る事なのでしょうね。昔は「今時の若者は・・・」と言われていた側の自分が、無意識の内に「今時の若者は・・・」と思ったりしているのですから。
藤子漫画のカミナリさん・・・実に判り易い喩です。ああいう一言居士型、其れもハッキリ物は言うけれど、後には残さないタイプの爺さんって余り見掛けなくなりましたね。ネチネチと個人攻撃する某都知事の様な爺さんは増えたけれど。