脚本家・内館牧子さんが週刊朝日に連載しているコラム「暖簾にひじ鉄」に付いては、過去に当ブログで何度か取り上げて来たが、先日読んだ内容は、とても他人事とは思えない物だった。内館さんが、古くからの友人・Aさん(女性)から貰った“絶縁状”に関する話だ。古くからの友人といっても、内館さんはAさんと可成り会ってはおらず、年賀状の遣り取りだけ位の関係だった様だが、其の絶縁状の内容が「一方的で、且つ上から目線からの物。」だった。
内館さんの言動がAさんを傷付けたとかいうのでは全く無く、「兎にも角にも、人間関係を完全に断ちたい。」というAさんの強い思いが窺える内容。ショックを受けた内館さんは、Aさん事を知っている別の友人に話をした所、「彼女だったら、そういう事しそうね。でも、其れにしても、こういう書き方をしてくるって、人としてどうかと思う。」と憤っていたとか。自分も其の文面を読んだが、「こんなにも一方的で、且つ上から目線の書き方で、人間関係を断たなくても良いのに。」と、呆れ返ってしまうレヴェルだった。
“年賀状仕舞い”という言葉が在る。端的に言えば、「人間関係を断つ。」というのが年賀状終いだ。実際に会わないで長期間が過ぎ、年賀状を遣り取りするだけの関係になっている場合、年賀状仕舞いという決断も理解出来る。5年前の記事「年賀状仕舞い」で書いたが、以前の勤務先の上司から、年賀状仕舞いを伝える丁重な文面の年賀状を頂戴した。彼の年齢を考えれば納得出来る決断だったけれど、「寂しいな。」という思いも在った。
そんな風に、きちんとした形で「人間関係を断つ。」事が行われた場合は良いのだが、中には“心に深い傷を負わされた形”も在る。高校時代からの長い付き合いで、社会人になって以降も毎年の様に、顔を合わせて飲む友人が4人居た。其の内の1人・B君は、自分が苦しい状況の時にも温かい言葉を掛けてくれたりして、一生付き合える友人だと思っていた。少々非常識な面も在ったりしたが、自分も他の友人達も「彼なら、そういう非常識さも許される。」という感じが在った。
ところが、4年前だったか、B君と一切連絡が取れなくなった。彼は公的な仕事に就いている事から、「特にトラブルが発生した訳では無く、普通に職場で働いているらしい。」という事は判ったのだけれど、自分だけでは無く、他の友人達も「全く連絡が取れなくなった。」と嘆いていた。年賀状やメールを送っても、届いている筈なのに、全くの梨の礫。電話を掛けても、一切出てくれない。皆「何か気に障る事をしたかなあ?」と考え込んでいたが、「全く心当たりは無い。」と言う。自分も同様だ。
結局、B君としては「其れ迄の柵が嫌になった。」という事なのだろう。だったらだったで、最後位はそう連絡して欲しかったが、元々の非常識さが悪化したのかも知れない。「一生の友達。」と皆が思っていただけに、こういう形での絶縁は本当に悲しい。