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「元巨人の金田正一さんが死去 前人未到400勝投手」(10月6日、日刊スポーツ)
巨人は6日、「国鉄、巨人の元投手でロッテの監督も務めた金田正一氏が6日午前4時38分、急性胆管炎による敗血症の為、都内の病院で死去した。」と発表した。86歳。通夜・告別式は近親者のみで行われる。喪主は長男・賢一氏。後日「御別れの会」を行う予定。
愛知県出身。享栄商を中退して、1950年(現在のヤクルト)入団。1965年に巨人軍に移籍し、5年間プレーし、前人未到の400勝を達成。1969年限りで引退した。背番号「34」は、巨人の永久欠番。
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当ブログは2004年7月17日に立ち上げたが、其の際、「此処で此の人の訃報を取り上げる事になったら、本当に辛いなあ。」と思う有名人が4人居た。皆大好きな方で、其の内の1人・ばばこういち氏が2010年4月9日に亡くなられた際は、「貴方が居なかったら、このブログは存在しなかった」という記事を書かせて貰った。詳細は当該記事を読んで貰えればと思うが、「社会の不条理な出来事に対し、怯む事無く立ち向かう。」というスタンスは彼から学んだし、彼が存在しなければ此のブログを立ち上げる事は無かったと言って良い。そんな強い思いが在るので、当ブログのタイトルを「ば○こう○ちの納得いかないコーナー」とさせて貰った程。
今回亡くなられた“カネやん”も、4人の内の1人だ。大好き過ぎて、当ブログでは過去に「カネムラさんですか?」、「金田式健康棒は凄かった!?」、「カネやん吼える!」、「カネやんの勇姿」、「スミ2」、「“カネムラさん”の名球会に入りたいなら、もっとバントの練習を」、「伝説のプロ野球選手に会いに行く」、「クーデター勃発」、「振り上げた拳」、「名球会に関する驚きの事実」、「仕方無いのかもしれないけれど、ラミちゃんが居なくなるのは本当に寂しい」、「こんな質問在り?」、「球界広しと雖も」、「図太さ」、「スタメン全員安打」、そして「元気な姿を見せて欲しい」と、16件も記事にしている。だから、今回の訃報は、本当にショックでならない。
日本球界では最高の勝利数「400勝」を達成しているだけでは無く、数多くのタイトル獲得&日本球界記録を残しているカネやん。“日本球界の大エース”と言って良いだろう。
だが、自分は世代的に、彼の現役時代を全く覚えていない。「ジャイアンツOBと言うけれど、スワローズ時代に『353勝』(全体の約88.2%)を達成しているのだから、スワローズOBを名乗る方が自然なのになあ。」と思ったりもする。
だから、自分の中でのカネやんは「監督」、「解説者」、「評論家」、「実業家」そして何と言っても「タレント」のイメージ。ロッテオリオンズの監督時代には、3塁側のコーチャーズボックスに立ち、足を高く蹴り上げる独特の“カネやんダンス”を見せたり、率先して乱闘に加わる等、派手な言動【動画】が忘れられない。
解説者としては失言も多く、放送禁止用語を使ってしまい、視聴者から抗議を受ける事も。解説中に「聾桟敷」という放送禁止用語を口にした際には、CM明けにアナウンサーが「先程、不適切な発言が在りました事、本当に申し訳在りませんでした。」と必死になって謝罪したのを受け、カネやんが「いやー、さっきは『聾桟敷』と言ってしまって、本当に申し訳無い!!昔は普通に『聾桟敷』という言葉を使っていたのでつい。今後は、もう『聾桟敷』という言葉は使いません。」と放送禁止用語を改めて多用していたのには、申し訳無いが爆笑してしまった。
“傍若無人”、“唯我独尊”、“御山の大将”等々、カネやんには現役の頃より、身勝手さを表す表現が付けられて来た。でも、そんな彼が大好きだったのは、サーヴィス精神旺盛で、何とも憎めない所が在り、そして彼が姿を見せるだけで場がパッと明るくなる陽性の面に在った。
“日本球界の大エース”逝く。合掌。
とにかく、球が速かったです。当時はスピードガンがなかったので正式に計測されていませんが、時速160キロ以上は間違いなく出ていたでしょう。巨人に入団した長嶋が新人で初対戦した時、4打席連続三振に打ち取られたのも当然だと言えましょう。
ただ気の毒だったのは、所属チームが国鉄スワローズという万年Bクラスの弱小球団だった事。なにしろ当時の国鉄は「打てば三振、守ればエラー」と言われるほどヒドいもので、通算奪三振の記録を作ったのも、「せっかく凡打に討ち取ってもエラーされては何にもならない」という思いから、三振を取る事に全力を注いだのが理由のようです。
通算400勝という記録も凄いですが、通算負け数も298敗と、こちらも史上最多です。これはチームが打てない為、金田さんが相手を1点に抑えても味方が0点の為、敗戦投手になったケースが多数ある為です。記録によると、0-1の完投敗戦が21試合もあり、これも史上1位だそうです。
もし所属チームが常に優勝を争うような強いチームだったら、国鉄では負け投手になった試合でも勝利投手になっていたかも知れず、通算勝利数はさらにもっと多かったでしょう。そういう意味では気の毒でしたね。国鉄時代は遂に一度も優勝を味わう事はありませんでした。
後に巨人に移籍したのも、一度でいいから優勝・日本一を経験したいという思いがあったのかも知れませんね。
つい最近まで、TBS系の「サンデー・モーニング」のご意見番コーナーに出演しており、その時も豪放で明るい性格丸出しで、張本さんと並んで豪快に「喝!」を入れていたのが印象的でした。
また一人、昭和の伝説の名選手がこの世を去ったわけですね。寂しいです。心から冥福を祈りたいと思います。
Kei様は、カネやんの現役時代を御存知なのですね。凄く羨ましいです。「往年の名選手達の現役時の姿を、リアル・タイムで見てみたい。」、野球ファンならば誰しも思う事でしょうが、自分の場合で言えば長嶋茂雄氏とカネやんも、そんな方達です。
伝説の名投手の1人・杉下茂氏が、今回の訃報を受けてコメントを出されていましたが、「兎に角、球が速かった。150キロは軽く出ていたと思う。又、ドロップの落ち方もえげつなかった。」と。
400勝の方許りに目が行き勝ちですが、通算負け数「298敗」というのも、途轍も無い数字。小宮山悟氏だったと思うのですが、「登板試合数だけでも、此の数字に遥か及ばない選手が数多居るのに、本当に凄い事だと思います。」と語っていました。弱小チームに在籍していなかったら、一体何処迄勝利数を伸ばしていた事でしょう。
ジャイアンツ移籍後の勝利数は「47勝」ですが、「食や身体のケアの重要さ」という事を、ジャイアンツの選手達に自覚させた功績は、もっと知られて良いでしょうね。「カネやんの移籍が無ければ、長嶋選手や王貞治選手も、もっと早くに引退していたかも知れない。」という指摘が在ります。
又、豪放磊落&唯我独尊なイメージが在るけれど、身近に居た選手や記者達の証言からは、非常に寂しがり屋で物凄い気配りの人というギャップが在り、そういった面も魅力でした。本当に残念です。